ぬえの能楽通信blog

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『歌占』。。運命が描かれる能(その4)

2008-05-12 00:33:32 | 能楽
正面に向いたツレは名宣リ。。つまり自己紹介の文を謡います。

ツレ「かやうに候者は。加賀の国白山の麓に住まひする者にて候。さてもこの程いづくの者とも知らぬ男神子の来り候が。小弓に短冊を付け歌占を引き候が。けしからず正しき由を申し候程に。今日罷り出で占を引かばやと存じ候。

この自己紹介文の最後で、この役がワキであれば両手を前で合わせる型~「掻き合わせ」とか「立拝」と呼ばれる型をするところなのですが、シテ方ではこの型は行わない事が普通です。もっとも「立拝」という型がシテ方にないわけではなくて、この型はもっぱら舞の中などに現れてきますね。ワキ方にとっての「立拝」が、名宣リの中で特に自己紹介としての演技の意味があるとは思えないから、これは儀式的な型、あるいは「名宣リ」を終えて通常であれば「道行」を謡う事を囃子方などほかの演者に通知するための「知ラセ」のような意味を持つ型なのではないか、と ぬえは考えていますが、シテ方にとっての「立拝」は、やはり儀式的な意味は持ちながら、舞の一部としての機能も併せ持っているところに、少しく違いを感じたりしています。まあ、ワキ方とシテ方と、たまたま似ているけれど、実際は全く別の型をそれぞれの意味で行っているのかもしれませんが。

それと、書き忘れましたが、このツレと子方が登場する「次第」という登場音楽ですが、この囃子でワキが登場した場合は「立ち戻り」と言って、ワキは舞台の先まで進み出て、それからクルリと後ろを向いて少し下がり、それから子方(やワキツレ)と向き合います。これもシテ方は同じ「次第」で登場してもほとんど行わない型ですね。

この「立ち戻り」ですが、おワキがワキツレを従えて登場する場合であれば、下掛り宝生流のおワキは一人で舞台に入り、この時ワキツレは後見座の前あたりで立ち止まって舞台には入りません。おワキはそのまま脇座の方まで出て、やがて「立ち戻り」になるときにワキツレは するすると舞台に入っておワキと立ち並び、囃子方のキッカケの手を聞いて一同が向き合っておられるようです。一方 福王流のおワキの場合はおワキが舞台に入る際にワキツレも舞台に入り立ち並び、おワキだけが「立ち戻り」の型をして、それから囃子方の手を聞いて一同が向き合っておられるようです。

この二つの型、それほど大きな違いがあるようには見えないかもしれませんが、たとえば大小前に作物が出される能では囃子方から舞台がよく見渡せない場合もよくあって、上記の下掛り宝生流の型の方であれば、ワキツレが舞台に入るところを見ればワキが「立ち戻り」の型をしているのがわかりますので、お囃子方としてはキッカケの手を打ちやすい、という事はあるでしょうね。

ところがシテ方ではこの「立ち戻り」は ほとんど行われません。なぜなのでしょうね。型附では『夜討曽我』に「立ち戻りをしてもよい」というように書いてあったように思いますが。。いずれにしても『歌占』では、この「次第」で能の冒頭に登場する役は観世流の場合ツレが勤める事になっていますので、「立ち戻り」の型はありません。

でこの役。。役名では「男」とあるだけの無名の人物ですが、役割としては どう考えてもワキ方が勤める種類のお役だと思います。子方を伴って登場し、しかもその子方とは関係が極めて薄い役。やがて子方の肉親がシテとして現れて、最後には親子の邂逅を果たす。。狂女物には共通したストーリー設定が『歌占』には通底していて、そうであるならばこの役はワキである事が能の通例なのです。


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