いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<珍しい野菜> あまどころ

2024-08-17 07:27:53 | 珍しい野菜

 「あまどころ」

 「あまどころ」はとっても人気がある山菜の1つで、苦みがありますが、名前の通り、甘みもほのかに感じます。山菜とアスパラガスの中間のような感じです。なんと花が咲くとかわいいので、観葉植物としても人気らしいです。

*https://www.hyponex.co.jp/yasai_daijiten/column/column-3984#toc-5 より

 アマドコロ ほろ苦い「山のアスパラ」

 今回、取り上げるのはアマドコロという春の山菜。旬が短く、産直施設に並ぶようになったのもここ数年のことだ。庄内での認知度は低いが、心待ちにしている人も多い。

 「生えている所の写真も撮るんですか? 教えたくないなあ」。酒田市のみどりの里「山居館」でアマドコロを販売している澁谷政信さん=広野=に電話で取材を申し込むと、苦笑いが聞こえてきた。

 庄内では砂丘地にも自生している「山のアスパラ」とも呼ばれるアマドコロ
 アマドコロはユリ科の多年草で、全国の山林や丘陵地に自生している。若芽はスイセンに似ている感じだ。家族が毎年春に採ってきたのを食べており、親せきにもアマドコロファンがいる。

 「5、6年前にひょんなことから、その存在を知りました。『なんだ、うちの山にもいっぱい生えているやつじゃないか』と思い、産直で売り始めたんです」。澁谷さんがアマドコロとの出合いを語る。

 「教えたくない」と電話口で話した澁谷さんだが、軽トラックで砂丘地の畑に案内してくれた。斜面の所々にアマドコロが見える。群生している場所もある。「最上地方の人たちがよく食べるそうです。この時期になると、浜中から十里塚にかけて、山形ナンバーの車が駐車してあります」。アマドコロを摘み取りながら澁谷さんが話す。

 「外の皮を取ってゆでて食べるのが一般的です。アスパラと同じように、マヨネーズを付けてどうぞ。タマネギとのかき揚げもいいし、マイタケやピーマンなどとのバターいため、豚肉で巻いて焼くのもおすすめです」。下ゆでをすれば、アスパラと同じような使い方ができるようだ。ちなみに、わが家では先の部分は天ぷらにして食べる。

 頂いたアマドコロをゆでて豚肉で巻き、フライパンでいためた。初めてやってみたが、子供たちも違和感なく食べていたので、特有のほのかな苦味は肉類との相性もいいようだ。アマドコロを「山のアスパラ」と呼ぶ人もいるそうだが、なるほどとあらためて納得した。

 澁谷さんを取材後、知り合いの農家に一晩水に漬けると苦味が抜けると聞いた。アマドコロならではの春の香り、苦味が好きな人は異論を唱えるかもしれない。「砂丘の山菜、天気が良ければ1週間で終わってしまいます」と澁谷さんが話す。アマドコロは酒田市山居町一丁目の山居館で販売している。 2010年4月24日付紙面掲載

*https://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/food/nf179.html より

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< 郷土料理 > 群馬 こしね汁

2024-08-17 07:21:45 | 郷土料理

 「こしね汁」

 主な伝承地域 富岡市

 主な使用食材 こんにゃく、しいたけ、ねぎ

 歴史・由来・関連行事
 群馬県の南部にある富岡市は自然豊かな街。赤城山、榛名山とともに上毛三山と呼ばれる妙義山があるほか、市の中心を利根川水系の一級河川・鏑川が流れている。さらに温暖な気候であることから肉や野菜などの農畜産物が美味しく育ち、多くの特産物を輩出している。中でも有名なのが、甘楽・富岡地域で栽培されているこんにゃく、しいたけ、ねぎの3つの野菜だ。からっとした富岡市の天候では、湿気を好まないこんにゃくや原木栽培によるしいたけ、太くて立派な下仁田ねぎなどが良く育つ。そこで富岡市婦人会連合会がこれらの農畜産物がたっぷりと入った汁物の郷土料理を考案。「こんにゃく」「しいたけ」「ねぎ」の頭文字を取り、「こしね汁」と名付けた。

