飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

大船駅周辺の寺社巡り

2019年08月18日 | Weblog
 8月17日(土)も暑かったので、涼しそうな大船駅近くにある「田谷の洞窟」行って、帰りに大船駅周辺の寺社を回ってみることにしました。
 大船駅からのルートは次のようにしました。
 大船駅西口⇒田谷の洞窟⇒大船駅西口⇒大船観音寺⇒大船駅東口⇒常楽寺⇒多聞院⇒高野の切通し⇒大船駅東口
 尚、定泉寺の「田谷の洞窟」は、2011年12月「大船・定泉寺の「田谷の洞窟」をぶらり」で行っているので約8年ぶりになります。

<大船駅西口>



 今日は暑かったので、「田谷の洞窟」近くまではバスで行くことにしました。
 大船駅西口にある「バスのりば案内」をチェックすると、「のりば4番」のバスは殆どバス停「田谷」に停まることが分かりました。


 ご覧のような歩行者デッキを通ってバスターミナルに向かいました。


 歩行者デッキから柔和なお顔の大船観音が見えたのでアップで撮ってみました。


 歩行者デッキは、柏尾川と県道402号線を渡ってバスターミナルに通じています。


 曲がり角からも大船観音が見えたのでアップで撮ってみました。


 この歩行者デッキは屋根があるので陽射しが遮られます。

 バス乗り場に着くとバスが停まっていて運転手さんに聞くと、一つ先のバス停「洞窟前」まで行くと言うことでした(ラッキー)。

<定泉寺(じょうせんじ)の「田谷の洞窟」>

 バスに乗ると5分程で、見慣れたことのある「田谷の洞窟」に着きました。


 折角なので、標柱をアップで撮ってみました。


 後ろに、定泉寺の説明案内板があったので撮ってみました。


 ご覧のような石段を上って境内に入ります。


 境内の左側に、歌碑『「御先祖乃 由縁の寺や 蝉時雨  やま』があったので撮ってみました。


 又、右側に、永代供養墓の大日堂があったので撮ってみました。


 本堂の前を通って、受付に行ってみました。


 御洞拝観の受付で拝観料(400円)を払ってパンフレットを貰いました。


 向かい側に、修行大師(諸国行脚中の弘法大師)が立っていたので撮ってみました。


 受付の先を左手に行くと、注意書があってお灯明のローソクを手に入れます。


 通路脇に、朝比奈弁財天が祀ってあったので撮ってみました。


 取り敢えず、洞窟の入口を撮ってみました。
 「田谷の洞窟」の正式名称は田谷山瑜伽洞(たやざんゆがどう)で、元鶴ヶ岡二十五坊の修禅道場のようです。
 洞窟は、鎌倉時代初期開創と伝えられ、江戸時代に至るまで適時拡張されて上下三段、総延長1km余りの大きさになっています。
 又、洞窟内の壁面には、御本尊の一願弘法大師、四国・西国・坂東・秩父各礼所本尊、両界曼茶羅諸尊、十八羅漢などが刻まれています。


 入口でロウソクに火を点け、順路に従ってヒンヤリとした洞内を回ります。


 ローソクの火が消えないようにゆっくり回ると30分程掛かりました。
 入口から外に出て左手に行くと、南無大師遍照金剛の碑があったので撮ってみました。




 先に進むと、子安地蔵尊があったので行ってみました。


 奥の地蔵堂を撮ってみました。


 折角なので、地蔵堂のお地蔵さんも撮らせて頂きました。


 地蔵堂の左側にも、小さなお地蔵さんが祀られていたので撮ってみました。


 ご覧のような休憩所があったので一休みしてから本堂に行ってみました。


 取り敢えず、本堂を正面から撮ってみました。




 本堂に、厄除木魚があるようなので上がってみました。




 取り敢えず、本堂の天蓋と祭壇を撮ってみました。


 祭壇の手前の右側に、鈴木魚と歓喜大黒天がいたのでアップで撮ってみました。


 左側に、ご覧のような厄除木魚があったので撮ってみました。


 折角なので、本堂内部を斜めから撮ってみました。


 本堂から出ると、本堂の左側に玉石があったので撮ってみました。
 説明案内板に依ると、玉石は子授け・安産にご利益があるようでした。


 又、ご覧のような厠の案内が出ていたので撮って、「田谷の洞窟」を後にしました。

<田谷御霊社(たやごれいしゃ)>

 バス通りに出ると、左手に鳥居が見えたので行ってみました。
 三叉路に着くと、信号機に「御霊神社(ごれいじんじゃ)」の名前が付いていました。


 石造りの「一の鳥居」の先には朱塗の「二の鳥居」がありました。


 取り敢えず、石段を上って社殿でお参りをしました。


 社殿の「田谷御霊社のしおり」に依ると、御祭神は鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ)になっていました。


