震災の津波により壊滅的な打撃を受けた門脇地区でしたが、この度の「東日本大震災追悼3.11のつどい」の第二会場として使われるそうで、しかも ぬえたちプロジェクトを受け入れてくださるのは「かどのわき町内会」様とのこと。なんとあの津波から逃れた住民さんは、避難所を経てその後おそらくあちこちの仮設住宅などに散り散りになっておられたはずで、それがなんと震災から10年を経て故郷の街に再結集されたのです。
今回の3.11の日の上演は、当初有名な「がんばろう! 石巻」の大看板の前か、あるいは門脇小の前に新しくオープンした震災を伝え防災教育を行う「MEET門脇」という施設を考えて、かねて知己のある公益社団法人の「3.11みらいサポート」の伊藤聖子さんに相談したのですが、3.11の日は大勢の人が訪れてごった返すし、控室となるスペースも確保しにくい、ということで一旦はお断りに。
ところが伊藤さんはその後あちこちにご相談頂き、これを聞いた「かどのわき町内会」の皆さま、わけても本間英一さんが「東日本大震災追悼3.11のつどい」の第二会場だった門脇地区での上演を引き受けてくださり、あまつさえ控室としてご自宅に残って震災遺構ともなっている土蔵を提供頂ける事となりました。
さて発災時刻午後2時46分となり、石巻の街にはサイレンが響き渡り、みんながあの日を想って黙祷を捧げます。あれから10年。当地のみなさんも大変だっただろうと思いますが、こうして門脇地区が復活するところまで進んできたのですね。
黙祷の直後には参加されたみなさんによってバルーンリリースが一斉に行われました。そうなのです。我々プロジェクトの目的も犠牲者を悼むためというよりは、明日に向かって幸せを願うところにあります。だから初めての上演場所では必ず「羽衣」を上演しております。「七宝充満の宝を降らし。。」この曲にはお客さまに幸せを持ち帰って頂くために作られた、と ぬえは信じております。
(撮影:宮本直樹さん)
バルーンリリースのあと いよいよ能の上演です。吉田祐一さんにはいつもながら挨拶と解説をお願いしましたが、石巻の荻浜出身です、と言ったとたんに会場にざわめきが。同郷の能楽師なのか! という驚きだったようで、終演後も吉田さんは大人気で、大勢の人に話しかけられていました。
能「羽衣」の出演は笛の寺田林太郎さんと ぬえの二人で、ぬえは謡いながら舞う。。いつもそうですが、先日 プロジェクトメンバーとしてずっと活動をともにしている寺井宏明さんと話したら、「昔はクセから謡いながら舞ってましたねー」と言われました。もうそんな体力ないなあ。。
(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)
かどのわき町内会の皆さまを中心にお客さまも50人超。道路からはちょっと奥まった場所での上演でしたのに、これほどのコミュニティが一丸になっておられることに感慨と喜びを感じます。当地に幸せが訪れることを祈って勤めさせて頂きましたが、このところコロナ禍で舞台が激減していて、東京でまれにある舞台でも、どうも身体がなまっているのか、今ひとつ納得がいかない感情を持って終わることが多い中、この日は楽しく勤めさせて頂くことができました。砂利の上ですけどね。
(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)
終演後、かどのわき町内会のみなさまにより「はっと汁」。。すいとんのようなこちらの地方の名物郷土料理がふるまわれ、ようやく片付けも終わる頃 ぬえほかメンバーも頂戴したのですが。。これが!!
衝撃的に美味しかったのです。これなら東京でも売れるんじゃないかな~!!
ぬえは3杯もおかわりしてしまいました。100人分作りましたから、と言われましたが。その寸胴ごと東京に持って帰りたい!