 食習の機会や時季
 世界遺産に登録された富岡製糸場の存在からもわかるように、富岡市はその昔、養蚕の盛んな地域であった。しかし、時代の変化とともに絹製品の消費が少なくなってきたため、代わりに気候を活かした農業が増えていったという。その中でこんにゃくの素となるこんにゃく芋やしいたけの生産が行われるようになり、こしね汁のような郷土料理が作られるようになった。

 飲食方法
 こんにゃく、しいたけ、ねぎの3つを入れることが決まっているが、それ以外に使う野菜や味噌は家庭によって異なる。ごぼうや里芋、ニンジン、豆腐、豚肉など、地域で採れる農畜産物をたっぷりと入れるのがこしね汁。先に火が通りにくい野菜や肉を炒めてからだし汁で煮て、野菜に火が通ったら味噌や醤油で味付けする。さらに油揚げや豆腐、ねぎなどの火が通りやすいものを後で加えて仕上げる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在は家庭料理として親しまれているほか、学校の給食としても提供されている。また、認知度を上げるため、ぐんまの農畜産物を紹介するWebサイト「ぐんまアグリネット」では、大手企業とタイアップしたアレンジレシピを紹介。富岡市で行われている料理教室でも取り上げられている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/32_24_gunma.html より

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<B級ご当地グルメ> 東京 もんじゃ焼き

2024-08-17 07:18:19 | B級ご当地グルメ

 「もんじゃ焼き」

 もんじゃ焼き(もんじゃやき)は、ゆるく水溶きした小麦粉を鉄板で調理して食べる東京発祥のローカルフードである。

 単にもんじゃと呼ぶほか、地域によって異なるさまざまな呼称がある(後述)。

 概要
 いわゆる「粉もの」料理の一つで、小麦粉を水に溶き、鉄板の上に流して焼く料理である。

 お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、加熱後の鉄板上においても糊状で固形化しないのが特徴である。鉄板にへらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する面は黒く焦げるが、内部は柔らかく粘ったままである。

 東京都の下町と埼玉県南部・東部、群馬県東部と栃木県南部に提供する店が多い。

 独特の見た目や食べづらさ、腹持ちの悪さなどから賛否の分かれる料理である。

 歴史
 現在に繋がるもんじゃ焼きのスタイルは戦後の昭和20年代に誕生し、浅草近辺が発祥とされる事が多いようである。この地を基点とする東武鉄道や京成電鉄、旧奥州街道である国道4号、当時まだ盛んであった隅田川の物流などを通して、北関東や千葉方面に伝播したと考えられている(異説もあり。群馬のもんじゃ焼き参照。)。

 文字焼き
  江戸時代や明治時代の江戸・東京に「文字(もんじ)焼き」と称する駄菓子が存在したことが記録に残っている。現在のもんじゃ焼きとは異なる甘い焼き菓子であるが、これが「もんじゃ」の語源となっていることは想像に難くない。敗戦後に小麦粉が配給となった際に、これが糖蜜抜きで復活したという推測は成立する。

 清水晴風の「街の姿」には「文字焼はうどんの粉に蜜を入れて、溶解せしを子供に与え、小なる匙にて文字を書くが如く、自由に銅板の上に垂らせば、直ぐに焼けるを以て文字焼と言う。」と書かれている。また、森銑三の「明治東京逸聞史2」にも「饂飩粉に蜜を加えたものを、銅の板の上で、手ン手に焼いて食べる」とあり、当時の文字焼きは甘味のある煎餅やパンケーキのような食べ物であったことがわかる。

 駄菓子屋ともんじゃ焼き
 東京下町の駄菓子屋には、昭和40年代(1965年 - 1974年)頃までは大抵もんじゃ焼きの鉄板があった。駄菓子屋は子供たちの社交場として機能しており、もんじゃを焼く鉄板上での陣取りはゲーム的要素のある遊びとして親しまれていたという。

 昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、ソースや醤油で味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代になるとキャベツなどの具材が加わるようになり、いわゆる「土手」を作ってから液汁を流し込むという調理手順が誕生した。しかしこの独特の作法が伝搬しなかった地域も少なくなく、近年では「土手を作らない」ことで料理としての独自性を主張する向きもみられる。

 駄菓子屋のもんじゃは下町の子供たちに広く親しまれたが、食文化や嗜好の変化に加え、店主の高齢化に伴う廃業によって平成以降急速に姿を消していった。一方で、もんじゃ焼きは東京の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになり、観光客や昔を懐かしむ世代を対象とする業態に移行したことで単価の上昇を招き、子供たちの小遣いで手の届く価格帯ではなくなってしまった。それでも一部にはまだ昔ながらの安価で提供する駄菓子屋もわずかながら残存している。

 どんどん焼き・お好み焼きとの関係
 大正時代に文字焼きから派生したどんどん焼きが生まれ、そしてどんどん焼きは関西に一銭洋食との名で広まり、それがお好み焼きやたこ焼きに発展していったとする説が従来語られてきたが、それらを再検証した新しい研究成果も発表されている。

 呼称
 東京の年配者の間では「もんじゃ焼き」ではなくもっぱら「もんじゃ」と呼ばれることが多い。仮にこれを「もんじやき」の訛りや省略形と解釈するならば、現在一般的となっている「もんじゃ焼き」という表現は重言となる。

 「もんじゃ」以外の呼び方、同種の料理を指す言葉としては、以下のようなものがある。

 もんじ焼き、もじ焼き
 じじ焼き
 ぼったら焼き、ぼったら、ぼった、ぼってら(足立、荒川、川口、草加など)
 たらし焼き(大洗、秩父など)
 おいの(浦安の一部)
 水焼き

 東京都のもんじゃ焼き
 都内全域に分布しているわけではなく、古くからの店が残るのは墨田区・江東区・台東区・葛飾区・足立区・荒川区等の東京都23区城東地区に限られる。特に観光地として有名なのは、月島と浅草である。近年は山の手方面においてももんじゃ焼きを提供する店は珍しくなくなったが、住民への浸透度は下町に遠く及ばない。そのため東京出身であってももんじゃ焼きに親しみや思い入れのない人は多い。

 月島

 東京都中央区月島の「西仲通り商店街」は「もんじゃ焼きの街」「もんじゃストリート」と呼ばれ観光客で賑わう。月島には現在もんじゃ焼き屋が75店ほどあるが、歴史のある店は数店であり、ほとんどは1980年代後半の「もんじゃブーム」で他の商店からくら替えしたものである。大半の店はもんじゃ焼きだけではなくお好み焼きやその他の鉄板焼きも提供している。「いちごみるくもんじゃ」などアレンジされたもんじゃ焼きを提供している店もある。

 もんじゃ焼きが月島名物になった背景には、1988年6月8日に営団地下鉄有楽町線が開通して利便性が向上したことで地元商店街から銀座など他の街に買い物客が流出するなか、もんじゃ焼き屋だけが売り上げを伸ばしていたことに目を付け、もんじゃ焼き屋に転業する店が増加したことにある。

 群馬県のもんじゃ焼き
 キャベツ以外の具の量は少ない。「発祥地は群馬県であり、特産品のうどんを作った際の余りのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源」としているが、東京の浅草を起点とする東武伊勢崎線により、途中埼玉県に伝播しつつ、群馬に伝わったともされている。伊勢崎市では、子供がおやつ代わりにうどんの打ち粉を水で溶き、醤油を加えて鉄板で焼いたものが「伊勢崎のもんじゃ焼き」のルーツとされる[14]。その当時は貧しい家が多くソースが家庭に無かったため、醤油以外にかき氷に使われるイチゴシロップやカレー粉を入れることがあり、それが現在も隠し味としてイチゴシロップを入れた「あま」、カレー粉を入れた「から」、両方を入れた「あまから」として存在する。

