ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その13)

2013-12-01 02:07:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
陸前高田の「産業まつり」。いや~賑やかですね~。ちょっとブースをひやかして、巨大なホタテ焼きを差し入れで頂き、自分は伊豆でお世話になっている方々に超美味の「おつまみ昆布」を買いこみました~。



こちらは一本松の保存作業について説明するブース。







京都で型取りをして。。という程度しか ぬえは聞いていなかったのですが、愛知県や神奈川県や。。あちこちの多くの人の努力によって松は再生を遂げたのか。

この松について、枯死した松を形ばかり復元しても意味がない、という意見もあるでしょうが、7万本の松原の中で唯一生き残った、という事実そのものに価値があると ぬえは思います。そして、これだけ多くの人の力が結集されて再現された松は、この松を残したいと願う多くの人々の復興にかける願いが形になったものでありましょう。そうであればすでにこの松にはそうした人々の魂が宿っているのです。

このあたり、もう少し詳しく ぬえの意見を述べた文章が、JIN'S PROJECTによって作られた一本松の奉納の動画の紹介ページに載せられていますので、よろしければご参照ください。

JIN'S PROJECT 一本松奉納のご報告

動画自体はYOUTUBEでご覧になれます。

能楽『陸前高田 一本松奉納』~羽衣

こうして陸前高田を後にして、帰りに気仙沼・鹿折の「復幸マルシェ」さんに立ち寄って、団平さんの「支那そば」を頂きました~。ボランティア仲間から聞いてはいましたが、うん! 聞きしにまさる美味さ!





団平さんのご主人の塩田さんとも記念撮影~



最後に、ついに先日解体作業が終わったばかりの 第十八共徳丸があった場所に行ってみると。。





影も形も。。痕跡さえも残っていませんでした。
あれほど保存か解体か議論が巻き起こっていたのに、なくなってしまうと、あまりの あっけのなさに茫然。
周囲では盛んにかさ上げ工事が行われて、大変な喧噪でした。

このブログを書いているのが2013年の11月末。ちょうど宮古市・田老の「たろう観光ホテル」が震災遺構として残されることになり、国から保存のための助成が行われる、というニュースが伝わってきました。そして一方、女川町の倒壊したビルが解体されることになった、という報道を同時に聞きました。NHKのドキュメンタリー番組でも震災遺構が取り上げられていて、広島の原爆ドームも同じように保存か解体かで議論が分かれ、保存が決まったのは実に終戦後30年を経る時間が必要だったこと、それが今では「財産」として認知されているという。

ぬえは こういう場であんまり政治的な? 発言はしないようにしているのですが、共徳丸がなくなった今、女川町の倒壊ビルは保存するべきだと思います。そのためには行政が強く主導して「保存する」と決定するべきでしょう。住民さん。。とくに遺族の意向はもちろん大切だけれど、撤去されてなくなってから何を言っても遅い。未来に震災の教訓を伝え、次の災害に備えるのには、形が必要です。そして復興のために人に集まってもらうためには、そして東北地方以外の国内での震災の記憶の風化を防ぐためにも、形が必要です。たとえ今は観光地に堕したように見えて腹立たしく思っても、見るのもイヤだという方がおられても。。ぬえは被災者でないから簡単に言えるのだと言われても、すみません、この国で同じ轍を踏むことがないように、どうかここは我慢して頂きたい。。被災地の自治体が住民さんに寄り添ってあげて、そうして保存に理解を得られるように努力してほしいです。

。。。。

。。こうして第17次活動は無事に終了、ちょっと駆け足の活動でしたが、思うところも大きい旅でした。そして翌日の伊豆の子ども能公演も、そのまた翌日の東京の舞台も大過なく勤めることができました。東京の舞台では斬組の中でちょっと膝を痛めてしまいましたけど。。

                                           (この項とりあえず了)