何やらすごい今日のイベントのタイトル「究極の解答検証会」、新庄の地で開催されましたが、今日の今日まで何が何やら?????って感じ。
自己・自我とは、人間とは、生・命とはという問いに古今誰も答えていないという、どこを調べても普遍妥当な回答ってないらしい。
そんなことがテーマの今日のイベント、実に面白い。
こういうイシューって、誰もが一見わかってるような面持ちでいるんだけど、突っ込んで見ると全く分かっていない、へえ!がてんこ盛りなんですよね。
例えば自己、「おのれ」って誰もがわかっているようで全く分かっていなくて、自分の名前に生死も含めてとことん規定されているらしい。
神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世は、え~~!という数の新生児に一切呼びかけをしないという凄い実験をしたところ、皆1年以内に死んでいったのだとか。
命名と言いますが、ナを付けることで命づける、だから命が働かないと死に至る、それは人間にだけ持たされた機能だっていうんだよね。
何かわかる気がするけど、、、
一通りのベースの話を聞いていて、自我があるって、ある人たちにとっては実にありがたいことなのかもなあ、だって、自我があるゆえに経済は成り立っているんだから。
今日は、自我を乗り越えていく術?書道をやるってそういう意味かもと思っていたことへの大きなヒントを頂いたように思いますが、さて、、、
イベントの始まるまでの時間、収穫したラッキョウや紫エシャロットの片付け、これもまた楽しい時間です。
雨、良く降りますね。
朝から雨予報だったので、朝8時にアラームセット、随分前に目が覚めてカーテンを開けると降ってない!この際やれるところまで畑仕事だ~~。
目が覚めたのが幸いしたんだろうなあ、ひとしきり草刈り、の後はヤブツルアズキの種蒔き。
草刈りの後、1週間とか間を置くんだけど、そんなことも言っていられない(^^;;
挿し木、ちゃんと着く?
やあ、切羽詰まって追いかけられるとやればできるもんですね。
てことで、ヤブツルの種蒔き完了。
新庄では、明日のイベントの主催者とゲストの方が前乗り、明日のお泊りもあるので、その準備。
ちょっと時間があったので今日やっておこうと思っていた、東京から持って帰った紫陽花と来年の圃場整備で切ることになっているコブシの挿し木、ネットに出ていたペットボトルでやってみる。
さて、ちゃんと根が付くのかなあ。
伯耆富士
昨日、タケノコ取りに行く時、雲さんのお働きで大山が富士山だ~~!!
新庄からの角度でも伯耆富士に見える時があるんですね。
随分長らく楽しませてくれます。
確か、5月の連休のイベントで、子どもたちに旬のタケノコご飯を食べさせてあげたいと、叔父の山に孟宗竹の筍を取りに行ったのが最初。
孟宗竹が終わるころに生えだすのが淡竹、意宇川の河川敷にたくさん生えていたんですが、今年もと取りに行ったら竹がきれいに伐採してあって生えていないんですね。
へえ、地上から上を全部切ってしまうと竹やぶって死んじゃうんですね。
てなこともありましたが、その淡竹、ちょっと細いけれど、新庄のトトロの森にあるんですね。
森の整備をしたので、伸び伸びと生えてきたようだし、取りやすいこともあって今年は沢山いただきました。
このトトロの森には、釣り竿づくりなどに使う布袋竹というのがあり、今年初めてトライしてみると、淡竹以上にアクがなくて食べやすい。
そして、待っていました!真竹の筍、黒子、6月に入って顔を出し始めたかなあ。
投げておくと山が荒れるだけですから、山道の整備と竹林整備を兼ねて、随分取りに行きました。
ただ、ちょっと困るのは後の始末。
たくさん持ってきてもらっても困られるだろうし、かと言ってあちこちに配ってあげるのも大変。
喜んでくださる方もあるので、できる範囲で、、、
そういえば、竹の子ってパイプ状ということもあって、血管などのメンテナンスに良いそうですから、この時期にはたくさん食べておきたいですね。
その竹の子取りもあと1回でしょうか、感謝して頂くことにしましょう。
写真、やめてくださいよ、と言いながらやけに嬉しそうな顔で写っていました。
この後だったかなあ、多分にお情けだろうと思いますが、これで!ということになり、鳩居堂の作品作りが一段落、やった~~!!
わざわざ東京まで出向いた甲斐があった?ということなんでしょうか。
今回の作品作りで一番学べたことは、我と向き合えたことで、自然体ってそう簡単じゃないってことでした。
準備を初めて最初に向かう時って、最初だからとほとんど気負いがありませんが、枚数を重ねていくとここがああだからこうしようとか、この初筆をもっと太くしたらとか、ついつい作為的になり、我欲が出てくるものです。
そうすると、どんどんダメになるんだよなあ。
これって、体が勝手に反応するごとく書いて書いて書き込んで行く以外にないんだろうなあ。
道のりは始まったばかり、まだまだ先は長い(^^;;
一緒に補習を受けた皆さん、何かしら、仲間意識のようなものが、、、
東京に行ったお陰で、電車の中、飛行機の中、ホテルの部屋と本を読む時間が取れました。
お陰で、赤嶺勝人さんの「ニンジンから宇宙へ」をほぼ読み終えることができました。
それにしても、この本は凄いなあ、食や農について僕が学んできたことがほぼ網羅されている上、更に広い、しかも、核心を突いおり、僕のバイブルとも言える一書になりそうです。
身土不二、そして一族の祖国
先日、母が作っているブルーベリーのことで思うことがありました。
「もう少し熟れてからの方がいいんじゃない?」というと、「もう熟れて落ちてる実があって汚いから」と、えっ!諸葛孔明は、兵士に故郷の土を持参させ、病になるとその土を嘗めさせたのだとか。
赤嶺さんの宇宙循環論から言えば、私たちは土からできている、いや、まさにその通りで、それが腑に落ちた生き方ができるようになると、病とはほぼ無縁になるんだろうし、アトピーともさらば。
仏法では、身土不二と説きますが、古人は「10里四方より遠くの食べ物を食べてはいけない」と伝えて来たそうで、朝起きて食べ物を取りに行き、夜までに帰って来れないところのものは食べるなと。
これって、本当にそうだなと、わざわざ地中から掘り出した資源を浪費し、地球の裏側からポストハーベストや防腐剤漬けの食べ物を運んで食べるって、可笑し過ぎるんじゃあないかなあ。
陰陽から言っても理に反しているし、しかも人体が摂取してこなかった化学物質漬けの食べ物ばかり、これじゃあ、病気になるのは当たり前だし、病気は医者が、薬が治すものと信じている。
そういえば、アナスタシアの提唱する一族の祖国って、身土不二そのもので、本当に理に適っています。
きっと、一族の祖国的な暮らし方、じわじわと広がって行くんだろうなあ。
何にも言うことないかなあ、そんな感じの夕焼け空でした。
今日は、一旦昨日行った北の方に向かいましたが、あっ、そうだ!と踵を返して畑の方に。
蚊に食われながらも、少し待っていると西の空の雲が茜色に染め上がって行きました。
空が狭いと言えば狭いけど、贅沢言っているときりがない。
こんな美しい夕焼け空が眺められるなんて、感謝、感謝ですね。
ついでに、気になりながらほとんど覗いていなかった里芋を植えた畑に。
芽を出していないのもありましたが、それでも、雑草の中で頑張ってくれていました。
今年も、美味しい里芋がたくさん食べれそうです。
有難い、有難い。
有難いついでに、東京から帰ったら草刈りしてやらなきゃ。
それと、ヤブツルアズキの種まき。
本格的な梅雨入りと追っかけっこですね。