凄い人がいるものです。
京都府で唯一の村、標高500mですから“天空の村“かな?そこの童仙房という集落に暮らすご家族。
わざわざのⅠターンで、ネットで知り合った奥様と4人の子どもたち。
最初の子どもが4歳の時に小学校が統合されて、統合小学校まで10キロ。
今の教育制度は制度疲労を起こしていると認めつつも、教育内容を含む義務教育制度には最大の敬意と感謝をお持ちと書いていらっしゃいます。
けれど、物理的理由と子どもの意思を尊重してホームスクーリングを選択。
21歳になる長子を筆頭に14歳の末子まで4人のお子さんを、完全ホームスクーリングで育て、現在、長子は三重大学に在学、次子は京大を目指して2浪、三子・四子も紆余曲折あるものの学校の教育内容の理解は凄いようです。
ただ、ホームスクーリングと言いつつ、ほぼ完全に子どもたちの自主性に任せている。
それなのに、4人の子どもたちは並外れた独学力を身に付けている。
そこには、昔話を中心に大量の読み聞かせ、大量の読書、大量の書き写しという3つの秘策?がある、誰にでもできそうだけれど、徹底することの困難さを乗り越えているところが凄いかなあ、、、
「学校や塾へ行かずに、いかにして4人の子どもたちは独学力をつけたのか?」という長いタイトルの本ですが、出版されたばかり。
たまたま、全く違うテーマでネット検索していて出会ったのが「誰でも独学ネット」というサイトで、本を出版したという記事を読んですぐに注文し2日かけて読み、冒頭の感想。
案山子の独学力って?
本を読みながら思い浮かんだのが久延彦とアナスタシアの子ども。
久延彦は、出雲発祥と言われる案山子のことで、田んぼの水に写った蓑笠(月)を通して世間を知悉している知恵の神様と言われています。
また、アナスタシアの子どもは、クマと狼に育てられながら、自然からあらゆるものを学んでいると。
我々は、宇宙の当体だから、あらゆるもの・ことに通じていると言われます。
それが故に?例えばアインシュタインの相対性理論は、降ってきたというような言われ方をしますね、勿論、ベースがないと降りて来たって受け止められないけど。
同様に、透徹した理論はそのような言われ方をします、あっ、芸術もですね。
あらゆる真理に繋がることのできる力?意識?のベースの有力な一つは独学力だと思いますが、自然との融合の中からその力は生まれないのか?
敷衍して、今の教育ってどうなのよ、と思っていますが、さて、、、
久しぶりのまとまった雨です。
雨音を聞きながら、濡れぼそつ新緑の樹木を眺めながらお料理したり、デスクワークしたりのゆったり時間。
そうそう、何もこんな日にと思いますが、タイサンボクが今年初めての花を咲かせています。
昨日、立ち入りできなかった公園内の整備終了を確認し、久しぶりに田和山に。
その昔、火神岳と呼ばれた大山と茶臼山の二つの神名備山、そして山々から昇る朝日を遥拝したであろう田和山の地は、出雲に攻め入った敵に蹂躙され、多くの尊い生命が失われたとも言われています。
二つの神名備山が美しく、宍道湖が静かな湖面に豊かな水を湛える中、霊畤の場であった田和山に生命を捧げた先達の霊に、鎮魂の祈りを捧げてきました。
この美しく静かな地に二度と尊い血が流され、無念な思いが残ることがないようにとの思いも込め。
そして、田和山で無念の死を遂げた豪族が葬られたと伝わる四隅突出墳墓のあった友田遺跡にも行ってきました。
その墳墓群は、区画整理事業で駐車場や住宅地に姿を変え、今に伝わるのは遺跡調査報告書と駐車場の片隅に立つ一本の標柱。
今は、埋もれてしまった感のある歴史ですが、真実が明かされ、二度と尊い犠牲を生まない思いを魂魄に留めていきたいものです。
花展に行くようなことはほぼありませんが、今日はそのほぼを覆し(^^;;
いくら頼まれたとはいえ、引き受けて竹のドームを作ってあげたから、、、
会場に入ると、いやはや凄い!
草月流という流派の特色でもあるんでしょうが、何とも前衛的。
わびやさびを楽しむお茶の世界が好きな方は、おっとと身体がのけ反りそうになることもあろうかなどと。
しかし、出展されている皆さんは何か月も、ことによったら何年も温め続けてきた作品だと思うので、迫ってくるものがありますね。
岡本太郎が“芸術は爆発だ”と言ったように思いますが、そんな感じかな?
これで寝かせ玄米が
そんな余韻の残る花展から帰り、一杯やりながら、そうだ!と、やり残していたヤブツルアズキの選別作業。
昨秋の収穫物の後始末が終わりました。
これで、今年も1年、美味しい寝かせ玄米がいただけます(*^^*)
竹細工教室の今日、午前中に大変お世話になった方の葬儀があり行ってきました。
96歳、大往生ですよね。
人の幸せのために一生懸命だった方ですから、ちょっと寂しい気もするけど、きっと、すぐに新しい生を受けて大活躍の人生を送られるんだろうなあ。
そんな今日だったから?なぜか竹細工の作業に取り組む気持ちにならなくて、、、
いろんな作業を探してウロウロして時間を過ごし(^^;;
みなさんは、主に自分で作ったひごでくす玉づくりだったかな?
葬儀が自宅のすぐ近くだったので、着替えに家に帰り、ついでに気になっていた内田樹の「村上春樹にご用心」を探しました。
文庫本を何冊か買っていたものの、全く開いていなかった村上春樹ですが、この度初めて読んだのはこの「・・ご用心」があったから。
かなりのインパクトだったと思っていますが、どう感じたのか?記憶にない💦💦
ということで、もう一度読み直して次に向かおうかと。
音楽もそうですが、読んだ小説やエッセー等で取り上げられていた本とか、料理だとかお酒だとか、ついつい向かってしまいます。
しかも、書き手の嗜好・志向性が似ているとなお更ですよね。
友人が、とても大切で深い話をするために来てくれました。
地域はもちろん、日本全体の将来に及ぶ話ですが、じゃあ自分は何ができるのかと考えると、そうそう多くの選択肢というか、できそうなことは見当たらないかも。
だから猶更?社会には出口の見えない閉塞感が漂っているように思います。
さて、であるならば自分は?
友人はそこを考えているようです。
自分は何ができるか、何をしたいのか、一人でも多くの方が今の立場を離れてでも考えていける社会環境を、先ずは整えたいものです。
しごではなくて解体ショー
そんな今日、久しぶりに目にするかなりの強敵が届きました。
70cmくらいのスズキ、この調理は自分の中では“しご“ではなくて、まさに解体ショー、捌くという感じで一汗かきました。
鱗を取り、頭と内臓を落とし、3枚に下ろして切り身に切り分けました。
これは、塩こうじに漬け(夕方買いに行きました!)、アラはスープの出汁取りして猫の餌に小分け、内臓も一煮して猫の餌。
もしかしてご懐妊?の若猫の無事な出産に供するのか?