ぬえの能楽通信blog

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ふたつの影…『二人静』(その12)

2014-07-25 09:29:16 | 能楽
40分間シテとツレがシンクロした相舞を繰り広げる『二人静』ですが、じつは序之舞の中で2カ所、シンクロしないところがあります。

それが「二段」と呼ばれる部分。。序之舞は大きく4つのパートに分かれている3番目の章段。。と「三段」と呼ばれる最後の部分です。

型の解説は膨大になるので差し控えますが、扇を左手に持ち替えるところからが「二段」で、このあとシテとツレは舞台奥で向き合い、それからシテは正面に出、ツレはそれを追いかけるように後に続くのです。こうしてシテとツレとは舞う位置を入れ替えます。すなわち、『二人静』では見所から見てシテが向かって左、ツレは向かって右側で舞っているのですが、このとき舞う位置を入れ替えて、ツレが左、シテが右側になります。

そうして二人が舞台先で扇をハネる型をして扇を右手に逆手に取ると三段になりますが、このとき再びシテとツレは立ち位置を交換して、元のようにシテが左、ツレが右になって舞います。つまり序之舞の4つのパートのうち三番目にある「二段」目の間だけシテとツレは位置を入れ替えて舞う、ということですね。

じつはこれ、相舞であれば必ず行う型なのですね。延々と、ただ同じ動作を続けているだけではなく、突然シンメトリーになったり、後を追いかけたり、という型が昔からつけられています。『二人静』の場合、ツレには意識がなく、シテに突き動かされて舞っているだけですから、なぜ動作が違う場面があるのか、とか、細かいことをいえば疑問もあるでしょうが、それはさておき舞台効果としては抜群で、よくまあこういう型を古人は考え出したものだと感心します。

さらに言えば。。相手が見えない状態で、神経を砕いて打ち合わせ通りの舞のタイミングをひとつ ひとつ実践してゆく二人の役者にとっては、この立ち位置を変えるところだけが唯一、緊張から解放される場面とも言えるでしょう。もっとも立ち位置を変えたら再び型を合わせるのですから、入れ替わる時間はほんの2~3分といったところでしょうか。

やがて序之舞が終わり、キリと呼ばれる最後の場面になります。

シテ/ツレ「しづやしづ。賤の苧環。繰り返し。 と二人上げ扇を仕
地謡「昔を今に。なす由もがな。 と中左右・打込
シテ/ツレ「思ひかへせばいにしへも。 と向き合い謡
地謡「思ひかへせばいにしへも。 とツレは正先へ行き正へ向き、シテはその後ろへ行きツレの右肩へ左手を掛け恋しくもなし憂き事の。今も恨みの衣川。 とシテのみ足拍子踏みながら二人静かに出身こそは沈め。名をば沈めぬ。 と二人斜に下がり下居
シテ/ツレ「武士の。 と向き合い謡
地謡「物毎に憂き世の習ひなればと と立ち上がりサシ思ふばかりぞ山桜。 とツレは橋掛リ一之松へ、シテは常座へ行き雪に吹きなす。花の松風静が跡を。弔ひ給へ と二人カザシ扇にて左へ小さく廻りワキへ向き合掌静が跡を弔ひ給へ。 と右ウケ、左袖を返しトメ拍子踏む 扇を畳みツレ、シテの順に幕に引く

キリの中で印象的なのが「思ひ返せばいにしへも」と正先に立ったツレの右後ろにシテが立ち、ツレに左手を掛ける場面でしょう。『二人静』の番組などでもよく写真で紹介されたりしています。

これ。。再びシテとツレが違う動作をする場面なのですが、意味は深いと思います。憑依した霊と憑かれた人間と。幽明を異にした二人ですが、シテがその生身の人間の身体に触れるのですから。

そうしてここで地謡が謡う内容がまた、意味が深いものです。

「思ひかへせばいにしへも。恋しくもなし憂き事の。今も恨みの衣川。身こそは沈め。名をば沈めぬ」

およそ、これがこの世に執心を残して現れたシテのセリフでしょうか。よくよく考えてみれば、静にとって未練が残っていたはずの過去は、じつは恋しいものではなかったのでした。

40分間のシテとツレの演技の中でほんの。。30秒ほどの時間、霊は生身の人間の身体に触れ、過去は恋しくはない、と言う。なんとも業を感じさせる言葉だと思います。