本格的な百姓仕事開始の日にするつもりだったのですが、久しぶりだったので家を出るまでの段取りもいまいちで、畑に着いたのは11時もしばらく回ったころ(^^;;
いざジャガイモの種芋植えの圃場を草ごと耕耘、と考えていましたが草がかなりあり、やっぱり草刈からと初めて見たものの、久しぶりの草刈り仕事は結構辛い。
これはやっぱり草刈り機の登場だ!てことでこの作業は明日に先送り。
頼まれていた春の七草、何でもいいからくださいとのことで、プリントアウトしていた写真も見ながら、ハコベとホトケノザを~と言っても、畑の雑草ですけどね~収穫。また、畑の溝に自生するセリも収穫。
その他、コザコザ仕事を片付けて別の畑に。ここでは、数本残った大根を収穫。これは七草のうちのスズシロ。
もうそろそろかなあと思っていた白菜の菜花とのらぼう菜はもう暫くのようです。
今年も、菜花はたくさん食べれそうです(^O^)/
おっと!知らないって凄いことだなあ。ホトケノザ、春の七草のホトケノザとは違うんだ!
タンポポみたいな雑草なんですね(^^;;
いよいよ春野菜の作付けだ!
ジャガイモの種芋を買い込んできました。
ここ数年、ジャガイモの作況が良くないので、種芋がヘタって来ているのか?というのと、子どもの発達を考える会で畑の体験作業をしようとの話が出ているので、その準備。
品種は男爵とアンデスレッド。〆て6キロ。カットして50g平均とすると、6mの畝6本。
今計算してみるとちょっぴり足りなさそうですが、見習いだから、先ずは第一弾ということで。
さあ、これから忙しくなってきますぞ(*^^*)
美味しいジャガイモ出来るかな?
リトルブッダ
ライアの美しい調べと染み入るような歌声、そして優しいダンスを横糸に、葉祥明の優しくて深いメッセージのこもった絵本の読み語りを縦糸に、「新生地球のよろこびのうた 2017」が織り上げられました。
実は、ライアという楽器の生演奏を聴くのは初めてでしたが、ライアの奏でる響きとエネルシアさんの透き通った歌声のアンサンブルは、心地よく魂に響いて来ました。
そして、ダウン症の仲間と女の子たちのダンスは、とてもスローな動きでしたが、絵本「リトルブッダ」で伝えようとする、もともと持っている私たちの力や自然な生き方を優しく伝えてくれているようでした。
自分で作って食えば?
今朝読み終えた本の最後に、面白い話が載っていました。
この間、どこかの村に行ったとき、「最近、田舎では、百姓じゃ食えないから、みんな東京に働きに行って、百姓をやる人がいなくなった」という。僕はびっくりして「どうして百姓じゃ食っていけないんですか」と聞いたら、「作ったものを売ったってカネにならない」「えっ、売ってカネに換えて何を買うんですか」「野菜を買いに行く」(笑)。それは本末転倒。自分で作って食えばただじゃないですかという話です。
今、世の中が荒れている時にこそ冷静に、人間が生きるとは何なのか、本来あるべき姿は何なのか、もう一度考えてみたい。
いつも同じようなことをブログに書くことになってしまうなあと思いますが、今日の「リトルブッダ」の大きなメッセージの一つは、やっぱりそこなんだよなあ。
新生地球の喜びって、人が人として“ごく普通”に生きて行くことなんだろうなあ。
帰り、今井書店に寄ってみましたが「リトルブッダ」の在庫はなし。Amazonで注文してしまいました。
小保方さんがCMに!?
へえ(@@ マスコミも許容力が上がったんだ!と思って見た深夜TVのCM。
先日読んだ二人の物理学者の対談本に、あの小保方晴子さんのことが語られていました。
読んで見ると、十二分にありそうな話でしたから、冒頭のように思ったわけです。
そう、そのCMの主役こそ小保方晴子さんだ!!と思ったんですよ。でも調べてみると(チラ見だったのでこの写真のCM?)違っているようでしたね(^^;;
その本には、成果がなくて焦っていた理化学研は、物になりそうでかつ話題性があると捻り出したのがSTAP細胞で、話題性を煽るために某広告代理店を使ったとあります。
だから、ピンクに塗装された壁であり、純白の割ぽう着だったと。う~ん、ありそうな話かも~~。
最初から完成された研究じゃあなかったから、結果的に彼女はスケープゴートにされてしまった。
本能寺ホテル
昨日、知人がとてもいい映画だったと言っていた“本能寺ホテル”を見ました。
ヒロインの現代女性によって、事前に本能寺の変を知らされたけれども、未来を信じて自分の宿命を従容として受け入れ、泰然として死んでゆく織田信長を素晴らしい解釈で描いていていました。自分が望むのは「天下泰平」という信長のセリフは、政治の場を経験した僕の心を揺さぶるものでした。
“民衆の笑顔”が溢れる社会が実現できるなら、誰が天下を取ろうが構わない。政治家がそんな視座に立って政治に参画できたら・・・市民の政治意識は大きく変わるかも。
あるがままに生きる
今読み終わろうとしているちょっぴり怪しい本に、「本当に充実した人生は、日常の生活、魂の願い、人生の夢をそれぞれ頂点とする正三角形です」とありました。
