「伊香保温泉をぶらり(上ノ山公園編)」から続く。
<河鹿橋>

河鹿橋に着いたので、橋の手前の素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。



ついでに、未だ色付いていない河鹿橋の紅葉も撮ってみました。

紅葉橋からも河鹿橋の紅葉を撮ってみました。
<飲泉所>

近くに、観光案内図があったので現在地を確認すると、先の方に飲泉所と露天風呂があったので行ってみました。

歩き出すと、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

又、最近は、あまり見かけなくなった電話ボックスもあったので撮ってみました。

万葉歌碑『上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ) かく恋ひむとや 種求めけん』があったので撮ってみました。

ご覧のような飲泉所があったので撮ってみました。


温泉と水が出ていたので温泉を飲んでみましたが、鉄分を含んでいるので金属ような味がしました。

飲泉所の向かい側の岩は、ご覧のように黄金色に染まっていました。
<第2号源泉>

飲泉所の先に、源泉があったので行ってみました。

右側にある武家屋敷のような建物は露天風呂です。

露天風呂の入口近くに、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

取り敢えず、入口を撮って中に入ってみました。


左側に、第2号源泉の湧出口があったので近くに行ってみました。

折角なので、湧出口をアップで撮ってみました。

後ろに、源泉の詳細や効能などが載っていたので撮ってみました。

又、「ラドン発見の碑」と「建碑について」があったので撮ってみました。
建碑に依ると、明治42年夏に日本で初めてラドンが伊香保で発見されたようです。

ついでに、日本温泉医学の父であるベルツ博士の胸像があったので紅葉と一緒に撮ってみました。

第2号源泉から道路に戻ると、湯沢川の支流がご覧のようになっていたので撮ってみました。

道路を下っていると、「温泉脇出口」があったので撮ってみましたが、現在は枯れているようでした。
<河鹿橋>


河鹿橋の手前に戻って来ると、ご覧のような素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。


河鹿橋の入口から湯沢川沿いの紅葉をアップで撮ってみました。


ついでに、橋の上からも素晴らしい紅葉を撮ってみました。
<湯沢通り>

河鹿橋近くの駐車場から、ご覧のような道路を下って県道33号線に向かいました。

湯沢通りを下っていると、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

手前に、ホップような果穂を付けた木があったのでアップで撮ってみました。


又、ご覧のような紅葉もあったのでアップで撮ってみました。


旅邸(諧暢楼?)の駐車場に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。


温泉旅館「福一」に、真っ赤な紅葉があったので撮ってみました。

折角なので、素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。

湯沢通りの下の方に着くと、右側に弁天坂への分岐がありました。

橋の先に、社が見えたので行ってみました。


ご覧のような社があって、扁額は西澤大弁財天になっていました。

近くに、観光案内図があったので現在地を確認すると、県道33号線沿いに「徳冨蘆花記念文学館」があったので行ってみることにしました。
<徳冨蘆花記念文学館>

河鹿橋からは20分程で「徳冨蘆花記念文学館」に着きました。
徳冨蘆花については、小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な明治の文豪くらいしか分かりません。


