今朝も小雨で寒い。なかなかお天気が良くなりませんね。
そんな寒さの中、ソフトバレーボールの大会があり雇われ大会長としてお邪魔しました。
さすがに体育館は寒い。震えが来そうでしたが、第一試合を見学して帰りました。
今日は、広島、岡山でも大会があって、参加チームが少ないということでしたが、京都、大阪、香川、岡山、鳥取から駆けつけた皆さんもいらっしゃって和気あいあい。
シルバーと名を冠する大会だけあって、高齢の方が多い。
普通の大会だと、勝負が大きな要素になるので年を重ねると大会に出る機会がなくなる。だから、親睦や健康づくりを考え、ハードルの低い大会にしていらっしゃるんですね(*^^*)
長らく続いて欲しいものだと思います。
今朝の地元紙のコラム、「自力と地力」、頷きながら読みました。
イチローの専属打撃投手を務め、シーズン最多安打を支え、退団後は中学生の野球チームの指導をして田中将大投手を育てた奥村さんのお話が出ていました。
日本球界と米大リーグの一番の違いはコーチングだと。選手の個性や自主性を尊重する米国と、あれこれ口を出し、教え込もうとする日本だとか。
「前向きな心を引き出すのが親や指導者の役目です」と奥村さんは話を結んだと書かれていましたが、学校教育も全く一緒だ!って思いました。
個性を伸ばす教育、そうした経験の少ない日本。しかも、教育は大切と言いながら、多くの予算をつぎ込まない、いや、財務省は少人数指導の成果が見えないと削ろうとさえする。
教育は未来を見据えながら取り組むものだろうと思いますが、成果主義は、得てしてそうしたビジョンをも壊してしまう両刃の剣。
育つ芽を摘まない教師力と、現場を支える体制の充実に取り組んで欲しいものだと感じました。
多古で合宿(*^^*)
熟女パワーのお陰で、ちょっぴり過ぎてしまいましたが、いやあ、楽しい。
日本エコビレッジ研究会の召古さんが松江に帰ってきて、足掛け5年になるでしょうか。
山王寺に拠点を構えて、人づくり、地域づくりをする予定だったのですが、海の男の血を抑えきれずに沖泊に住み始めたと聞いた時には正直びっくり。
かれこれ1年になるのですが尋ねたことがなかったので、釣りがてら行くと決め、研究会の皆さん何人かにも声をかけ、釣った魚と僕の畑のお野菜で盛り上がろうって。
ところが、お天気が悪くて海はあいにくの大荒れ。
ということで、海の釣りはあきらめ、丘の釣りで朝どれのお魚をゲット。
グレは、クロアイ飯。マイカは野菜とで炒めてジェノベーゼで。ウルメイワシはお刺身。
後は、畑の獲物でサラダや芋煮汁。いやあ、旨い!
それはそうと、沖泊に住み始めた召古さんの住まいはバスの終点。道路状況が悪かった時分は、バスの運転手さんの宿泊場所だったところで6畳一間、らしい。
地元の方から、地域づくりとか言うのならここに住め!と言われ、紹介されたのがここだとか。
彼の奥様は、東京の方なんですが、ここで一緒に暮らす決断をし、家族を東京に残して大半をこの地で。
彼もスゴイですが、彼の奥様がスゴイです。生まれは東京。住まいはそのすぐ近く。
それが、松江から40分、島根半島の最北端の地、しかも40世帯余りの小さな漁村に居つく決心。
こんな人たちが少しづつ時代を変えていくんですよね。
あっ、どうでもいいことですが、多古の帰り、後の座席に乗った方が気分が悪いので前に移りたいと。
車を止めてたまたま距離メーターを覗くと、おっと、ぞろ目!44444。思わずパチリ。
今日はいい日!それとも、もっとゴシゴシ自分を磨けってこと?
ひぇ~~~、寒ぶ~~!!
ドンと冷え込んだ松江。明日の合宿のためのお野菜の収穫に行ってきました。
止み間を見つけて家を出ましたが、途中で降り出しました(><)おっと~!
