蒲生野の唱和歌
天皇(天智)が蒲生野で狩りをなさった時に作った歌
万葉集: 額田王(ぬかたのおおきみ)
原文:茜草指 武良前野逝 標野行
野守者不見哉 君之袖布流
あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
(巻一の二0)
【 従来の解釈 】
(茜色の光に満ちている)紫野を行き、天智天皇御領地の野を行って
野守はみているではありませんか あなたが袖を振るのを
『もう一つの万葉集』
著者、李 寧熙さんは、この歌は二重歌ではないが
巧妙な言葉使いによって、露骨な性の表現に迷彩を施した
極めて二重性の強い歌だといっています。
しかし、額田王が詠んだのは
「君(ぐで)」「之袖布流(がさぼるよ)」
=“あなたが”“私のハサミを広げる”
だというのです。
とりわけ、「君之袖布流」は
額田流迷彩法の奥義とでもいうべきもので、この五文字をみれば
誰だって「君が袖ふる」と読むであろうことを計算している。
「茜」という字は和名に「草」がつかないが、あえて入れている。
「草指」(=腎が)も、「指」(=股)も、男性の性器を表す。
「あかねさす」は輝くように美しい、
又は陽性的で力強いものから「君」にかかる枕詞。
また、紫が赤みを帯びていることから「紫」にかかる枕詞。
「紫」=「女性」を表す。
古代日本語の「蕃登(ほと)」と同義語。
「標野(しめの)」は、
韓国語で「標野(びょまる)」「標(びょ)」=標識(しるし)
神域・領地を示すしるしを立ててある野原をさす。
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「立ち入禁止と記されている禁野」
「禁野を行く」=「操を破った」意。
【 真の意味 】 |
茜草(あかね) 股(さし)
紫野 逝(ゆ)き
標野 行き
野守は 見ずや
君 はさみ ひろげり
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あかい股(さし)<腎>が
紫色の野原〈蕃登(ほと)〉を行きます。
標野〈禁野〉を行くのです。
野守は見ていないでしょうね
貴方が私のはさみ〈両股〉をひろげるのを
皇太子(ひつぎのみこ)が答えた御歌
万葉集:大海人皇子(おおあまのみこ)〔天武〕
原文:紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者
人嬬故尓 吾恋目八方
【 従来の解釈 】
紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば
人妻ゆゑに 我(あれ)恋ひめやも
(巻一の二一)
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紫草のように におうあなたを 憎いと思ったら
人妻と知りながら 恋をしましょうか
【 真の意味 】 |
紫草は 愛(かな)しや 妹よ 失い苦し
言かけくるに
われ ひそやかに 脇見せむ
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紫草(ほと)は 可愛らしい 君を失って苦しいのだよ
ことばをかけてきたので
私は 人目につかないように 脇見をするけれども
『もともとこの二歌は秀歌のほまれが高いのですが、
従来の解釈によると、どことなくちぐはぐな唱和歌でした。
しかし、こうして韓国語で読み返してみると、一段と鮮烈な情歌
として蘇ります。(…中略)この二人が夫婦として世に存在する
こと自体、中大兄にとっては許せなかったのかも知れません。
額田王を後宮に召したのは男の嫉妬とも言えるし、こんな二人
をいつまでもコンビでこの世に放置したら危険だ、という恐怖心
によるものかも知れません。おそらく中大兄にとって額田王が
ほしいというより、二人の仲を引き裂くことの方に第一の意味が
あったのでしょう。(中略)
二人は唱和歌を詠み、そしてその時はそれを互いに心の奥底深く
に刻み込んだのです。そしてこの歌が他人に知られても恐れる
ことのない世の中をきっと作ろうと、二人はその時かたく
誓い合った…、私はそう思いたいし、またその誓いは
壬申の乱によって見事に実現したわけです。(引用)』
『もう一つの万葉集』李 寧熙(イ ヨンヒ)著:参照
この本は、かなりの反論を受けたようです。
今では、Wikipedia「万葉集:外国との関係」に、
『従来の日本語的な解釈で『万葉集』を読むことを否定する
論理的・合理的な根拠は全く存在せず、
『万葉集』=古代朝鮮語とする説は、
学術的には完全に破綻しているといえよう。』
とあります。
しかし、額田王の事実記述がほとんどないのです。
80歳まで生きたとされる額田王。
歌人としては、たぶん誰ぞのゴーストライターもしていた
であろうと思われるし、聡明で美しい女性だったのでしょう。
そんな歌、つまり、言葉に興味ある彼女が…、
政治的にも常に重要な人たちの傍にいた額田王が、
古代朝鮮語を勉強しないわけがありません。
…とするなら、歌に二重の意味を持たせることは、
彼女にとって、お手のものではなかったのでしょうか?
「野守者不見哉」の「哉」。。。
従来解釈ではいろいろな人の訳を調べてみましたが、
かなり違和感が残りました。
私は、李 寧熙さんの解釈に物凄くしっくり納得できました。