先日、我が家のペティナイフを使ったら全く切れない(><
そう言われれば、鎌を研ごうと台所まで持ち帰った時に頼まれてたけど、時間がなくて鎌も研がずに数か月・・・
今日は、意を決して包丁と鎌研ぎ。
件のペティナイフ、研いでも研いでも刃が立ってこない(^^;;
いつもなら、200回くらいで刃が立つのですが、ひょっとしたら鋼の部分がなくなった?って思えるくらいに研ぎまくってもまだ(@@ 今日は1,000回以上だったかも。
もう、へとへと、、、
それにしても、女というのは偉大と言えるくらいに根気強い生き物らしい。
あのナイフや包丁で三度三度の食事の支度を弛まずし続けるんだから。
スゴ~イ!
おっと!このブログ、1週間ぶりですね。
ブログネタは山ほどでしたが、ずっと多忙でしたから・・・
春ですね!
今日は、春のエネルギーを頂き春を堪能するぞ!と野に出かけました。
フキノトウもどこかにと思いましたが、そこまでは手が回らず、セリと菜花を摘んで帰りました。
今夜は、そのお浸しと掘ってきた里芋で芋煮汁と揚げ里芋の粒マスタード炒め。
いや~、最高の贅沢です。
大学生の読書時間
話は変わって、今朝の新聞を見て、え~~!!なにこれ、でもきっとそうだろうなあ。
地元紙の一面に、「大学生5割超 読書時間ゼロ」、しかも、この数年の数字は急成長。
急成長は、違うところでって思うけど、スマホ文化を見ていると当然だろうなあと。
東京の電車、何度も書いてきましたから当然にしても、運転中の車でスマホが多くなってきたように思うのは僕一人?
信号が変わったのに発進しない、してもやけにゆっくり、運転コースがやけに右や左に寄っていたり、前の車との車間距離がやけに開いている等々、時にプッ!ってやるけど馬耳東風。
読書って、した方が良い?しなくて良い?
おっと、横道でしたね。
待てよ、その読書、本当にした方が良い?しなくても良い?
とっても便利な社会になって、何でもすぐに調べられてわかるんですよ、取りあえずだけど。
それで終えようと思えば、生活するには、ほぼ何の支障もなく一生を終われる。
だけど、そもそも、豊かさが圧倒的に違うだろうと思っている僕の思い込みは正しいのだろうか?
その新聞記事を見ながら、読みかけの南方熊楠を読み終えるぞ!って思ったけど挫折しそうな僕が、こんなことを書いているのも面白いことかもしれませんね(^^;;
でもなあ、自立した自分になりたいなあと思っちゃう。
先日の三砂先生、淡いピンクの紬のお着物でした。
そんな事情は全く知らなかったのですが、紬って昔は普段に着るものだったそうですね。
普段着だったとはいえ手仕事に頼るものですから、今ではとても高価になって多くは外国の方がお求めになるのだとか。
日本の伝統文化が外国の方に支えられる、う~む、ですね。
思いが見える色合いの紬
三砂先生がお召しになっていた着物ですが、人間国宝の志村さんに弟子入りした先生の教え子からのプレゼントとのこと。
弟子入りして最初に作る着物は自分のものというのが決まりだとか。
先生のお着物は、その教え子の2枚目の作品で、桜の枝、梅の枝などで染めた何種類かの糸で織られたものだとか、とても優しい柔らかな深い色合いで織りての思いが見えるようでした。
そう言えば、桜の花色は、冬の間、木が一生懸命大地から吸い上げたピンク色の滋養を花芽に貯めたものだと聞いたことがありますから、染めに枝を使うとピンクに染まるんですね。
へえ~地衣染め!
東京では、科学博物館で開催されていた南方熊楠展に行ったのですが、その隣では「地衣類~藻類と共生した菌類たち~」という企画展があり、とても興味深く見ました。
そこに、地衣類に含まれる化学成分でリトマス試験紙が出来ていた!地衣染ってありだ!
もっとも有用で、最も知られていない染料で、普通に見られる地衣類は非常に良質で堅牢な染料になると書かれていましたが、柿の木や梅ノ木、そこいらじゅう良質な染料だらけ(@@
地衣類を使った染めのワークショップをしてみたいものだと思いながら見ていましたが、梅の枝、桜の枝などなどともリンクしてきて、これは面白い!