そういえば、東北各地では「芋煮会」が盛んに行われますね。里いもを入れた鍋を野外でみんなで囲んで食べる。。里いも、いいなあ。秋にやる名物行事らしいですが。
そうか、次回の活動は秋か。。(違)
こうして今回も大勢の関係者のご協力を頂きミッションコンプリートさせて頂きました。
10年間、合計9回の311の日の上演をついに果たし、我々の活動も、訪問は54回を数え、個別の催しの数は150回を越え、そのうち装束能も今回で127回目になりました。
また翌日には「かほく新報」紙にてカラー写真入りで報道頂きました。
改めましてみなさまのご協力に感謝申し上げます。
(撮影:3.11みらいサポート伊藤聖子さん)
「はっと汁」もっと食べたい。。
今回の3.11の日の上演は、当初有名な「がんばろう! 石巻」の大看板の前か、あるいは門脇小の前に新しくオープンした震災を伝え防災教育を行う「MEET門脇」という施設を考えて、かねて知己のある公益社団法人の「3.11みらいサポート」の伊藤聖子さんに相談したのですが、3.11の日は大勢の人が訪れてごった返すし、控室となるスペースも確保しにくい、ということで一旦はお断りに。
ところが伊藤さんはその後あちこちにご相談頂き、これを聞いた「かどのわき町内会」の皆さま、わけても本間英一さんが「東日本大震災追悼3.11のつどい」の第二会場だった門脇地区での上演を引き受けてくださり、あまつさえ控室としてご自宅に残って震災遺構ともなっている土蔵を提供頂ける事となりました。
さて発災時刻午後2時46分となり、石巻の街にはサイレンが響き渡り、みんながあの日を想って黙祷を捧げます。あれから10年。当地のみなさんも大変だっただろうと思いますが、こうして門脇地区が復活するところまで進んできたのですね。
黙祷の直後には参加されたみなさんによってバルーンリリースが一斉に行われました。そうなのです。我々プロジェクトの目的も犠牲者を悼むためというよりは、明日に向かって幸せを願うところにあります。だから初めての上演場所では必ず「羽衣」を上演しております。「七宝充満の宝を降らし。。」この曲にはお客さまに幸せを持ち帰って頂くために作られた、と ぬえは信じております。
(撮影:宮本直樹さん)
バルーンリリースのあと いよいよ能の上演です。吉田祐一さんにはいつもながら挨拶と解説をお願いしましたが、石巻の荻浜出身です、と言ったとたんに会場にざわめきが。同郷の能楽師なのか! という驚きだったようで、終演後も吉田さんは大人気で、大勢の人に話しかけられていました。
能「羽衣」の出演は笛の寺田林太郎さんと ぬえの二人で、ぬえは謡いながら舞う。。いつもそうですが、先日 プロジェクトメンバーとしてずっと活動をともにしている寺井宏明さんと話したら、「昔はクセから謡いながら舞ってましたねー」と言われました。もうそんな体力ないなあ。。
(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)
かどのわき町内会の皆さまを中心にお客さまも50人超。道路からはちょっと奥まった場所での上演でしたのに、これほどのコミュニティが一丸になっておられることに感慨と喜びを感じます。当地に幸せが訪れることを祈って勤めさせて頂きましたが、このところコロナ禍で舞台が激減していて、東京でまれにある舞台でも、どうも身体がなまっているのか、今ひとつ納得がいかない感情を持って終わることが多い中、この日は楽しく勤めさせて頂くことができました。砂利の上ですけどね。
(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)
終演後、かどのわき町内会のみなさまにより「はっと汁」。。すいとんのようなこちらの地方の名物郷土料理がふるまわれ、ようやく片付けも終わる頃 ぬえほかメンバーも頂戴したのですが。。これが!!
衝撃的に美味しかったのです。これなら東京でも売れるんじゃないかな~!!
ぬえは3杯もおかわりしてしまいました。100人分作りましたから、と言われましたが。その寸胴ごと東京に持って帰りたい!
そういえば、東北各地では「芋煮会」が盛んに行われますね。里いもを入れた鍋を野外でみんなで囲んで食べる。。里いも、いいなあ。秋にやる名物行事らしいですが。
そうか、次回の活動は秋か。。(違)
こうして今回も大勢の関係者のご協力を頂きミッションコンプリートさせて頂きました。
10年間、合計9回の311の日の上演をついに果たし、我々の活動も、訪問は54回を数え、個別の催しの数は150回を越え、そのうち装束能も今回で127回目になりました。
また翌日には「かほく新報」紙にてカラー写真入りで報道頂きました。
改めましてみなさまのご協力に感謝申し上げます。
(撮影:3.11みらいサポート伊藤聖子さん)
「はっと汁」もっと食べたい。。