ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

薪能にて

2006-10-01 02:54:52 | 能楽

ここのところずうっと舞台が続いています。今日は静岡県・磐田市での薪能。薪能には涼しくてちょうど良いかと思ったのですが、意外やすこし蒸し暑いほどの陽気でした。当地に向かう途中でも小雨が降ったり、なんだかヘンな天気。

ここ、会場となった磐田市熊野伝統芸能館は開館して約10年を数える、本格的な屋外型の舞台です。最近では自主的な催しとしてワークショップや能楽の講座も催されているようで、着実な成果を上げておられるのは頼もしいかぎり。もっとも、公営の設備ということで、能楽をたしなむ市民だけに舞台の使用を限定するわけにもいかない事情もあるようで、アマチュアコンサートでこの舞台を使っていた、という報告を ぬえにしてくれた方がいて、それを聞いてびっくりした覚えもあるけれど。

それでも舞台の床板などはかなりしっかり整備されていて、そのような能楽以外の用途に使われる際は細心の注意をもって舞台を保護したうえで使用されているのでしょう。そもそも、普段から野外に立てられている舞台の場合は、降り込む雨風からどうやって舞台を守るか、が第一の課題になります。ぬえの師匠らが毎年元旦の深夜に、師家のご先祖さまに「翁」を奉納している兵庫県・丹波篠山の舞台とか佐渡にある無数の能舞台などは、普段は巨大な雨戸を舞台の四方に建てて雨風を避けていますが、その場合は普段は外見からではまったく舞台の様子・鏡板の図柄などは見えないワケで。その点この磐田市の舞台は雨戸を建てている痕跡がないから、おそらく普段はシートなどで舞台を覆って保護しておられるのでしょうね。建てられた当地の事情と、実際に能楽師が使うために求める舞台の状態と、どちらもクリアできるのは並大抵の努力ではないはずです。

さて、当地の舞台が「熊野伝統芸能館」と呼ばれる理由は、この地が能『熊野』と大変に縁が深いからです。能『熊野』のシテである熊野(ゆや)は「遠江の国池田の宿の長」と紹介されますが、その池田こそ、現在の磐田市にあたるのだそう。この舞台が面している向かいには巨大な藤棚があって、これは「熊野の長藤」と呼ばれる、非常に立派な花房(なんと1.5mとか!)を持つ国指定天然記念物の藤なのですが、さらにその向こうにあるお寺の境内に熊野とその母の墓、とされる石塔があります。



苔むした石塔は大切に保存されていて、その真偽はともかく、石塔は700年前のものなのだそうです。なんというか、ここまで長い年月大切に思われ続けてきた石塔は、それだけでもう「真実」になっているでしょう。ぬえも、宗盛に許されて重病の母のもとに駆けつけた熊野が、母と共にこの地で幸せな生活を送った、と信じたくなりますね。それでいい、のだと思います。



ところで今日の薪能では『船弁慶』が上演されて ぬえも地謡で参加していました。今日の舞台で特筆すべきだったのは間狂言の船頭さんでしょう。大熱演で、いや、掛け値なしに良いものでした。そして、その船頭さんの役を勤められたのが。。何を隠そう、ぬえが先日骨董市に一緒に出かけた Dくんだったのです。期待はしていたけれど、ここまで出来ているか。。先日見たときよりも、また身体を作ってきたな、という印象でした。若いから。終演後、彼に「良い舞台だったね」と声を掛けたところ。。彼は言いました。「いえ。。全然ダメです。。声が。。申し訳ありません」。。そして、こう付け加えた。「。。死にたい」

。。そうまでして。。ぬえはまたしても密かに思った。「コイツにだけは絶対に負けるわけにはいかない」

あとになって聞いたところでは、彼は『船弁慶』の間狂言は初役だったのだそうです。あの情熱。。若さですね。そして舞台を愛している。初役で、しかも狂言方としては重い役である『船弁慶』の間狂言に情熱を傾けるのは当然なのですが、それだけではない真摯さ。歳は違うかも知れないけれど、ぬえはまた良い友達で、よいライバルを見つけました。本当に、勉強のタネというのは尽きないし、またどこに転がっているかもわからないものです。ぬえにとって今日は幸せな日でもありました。


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