今朝の日経新聞の<春秋>欄に書かれていた記事に心が痛んだ。
抜粋を許していただいて、少し綴ってみます。
<例年は耳をふさぐほどのセミの大合唱だったのに、今年は静まり返っていた。
そんな公園が宮城県の海沿いにある。津波が泥を運び、土をかき回し、
塩水がしみこんだ。地中のセミの幼虫はひとたまりもない。
セミは長い年月を土の中で過ごすというからこれから羽化するはずの
何年分もの命が失われたことだろう>とあった。
秋の訪れを知りながらも、連日の残暑にも負けず、どこの場所でも
セミは鳴いていると思っていました。
ましてセミは樹木の多いところで羽化するものと思っていたので、
大震災からは少なくとも逃れられたとも思っていました。
大きな災害、被害は目に映るものだけでなく、
自然界で静かに命を紡いでいる虫たちにも大きな犠牲があったことに
思いいたらなかったことにセミの声をききながら恥じています。
そして春秋の最後には
(大地が回復して蝉しぐれが祝福するのはいつの日か)と問うていました。
毎日配達されている新聞を電子版にかえようかしら、と、思ったことも
ありましたが、こうして手にとって読む新聞の文字にこめられている思いや、
深さを考えるとき、慣れている新聞紙のほうが私にはあっているように
思えてきました。今日の春秋はセミにまつわる話などが掲載されていて、
とても興味深かったので、取り上げさせていただきました。
そして、昨日の夕暮れの富士山を包む茜空を...。