勿忘草に似てるけど、とっても小さな花のキュウリグサ。
昨日、夫の伯母が産後の手当てが間に合わず亡くなった話を書きました。
それで思い出した話。
ハハ(姑)は畑仕事を時々手伝ってもらう事がありました。
Nオさんと呼ばれてて、ご近所の畑仕事を手伝っていらしゃいました。
丁度、お昼時に行ったら、台所の上がり框にNオさんが座ってて
ハハ(姑)がカレー皿を手渡すところでした。
「上がって貰わないの?」と、思わず、、
「ここで良いって、上がらんのよ。」
「Nオさんに 昼、カレーで良いかい?って、聞いたら、
『ええの』って、事でカレーに決まり 」
チチ(舅)同い年だと聞きました。当時70前後だったと思います。
子供の頃、小児麻痺を発症し、船で田辺の病院まで行ったそうですが、
知的障害が残ったそうです。
その頃、陸路は完備していなくって船の方が早かったそうです。
今は高速も通っていますが、私が初めて夫の車で帰省した時(半世紀前)、
くねくねした山道を走った記憶があります。
今だと車で2時間弱、もっと早くなってるかも
その後、Nオさんの東遠に当たる友人から聞いた話です。
「オバサンがNオさんの生活が立つように物差し持って畑仕事を教え込んだんやって、」
だから、仕事は手を抜くことなく、きちんとしたものだそうです。
上に上がらず、上がり框に も 教え込まれていたのでしょう。
そのオバサンの思いを思うと、胸が詰まります。
オバサンが亡くなった後、兄弟と一緒に暮らしてて
そのお嫁さんがマネージャー役だったようです。
私の同級生のお兄さんも知的障碍者の方がいました。
小学生の時、学校付近にのんび~り散歩してるような人が
男の子たちが取り囲み、「Ⅾちゃん、~~」「Ⅾちゃん~~」というのしか聞こえませんでしたが、
その傍で、「Ⅾちゃん、からかったら、Tが怒って来るぞ。」
「怒ったら、凄いから気ィつけぇよ。」
T君は同級生で朗らかなひょうきん者って、印象でした。
怒ってる姿は想像できませんでしたが、お兄さん思いなのだなぁ~
家族でⅮちゃんを守ってるのだなぁ~と感じました。
何度か、Ⅾちゃんの散歩に遭遇しましたが、、その後、どうされたのか、、聞いていません。
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昔は医者が遠くて処置が間に合わなかったとよく聞きました
でもそのNオさん 生活が立つようにしつけられたオバサン
偉い方ですね それをきちんと守ったNオさんも素晴らしいです
今なら行政が手助けするでしょうね
Dちゃんも優しい子だったのですね
少し前まで乳児の死亡率が高かったそうです。
今はまた、産科医が少なく、、、存続の危機とまで言われています。
大人になって、、叔母さんになって里帰りでT君に偶然出会って
家業を手伝って、立派な社長さんでした。
どこかのアンケートで障碍者施設に通う方々に希望を訊ねたら、
働く場が欲しい。働きたいという声が多かったそうです。
自分を必要とする場所があるって、嬉しいですものね。
今はどうしているかなあと思うのですよ
江戸時代は地域コミュニティが進んでいて みんなでちゃんと助け合っていたとか
今の方が冷たいかもしれませんね
お互い70も回ると色々思い出す事が多いです
また色々思い出してください
ⅮちゃんにしてもNオさんにしても蔑視されてもいたと思うのです。
だから、Nオさんのお母さんは完璧に人に後ろ指差されないように
厳しくなさったと思うし、
Ⅾちゃんの家族は、みんなで守った。周りの無理解を感じてのことだと思うのです。
確かに今はコミュニティ自体が崩壊してるから、、