 社殿の左側に、天照大皇神と日吉社の碑があったので撮ってみました。


 又、右側には横浜市の名木古木に指定されているケヤキがありました。




 石段の手前に、ご覧のような狛犬がいたのでアップで撮ってみました。


 石段の左側に、「明治参拾七八年 戦役 凱旋記念碑(明治37・38年戦役)と忠魂碑(支那事変・大東亜戦争)があったので撮ってみました。


 石段から鳥居を撮って、田谷御霊社を後にしました。


 バス停「洞窟前」まで戻って、日陰で大船駅西口行きのバスを待つことにしました。

 大船駅西口に着いたので橋を渡って県道402号線に出て大船観音寺に向かいました。
 尚、大船観音寺は、2011年10月「大船植物園に行ってきました」で訪れているので約8年ぶりになります。

<大船観音寺>

 県道沿いある「大船観音入口」を左折して道なりに進むと、大船観音寺の参道に出ました。


 参道入口に、珍しい地蔵コーンがあったので撮ってみました。




 ご覧のような急な参道を上って山門に向かいました。


 参道から大船駅西口バスターミナルが見えたので撮ってみました。


 山門に着いたので、左側の受付での参拝料(300円)を払って境内に入ります。


 山門から右手に行くと、階段の下にご覧のような碑があったので撮ってみました。
 尚、左側の碑には「鎌倉市戦没者の英霊を観音御胎内に祀る」と刻まれていました。


 取り敢えず、これから上る階段を撮ってみました。




 階段の途中で、、大船観音(白衣観音)像をアップで撮ってみました。
 尚、観音像の大きさは、高さ25m、巾19m、奥行13mです。


 階段の上に着いたので、香炉と一緒に観音像を撮ってみました。


 又、左手には手水と六角売店がありました。


 折角なので、手水に行って身を清めました。




 香炉の先に行って、柔和なお顔の観音様をアップで撮ってみました。


 ご覧のような通路を通って観音様の胎内に行ってみることにしました。


 観音様を少し斜めから眺めると、私に微笑みかけているように見えました。




 通路脇に、歌碑「御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ」と「縁結びめおと桜」があったのでアップで撮ってみました。


 観音像の横に遣って来たので、お顔は良く見えませんが観音様を撮ってみましたがデカいですね!
 又、この場所は高台にある所為か、心地良い風が吹いていました。


 観音像の後は、ご覧のような管が敷設してある山になっていました。


観音様の胎内に入ると、ご覧のような小部屋がありました。


 左側の小部屋には、千羽鶴の他に観音様の折り鶴や絵画が展示されていました。


 観音様のお顔が重なって描かれていたのでアップで撮ってみました。




 隣りの小部屋には、千体仏(せんたいぶつ)が祀られていました。




 又、胎内の左側には、ご覧のような小さな観音様が祀られていました。


 折角なので、観音様をアップで撮ってみました。


 観音様の胎内に入ったので、天井を撮らせていただきました。


 高い天井に、千社札(せんじゃふだ)が貼ってあったので撮ってみました。


 胎内を出てから観音像の後に行くと、ご覧のような竹林のある山になっていました。


 観音像の横を通って、上って来た階段に向かいました。




 手水の近くに、慈光堂に行ける石段があったので下りてみました。


 慈光堂に着きましたが、正面からは逆光なので斜めから撮ってみました。


 ついでに、扁額も撮ってみました。


 堂内には、聖観世音菩薩が祀られていましたが、開帳されていませんでした。




 慈光堂を後に石段を下りると、子育地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。


 又、向かい側に厄除地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。




 照心閣の前の庭に着くと、戦没者慰霊碑があったのでアップで撮ってみました。


 又、慈光堂の下に、原爆慰霊碑があったので行ってみました。


 慰霊碑の右側に、原爆の分火が灯っている「原爆の火」があったので撮ってみました。


 平和祈念碑と原爆で被爆した瓦・石があったので撮ってみました。


 左のケロイド状の瓦は広島原爆資料館、右の被爆石は長崎浦上天主堂から寄贈されたものみたいです。


 照心閣の前が日陰になっていたので、目の前の庭を眺めながら一休みしました。


 一休みしてから山門に向かっていると、造花のような花が咲いていたので見に行ってみました。


 取り敢えず、アップで撮ってみましたが歌仙草(カセンソウ)ですかね!?


 山門を反対側から撮って、大船観音寺を後にしました。


 参道の脇に、ご覧のような竹林があったので撮ってJR大船駅東口に向かいました。

 大船駅東口から徒歩5分位の所にある、古民家の居酒屋「臥薪」に入ってみました。
 遅い昼食を食べるつもりだったのですが、酒の肴を色々頼んで飲んでしまいました(結局、1時間30分程いました)。

 お店の人に常楽寺の行き方を訪ねると、前の道路を道なりに30分程歩けば着くと言うことでした。

<常楽寺に向かう>

 バス道路(県道?)を歩いていると、三菱電機(株)情報技術総合研究所があったので撮ってみました。


 又、公立とは思えない鎌倉市立大船中学校があったので撮ってみました。

<常楽寺(じょうらくじ)>

 バス道路を20分程歩くと、左側に常楽寺の標柱があって、参道の奥に山門が見えました。




 山門の手前に、夾竹桃(?)が咲いていたのでアップで撮ってみましたが、見頃は過ぎている感じですね!?


