雨です。大雨の予報。
朝、まだ小雨でした。今のうちに ポットの苗を陰に移動させて
もう今日は仕事がありません。
花壇の傍に、今年も咲いていました。
夫の叔母の夫が(ややこしいですね)満鉄職員だったことで、満州で暮らしていたそうです。
戦争の終盤、オジは現地徴兵され叔母は一人で乳飲み子を抱えて帰ってきたそうです。
祖母が迎えに行き、初めてみる孫の姿を見て愕然としたそうです。
昭和20年生まれ、まさに生まれたての子を抱えて帰ってきたのですから、
生きてただけでも
こちらには南方で暮らしていた方も少なくなく、妊娠中に上の子を連れて帰国。
と、言う話も聞きました。
私の母の従兄弟も両親は現地で亡くなり、長兄は兵役にあり、
と、残った末っ子は、幾つだったのでしょう?
「叔母さん(母の叔母でもある)が迎えに来てくれなかったら、中国で孤児になってた。」
丁度、中国での孤児の身元捜しがあった頃です。
「今頃、(テレビを見ながら)あんな風になってたかもしれないよ。」
そして叔父は、その頃の話をポツリと
牛馬のごとく働かされていたとも言っていました。
でも戦争が激化(劣勢)になる前の満州での暮らしは優雅な物だったようです。
女学校に通ってた方の話です。「トイレは水洗でね、もちろん水道も完備。」
家は床暖房で、冬も暖かいし、、と文化的な生活だったそうです。
私が中学生になる頃、新校舎の建設中でした。
その校舎で初めて水洗トイレになったのでした。
水洗トイレを使う説明があったと記憶しています。(笑)