 足利もんじゃ(栃木県のもんじゃ)焼き
 駄菓子屋のもんじゃと同様に、小麦粉と水のみの水気の多いネタを使いクレープのように薄く焼いて食べる。焦がすことはないが、食べた跡を放置して「せんべい」として食すこともある。もんじゃ焼きの語源の一つと言われる「文字焼き」の逸話として「寺子屋で文字を教える際に、薄く焼いた小麦粉の生地に文字を書いた」がある。しかし日本最古の大学、坂東の大学と評された足利学校と関連付けた資料はほとんどない。足利もんじゃには醤油味・ウスターソース味があるが、月星ソース(月星食品)の本社が足利市にあり、昭和後期の太田・佐野・足利周辺のイモ・小麦粉+ウスターソース文化(シュウマイもウスターソースで食す)の影響により、醤油味からウスターソース味が派生したとも考えられる。現存するもんじゃ焼き屋は少なく、その中でも多くは「月島もんじゃ」も扱うが、今でも地域由来の家庭ではこの足利もんじゃをおやつとして出すこともある。

 埼玉県のもんじゃ焼き
 久喜市をはじめ各地で食べられており、1970年(昭和45年)頃の川越では駄菓子屋に鉄板のテーブルがあり、もんじゃ焼きは子供たちのおやつであった。

 また、川口市の幸町、青木町あたりを中心として、1980年代(昭和年間)くらいまでは数店の駄菓子屋で提供されていた。川口においても呼称は『もんじゃ』ではなく、もっぱら『ぼったら』と呼ばれていた。 しかし、店主の高齢化などにより駄菓子屋自体が減少し、今ではほとんど見られなくなった。

 讃岐(香川県)のもんじゃ焼き
 讃岐うどんで有名な香川県には「讃岐のもんじゃ焼き」などと呼ばれる料理がある。具としてご当地グルメの讃岐うどんが入っている事が大きな特徴である。「第二次世界大戦後の食糧難の時期に少量の讃岐うどんでボリュームある料理を作ろうと高松市内の居酒屋が考案した」などとされているが根拠に乏しく、また香川県内での知名度もほとんど無いことから、近年のB級グルメブームに乗って創作されたものと思われる。

 道具
 もんじゃをはがすための「へら」は、「こて」あるいは「はがし」と呼ばれる。幅20 - 30mm、長さ10 - 15cmのステンレス製で、お好み焼き用のヘラよりもかなり小さい。 家庭用のホットプレートなどのコーティングを傷めないように作られた、竹製や木製、ナイロン製の製品も販売されている。

*Wikipedia より

 <うちの郷土料理> 東京都 もんじゃ焼き

 主な伝承地域 月島地区、都内全域

 主な使用食材 小麦粉、キャベツ、紅しょうが、コーン、桜えび、揚げ玉、かつお節、醤油、ウスターソース

 歴史・由来・関連行事
 もんじゃはゆるく水で溶いた小麦粉に具材を混ぜて鉄板で焼き、めいめいのヘラで熱々を食する料理。
 江戸時代末期、月島の駄菓子屋の前で手頃なおやつとして売られていたのが根源である。食料難であった昭和20年代頃、うどん粉を溶いて醤油やシロップを加えたシンプルなもんじゃ焼きが子どもたちに広く親しまれていた。江戸末期から明治にかけては物資が不足していた時代、紙や習字の道具をなかなか手に入れることができなかった子どもたちに、小麦粉を水に溶いた生地で鉄板に文字を書いて教えたり遊んだりしていたことから「文字焼き」と呼ばれ、もじがもんじと転じて「もんじゃ」へ変化していった。戦後の経済成長に伴い、キャベツ、コーンや揚げ玉など具材を入れて進化していったが、同時に子どもたちが親しんできた駄菓子屋は激減してしまう。幼い頃から親しんできた味を残そうと数軒のもんじゃ焼き店が立ち上がり、大人のつまみへと変化を遂げ、現在に至る。
 もんじゃ焼きに必須なのが、鉄板とヘラ。もんじゃ焼きは生地の外側から少しずつすくい、鉄板に押し当てて焦がして食べるのが一般的だが、現在は実にさまざまな具材のバリエーションに富んでおり、様々な味ともんじゃの食感を楽しむことができる。