 取り敢えず、鎌倉市の有形文化財に指定されている山門を撮ってみました。


 山門には山号「粟船山(ぞくせんざん)」の扁額が掛かっていました。


 又、常楽寺の建立は嘉偵3年(1237)で開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)、開基は北条泰時みたいです。


 ご覧のような通用門から境内に入ります。


 境内は、ご覧のような樹木で鬱蒼としていましたが、奥の方に仏殿が見えました。


 仏殿に向って歩いていると、右側に庫裡があったので撮ってみました。


 仏殿の手前の木陰に、ご覧のような碑が建っていました。


 碑をアップで撮ると「涼蔭(りょういん)」と刻まれていたので、涼しい木陰で一休みしました。


 ついでに山百合をアップで撮ってみました。


 仏殿に近づくと、左側に文殊堂があったので一緒に撮ってみました。


 取り敢えず、仏殿に行ってお参りすることにしました。


 仏殿の内部は、ご覧のようになっていて阿弥陀三尊(県重要文化財)が祀られていました。


 お参りしてから、御本尊の阿弥陀三尊を撮ってみました。
 尚、阿弥陀三尊は、中央に阿弥陀如来像、左右に観音菩薩像と勢至菩薩像を配する三尊形式です。


 折角なので、阿弥陀如来像をアップで撮ってみました。


 又、阿弥陀三尊の右側に、蘭渓道隆禅師像が安置されていたので、取り敢えず撮ってみました。


 天井には、狩野雪信筆の「雲龍図」が描かれていました。


 仏殿を後に、左手にある文殊堂に行ってみました。


 文殊堂には文殊菩薩坐像が祀らていますが、扉が閉まっていて撮れませんでした。


 仏殿の後に、開基の北条泰時などのお墓があったので行ってみました。






 取り敢えず、(上から)北条泰時、龍淵和尚、大応国師のお墓を撮ってみました。


 仏殿の前に戻ると、左側に本堂兼客殿があったので撮ってみました。


 再び、バス道路に戻ったので常楽寺の参道を撮ってみました。

<多聞院に向かう>

 バス道路を暫く進むと、県道21号線との交差点「常楽寺」があるので直進します。
 

 交差点から道なりに5分程歩くと、ご覧のような道標がありましたが、「ここは多聞院・熊野神社」になっていました。

<多聞院(たもんいん)>

 境内に入ると、正面に多聞院の標柱、左手に扁額「熊野神社」の掛かっている鳥居がありました。


 境内の右側に、ご覧のような立派屋根の家屋があったので撮ってみました。


 ご覧のような奉納額が掛かっていましたが何の建物なのか分かりません。


 左側に、本堂があったので行ってみました。


 本堂を正面から撮ってみましたが、扁額は山号「天衛山」ですかね!?


 扉が開いていたので、堂内を撮らせて頂きました。




 祭壇をアップで撮ってみましたが、御本尊の毘沙門天を拝むことは出来ませんでした。




 境内に、ご覧のような百日紅が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 又、境内に「最蔵坊塚」もあったので撮ってみました。
 尚、この「最蔵坊塚」は、鶴岡八幡宮神職鈴木左近重安の墓と伝えられています。

<熊野神社>

 多聞院を後に、鳥居をくぐって熊野神社に行ってみました。


 階段の下に、「二の鳥居」があったので撮ってみました。


 ご覧のような急な階段を上って本殿に行ってみました。


 本殿に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから本殿の扁額を撮ってみました。




 本殿の右側に、琴平宮があったので行ってお参りをしました。


 本殿の左側に、立派な舞台があったので撮ってみました。


 舞台の後に、小さな祠と地神塔があったので撮ってみました。


 舞台の前から、下の道路に行けそうなので下りてみました。

<「高野の切通し」を探す>

 道路に下りると、ご覧のような隧道があったので先に行ってみました。


 どうやら、この隧道は素掘りのトンネルようです。


 隧道を抜けると、ご覧のような住宅地になっていて、辺りに切通しらしき場所はありませんでした。


 右側にある天ヶ谷戸貯水池の横を通って先に行ってみました。


 住宅地の片側が切通しのようになって来たので期待が膨らんできました。
 

 道なりに暫く進むと、ご覧のようなトンネルが突き当たってしまいました。
 行き過ぎた感じがしたので隧道まで戻ることにしました。


 隧道まで戻ってみましたが、途中で、切通しに行けそうな道は見つけられませんでした。


 最後は「高野の切通し」を探すのは諦めて、隧道の出入口近くにあった船谷之前緑地の前を通って、大船駅東口に戻りました。




 途中、ご覧のようなピンク色の百日紅が咲いていたのでアップで撮ってみました。

 17時に大船駅東口に着いたので、東口近くにある馴染みの居酒屋に入って飲んでしまいました。

 今回の「大船駅周辺の寺社巡り」は、定泉寺や大船観音寺の他に、田谷御霊社、常楽寺や多聞院・熊野神社が回れたのは良かったのです。
 但し、最後の「高野の切通し」が探せなかったので、機会があればリベンジしてみます。
 尚、万歩計は、それなりに歩いたので15,000歩を超えていました。

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