三島神社って、全国に400社、摂末社なども含めると800社、四国には大山祇神社を中心に111社あるんだとか。
島根の三島一族は、出雲の副王・事代主に輿入れした摂津の三島江・三島溝喰耳の娘・活玉依姫に付き従って松江にやってきて、そのまま大庭(王の庭)の地を中心に住み着いたとの口伝があり、その子孫と言われています。
その摂津の三島江には三島賀茂神社があるのですが、この神社が全国の三島神社の中心とも伝えられています。
これだけの勢力を誇った三島族ですが、一説にはルーツはフェニキア人で海洋民族、宇佐族とともに古くから日本に住み着いたとも。
という興味津々な話を、また聞くことになろうとは。
日本には、世界各地から様々な種族がやってきて、今の日本人ができてきていると言われています。
そういう話の一つが日本語タミル語説、言語学者の大野晋氏がその学説を発表し、その学説を記紀などの未詳部分に当てながら書かれた本に「ささがねの蜘蛛」があります。
何年か前に読んでいましたが、その著者が15年ぶりに満を持して?出版した「よみがえる大野 日本語=タミル語接触言語説」がお話し会で大役、県立図書館になかったので、早速ネットで注文。
昨日は、古代のことにもめっぽう詳しいYukimaru氏を講師に、古代出雲お話し会「四国各地に残る出雲の伝承と史跡」に参加者は身を乗り出して聞き入りました。
数奇な人生を歩んだYukimaru氏、今は大洲市の少彦名神社の禰宜まで勤める身。
信じられないくらいの幅広い話でしたが、ガッテンの連続。
僕もここ数年来、古代の歴史に関わるさまざまな本を渉猟してきたものの、結構細かいところでストンと落ちないところってあるのですね。
Yukimaru氏の話って、嵌らなかったパズルのピースが嵌まる感覚が随所に!
そのピースの一つがこの本だったかな?
昨日は半分ちょいで時間切れ、後半の話を改めてお聞きすることにしました。
今度のお話し会、更に何が聞けるのか、、、
今日は、久しぶりの快晴で洗濯機は3回も稼働!
錦秋の北山が眩しい
冷たい季節風が吹き抜ける今日、大慌てで防寒ジャンバーを引きずり出し、出土した四隅突出型墳丘墓の現地説明会に行ってきました。
朝酌の促戸(せと)、奈良時代には官営の渡しがあり、国庁から隠岐への街道と内水交通の結節点・交通の要衝として栄えた場所。
出雲国風土記には、近くでは市も立ち、設置された簗で取れた魚などが並べられて賑わう様子が描かれています。今の矢田の渡しあたりです。
四隅突出型墳丘墓は、矢田の渡しのすぐ上の小高い丘から出土し、弥生終末期に築かれ一辺10m程度だったとみられるとのこと。
松江市では18基目の四隅突出墓、大きさから言えば小型ですが、朝酌の促戸に勢力を張った有力者だったんでしょうね。
墳丘墓は古墳時代を含め何度か改変が加えられたため、出土したのは一辺のみ、残っていた埋葬施設も低部のみですが、一辺の立石・敷石・張石が残り、その様子をうかがい知ることができます。
安来の仲仙寺古墳群と比べると、時代的には?と質問しましたら、時代的にはほぼ同じですが、地域によってその様式が違うんです、って。
確かに仲仙寺古墳とは張石などの様相が違う!
そう言えば、福井でも富山でも立石・敷石・張石といったものは見られなかったなあ、それぞれ、こだわりがあったのかなあ?
紅葉が深まる一方、色づいた葉がどんどん梢から離れていて、裏のモクレンも寂しくなりました。
今朝は、そのモクレンに久しぶりにヒヨドリのツガイ、よく見えること(*^^*)
出雲に深いご縁のある少彦名神社(愛媛県大洲市)
この地に開田や稲作の指導にやってきた少彦名が神社下の昿川の氾濫に巻き込まれて亡くなったとの伝承があり、神社奥の山には少彦名の御陵があります。
当神社は、江戸時代にこの地の城主が少彦名の功績を高く評価し、氏子制度をなくし代々の城主が当神社を守ってきたと。
それがそのまま現在に至り、氏子制度はなく、当地を出て大成した皆さんによって支えられているとのこと。
神社下の昿川の対岸には、御陵を遥拝できる「富士山」がありますが、地元の皆さんは“とみやま”と呼んでいるとか。
ヤマトにも三輪山を遥拝する鳥見山(とみやま)があり、麓には等彌神社がありますね。
講師のYukimaru氏は、お祭りの後の直来の締めが“だん、だん”だったことにとても驚いたとか。
お話し会、残席わずかです
記紀に記されている国譲り前の出雲の国は、北九州から越の地までその影響力が及んでいたと言われますが、四国にも大洲市に残された先述のようなお話しはじめ多くの伝承があり、想像以上に深いつながりがあったようです。
12月1日の~古代出雲お話し会「四国各地に残る出雲の伝承と史跡」~はもうすぐ、上記のようなお話しを始め、多くのビックリポン!のお話があるのではないかと思います。
ぜひ、ご期待くださいね。
あっ、残席わずかですのでお早めに!
