飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)

2017年09月04日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(走水編Ⅰ)」から続く。

<御所ヶ崎>

 国道16号線を歩いていると、手前に旗山崎公園のある御所ヶ崎に着きました。


 入口に「走水番所・旗山崎台場跡」の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板に依ると、この場所は江戸に下る船を検査する船番所や江戸湾海防のための台場があった所で、旗山崎の名前は日本武尊が上総(千葉)に渡る時、海が荒れて進めず臨時の御所を設けて軍旗を立てたことに由来しているようです。


 公園の背後の柵から走水砲台跡に入ると、ご覧のような阪路(入口)があったので撮ってみました。


 砲座の下に弾薬庫があったので撮ってみました。


 又、近くのご覧のような兵舎(棲息掩蔽部)もあったので撮ってみました。




 上にあった砲座に行ってみました。尚、走水砲台跡には4門の砲台があります。


 この砲座には、ご覧のような鉄階段が付いていたので上ってみました。


 上に行くと説明案内板があって、写真付きの大砲(27cm加農砲)が載っていたのでアップで撮ってみました。


 27cm加農砲を意識して上から砲座を撮ってみました。


 砲台からの見晴らしが気になったので、ご覧のような散策路を通って浦賀水道を見に行ってみました。
 散策路の途中にも、ご覧のような砲座(?)の跡がありました。


 浦賀水道は、木々が生い茂っていて見晴らしは良くありませんでした。


 折角なので、手前に見えた岩礁をアップで撮ってみました。




 散策路の先にも別の砲座があったので撮ってみました。


 近くにあった揚弾井に、ご覧のような吊金具があったので撮ってみましたが使途は不明です。

 一番北側にあった砲座を見ていなかったので行ってみました。




 途中に、ご覧のような弾薬庫があって内部が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、一番北側の砲座を撮ってみました。




 台座の近くに、ご覧のような建物の跡らしき場所があったので撮ってみました、こちらも使途不明です。


 取り敢えず、走水砲台跡を一回りしたので旗山崎公園に戻りました。
 旗山崎公園から魚が獲れそうな海辺を撮ってみましたが、釣りは禁止の注意書きが出ていました。


 旗山崎公園の近くに、伝説の地「御所ヶ崎」の説明案内板がありました。
 説明案内板には、『古事記・日本書紀によれば、日本武尊が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず、弟橘媛は海神の怒りを静めるために身を投じ荒れ狂う海を静めました。・・・』と書いてありました。

 旅館に戻っても良かったのですが、未だ雨が降り出していないので走水神社に行ってみることにしました。

<覚栄寺(かくえいじ)>

 国道16号線を歩いていると、右側の奥に覚栄寺があったので行ってみました。




 取り敢えず、お参りをして立派な扁額を撮ってみました。


 覚栄寺は浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊です。永正110年(1513)に載誉屋道上人が念仏を広めるために道場として開いたといわれています。


 大震災の立派な供養塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊があったので撮って覚栄寺を後にしました。

<円照寺(えんしょうじ)>

 覚栄寺の近くに、円照寺があったので階段を上ってみました。


 円照寺は、ご覧のようなこじんまりしたお寺でした。傍らに、日蓮上人の銅像があったので日蓮宗のお寺ですね!


 取り敢えず、お参りして扁額を撮ってみました。


 説明案内板には、『応永5年(1398)、日海上人によって開山されたお寺で、本尊は三宝(仏・法・僧)のです。・・・』と書いてありました。


 若しかしたら日蓮上人ではなく日海上人の銅像だったかも知れませんね!?

