見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

ミラクルかっこちゃん

2017-01-30 21:28:09 | 幸せに生きる

 保江先生って、ものすごく変な人!なんです。ご本人の書かれていることが本当だとすれば。
 えっ!かっこちゃんって、保江先生じゃないか!いや、同一人物という意味じゃないですが(^^;;
 保江先生は、数々の考えられない人生のミラクルは、全て予定調和と仰っていますが、かっこちゃんのミラクルもすべて予定調和なんでしょうね。人の力というか、グレートサムシングというのか、実は本当にすごい!

愛の度数は850度以上
 かっこちゃんの映画も講演会もそうだったのですが、会場では聞けなかったミラクル話が交流会で出たんですよ。
 実は、さらにそんな話を聞いたから?という訳じゃないのですが、一層確信して、昨日のブログに愛の度数は850度以上って書いたんだと思います。

 かっこちゃんは、双子のお姉さん(だったと思います、、汗)なんですが、妹はスポーツウーマンだし見た目何事も長けているのに、彼女は超泣き虫で僕の数十倍?運動音痴のようです。
 そこでですが、かっこちゃんは養護学校の教員でした。いや、本当に教員だったんですよ。教員は、教員採用試験があり、実技試験もあるんですね。
 超運動音痴の彼女が採用試験に合格したから養護学校教員だったんですよね。ここに物語があります。

ミラクルかっこちゃんは予定調和?
 前置きが長い(^^;; 採用試験の体育の実技は逆上がりだったので、妹も一緒に家族で近所の三角公園の鉄棒で夜毎練習をしたというのです。ところが、いくら練習しても全くできない。逆上がりがです(^^;;
 それでも、周囲の心配をよそに採用試験にチャレンジするんですね。で、逆上がり。これがこれが、信じられないことにできちゃうんですね。本人が一番びっくりだったでしょうが。
 ルンルンで帰ってきた彼女はできたよ!って家族に告げ、見せてあげると三角公園に向かうんですね。ところがところが、やっぱりできないんですよ~(@@)

 これまたマンガじゃないの?聞き逃した、中学だったか高校だったか?でも、中学ではないだろうなあ。体育があまりに酷くて、このままだと落第だよって宣告される、それ意地悪過ぎだと思うけど。
 で、水泳部だった彼女は、起死回生のチャンス、水泳の補習授業があり、それなりの成績が残せたら落第はなしと言われて臨むんですね。そしたらまたまたミラクル。確か50mだったと思うけど、ピューと行ってピューッと帰ってきた1分十何秒だったか。これ凄くないですか?もちろん落第なし。
 その結果、地区大会の代表選手になり大会当日のレースに臨むのですが、余りのスピードに呆れた大会役員の方が、中ほどを泳いでいた(浮かんでいた?)かっこちゃんに上がっても良いよって声をかけてくれた!

 最後に極め付け。かっこちゃんの成績は常にトップクラス。で、臨んだ金沢大学入試では、最初の数学の試験の答案用紙が真っ白に見えた。最後まで、問題を見ることなく白紙で提出し、そこであきらめて帰った。
 次に受験したのは富山大学。ここでもやっぱり最初の数学の試験で答案用紙が真っ白。零点だったけど、一緒に受験した妹と別々に帰るわけにいかずに最後まで受験した。2教科目からはほぼ完ぺきな出来。
 絶対だめだと諦めて合格発表も何も見ずにいたら、大学から電話がかかってきた。他の教科はほぼ完ぺきだったのになぜ数学は?と聞かれ、白紙に見えたと正直に。大学は入学辞退した方があるが入学しますか?って。ミラクルって起こるんですね(*^^*)

 かっこちゃんと保江先生、共通項って?自然と同化できるくらいに自然とともに育ってきたこと?
 ありのままに生きていると、明らかにそう見えるような予定調和が起こるんでしょうか?