日常生活では、スケジュールもいっぱいだし、家族にも仕事にも経済的にも恵まれているが、時間の余裕がある時にサーッと心を横切るような寂寥感があるとしたら、、、
描かれた織田信長は、日常の生活、魂の願い、人生の夢が正三角形だったがゆえに、従容として宿命を生け入れ、泰然として死を受け入れることができたのではないか。
最初の小保方晴子さんは刺身のつまかもですが、この本には、主に宇宙とは生命とはという根源に迫ろうとする古今の理論物理学が縦横に語られています。
よって、物理のぶの字も知らない僕には、この本の内容ってちんぷんかんぷんなんですが、例えばひも理論などナンセンスと一刀両断、そこが面白いわけでもないけど、さっさと最後まで興味深く読めた。
何が面白かったかと言えば、僕にもよくわからないのですが(^^;; 本能寺ホテルではないけれど、僕達が常識と思っているものって本当に常識なの?って言ってるようで。
ちょっぴり怪しい本には、人間はテレパシーが通じていた時には、植物の会話を聞き取れたはず。しかし、自我に目覚めたことで、そのアクセスラインを閉じてしまった。そのために自分が何をしていいかわからなくなっているのが現状だと書かれていました。
最近、僕の生命の琴線に触れてくることって通底しているかもしれません。ちょっぴり嬉し(*^^*)
ありのままに生きたいものです。
わいわいがやがや、味噌づくり第二弾。
あいにくの雨でしたが、大勢の皆さんが参加されて楽しく。
当初は、引く手あまたの米麹で、頼んできた量が確保できないようだから予定の味噌の確保は微妙とのことでしたが、麹量も確保できたとのことで今回で終了。良かった~!
初めて出会う皆さんもいらっしゃったので、自己紹介タイム。
居住地と名前、それと?と問うと、チャームポイントをという声。女性ならではですね(*^^*)
う~む、これは僕には難問(^^;;
見渡すと、家族連れ参加のご主人と子どもの姿が見えず、やっぱり、ハーレム。で、いつもハーレム!何て。
そういえば、昨夜の新年会もハーレム。
別に画策しているわけではありませんが、頼まれて段取りしてみると結果は、、、
ただ、にやけ顔の自分ですが、突っ込まれる、突っ込まれる。いじりやすいんですかねえ(^^;;
子どもは、本当に学校に通わせたほうが良いのか?
10歳の男の子が書いた「見てる、知ってる、考えてる」、そんなことまで考えさせてくれる本ですね。
不登校は一つの才能
その男の子は、中島芭旺(ばお)君ですが、自分は不登校だと言い、この本には「僕は不登校は一つの才能だと思っています。 それは不登校するという決断をできる才能。 自分を信頼できるという才能」と書いています。
こういう視点が持てたら、人生はガラッと変わるんだろうなあと思いますが、普通は、社会の常識の壁がどんどん張り巡らされて、10歳にもなるとその常識に絡めとられるようになるんだろうと思います。
人は勝手に育つ、そう思うようになったきっかけは智頭の森の幼稚園「まるたんぼう」でした。
3歳の子どもが、「今日の森の光は黄色が強いね」と言った!!4歳児が3歳児が片づけを終えて降りてくるのを20分も待っていた。
誰に教わるわけでもない、自ら会得した?もともと持っている?子どもたちの凄い力の一端を知りました。
今の学校って必要?
昨年出会った衝撃的な本は「アナスタシア」でした。
アナスタシアの息子は、タイガの草むらでクマと狼が面倒を見ながら子育てをしている。おもちゃやおむつなどを持参した父親にアナスタシアは、そういうものが子どもの育つ力を削ぐから不要だと言う。
3巻に出て来るシチェチーニン先生の学校は、小学生から高校生までの公立学校ですが、必修科目は武術と伝統舞踊。先生という名のつく人はなく、自分たちで学び合うのが基本。子どもたちは学校や自分たちの家も作ってしまう。今、子どもたちが自分たちの教科書作りを進めている。ロシア、すごい国です。
カリキュラム消化第一主義の今の学校って必要なんだろうか?行かないほうが良いのではないか?
それでも、支える環境を整えることは大切なんだろうなあ。いや、ひょっとしたらそこも不要?
ただ、探求したいと思えたとき、それを一緒に準備できるといいんじゃないかと思えるのです。
ピュアな大人でありたい
ばお君は、「いつのまにかいい子になって、何を好きなのか何を嫌いだと思っているのかわからなくなってしまって、ロボットのように同じことを話す」と。
そして、「正解のない世界で生きて行く僕たちは、好きなことをやる勇気が必要だ」「幸せになりたいって願いました。それは幸せじゃないって思っている自分がいただけで、気付いたらもうすでに、生まれたときから叶っていたものでした」
常識の壁がなくなると、自分の好きなことをして、ありのままに生きれる、それが幸せ?
人が幸せに生きて行く原点のようなものを、はっ!と気付かせてくれるばお君の言葉です。
クリスタルチルドレンとかさまざま言われますが、こんな子どもたちが増えているように感じ、この子たちが地球の危機を乗り越える力になるんだろうなあと思います。
そんな子どものピュアな心を大切にでき、支えられるピュアな大人でありたいとも思いました。