 食習の機会や時季
 元々は子どものおやつとして食されていたが、月島はもんじゃの町としての知名度を確立しており、家族や友人と楽しんだりと日常的に食される。

 飲食方法
 キャベツと紅しょうがは粗いみじん切りにする。ホールコーンは水けをよくきる。大きめのボウルに水・ウスターソース・かつお節・醤油を入れて混ぜ、薄力粉をふり入れてよく混ぜる。桜えび、揚げ玉を加えてさっと混ぜる。鉄板に230℃に熱してサラダ油をひき、具材を軽く汁けをきってから入れる。具材が少ししんなりするまで軽く炒める。具材を中央に集めてへらで真ん中に穴をあけ、ドーナツ状になるように土手を作る。中央にボウルに残った生地を流し入れ、中央がふつふつして全体に火が通るまで2分ほど焼く。ヘラで全体を混ぜて薄くのばし、3~4分ほど香ばしく焼いて青のりをふる。家庭ではホットプレートでも可能。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 もんじゃ焼きの振興を目的として創立された「月島もんじゃ振興会協同組合」には現在、月島地区のもんじゃ屋54店舗が加盟しており、東京下町月島もんじゃの味を広めながら、毎年「築地もんじゃ秋のありがとうフェア」といったフェアを開催して盛り上げている。加盟店で使える食事券を発行したり、公式キャラクター月島忍者もんにゃんを施したお土産、自宅で作ることができるもんじゃ焼きセットなど、幅広い商品を製造販売している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_3_tokyo.html より

 

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うまいッ! NHK 「夏が旬!うまみギッシリ 大粒岩ガキ〜京都府・舞鶴〜」

2024-08-17 07:01:58 | うまいッ!NHK

 「夏が旬!うまみギッシリ 大粒岩ガキ〜京都府・舞鶴〜」 2020年8月17日

 今回は、夏が旬の岩ガキ。大粒で、濃厚なうまみが自慢の京都・舞鶴産に着目!大粒のカキを育てる秘密とは?地元で人気急上昇!家庭でもすぐに作れるカキ料理も紹介します。

 約60軒の漁業者が岩ガキを養殖している舞鶴市。一つ300gを超える大粒の生食用岩ガキを、年間約25万個出荷しています。今回の食材ハンター・ユージさんは、舞鶴でも特に大粒の岩ガキにこだわって生産する漁業者を訪問。そこには、岩ガキが少しでも大きく育つよう、涙ぐましい地道な作業が続いていました。このほか、舞鶴が養殖岩ガキの一大産地となった驚きの誕生秘話や、地元オススメの岩ガキグルメも続々登場します!

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/XKPQLR8XXZ/ より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「岩ガキ」

 漢字 岩牡蠣、岩牡蛎 Standard Japanese name / Iwagaki
 由来・語源 平瀬與一郎の命名。泥地を好むマガキに対して、岩(磯)などにつくカキ、もしくは岩のようなカキ。

 生態
 雌雄同体の円形に近い大型のカキである。
 春から初夏に産卵期のあるマガキが秋から入荷してきて春に終了するのに対して、産卵期が長く味が落ちないイワガキは春から秋口まで入荷してくる。また夏が旬である。
 殻長20センチを超える。楕円形であることが多いが、付着した岩やコンクリートによって形は様々。岩などにくっつく左の殻の方はふた側(右の殻)よりも大きい。