取り敢えず、観覧料(350円)を払って、徳冨蘆花が定宿としていた旅館の離れを移築・復元した記念館に行ってみました。

玄関に入ると、記念館の建設経過と見取り図(5K)があったので撮ってみました。

取り敢えず、8帖の客間を撮ってみました。

客間からは小野子三山が見えました。

「蘆花終えんの部屋」があったので撮ってみました。

部屋に、ガウンが展示してあったので撮ってみました。

又、ご覧のようなトイレもありました。

和室から県道沿いの庭が見えたので撮ってみました。

7.5帖の女中部屋もあったので撮ってみました。

女中部屋の隣りには台所もありました。

重病の体を押して入浴を楽しんでいる蘆花がいたので撮ってみました。

記念館を後に、常設展示室に行ってみました。

展示室に入ると、小説「不如帰」の病弱なヒロイン浪子がいたので撮ってみました。

取り敢えず、展示室を回ってみることにしました。

ご覧のような『「不如帰」の世界』が展示してありました。
浪子が、死の間際に言った「ああつらい。つらい。もう婦人なんぞに生まれはしませんよ」が出ていました。

小説「不如帰」は、舞台で演じられたり映画化もされているみたいでした。

新派では水谷八重子が浪子を演じていたようです。


展示室を出ると、ご覧のような喫茶コーナーがあったので窓際に行ってみました。

ぼんやりと小野子三山が見えたので撮ってみました。
徳冨蘆花記念文学館からは、帰りのバス停「伊香保温泉」近くの竹久夢二記念館に行ってみることにしました。
<竹久夢二記念館に向かう>


県道33号線を歩いていると、向かい側に真っ赤な紅葉があったのでアップで撮ってみました。

ついでに、石段街も見えたので撮ってみました。
未だ昼食を食べていなかったので、県道沿いにあった伊香保温泉「とどろき」の精養軒で遅い昼食を取りました。

交差点「伊香保総合支所前」に遣って来ると、斜め向かいに滝(?)が流れていたので行ってみました。

傍に、全日本ろうあ連盟「結成の地」の記念碑があったので撮ってみました。

尚、記念碑は、「歴史」「現在」「未来」の三つの形で表現していました。
<竹久夢二記念館>

今朝、通った交差点「伊香保」を越えると、「木暮茶寮」があったので撮ってみました。
夢二記念館の「木暮茶寮」には、甘味喫茶珈琲の案内が出ていました。

「木暮茶寮」の後には、ご覧のような門があって奥には土蔵が見えました。

土蔵に行ってみると「夢二記念館本館」の看板が掛かっていました。
ここは夢二記念館の「大正ロマンの館」で、ここからは入れないようでした。

元に道に戻ると、夢二記念館の「夢二黒船館」の矢印案内が出ていました。

右側の日本庭園を見ながら「夢二黒船館」に向かいました。

「夢二黒船館」の入口に、案内「大正ロマンの森」が出ていました。

取り敢えず、「夢二黒船館」を撮って中に入ってみました。

入館料(1,800円)を払って、大正ロマンが漂う館内に入ってみました。

1階の夢二ホールでは、夢二の人物解説の後に、アンティークオルゴールの演奏がありました。


正面に、アンティークオルゴールが並んでいたので撮ってみました。

夢二ホールの横にも宵待草のオルゴールがあったので撮ってみました。


オルゴールの演奏が終わったので、夢二ホールと天井を撮ってみました。

夢二の作品を見に2階に上がってみましたが、作品の撮影は禁止になっていました。

夢二研究家の第一人者・長田幹雄先生が平成元年(1989)に寄贈された「黒船屋」の経緯が出ていたので撮ってみました。

「夢二の芸術を愛し、夢二を理解し、夢二を支えた人」浦本政三郎博士が載っていたので撮ってみました。

「夢二黒船館」の入口に、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
帰りのバスに乗る時間(16:30発)が近付いて来たので「夢二黒船館」を後にしました。

帰り掛けに、夢二記念館の「夢二子供絵の館」の入口を撮ってみました。

16時を過ぎると、「木暮茶寮」の扉も閉まっていました。
バス停「伊香保温泉」に着きましたが、高速バス(上州ゆめぐり14号)が遅れていて大勢の人が待っていました。
結局、30分程遅れでバスが遣って来ましたが、大した遅れもなくバスタ新宿に着けました。
今回の「伊香保温泉をぶらり」は、ライトアップした紅葉の河鹿橋は見られませんでしたが、昼間の河鹿橋付近・上ノ山公園・湯沢通りなどで素晴らしい紅葉が楽しめたので満足しています。
又、バスタ新宿発着の高速バスが利用できたのは便利で良かったです。
尚、今日の万歩計は、それなりに歩いたので13,000歩を超えていました。
<河鹿橋>

