大喜び~~!!(*^^*)って聞こえるカエルの鳴き声。
久々の雨、待望の雨だから当然ですよね。
赤ガエルの赤ちゃん、しばらく前から水路で目にしていましたが、水路から10mほど、納屋の入り口でも元気に飛び跳ねています。
田んぼには、残り少なくなった水たまりにオタマジャクシがたくさん泳いでいるから、この雨で餌もたくさん食べて、まだまだ出てくるんでしょうね。
朝は元気が良いんだけど、10時を過ぎる頃になると花びらがしおれてお辞儀をしていた紫陽花も色つやが良い。
雨の似合う紫陽花、やっぱり久しぶりの雨で輝いています。
暫くは我が世の春を満喫!ですね。
そうそう、いつも生えているところに生えていない!今年の真竹。
今年は裏年?それとも水不足で?
雨後の竹の子って言うくらいですから、一日置いた明後日あたりは山ほど生えているかな?
まだまだこれからなんだろうと思うと、、、
ついついやせがまんをしてしまって(^^;;
目が覚めたついでに、6時過ぎから新庄の敷地や道路の伸びたタケノコを倒したり片付ける作業💦💦
細いけど食べられそうなタケノコは外で茹でてと、それでも各種料理の1回分。
食事の支度の前にシャワー。
午前中は買い物をしたり、図書館に届いた本を借りに行ったり。
お昼が終わって、常備食も底を尽いたので朝どれタケノコや買ってきたナスで煮物。
明けられる窓は全て開けてるけど暑い💦💦汗が噴き出ます💦💦
部屋の温度は?久しぶりに温度計を見ると32℃。
エアコン、もちろん使えるけど“モッタイナイ”のでやせ我慢、さていつまで我慢できるやら。
用ができたので町まで、帰ってきたらやせ我慢ももう限界(><
車のエアコンってありがたいけど、やせ我慢には強敵です(^^;;
古民家などの不動産物件って、売ったり買ったりする時代じゃないよなあ、と思っていましたが、、、
志の高い友人がやってきて、自分のこと以上に嬉しい話をしてくれました。
街づくりに情熱を注ぎ続けて15年の方が、ある物件が欲しいと思って交渉したけれど上手く行かずすぐ近くの古民家を拠点にしている。
その方から活動のコラボの話が来て、その拠点に行ったらその方が欲しいと思っていた物件に目が行き、、、、
彼女も拠点となる物件を探していたけれど出会えなかったのに、、、
凄くステキな物件らしいんだけど、管理している方からいくらでも良いとの話を聞き、50万円を提示して何に使いたいのかを話したら、持ち主がタダで譲る!と。
でも、タダだと贈与税が凄い、司法書士からいくらでもいいから書面上で売買をとのアドバイスで数万円だとか。
一応結構な都市なんだけど、この場所は合併前は衛星自治体、ちょっぴり田舎感があるって感じだけど、これからの時代に最も求められそうな居住環境。
不動産屋に値を付けてもらえば最低数百万円だろうと思うけど、仏壇があろうと、盆暮れの墓参りの拠点であろうと、持ち続けることは手が怠くなること。
思いきることで、志のある方が現れ、こんな話にだってなる、面白い時代だよなあ。
この友人、やりたいことがたくさんあるんだけど、根っこの志が自分中心じゃない、“人に寄り添う“それをもっと現実化したい、この物件との運命の出会いをきっかけに今生の使命を一つ一つクリアしていくんだろうなあ。
彼女の話を聞きながら、志の高い思いは必ず現実化する、そんなことを改めて。
あと、不動産はタダで譲る時代が来てるよなあ。
この写真は古民家のイメージですのであしからず。
対偶婚、縄文時代から古墳時代まで、いや、もっと長くあったのかもしれません。
簡単に言ってしまうと、婚姻や男女の関係において女性が主導的な役割を果たしていたというのか。
学術的に言われる対偶婚の特徴は、妻の性の非閉鎖、流動的結婚、女性による結婚と性関係決定権・求婚権・離婚権の保持、女性の合意を前提とする性慣行、性愛の独自なあり方、売買春の不在等であるとされています。
父系家族社会の価値観と正反対ともいうべき、女系家族社会でしょうか。
先住民族は殆どが女系家族社会と聞いていましたが、実は古代の出雲も日本もそういう社会だった、そして、農村社会などでは江戸時代までそういう社会だったようなんですね。
かねがね、政治に象徴されるように、今の社会は男主導で作られてきた結果、極度の制度疲労に陥ってしまっているように感じてきました。
僕的には、強欲資本主義克服や、平和主義貫徹には、女が主役で男は女性の直感的な思いを現実化させるブレーンに徹するのが良いのかな、って。
詩人の高良留美子著「花ひらく大地の女神」で初めて知った“対偶婚”、女性が中心の婚姻と性の形態はまさに女系家族社会。
対偶婚や古代の婚姻形態をもっと知っておきたいと、ネット検索した結果出会った関口裕子、古代史・女性史が専門の在野の歴史学者。
彼女の「日本古代婚姻史の研究」を読みたいとネットで探しまくる中で、この本への書評に答えるという論文。
よくぞここまで完膚なきまでにという、書評に対する反論。
お見事の一言に尽きると思ったし、2002年60代での逝去が惜しまれると思う一方、1994年の書評への答えは、この書評者の研究人生を暗転させたのではと、、、
梅原猛は、専門家が前言を撤回することの困難さに言及していましたが、本来、専門家の発言は相当の用意周到さが求められるのかも。
それで思い起こすのは、古代出雲に関して、東出雲と西出雲について、一方がもう一方を征服して一つの出雲となったとの見方が大勢?のような感を抱くのですが、それって根拠はおありですか?と。
前述の書評じゃないけど、専門家なんだから根拠を示しながら論理だてて示して欲しい、何て、、、
大社に行く途中、自分の課題だった美保の直立層を体感してきました。
もっとも、ある意味、瓢箪から駒のような直立層体感でしたが(^^;;
で、やはりこんな時だよなあ(苦笑)
それは、大社での約束の日にちを勘違いしてずいぶん待ったのですが、その前に行ってきたんですよね。
ところが、着いて車から降りて歩きだしたら、棘に絡まれるは、一番体感できるように近くまでと歩き出したら、重い空から降りだしてきて、、、
来なくていいよ!って言われてる如く、、、
以前、ここを目指していったのですが、何回か釣りに来ていた?はずなのにたどり着けず(><
再チャレンジのつもりで向かった今日は雨にたたられ、結構な降りだったので直立層直下は諦めてすごすご引き上げる羽目に(涙
それにしても、この美保の集落、人の営みの凄さを改めて思い知らされるような。
坂の途中、かなり高齢と思しき方が行きも帰りも、雨の中のもかかわらず、一生懸命道路脇を掃き清めていらっしゃいました。
きっと、愛おしくてたまらない自分の集落、住めば都なんだろうけど。