ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

9回目の3.11 石巻・鹿島御児神社さまで奉納上演

2020-04-27 15:30:03 | 能楽の心と癒しプロジェクト
史上初の「緊急事態宣言」が出され、外出自粛要請・マスクやアルコール消毒液の不足。。と、いまは大変な状況が続いています。能楽師も舞台も教室もすべてが停止してしまって苦んでおります。。

そんな中、時間だけは持て余すほどありますので、ずっとサボっていた報告を順次アップしていこうと思います。

一番最近の特筆すべき活動としては、去る3月11日。。9回目となった東日本大震災の日(これ、うまい言い方はありませんかね。災害だから「記念日」ではどうも具合が悪いし。。)に、石巻の日和山の頂に鎮座する鹿島御児神社さまで奉納上演を致しました。

考えてみれば3月11日という日は犠牲者の追悼をする日であって、イベントはしにくい日なのですが、能がもつ鎮魂と慰霊、そして未来へ向けた祝福の心が現地で理解され、我々「能楽の心と癒やしプロジェクト」は震災の翌年、つまり一周忌から今日まで1度も欠かすことなく3月11日の、それも発災の時刻の午後2時46分に奉納上演を行わせて頂いております。

今回の奉納上演の会場となった鹿島御児神社さまは、じつは昨年の3月11日に続いて2回目の奉納となります。というのも去年の奉納は大雨に祟られて、社務所の中で奉納をしなければならなかったのです。

この石巻の日和山は、すぐ直下の崖下が震災のときに大きな被害を受けた門脇・南浜地区で、そこを見下ろす位置にあることから石巻の。。というより東日本大震災の一種の象徴となった場所です。山の上に建つ石の鳥居から門脇地区や海を見下ろすこの構図はどなたも一度はテレビやネットでご覧になった事があるのではないかと思います。


(撮影:佐藤栄一氏)

とくに去年はワキ方下掛宝生流の吉田祐一氏がはじめて活動に参加してくれましたのに、この象徴的な大鳥居の前で奉納できなかったのはとても残念でした。吉田氏はそのまた前年に偶然にお話していた中で ご出身が石巻市の小さな漁村である荻浜で、ご実家は震災による津波で全壊、と伺ってびっくり。吉田氏もプロジェクトの活動をご存じなくて驚かれたようで、それでは、と翌年の石巻・鹿島御児神社さまでの奉納に参加してくださったのでした。

鹿島御児神社さまも、プロジェクトは震災の年に奉納をお願いしてみましたが、当時はとても受け入れられる状態ではない、とお断りされた経緯があります。じつは今年の奉納のあとに奥様から詳しくお話を伺いましたが、神社は近在の被災者が押し寄せて臨時の避難所のような状態だったそうです。それから月日は流れ、久しぶりに奉納のお願いを申し上げたところ、なんと神社さまも「震災の年に奉納をお断りしたことは今でも気になっていました」とのお気持ちだったそうで、すんなりと奉納のお話が決まりました。

これほどの偶然が重なっただけに昨年の奉納の荒天は本当に残念で、今年も再度の奉納をお願いして神社さまも快くご承諾くださいました。ちょうど神社さまも去年の春は拝殿の改装が成ったところでしたが、その後本殿の新築も整い、プロジェクトの奉納は追悼や慰霊のためだけでなく、当地を守る神が新たなお住まいに鎮座されることを祝い、当地の繁栄と祝福を祈願する絶好の機会となりました。もともとプロジェクトの活動は震災の犠牲者への追悼だけではなく、むしろ残された方々の心を癒やす事に重点が置かれています。だからこそ「能楽の心と癒やしプロジェクト」という名なのですし、活動場所も被災地区というよりは避難所、仮設住宅などで、生活を再建しようとする住民さまに向けての活動です。

さて今年の3月11日は晴天に恵まれました! 早めに楽屋入りしましたが、奉納会場の設営やご祈祷を受けている間にいつの間にか発災時間まであと30分。。なぜいつも最後はバタバタになるんだろう。吉田氏と寺井氏に装束を着付けて頂き、なんとか奉納の時刻に間に合うことができました。

今回奉納した曲は「龍田」です。秋の曲のように思えますが能の設定は冬。シテの龍田姫は奈良盆地をはさんで向かい合う佐保山の佐保姫と対をなして平城宮を守る女神です。風の神でもあり水をも司る女神が住む龍田山は、さらにイザナギ・イザナミが天の浮橋から差し下ろして海の中から淡路島を誕生させた、天の沼矛を安置していて、女神はその矛を守護する役割もあります。


(撮影:寺井宏明氏)

いわば龍田姫は自然を象徴し、国土の創生をも司る女神で、冬から春に向かう石巻が未来に向けて再生してゆくにはふさわしいと考え、今回はこの曲を選んだのでした。

奉納のメンバーは ぬえのほか、ご挨拶と解説を吉田祐一氏にお願いし、笛は少々体調が思わしくなかった寺井氏に代わってそのお弟子さんにの寺田林太郎氏、そして太鼓の大川典良氏です。吉田氏お流儀内でのお立場やこういう略式の上演方法で奉納することなど種々条件が整わず、能の中のお役ではなく挨拶と解説をお願いしましたが、同じ石巻出身者として市民に語りかける口調はすばらしいものでした。また大川氏は本来この3月11日には舞台の予定があって当初はお断りだったのですが、新型コロナウィルス問題によって公演が中止となり、急遽参加してくださいました。


(寺井宏明氏)

まだ現在(4月下旬)のような「緊急事態宣言」になる前で、宮城県ではまだ感染者も出ていない頃の奉納でしたが、参拝客のみなさんには吉田さんからお隣の人との間隔を取って頂くよう感染予防を呼び掛けての奉納になりました。今となってはこの頃はまだ感染対策にも余裕がありましたね。今や能楽師はなにも仕事がない状態が3か月目に突入しようとしていますが。。



ともあれ、この日は発災時刻が近づくにつれ、境内も多くの参拝者がお集まりになりました。故人を思っておうちで静かに過ごされる方、お弔いのためお寺に集う方も多いであろう中で、こうして被災地区を見渡せる場所で手を合わせる方もあります。震災のときに鳴らされたサイレンに合わせて1分間の黙祷が捧げられ、その後に石巻の未来に幸多かれと祈念しつつ能「龍田」を奉納させて頂きました。