河鹿橋に着いたので、橋の手前の素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。



ついでに、未だ色付いていない河鹿橋の紅葉も撮ってみました。

紅葉橋からも河鹿橋の紅葉を撮ってみました。
<飲泉所>

近くに、観光案内図があったので現在地を確認すると、先の方に飲泉所と露天風呂があったので行ってみました。

歩き出すと、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

又、最近は、あまり見かけなくなった電話ボックスもあったので撮ってみました。

万葉歌碑『上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ) かく恋ひむとや 種求めけん』があったので撮ってみました。

ご覧のような飲泉所があったので撮ってみました。


温泉と水が出ていたので温泉を飲んでみましたが、鉄分を含んでいるので金属ような味がしました。

飲泉所の向かい側の岩は、ご覧のように黄金色に染まっていました。
<第2号源泉>

飲泉所の先に、源泉があったので行ってみました。

右側にある武家屋敷のような建物は露天風呂です。

露天風呂の入口近くに、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

取り敢えず、入口を撮って中に入ってみました。


左側に、第2号源泉の湧出口があったので近くに行ってみました。

折角なので、湧出口をアップで撮ってみました。

後ろに、源泉の詳細や効能などが載っていたので撮ってみました。

又、「ラドン発見の碑」と「建碑について」があったので撮ってみました。
建碑に依ると、明治42年夏に日本で初めてラドンが伊香保で発見されたようです。

ついでに、日本温泉医学の父であるベルツ博士の胸像があったので紅葉と一緒に撮ってみました。

第2号源泉から道路に戻ると、湯沢川の支流がご覧のようになっていたので撮ってみました。

道路を下っていると、「温泉脇出口」があったので撮ってみましたが、現在は枯れているようでした。
<河鹿橋>


河鹿橋の手前に戻って来ると、ご覧のような素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。


河鹿橋の入口から湯沢川沿いの紅葉をアップで撮ってみました。


ついでに、橋の上からも素晴らしい紅葉を撮ってみました。
<湯沢通り>

河鹿橋近くの駐車場から、ご覧のような道路を下って県道33号線に向かいました。

湯沢通りを下っていると、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。

手前に、ホップような果穂を付けた木があったのでアップで撮ってみました。


又、ご覧のような紅葉もあったのでアップで撮ってみました。


旅邸(諧暢楼?)の駐車場に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。


温泉旅館「福一」に、真っ赤な紅葉があったので撮ってみました。

折角なので、素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。

湯沢通りの下の方に着くと、右側に弁天坂への分岐がありました。

橋の先に、社が見えたので行ってみました。


ご覧のような社があって、扁額は西澤大弁財天になっていました。

近くに、観光案内図があったので現在地を確認すると、県道33号線沿いに「徳冨蘆花記念文学館」があったので行ってみることにしました。
<徳冨蘆花記念文学館>

河鹿橋からは20分程で「徳冨蘆花記念文学館」に着きました。
徳冨蘆花については、小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な明治の文豪くらいしか分かりません。