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常識の壁

2017-01-29 23:27:38 | 幸せに生きる

 一昨日から、これでもか!というほどの濃い~~時間が続きました(^^;; 嬉しいですけどね。
 一昨日のことは置くとして、昨日は、かっこちゃんの映画「銀河の雫~はじまりはひとつ」上映会とかっこちゃんの講演会が米子であり、スタッフの一員として皆さんの足を引っ張りました。が、そんなことには頓着なしで終了後の交流会も大いに盛り上がりました。
 今日は、幼稚園・保育所の給食改善の実際というテーマで幕内秀夫さんの講習会。

常識の壁 
 二日間を通しての、僕にとってのキーワードは「常識の壁」ということだったでしょうか。
 かっこちゃんを囲んでの交流会では、「常識の壁」の話が心に響きました。その後、皆の自己紹介の時、参加していた小学校5年生のれん君が来年、学校を作りますと皆の前で宣言したんですね。
 聞いてはいたんですが、皆の前で宣言したんですよ!!正直、ちょっぴり悔しい自分がいたのかも。今日、知人とそんな話をしていて、な~んだ、自分こそが「常識の壁」に捉われていた!って。

 それは、今日の幕内さんの講習会でもあったのかな。
 参加者名簿を見ながら、行政関係者は自分の意志で参加された何人かの仕事とは関係のない方を除くとゼロだ!そうだろうなあと。しかも、松江以外の方が多く、遠く九州からの参加者が目立ったことと鳥取の方が多かったんですよね。
 幕内さんは、講演会や講習会をやるのは種蒔き。主催する側は松江を変えたいと思うだろうけど、これが縁でどこで花開いたっていいじゃないかって。前述の知人に行政関係者って「常識の壁」が厚いからなあって話をしたら、それはあなたの常識の壁が厚いということじゃないですか、って(@@ まあ、、、

一つが二つになり、二つが四つになる
 もう一度かっこちゃん。講演で、自分が小さい時から安心して眠れるのは、一つが二つになり、二つが四つになるその記憶を思い起こしす時だと。心が安らぎ安心できるというのですね。
 ただ、それでなくても変な子だと思われていたので、誰にも言ったことがなかったが、12年前にネパールで出会った“ギータちゃん”(この映画の主役級)に話したら、ネパールではみんなが知っていると。日本でのこの話は昨年末にあるきっかけで話し始めたばかり。
 これは、人も、宇宙も、全ての物がそう。だから、“はじまりはひとつ”。これを確信できたら、全ての人、モノに優しくなれるんですよね。

 アミ小さな宇宙人では、愛の度数ということが語られるのですが、地球人の愛の度数は320度から850度くらいまでで、平均は550度くらいと。
 この気持ちが持てたら、愛の度数は700度を超えるかも。そんな尺度で測ると、かっこちゃんは850度を超えているだろうと思えます。電車の中で、見ず知らずのやくざさんを抱きしめて涙を流させる人ですからね(*^^*)
 ネパールやブータンの生の話と一緒に、この映画をたくさんの松江の人、島根の人に見て欲しいなあ。

“学校”というキーワード 
 さて、僕が幕内さんの講習会に参加して感じた、もう一つの「常識の壁」を破るってどんな形何でしょうか、経済を踏まえたうえで安全・栄養・美味な食のことをさらに伝えることって。
 今日、一緒にスタッフをされた方はフリースクールの関係者でした。また、もうすぐ米子で小規模保育所を立ち上げるという方が声をかけてくださり、僕を幕内さんと縁を繋いでくださった方につなぎました。
 また、フリーの食のインストラクターとして余事を捨てて邁進することにしたと報告してくださった方があり、好きなことをしよう!って口が勝手にしゃべっていました。“学校”というキーワードに繋がるのかなあ?

