ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東日本大震災追悼3.11のつどい 石巻(その2)

2021-03-20 13:13:26 | 能楽の心と癒しプロジェクト
震災の津波により壊滅的な打撃を受けた門脇地区でしたが、この度の「東日本大震災追悼3.11のつどい」の第二会場として使われるそうで、しかも ぬえたちプロジェクトを受け入れてくださるのは「かどのわき町内会」様とのこと。なんとあの津波から逃れた住民さんは、避難所を経てその後おそらくあちこちの仮設住宅などに散り散りになっておられたはずで、それがなんと震災から10年を経て故郷の街に再結集されたのです。

今回の3.11の日の上演は、当初有名な「がんばろう! 石巻」の大看板の前か、あるいは門脇小の前に新しくオープンした震災を伝え防災教育を行う「MEET門脇」という施設を考えて、かねて知己のある公益社団法人の「3.11みらいサポート」の伊藤聖子さんに相談したのですが、3.11の日は大勢の人が訪れてごった返すし、控室となるスペースも確保しにくい、ということで一旦はお断りに。



ところが伊藤さんはその後あちこちにご相談頂き、これを聞いた「かどのわき町内会」の皆さま、わけても本間英一さんが「東日本大震災追悼3.11のつどい」の第二会場だった門脇地区での上演を引き受けてくださり、あまつさえ控室としてご自宅に残って震災遺構ともなっている土蔵を提供頂ける事となりました。

さて発災時刻午後2時46分となり、石巻の街にはサイレンが響き渡り、みんながあの日を想って黙祷を捧げます。あれから10年。当地のみなさんも大変だっただろうと思いますが、こうして門脇地区が復活するところまで進んできたのですね。

黙祷の直後には参加されたみなさんによってバルーンリリースが一斉に行われました。そうなのです。我々プロジェクトの目的も犠牲者を悼むためというよりは、明日に向かって幸せを願うところにあります。だから初めての上演場所では必ず「羽衣」を上演しております。「七宝充満の宝を降らし。。」この曲にはお客さまに幸せを持ち帰って頂くために作られた、と ぬえは信じております。


(撮影:宮本直樹さん)

バルーンリリースのあと いよいよ能の上演です。吉田祐一さんにはいつもながら挨拶と解説をお願いしましたが、石巻の荻浜出身です、と言ったとたんに会場にざわめきが。同郷の能楽師なのか! という驚きだったようで、終演後も吉田さんは大人気で、大勢の人に話しかけられていました。

能「羽衣」の出演は笛の寺田林太郎さんと ぬえの二人で、ぬえは謡いながら舞う。。いつもそうですが、先日 プロジェクトメンバーとしてずっと活動をともにしている寺井宏明さんと話したら、「昔はクセから謡いながら舞ってましたねー」と言われました。もうそんな体力ないなあ。。


(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)

かどのわき町内会の皆さまを中心にお客さまも50人超。道路からはちょっと奥まった場所での上演でしたのに、これほどのコミュニティが一丸になっておられることに感慨と喜びを感じます。当地に幸せが訪れることを祈って勤めさせて頂きましたが、このところコロナ禍で舞台が激減していて、東京でまれにある舞台でも、どうも身体がなまっているのか、今ひとつ納得がいかない感情を持って終わることが多い中、この日は楽しく勤めさせて頂くことができました。砂利の上ですけどね。


(撮影:3.11みらいサポート 伊藤聖子さん)

終演後、かどのわき町内会のみなさまにより「はっと汁」。。すいとんのようなこちらの地方の名物郷土料理がふるまわれ、ようやく片付けも終わる頃 ぬえほかメンバーも頂戴したのですが。。これが!!

衝撃的に美味しかったのです。これなら東京でも売れるんじゃないかな~!!
ぬえは3杯もおかわりしてしまいました。100人分作りましたから、と言われましたが。その寸胴ごと東京に持って帰りたい!