取り敢えず、観覧料(350円)を払って、徳冨蘆花が定宿としていた旅館の離れを移築・復元した記念館に行ってみました。

玄関に入ると、記念館の建設経過と見取り図(5K)があったので撮ってみました。

取り敢えず、8帖の客間を撮ってみました。

客間からは小野子三山が見えました。

「蘆花終えんの部屋」があったので撮ってみました。

部屋に、ガウンが展示してあったので撮ってみました。

又、ご覧のようなトイレもありました。

和室から県道沿いの庭が見えたので撮ってみました。

7.5帖の女中部屋もあったので撮ってみました。

女中部屋の隣りには台所もありました。

重病の体を押して入浴を楽しんでいる蘆花がいたので撮ってみました。

記念館を後に、常設展示室に行ってみました。

展示室に入ると、小説「不如帰」の病弱なヒロイン浪子がいたので撮ってみました。

取り敢えず、展示室を回ってみることにしました。

ご覧のような『「不如帰」の世界』が展示してありました。
浪子が、死の間際に言った「ああつらい。つらい。もう婦人なんぞに生まれはしませんよ」が出ていました。

小説「不如帰」は、舞台で演じられたり映画化もされているみたいでした。

新派では水谷八重子が浪子を演じていたようです。


展示室を出ると、ご覧のような喫茶コーナーがあったので窓際に行ってみました。

ぼんやりと小野子三山が見えたので撮ってみました。
徳冨蘆花記念文学館からは、帰りのバス停「伊香保温泉」近くの竹久夢二記念館に行ってみることにしました。
<竹久夢二記念館に向かう>


県道33号線を歩いていると、向かい側に真っ赤な紅葉があったのでアップで撮ってみました。

ついでに、石段街も見えたので撮ってみました。
未だ昼食を食べていなかったので、県道沿いにあった伊香保温泉「とどろき」の精養軒で遅い昼食を取りました。

交差点「伊香保総合支所前」に遣って来ると、斜め向かいに滝(?)が流れていたので行ってみました。

傍に、全日本ろうあ連盟「結成の地」の記念碑があったので撮ってみました。

尚、記念碑は、「歴史」「現在」「未来」の三つの形で表現していました。
<竹久夢二記念館>

今朝、通った交差点「伊香保」を越えると、「木暮茶寮」があったので撮ってみました。
夢二記念館の「木暮茶寮」には、甘味喫茶珈琲の案内が出ていました。

「木暮茶寮」の後には、ご覧のような門があって奥には土蔵が見えました。

土蔵に行ってみると「夢二記念館本館」の看板が掛かっていました。
ここは夢二記念館の「大正ロマンの館」で、ここからは入れないようでした。

元に道に戻ると、夢二記念館の「夢二黒船館」の矢印案内が出ていました。

右側の日本庭園を見ながら「夢二黒船館」に向かいました。

「夢二黒船館」の入口に、案内「大正ロマンの森」が出ていました。

取り敢えず、「夢二黒船館」を撮って中に入ってみました。

入館料(1,800円)を払って、大正ロマンが漂う館内に入ってみました。

1階の夢二ホールでは、夢二の人物解説の後に、アンティークオルゴールの演奏がありました。


正面に、アンティークオルゴールが並んでいたので撮ってみました。

夢二ホールの横にも宵待草のオルゴールがあったので撮ってみました。


オルゴールの演奏が終わったので、夢二ホールと天井を撮ってみました。

夢二の作品を見に2階に上がってみましたが、作品の撮影は禁止になっていました。

夢二研究家の第一人者・長田幹雄先生が平成元年(1989)に寄贈された「黒船屋」の経緯が出ていたので撮ってみました。

「夢二の芸術を愛し、夢二を理解し、夢二を支えた人」浦本政三郎博士が載っていたので撮ってみました。

「夢二黒船館」の入口に、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
帰りのバスに乗る時間(16:30発)が近付いて来たので「夢二黒船館」を後にしました。

帰り掛けに、夢二記念館の「夢二子供絵の館」の入口を撮ってみました。

16時を過ぎると、「木暮茶寮」の扉も閉まっていました。
バス停「伊香保温泉」に着きましたが、高速バス(上州ゆめぐり14号)が遅れていて大勢の人が待っていました。
結局、30分程遅れでバスが遣って来ましたが、大した遅れもなくバスタ新宿に着けました。
今回の「伊香保温泉をぶらり」は、ライトアップした紅葉の河鹿橋は見られませんでしたが、昼間の河鹿橋付近・上ノ山公園・湯沢通りなどで素晴らしい紅葉が楽しめたので満足しています。
又、バスタ新宿発着の高速バスが利用できたのは便利で良かったです。
尚、今日の万歩計は、それなりに歩いたので13,000歩を超えていました。