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あらら~、ブータンを肴に教育を語る

2017-01-27 11:32:37 | 教育

ブータンの赤米ご飯 あらあら、贅沢すぎ~~(*^^*)こんな凄いご飯は初めてだ!
 だって、ブータンの気候に合うよう日本人が品種改良し、ブータンの一番人気、赤米のようなお米を、“あら”という密造酒?(家庭でつくる蒸留酒)で、しかも、土鍋で炊いた特別なご飯。
 ただ、“あら”で炊いていたというのは、我が家で発覚したこと。ブータンのお水で炊いたと思っていたのに、同じ容器に入れていた“あら”だったということで、あらら~(^^;;

ブータンの肴
 年末、小人数の忘年会で何度も何度も学校を作れって炊きつけられたと以前のブログに書いたような。
 その方が、年末年始にブータンでホームステイしてこられたので、その報告を肴に、彼女がライフワークと仰る教育を語るお茶会をしました。
 僕よりちょっとだけお姉さんの彼女、30歳でも十分通る熱量なので、報告も熱が入る。

 彼女のブータンのお話で、いくつかのへえ!
 まずは、311の直後、ブータンの全寺院!では被災地・被災者への祈りが行われたとのこと。また、ブータン国民の祈りは、子どもも大人も、最初はいつの時も世界の平和。
 面白いなあと思ったのは、死生観。葬儀と言える葬儀はなく、大人は火葬にして骨を粉々に砕き、土に混ぜて固めた108個の土饅頭を路傍に置き、風化に任せる。乳児は、水葬。裸にして川の中で石を乗せてそのまま自然に返す。15歳までの子どもは鳥葬。きっと、体は借りものなんですね。

 あと、傑作なのは、昔の家々の外壁には、それはそれは立派な男根がいくつも描かれ、その先にはオタマジャクシ。その写真がこれでもか、これでもか、これでもか。彼女の願望?(笑)
 また、家の中には、しっくい壁に極彩色で描かれた祭壇。きっと、多くの絵師がいるんだろうなあ。
 ブータンやチベットでまず思い浮かぶのはタルチョ。特に風の強いところを選んで張るらしいのですが、五色の旗は地水火風空、緑は水、へえ。法が風に乗って拡がる願いが込められている。

拡散、拡散、拡散
 ていうようなことを肴に教育、というつもりでしたが、計算通りダイレクトに結びつくというものでもなく(^^;; 坂本さんが世界各地を見、我が国に重ね合わせて感じている教育とは。
 彼女の教育観は「今日を生きる」。教育という言葉はしっくりこないと思っている僕としては、思わず膝をたたきました。あっ、今の教育制度ではまさに教育という二極対立の言葉なんですが。
 小人数ですが、様々な立場の人が集まったので、話は拡散、拡散、拡散と言う感じではあったのですが、価値観に驚くほどのかい離がないというのは良かったかな?

 拡散、拡散、拡散ではありましたが、認識を共有したのは、関心を持つ方向は人それぞれだから、さまざまな形の受け皿があっていいんだろうなあ、またそういうものが志向され立ち上がりつつある時代。
 行政主導じゃできないけど、そこにどう門戸を開き、どう支えて行くのかというのはお役目かな?
 僕は、誰も教えない、本人の望むままに自由に“生きる”を学べる場所が学校でなったらなあ何て。関金に「自然がっこう旅をする木」というところがあるんですが、一度行ってみたいなあ。

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トランプはアミの世界創造にどんな役割を果たすのか?

2017-01-25 21:30:16 | 幸せに生きる

 陽射しが戻りましたね~(^^v
 イソップじゃないけど、やっぱり北風よりお日様が嬉しいですよね。
 でしたが、今日は外に出たのは写真を撮るために玄関を開けただけ。一日ヒッキーでした(^^;;

おとぎ話ではなく本当だよなあ
 さてそんな今日、寝坊を楽しみ、PCに向かってメールやメッセンジャーで時間を使い、残った時間で半分残っていた「アミ小さな宇宙人」を読み終えました。
 これから語ることのすべては、ぼくのたんなるファンタジーにすぎず、子どものためのおとぎ話だと。~そうこれは、まったくのおとぎ話です。と言うイントロダクションで始まる物語(?)。
 僕、変だよなあ、って思っているんですが、これはすべて本当だ!って心が感じています。

 今の地球は未開文明の星、それは、自我やエゴが溢れ、愛の度数が低いから。
 このまま進んでいけば、人類に未来はないかも。
 それを変えて行けるのは、僕たち一人一人が愛や慈悲の心をどう開いていけるかにかかっている。
 そんなメッセージをこの本から受け取りました。