お話し会の詳細は、古代出雲お話し会「四国各地に残る出雲の伝承と史跡」のご案内 をご覧ください。
古代出雲お話し会「四国各地に残る出雲の伝承と史跡」のご案内
「『出雲王朝』というものは存在しない」というのが専門家のほぼ共通した認識だそうですが、最近、出雲王朝、出雲王国に関する、今までにない踏み込んだ内容の書籍などが目に付くようになってきました。
とは言え、確たる歴史書が存在しない中であり、多くの皆さんは疑心暗鬼に駆られていらっしゃるかもしれません。
今回のお話し会は、古代の出雲人が四国各地で果たした大きな役割に、そんなに深い関係が!と驚き、出雲に誇りを感じて頂ける内容になると思いますので、ご期待ください。
お話会の講師は、広島のある城主の末裔で、出雲の北島家とも縁戚にあり、世界のVIPや金融界を肌感覚で知るという“Yukimaru”氏です。
訳あって10年近い中国での隠遁生活。帰国後神職となり、四国の西の外れ大洲市の少彦名神社禰宜など、出雲に縁ある神社8社の面倒を見る現在。
文献の渉猟と現地調査を踏まえた深い歴史観を持つお方です。
✰ 日 時 12月1日(日) 14:30~16:30
✰ 場 所 Blooming出雲(松江市新庄町146)
✰ 席 数 20人
✰ 参加費 1,500円
✰ その他 終了後、茶話交流会を行います(会費;200円)
※参加希望の方はo-mis☆mable.ne.jp 又は 090-7895-9418(三島)に連絡ください。
※講師との夕食懇談をご希望の方は連絡ください。
※懇談会場で宿泊可能(3,000円)
※当日は、松江城マラソンが開催されており、各所で交通規制があります。
お越しになるルートを下記のファイルでご確認ください。
松江城マラソン交通規制
下記の写真は、Yukimaru氏が禰宜を務める少彦名神社の参籠田。とても貴重な建物で由緒の正しさが想像できようというものです。
古事記に「ガガイモの舟に乗ってくる神が」と出ているんですが、ガガイモって?
ご存じですか?僕は、聞いたこともないなあ、見た覚えもないし・・・あっ、知らないから見てもわからいけど💦
気になって、ちょっと調べてみたら、、、
そのガガイモって下の写真だそうですが、でも、やっぱり見たことないなあ。
あっ、この写真、風に乗ってというサイトからお借りして~
それが実って種を放出すると、こんな殻になるんですね。
丸木舟だってあったんだから、これなら立派な船になる?(*^^*)
これも私の拾いものというサイトからお借りしたんですが、殻って売ってる?
それと、ついでにですが、多爾具久ってヒキガエルの神なんですね。
美保神社の裏に久具谷社というのがあり、そこの祭神が多爾具久神となっているんですが、それって何と思って調べ始め、、、
古事記には
大国主が御大之御崎(みおのみさき)を訪れたとき、海の彼方から天之羅摩船(あめのかがみのふね/ガガイモで作った船)に乗って来る神がありました。
大国主はその神に名を訪ねますが、答えが返ってくることはありません。
そこで周囲にいた神々に尋ねてみたところ、誰もその神の名を知りませんでした。
この時、ヒキガエルの神、多爾具久(たにぐく)が言いました。「カカシの神の久延毘古(くえびこ)なら知っているはずです」と。
そこで久延毘古に尋ねると、「その神はカミムスビの神の御子、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)でいらっしゃいます」とそう答えたのでした。
とあるんですね。
出雲の歴史、踏み込めば踏み込むほど面白い。