小降りになるのを待っての作業を終えると、虹が見え、東の空に青空がぽっかり。
家に帰ると雪起こし?雷も。山陰らしいお天気です。
先日から、干している大豆、先に干した白大豆、脱穀してくれ!というようにポロポロポロポロ落ちてきます。
というようなわけで、雨降り仕事に、別に干していた収穫の時に外れた屑のような鞘や括らないと干せない小枝を一つ一つ手で割り脱穀。手間をかけるのもまた楽し(*^^*)
大豆は大事に(*^^*)
普通の農家さんは、こんな屑のようなものは捨ててしまうんだろうなあと思いながらも、明らかに大虫喰らいやカビたもの、末生りも丁寧に取り出しました。
この屑大豆、ぼかしを作るときに材料と一緒に混ぜ込んで友好(この字でもいいかもですね。気持ちはこれ!)に利用させてもらいます。
また、炊いて食べる大豆はこんな選別はしないんですが、今シーズンは自分の大豆で味噌づくりの予定なので、少々のものは使う予定。一生懸命実を付けたんだから、大事に使ってあげたいし。
おっ、大豆は大事に(*^^*)
喜ぶ人がいることが人の役に立っていること。楽しそうにしている人だから、ありがとうと言える。楽しくやっている、ワクワクしてやっている、そんな生き方が人を救う。
昨日の「子どもに伝えたい命の講演会」、素晴らしい講演会でした。主催した永見さんに感謝!!
ちょっぴり残念だったのは、空席がたくさんあったことと、聞いて欲しい人がたくさんあったのに!
主催した永見さんに感謝
昨年開催した「かみさまとの約束」の上映会の後、池川先生や南山さんに講演会に来てもらいたいと思って連絡を取っていました。でも、岡山での「かみさまとの約束」上映会を紹介してくれた永見陽子さんが先生方の講演会に出向き、来てもらう段取りをつけてさっさと実現。
しかも、性愛セラピストの田中みっちさん、看取り士の柴田久美子さん、指談の守本早智子さん、助産師の岡野眞規代さんなどという錚錚たる人たちも一緒に(@@
一人で2時間、衆目を引き付けて離さないような講演会をやすやすとこなすような人たちが勢ぞろいですから、凄い!!!3組のリレー対談でしたが、運営は難しかっただろうと。
辛いことが人の役に立つ
皆さんの話は、全て素晴らしい話ではありましたが、胎内記憶で有名な産婦人科医の池川先生と性愛セラピストの田中みっちさんの対談は、最初から最後まで共感することばかりで心を奪われました。
冒頭の話もお二人のお話ですが、経験していないことの相談には乗れない。乗り越えると、辛いことが人の役に立つ。何もなかったら輝かない。全て意味がある。
僕も、人生の全てに意味があると思えるし、全てが役に立つと思えるのですが、それは、楽しいことだけしよう!と心に決めた時からでしょうか。スイッチが切り替わりました。
辛さを引きずっていると、辛かったことが役に立つと思えないだろうと思います。
田中みっちさんは、家族が大嫌いで、小学生の時から死にたい死にたいと思ってきて、うつ、リスカ、パニック、不倫、転職20回等々。信じられないような人生ですが、ある時、全て自分で選んでた!と気づいたときにスイッチが変わった。「決める」って必須ですね。
あっ、面白い話。生命って、全て包含しているけれど、経験はできない。経験にはいいも悪いもない。全て良い体験。地球人は、非日常を経験するために生まれてきた。あとは結果をどうジャッジするか。
例えば、殺人は、殺した人も殺された人も、生命の中では自分自身。このへん深い!