生涯名声を求めなかった南方熊楠、その生き方にはとても共感できますが、それは改めて。
憧れだった三砂ちづるさんにお会いしてきました!
津田塾の教授なんですが、たまたま数年前に手に取った「女子学生、渡辺京二に会いに行く」でとても共感したんですね。
渡辺京二は、日本人論の原点とも言われる「逝きし世の面影」などを世に出している思想家なんですが、三砂ゼミの女子学生が6人?渡辺京二を訪ね、自分の卒論を開陳し、その卒論について渡辺京二と議論をした記録がその本。
その中で、三砂さんが卒論のテーマを決めるのをとことん引っ張る、って仰ってたんです。
これ凄い!って思いました。
だから?来た学生のうち一人だったか二人だったか、渡辺京二にそのテーマはあなたの一生のテーマだねと言わせた。
テーマって、絞って広げ、絞って広げる作業を重ねると素晴らしく深いものになるし、テーマが決まった時にはストーリーはほぼ出来ていることになるだろうと思います。
安易な妥協をせずに、自らの体験を通してそのことを学生に教える、見事だなあと。
三砂先生は、「オニババ化する女たち」などでもつとに有名ですが、愛着の問題の調査を進める中で改めて何冊かの本を読み、身体論や出産にかかる保健衛生など、とても共感したものでした。
昨年末、東京のとても個性的な本屋さんから「相似象」を取り寄せたんですが、同封されていたチラシに三砂先生と島唄のユニット“寿”のナビィさんのトークの案内があり、すぐに電話しました。
テーマは、「女たちのその後~年をとること、自由でいること」、2年前からジャワに住みついているというナビィさんもメチャはじけた方で、いつになっても止まらない感じ。
お二人の赤裸々な体験等も語られ、最後は「自己憐憫、罪悪感と戦い続けよう」という閉めだったのですが、僕は戦うのではなく、楽しむ方が良いなあと。
僕も当然、「自己憐憫、罪悪感」がないと言えば嘘になるんですが、そこも含めて包摂し、楽しむ生き方をしたいと思うようになり、僕の人生は大きく変わってきたかなあと思っています。
それはそれとして、とても素晴らしいあっという間の2時間、感謝!感謝!でした。
その前、少し時間があったので、これも楽しみにしていた上野の科学博物館で開催されている「南方熊楠展」に行ってきました。
これも書きたいことがあるんですが、改めてかな?
叔父から借りている畑の梅の木の枝が伸び放題。
借りた昨年春から気になっていましたが、やはり?木はこんなに大きくなっているのに、実った梅は、な、なんと18個ほど(^^;;
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と聞いていましたので、この冬にはしっかり剪定してやろうと思い、久しぶりに青空が広がり、清々しいお天気の昨日、慣れない剪定作業。
僕の剪定は、自然栽培でありながら、慣行農法以上の収量が上がると言われる道法流。
JAのミカンなどの果樹の営農指導員だった道法さんは、彼の指導を聞かず、彼の指導する農家を遥かに凌ぐ収量で、味も上回るミカンを栽培する農家に、自分の指導に疑問を抱いた人。
そこから編み出された道法流の剪定は、無肥料無農薬の自然栽培が条件なんですが、徒長枝などの勢いある枝を残し、枝をなるべく立てるように整えて行く方法です。
人も体幹を鍛え、姿勢が良くなるとエネルギーが滞らなくなり、例えば子どもの成績も上がる。
仏法では色心不二と言いますし、武道では、体を鍛錬することで心磨きも目指しますが、心と身体は一体不二ですから心のエネルギーレベルも上がるんでしょうね。
それは、土地も一緒で、エネルギーが流れやすい場では作物も良く育ち味も良い。
道法さんは、植物も一緒で、エネルギーの流れが良くなると味が良くなり収量も上がると。
そんな道法流の剪定に見よう見まねで取り組みだして2回目の冬、さて、今年の作柄はどうなりますか?
左は、使用前、中の写真と右は使用後。