さて緑さんと別れて内湾地区に向かい、魚市場のそばでM島さんを拾って一路陸前高田市をめざすことに。
M島さんは東京の某郵便局長さんで、やはり被災地支援活動を続けておられる方です。石巻で活動され ぬえたちがお世話になっている神戸のボランティア団体「チーム神戸」さんとも繋がりが深く、ぬえたちもそこでM島さんを知ったのですが、M島さんの活動はむしろ気仙沼に比重が置かれているようで、鹿折の復幸マルシェさんなどで多くの活動をしておられます。ぬえから見ても、よくまああれほど頻繁に。。と思うくらい、週末ともなれば気仙沼にいるらしい。
そうして最近では「東北ひとめぐりツアー」という企画を立ち上げて、首都圏などの人を被災地にお連れして体験談を聞いてもらったり、名物料理を堪能してもらうなどの旅行を主催しておられます。この日も偶然にも前日までがそのツアーがあり、M島さんは忙しくしておられたのですが、この日はもうツアーの終了後ということで、1日を ぬえたちと行動をともにすることになっていました。
それから何と言ってもM島さんは ぬえたちにとっては今年の3月に気仙沼で上演した『星と能楽の夕べ』公演で有能な機材オペレーターとして八面六臂の大活躍をして頂いた恩義があります。そこで ぬえとしても気仙沼にほど近い陸前高田での活動には今後ともM島さんも巻き込んで、ご一緒に活動できたらいいなあ、と考えていました。
陸前高田での活動は ぬえたちプロジェクトが上演するのですけれども、計画はすべて いつもお世話になっているボラ団体の「JIN'S PROJECT」さんの企画・主催になるものですから、そちらの賛同は必要ですけれども、まあ同じボラ仲間ということで ぬえの気持ちはわかってもらえるだろうと考えて。
こうして、少し急いで来てください、とはJINSさんから言われていたのですけれども、ちょっと時間が掛かりながら陸前高田に向かいました。
。。と思ったら、そうだった! 高田への通り道には鹿折の復幸マルシェさんと、解体が始まったという「第十八共徳丸」があるではありませんか。
というわけで やっぱり寄り道してマルシェへ。(^_^;)
これまたお世話になりっぱなしの小野寺由美子しゃんとも久しぶりに顔を合わせることができました。この日は高田へ急がなければならないので滞在はほんの数分でしたけれども。。
こちら第十八共徳丸。防塵・防音壁によって中を窺い知ることはできませんが、すでにあの巨体はこの壁の影に隠れてしまうほど小さくなって。。震災遺構として保存するかどうか、賛否の論争がずっとずっと続いていた共徳丸もすでに解体が進んでいるようでした。
つい先日。。夏に訪れた際にはまだ2年前と同じようにここにあった共徳丸。震災遺構を残すことに当初は反対の立場だった ぬえではありますが、その後は複雑な思いを抱いていました。そうして、いざなくなってしまうと、また一つ、震災の記憶が風化してゆくのを感じざるを得ません。保存された震災遺構が観光名所のようになってしまうのも具合が悪いですが、解体撤去されたために誰もその土地に目を向けなくなるのもまた、さらに大きな問題ですね。。
M島さんは東京の某郵便局長さんで、やはり被災地支援活動を続けておられる方です。石巻で活動され ぬえたちがお世話になっている神戸のボランティア団体「チーム神戸」さんとも繋がりが深く、ぬえたちもそこでM島さんを知ったのですが、M島さんの活動はむしろ気仙沼に比重が置かれているようで、鹿折の復幸マルシェさんなどで多くの活動をしておられます。ぬえから見ても、よくまああれほど頻繁に。。と思うくらい、週末ともなれば気仙沼にいるらしい。
そうして最近では「東北ひとめぐりツアー」という企画を立ち上げて、首都圏などの人を被災地にお連れして体験談を聞いてもらったり、名物料理を堪能してもらうなどの旅行を主催しておられます。この日も偶然にも前日までがそのツアーがあり、M島さんは忙しくしておられたのですが、この日はもうツアーの終了後ということで、1日を ぬえたちと行動をともにすることになっていました。
それから何と言ってもM島さんは ぬえたちにとっては今年の3月に気仙沼で上演した『星と能楽の夕べ』公演で有能な機材オペレーターとして八面六臂の大活躍をして頂いた恩義があります。そこで ぬえとしても気仙沼にほど近い陸前高田での活動には今後ともM島さんも巻き込んで、ご一緒に活動できたらいいなあ、と考えていました。
陸前高田での活動は ぬえたちプロジェクトが上演するのですけれども、計画はすべて いつもお世話になっているボラ団体の「JIN'S PROJECT」さんの企画・主催になるものですから、そちらの賛同は必要ですけれども、まあ同じボラ仲間ということで ぬえの気持ちはわかってもらえるだろうと考えて。
こうして、少し急いで来てください、とはJINSさんから言われていたのですけれども、ちょっと時間が掛かりながら陸前高田に向かいました。
。。と思ったら、そうだった! 高田への通り道には鹿折の復幸マルシェさんと、解体が始まったという「第十八共徳丸」があるではありませんか。
というわけで やっぱり寄り道してマルシェへ。(^_^;)
これまたお世話になりっぱなしの小野寺由美子しゃんとも久しぶりに顔を合わせることができました。この日は高田へ急がなければならないので滞在はほんの数分でしたけれども。。
こちら第十八共徳丸。防塵・防音壁によって中を窺い知ることはできませんが、すでにあの巨体はこの壁の影に隠れてしまうほど小さくなって。。震災遺構として保存するかどうか、賛否の論争がずっとずっと続いていた共徳丸もすでに解体が進んでいるようでした。
つい先日。。夏に訪れた際にはまだ2年前と同じようにここにあった共徳丸。震災遺構を残すことに当初は反対の立場だった ぬえではありますが、その後は複雑な思いを抱いていました。そうして、いざなくなってしまうと、また一つ、震災の記憶が風化してゆくのを感じざるを得ません。保存された震災遺構が観光名所のようになってしまうのも具合が悪いですが、解体撤去されたために誰もその土地に目を向けなくなるのもまた、さらに大きな問題ですね。。