自然体で、あるがままに
生まれるのも楽しいし、生きるのも楽しい、死ぬのも楽しい。自然体で、あるがままに生きればいい。6人の皆さん、この辺りがしっかり見えていらっしゃいました。だから、説得力がある。
久しぶりに、柴田久美子さんのお話を聞きました。
2025年、47万の死亡難民(孤独死)が生まれると試算されているが、それまでに、1000人の看取り士を養成したい。今、養成できた看取り士は100人。看取りボランティアグループも着々とできている。
それは、マザーテレサの果たせなかった社会。愛されて死んでいける社会を作るのが自分の仕事ですと。
心理学の師から、「実現することは決めること」と教えて頂いた。必ずや実現させたいと。
この日の講演会のDVD、永見さんにお願いすれば頒布していただけると思います。
値段は3500円。自分の人生のスイッチを変えれるとしたら、こんなに安い買い物はないかも。
聞けば聞くほど、ここまで人権が蔑ろにされているのかって、憤りを通り越して虚しささえ感じてしまいます。
10月31日、島根オルタナティブ協議会の勉強会で体験を話してくださった一番星さんのお話を時系列で理解するため、もう一度お話をお聞きしたいと時間を取っていただきました。
地獄の13年間の始まり
99年9月高校3年生の秋、学校から帰った息子さんが涙を流すなど、様子がおかしいため、ある公立病院に連れて行くと病名も告げずに抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入剤など5剤の処方。ここが地獄とも言える精神医療現場に身を置く13年間の始まり。
以来、すがるような思いで通院からデイケアに、信頼していたデイケアでは薬がどんどん増え、7剤20錠程度に。認知機能が低下し錯乱状態など重篤な副作用。
通院していた公立病院に入院したのは4年後。入院しパーキンソン薬が1剤に減ると暴力的な症状が治まり5ヶ月で退院。
しかし、過飲水に陥り70キロの体重が数か月で120キロになり、1年後、04年12月に公立の県内の中心的病院に入院。
これでは副作用漬け
家族の都合でお願いした入院の日、本人が死のうとしたことを理由に拘束着着用で保護室に。以来退院までの4年間保護室から出してもらえなかった。
その間、笠陽一郎医師の著作を読み、わが子への減薬を訴え続け、08年10月笠医師のセカンドオピニオンを受け、お願いを続けて4回目にして減薬開始。
笠医師の見立ては、どこから見ても統合失調症には見えない。前景にあるのは学校の問題→解離→強迫性障害。背景にはアスペルガー傾向があるかどうか、検討の余地あり。
向精神薬の等価換算(CP換算)では約2000mg!!ボロ病院特有の処方もあり、全国一律。これでは、錯乱、過飲水、ジストニア、アカシジアなど、現症状は、すべてものすごい薬害症状のみ。これでは副作用漬けと。
減断薬は、医師のサポートなし
翌年1月、トラブルで保護室の扉が2重になってから10日ほど。憔悴状態に陥り23日に家に連れて帰り、徐々に減薬。
以来、家族主導で徐々に減薬を進め、2月には過飲水が治まり、落ち着気を取り戻し、4月にはリスパダール単剤にまで減薬。一人で買い物にも行けるようになった。一体薬とは何だったのか?
そして、5月30日には、家族の求めで完全断薬を実行しました。医師のサポートはありません。
ところが、予期せぬ思考障害、排せつ障害が出て朦朧状態になり、県内の中心的公立病院に即入院。
笠医師の本には、断薬による薬剤性精神障害と書かれていたが、急いでゼロにしたためにこんなことになるとは思いもしなかったこと。
安易な減薬・断薬はこの上なく危険。今、減断薬には医療機関のサポートが必須だと思いますが、それを受けるのは至難。
精神病院は刑務所以下
入院が継続するその後も、処方される薬の増減や種類によって症状が大きく変わるなど、安易に薬を出す恐ろしさを嫌というほど味わってきました。
精神病院は刑務所以下です。本人は何ともないのに保護室に入れられたり、薬剤が増える。
家庭の事情もあって家に連れて帰ってやれない状況が続いているが、34歳になる今、認知機能も落ちて人生を失ってしまった。何とかしてやりたいと煩悶する毎日とのこと。
政治と経済が絡み合うと
前後して読んだ、大熊一夫著「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」に書かれたイタリアをはじめとするヨーロッパと日本の精神医療の落差を衝撃を受けながら読みました。
この本から学ぶことは、統合失調症患者であっても、社会と医療・福祉面の受け皿さえ整備されていれば、家畜以下の扱いを受けることなく社会で暮らすことも可能ということ。
さらに、それは、社会的コストの大きな縮減につながるということ。しかし、政治と経済が絡み合うと、無知な国民はその犠牲にならざるを得ないということでしょうか。
イタリアの半分でも、数分の一でも日本が改革を進めることができていれば、34歳の彼はここまでの地獄を見ることはなかったかもしれません。