 ここ最近、一年くらいでしょうか、手に取る本(届く本?)はこの一冊に集約できるかもしれないと思うくらいです。
 やっぱり、僕は変だなあ!ですが、内田樹もアナスタシアの世界も、保江邦夫も、木内鶴彦も、岡潔も、素領域理論も、簡潔にわかりやすく表すとここに集約する!?みたいな。
 あまりにも乱暴な書き方なんですが、そんなことを感じたし、時代は間違いなく来ているし、その流れを創る人的パワーもそろいつつあるのかなあと。

トランプは新しい時代にどんな役割を果たすのか?
 で、もう一つ今日気になったのが、田中宇のメールマガジン「トランプ革命の檄文としての就任演説」。
 僕は、どうしてもリベラル的感覚で物事を見ちゃうんで、トランプ的やり方には拒絶反応がありましたし、新時代創造にはブレーキになるように感じていました。いや、浅いんですよね(^^;;
 アミを読みながら、新時代創造にトランプはどんな役割を果たすんだろう、との視点で田中宇のメルマガに久しぶりに目を通しました。いやそうか!だけど、それで!?何ですよね。

 一番の視点は、米国を否、世界を牛耳る1%に満たないであろうエスタブリッシュメント集団に対するスタンスです。たぶん、僕が一番忌み嫌う人種でもありますが、、、これは目から鱗でしたね。本当だとすれば。
 この中で感じたのは、あり得ることかなあ、エスタブリッシュメン集団のリベラル集団の囲い込み。
 心眼を持つことの難しさと、利用し利用されて尚、目的を成就しようとするしたたかな戦略の有無。

瞬間瞬間が幸せと言い切れる人生
 そういうことを見極めて行かなきゃいけない難しさを世界市民は内在させているんだけど、それで?なのかもしれません。本当、それで?なんですよね。単純に考えると。
 だけど、仕組みはそこによって方向づけられ、動いていく。その上で自分はどう生きるかを自身に問いたい。
 少なくとも、生きていて楽しい!本当に楽しい、瞬間瞬間が幸せ、そう言い切れる人生でありたい。

 この物語には、われわれの最大の幸福は、ひとに奉仕し、援助すること、そしてひとの役に立っていると感じられることによって得られるんだ。~人生とはわれわれにとって科学がどんなに発達しようと、とても単純なものなんだよ。とありました。自我を捨ててあるがままに生きたいなあ。

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こんな考え、やっぱり変?

2017-01-24 12:10:09 | 幸せに生きる


 来ましたねえ。たっぷりの雪。
 娘が雪をかいているけど車が出せない、という言葉で起こされ、朝から雪かき。幸い娘は自力で職場に。
 積もるんだろうなあ、予報を見ながら思っていましたが、やはり。


 昨日の未明は上の感じでしたから、倍になったようです。さて、40センチ前後でしょうか。
 お陰で、今夜の出雲での青年農業者との交流会は中止。
 名物すし屋に始めて行ける!って楽しみにしていたんですが、、、それに、ホテルの予約、、、

こんな日にはみんな休もう!
 そうそう、昨日のFBの話題はほぼ白一色。田んぼの雪景色のようなものです(^^;;
 除雪がほとんどされずに市内はどこも大渋滞という趣旨の投稿コメントに反応して、自然を支配下に置こうとする経済を考えるいいチャンスだったかもしれませんね、とコメントしました。
 直接的には、除雪するのが当たり前と言う考え方は本当に正しいの?って思ったからなんですね。

 でも、さらに一歩踏み込んで考えてみると、こんな日は、少数の楽しむ人以外、多くの市民は大きなストレスを抱えながら出かけなくちゃならない。経済活動も停滞ですから、普段のストレスを倍加させる。
 事故や立ち往生なども含めて、経済視点でのエネルギー収支は完全にマイナスでしょうから、みんな休もう!何て行政の呼びかけのようなものがあってもいいのかも。
 壮大な無駄も含めて経済と言えばそれまでだけど、自然に寄り添う社会だと本当は効率的だろうに。

 こんな考え、やっぱり変?
 あっ、仕事柄どうしても休んじゃダメ!な方もありますよね、それはそれで考えるとして・・・

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