そういえば、東北各地では「芋煮会」が盛んに行われますね。里いもを入れた鍋を野外でみんなで囲んで食べる。。里いも、いいなあ。秋にやる名物行事らしいですが。

そうか、次回の活動は秋か。。(違)

こうして今回も大勢の関係者のご協力を頂きミッションコンプリートさせて頂きました。
10年間、合計9回の311の日の上演をついに果たし、我々の活動も、訪問は54回を数え、個別の催しの数は150回を越え、そのうち装束能も今回で127回目になりました。

また翌日には「かほく新報」紙にてカラー写真入りで報道頂きました。



改めましてみなさまのご協力に感謝申し上げます。


(撮影:3.11みらいサポート伊藤聖子さん)

「はっと汁」もっと食べたい。。

東日本大震災追悼3.11のつどい 石巻(その1)

2021-03-20 02:30:26 | 能楽の心と癒しプロジェクト
少し旧聞になってしまいますが、去る3月11日、10年目となる震災の日に宮城県・石巻市で行われた「東日本大震災追悼3.11のつどい」という追悼集会に参加させて頂き、能「羽衣」を勤めさせて頂きました。

「能楽の心と癒やしプロジェクト」としての活動も、もう年に1~2回ほどになってしまいましたが、3月11日だけはどうしても現地で能を披露させて頂きたい、と願っております。そうして、よく考えればイベントはやりにくい日ではありますが、幸せなことに毎年どこかの追悼集会に快くゲスト出演させて頂くことができ、とうとうこれまで1度も欠かさず3.11の日には被災地に能をお届けさせて頂いております。

ましてや今年はコロナ禍の真っ最中。。思えば去年の3.11も同じ石巻の鹿島御児神社さまで奉納上演をさせて頂きましたが、あの頃はウイルス感染が広まっているらしい、程度の認識だったと思います。当時の写真を見ると、マスクをしている人の方が少ない感じですね。ところがその日を境に事態は大変なことに。東京に戻ったところ舞台が次々に中止され、教室も閉鎖に追い込まれ。。

この日も東京の緊急事態宣言が延長されたことで東北に向かうことは かなり悩んだのですが、やはり10年間見守り続けてきた東北の被災地の今を見たいという思いには勝てず。。 出発までの生活で感染予防に気を使って東北に向かいました。

半年ぶりの石巻。。は、またしてもずいぶん変わっていました。北上川には新しい橋が3本も架かり、川の中州である中瀬地区に架かり津波にも耐えた内海橋は取り壊される最中でした。新しい橋を渡って対岸。。震災の年に何度も宿泊して活動拠点とした避難所時代の湊小学校がある方面に行ってみると、震災後に建てられてずいぶんお世話になったこの地区唯一のコンビニは郵便局に変わっていました。



それから津波で壊滅した南浜・門脇地区には人工の小川が通り、あの「がんばろう!石巻」の大看板を含んで広大な震災記念公園が完成間近でした。





そしてその中には石巻市の犠牲者の名前を刻んだプレートが並ぶ慰霊碑が作られていました。



こちら、犠牲者に手を合わせる宝生流ワキ方の吉田祐一氏。吉田さんはなんと石巻市出身で、ご実家は郊外の漁村。今回の津波でご両親は無事でしたがご実家は跡形もなく全壊したそうです。



ぬえが吉田さんのそんなご事情を知ったのは3年前の地方公演で親しくお話させて頂いたからで、吉田さんも ぬえたちの被災地での活動をご存じなく、快くご協力を引き受けてくださり、以来3年間、毎年プロジェクトの3.11の日の活動に無償でご出演頂いております。

さて今回会場となったのは門脇地区。前述のように津波で壊滅した場所で、全焼した門脇小学校で有名になりました。



震災3か月目から当地を見ていた ぬえにとっては、とても生存者がいるとは思えない状態でしたが。。

ところが今回の上演場所というのがまさに津波が猛威を振るった現場。。まさに門脇小学校のすぐそばだったのですが、そこにはすでに公営災害住宅も、住宅もいくつも建ち並んでいました。

通常被災地区は居住禁止エリアの指定を受けるものですが、ここ門脇地区は土地のかさ上げをし、また背後にすぐ日和山が迫っていて避難路が整備されたからか、居住が認められたのですね。ぬえにとっても被災地区のまさにその現場に立って舞うのはかなりレアな体験です。

(表紙画像は宮本直樹様撮影)