ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市子ども創作能「伊豆の頼朝」…鎌倉まつり公演(その2)

2014-04-17 08:38:41 | 能楽
この日、もうひとつの偶然と言うにはあまりに不思議な出会いがありました。

じつは鎌倉まつり公演の直前に知った情報なのですが、子ども能の公演と同じ日に、同じ鎌倉市内の円覚寺で気仙沼でずっとお世話になっている地福寺の片山秀光住職が鎌倉・円覚寺で「音楽説法」の催しをされる、とのこと。

ほお、それは偶然だなあ、とは思いながら、こちらも朝10:00には子ども能の公演会場である鎌倉宮に楽屋入りの予定になっていましたし、それから夕方近くの終演までずっとスケジュールが立て込んでいたので、ご住職に会うことは不可能と考えていました。

さて鎌倉まつりの前日、伊豆で子どもたちに最終的な稽古をつけた ぬえは、そのまま ひと足先に鎌倉に入り、北鎌倉に住む叔父の家に泊めて頂きました。

叔父の家でともに飲みながら翌日の公演の話などしていましたが、たまたま気仙沼の片山住職の円覚寺での催しの話題になったところ、叔父は「その人、以前 建長寺でも同じ催しをしていなかった? 僕はそれを見ていたよ」と意外なお答え。そうして「そのときの様子を会報に書いて紹介したんだ」とまで。

叔父は小学校の校長を長く務めた教育者で、小学校を退職した現在も某教育研究所の所長として現役で活躍しておられます。こう言って手渡された冊子はその研究所の会報でしたが、発行は震災の年の秋で、震災を通じて教育を考える特集号になっていました。ページをめくってみると、所長さんとして叔父が数ページに渡る巻頭言を記していて、その中で片山住職の「音楽説法」の紹介と感想が書かれてありました。

音楽説法とは、ドラムや津軽三味線などの楽器を伴奏に歌で仏教説法を行うものです。片山さんの弟さんが国際的なジャズ・ドラマーのバイソン片山氏で、ご住職も音楽に堪能なことから震災前から「カッサパ」というユニットを結成してこのような活動が行われていたそうです。もともとご住職は気仙沼の波路上地区の精神的な支柱だったこともあり、震災後は檀家さんをはじめ被災者を勇気づけるために、以前にも増して積極的な活動を展開されています。バイソン氏の縁からプロミュージシャンを招いてお寺でコンサートを開いたり、全国各地で「カッサパ」の音楽説法を行ったり。その中で震災の年の秋には「カッサパ」の音楽説法が建長寺で行われてこれを叔父が見に行ってこれを記録し、また今回は ぬえの子ども能の鎌倉まつり公演と同じ日に円覚寺で同じ催しが行われていたのでした。

会報に書かれた叔父の文章を読んでみると、「僧侶が歌を歌うとは思いもよらなかった。震災後は”めげない 逃げない くじけない”を合い言葉に被災者を勇気づけているそうです」。。と書かれていて、建長寺での催しの写真も掲載されていました。ああ、片山さんに間違いない。

ぬえも震災の約1年後にはじめて地福寺さまで活動させて頂き、このときは終演後に片山住職と1時間半ほども語り合い、大変親しくさせて頂きました。それ以来 地福寺さまでは計3回活動させて頂いておりまして、ことに昨年の夏、お盆の終わりの送り火の法要の際には「ともしびプロジェクト」さんによって灯される数百というキャンドルの中、ピアノと能と法要の、それはそれは幻想的な催しが開かれまして、これはこの夏も引き続いて行う予定になっております。

この夜、叔父が片山さんについて文章を書いていた事を知った ぬえは、翌朝早くに円覚寺に行って開演前の片山さんにこの冊子をお渡ししようと考えました。。が、やはり鎌倉まつりの日の交通渋滞は叔父の話を聞いても深刻なようで、鎌倉宮に朝10:00に到着しないと周囲は通行止めとなって、装束の運び入れさえできなくなってしまう。。それは無理だろう、と叔父の意見もあって、やはり翌朝は片山さんにお目に掛かるのは断念することになりました。

翌朝、早めに起床して朝食をご馳走になり、かなり早めではありましたが朝8:00には叔父の家を出発しました。朝6:30に出発しているはずの伊豆の子どもたちとも連絡をも取り合って。。昨夜は箱根峠で山賊に襲われて命からがら鎌倉に着いたとか、今朝の鎌倉は猛吹雪だとか、由比ヶ浜いっぱいにタコが打ち上げられて道路は通行止めだとか、迷惑メールをたくさん送信して。(^◇^;)

ところが走り出してみると道路はまだ混雑しておらず、このままなら10分で鎌倉宮に到着しちゃいそう。円覚寺までなら2分です。北鎌倉駅前まで来てみると、駅前に一時駐車できるスペースがありました。楽屋入りまであと1時間半。。これなら十分に円覚寺で片山さんにご挨拶できそうです。



叔父からもらった冊子と、ぬえの方の子ども能のプログラムを持って車を降りると、円覚寺の前はもうすでに観光客がたくさん山門の下に。お寺の掲示板には「カッサパ」の上演を予告するポスターも貼りだしてあります。チケット売り場で事情を話すと快く通してくださり、説法が行われる方丈に行ってみました。若い雲水さんに尋ねると、こちらも大変丁寧に、あと20分ほどで片山さんは到着されます、もしお時間がなければご用件とお渡しするものがあればお預かりしましょう、とおっしゃる。円覚寺の方は気持ちのよい方ばかりですねえ。



20分ならば、なんとか鎌倉宮への楽屋入りにも余裕はある。それで方丈の前で片山さんをお待ちすることにしました。その間にも続々と方丈には人が集まって来ます。ははあ、山門の前にいた方たちは「カッサパ」の音楽説法を聞きに集まっておられたのか。





やがて方丈に近づいてきた車を見ると、助手席に片山さんを発見! 車を降りて来られた片山さんに挨拶しようと思いましたが、円覚寺のお坊さんと丁寧に挨拶を交わしておられます。それを待って挨拶しましたが、先ほどのお坊さんは なんと円覚寺の管長さまでした。バイソンさんとも、また初対面の津軽三味線の方とも親しくお話しさせて頂き、また夏の法要のお話しも少しできました。叔父の冊子も手渡すことができましたが、ぬえも楽屋入りの時間が迫っていたので あたふたと円覚寺を辞して鎌倉宮に向かうことになりました。



こういうわけで、気仙沼の片山さんと奇遇にも同じ日に鎌倉でそれぞれの活動をしていたのですが、たまたま泊めて頂いた叔父が片山さんの活動を知っていた、という なんとも奇遇な巡り合わせがあったのでした。叔父は教育者でありながら同時に文筆活動もしていて、鎌倉ペンクラブの会員として、会合で子ども能の上演も宣伝してくれておりました。そんな筆まめな性分と教育研究所の会報という発表の場があって、小さい範囲ではありましょうが、鎌倉で片山さんの活動を周知するのにひと役買っていたのですね。まさか甥の ぬえが片山さんとご一緒に活動していることも知らずに。。やはり奇縁だと思ったひとときでした。