<大泉寺(だいせんじ)>

 円照寺を後に、右側の山道(?)を上ると大泉寺本堂の階段下に着きました。
 ⇒ どうやら参道を通らないで本堂に来てしまったようです。


 取り敢えず、立派な本堂を撮ってお参りすることにしました。


 お参りしてから、赤い梵字(?)を撮ってみましたが、何と書いてあるのか分かりません。


 ガラス越しに本堂の内部も撮らせていただきました。
 「先祖代々菩提霊位」と「三界萬霊」の位牌(?)が祀られていました。


 本堂の横に、ご覧のような外水道(?)があったので撮ってみました。


 又、外水道の先は、玉砂利を敷いた休憩所になっていました。

 本堂を後に、帰りは参道を通って外に出てみることにしました。


 ”一字一石法華塔”と彫らている石塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊もあったので撮ってみました。


 振り返ると、本堂の屋根が見えたので撮ってみました。


 水車の回転に合わせて杵をうつ音が家の中から聞こえていたので撮ってみました。


 大泉寺の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『天正18年(1590)徳川家康が関東に入国した際に三浦郡代官頭・長谷川七左衛門長綱が逗子・海宝院の伝英和尚を招き開山した寺・・・』と書いてありました。

<走水神社>

 大泉寺の参道から道路に出ると走水神社は右側にありました。
 説明案内板によると、走水神社の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の2柱です。


 可愛らしい愛嬌がある狛犬だったのでアップで撮ってみました。


 片方だけだと縁起が良くなさそうなので、右側の狛犬も撮ってみました。


 右側に社務所、左側に手水舎のある境内を撮ってみました。


 取り敢えず、手水舎で身を清めてからお参りすることにしました。
 尚、この水は深さ30mより湧き出ている真水みたいです。


 鳥居の先には、ご覧のような立派な石灯篭がありました。


 参道の右側に、宝物殿と「針の碑」があったので撮ってみました。
 「針の碑」には、『草枕 旅の丸寝の 紐絶えば あが手とつけろ これの針持し』の歌が彫ってありました。




 「針の碑」の隣りに、ご覧のような弟橘媛命「舵の碑」があったのでアップで撮ってみました。


 石段の下にも、ご覧のような石灯篭がありました。
 『地震を感じたら「石灯篭」から直ちに離れて下さい』の注意書きが出ていました。




 社殿に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 社殿の右側に、日露戦争の時の「露國機械水雷」が奉献されていました。


 珍しいのでアップで撮ってみました。


 「露國機械水雷」の隣りに、稲荷神社があったので撮ってみました。


 一番奥に、ご覧のような水神社がありました。


 水神社に可愛らしい河童がいたのでアップで撮ってみました。


 社殿の左側に行ってみると、ご覧のような別宮があったので撮ってみました。
 尚、別宮は弟橘媛命に殉じた侍女をお祀りしてあります。


 「弟橘媛命の記念碑」の案内が出ていたので行ってみました。


 この記念碑は、弟橘媛命の御遺蹟を偲奉して、東郷平八郎、乃木希典ら7名が発起人となって建立(明治43年6月5日)したものです。
 記念碑には、弟橘媛命の今際の御歌が刻まれていました。


 「弟橘媛命の記念碑」を後に、山道を昇るとご覧のような神明社の鳥居がありました。




 山道を登っていると、ご覧のような説明案内板が出ていたので行ってみました。


 山道の上に着くと、ご覧のような三社がありました。


 取り敢えず、左から諏訪神社、神明社、須賀神社を撮ってお参りをしました。

 ここからは昇ってきた山道を戻って下に行くしかありません。


 山道から社殿が見えたので撮ってみました。


 石段の上から下の境内を撮ってみました。


 境内の右側に、日本武尊と弟橘媛命の愛の貴さをたたえる「顕彰の碑」があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような庖丁塚があったので撮ってみました。


 小雨がパラついて来たので、背後の社殿を撮って走水神社を後にしました。


 大した雨でなかったので、走水漁港を見ながら旅館に向いました。

 ほぼ予定通りの時間に旅館に着くことができて良かったです。
 又、万歩計は13,000歩を超えていたのでそれなりの運動にはなりました。

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