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%AC%E3%82%AD より

 「丹後の海育成岩がき」

 濃厚でクリーミーな味わい
 カキといえば冬場に鍋やフライで食べるカキが一般的ですが、岩がきは、初夏になると旬を迎えます。生でむき身にレモンをしぼって食べると、濃厚でクリーミーな独特の味わいが口いっぱいに広がります。この味わいが、岩がき人気の源です。4月下旬の出荷を心待ちにしているファンが多くいます。
 さらに、表面を少し炙ると香ばしさと甘さが感じられます。レモン以外に、塩やゴマ油などお好みで生の味が楽しめます。生が苦手の人には、蒸したり、フライにしたり、バター焼きにしても、岩がきの大きさと風味が味わえます。

 舞鶴名物「舞鶴岩がき」丼
 岩がきは、大きさと味わいが特徴。温かいご飯の上に乗った岩がきを頬張ると、口いっぱいにうまみがひろがります。
 「舞鶴岩がき丼」は、「ひとりでも多くの皆さまに『プリプリ』の岩ガキを味わってほしい」をコンセプトに、玉子とじになっていたり、天ぷらやフライになっていたり、いろいろな調理法で岩がきを、バリエーション豊かに楽しんでいただくことができます。
 舞鶴でしか味わうことのできない舞鶴グルメ、「舞鶴岩がき丼」を、ぜひお召し上がりください。


 三方を緑の山々に囲まれた舞鶴湾が育む育成岩がき
 三方を緑の山々に囲まれた舞鶴湾には、ミネラルを含む清水が多く流れ込み、岩がきのエサであるプランクトンを育てます。栄養豊富な舞鶴湾で育った「育成岩がき」は、身が大きく、濃厚な味となります。
 獲る漁業から育てる漁業へ。そして、人の手で養う「養殖」ではなく、まさに自ら育つのが舞鶴湾の「育成岩がき」です。岩がきの”好物“は植物性プランクトン。岩がきは本来、岩にくっついて成長しますが、育成岩がきはいかだから吊り下げて、この植物性プランクトンが多くいる水深で育てるのでエサが豊富なのです。人工的にエサを与えるのではなく、岩がきが育つ環境を整える育成なのです。
 「岩がき」は、「海のミルク」ともいわれるほど、栄養が豊富で、人が必要とする殆どすべての栄養素を含んでいるといわれています。また、消化もよく、他のものと一緒に食べると、その消化も助けるスグレものです。

 身の入りが良くて、商品価値が高い育成岩がき
 育成岩がきは、長さ約10メートルのロープに、あらかじめ体長わずか1㎝内外の岩がきの稚貝を付着させたホタテ貝の貝殻を数個付けて海中に吊るします。
 植物性プランクトンが多くいる水深で育つのでエサが豊富。
 成長すると、天然岩がきよりも殻の大きさに対する身の入りが良くて、商品価値の高い岩がきになります。
 一枚のホタテ貝の貝殻から十数個の岩がきが成長します。これを1個ずつに外していく作業は、熟練の技が必要。付着した貝などを丁寧に取り除きながら、岩がきを1個1個「たがね」を使ってはずしていき、さらに網籠に入れて、エサの多い水深で身を充実させてから出荷します。だから、育成岩がきは品質が特に安定していて、関東方面にもたくさん出荷されるブランド岩がきです。

 「安心・安全」の徹底
 育成岩がきは、生で食べるのが基本。それだけに、「安全・安心」の衛生管理は欠かせません。収穫後は、大きな水槽に岩がきを並べ、殺菌された海水がシャワーのように注ぎ込まれます。岩がきは20時間以上、水槽の中で代謝し、その間に育成場で食べたものを放出してしまうのです。ここで使う海水は、紫外線装置により大腸菌や一般細菌などを処理した海水で、これを出荷まで絶え間なく掛け流して岩がきの浄化を行っています。
 さらに、有毒な「貝毒」が発生していないか、定期的に検査もしています。
 収穫後も安全管理を行うことで、「育成岩がき」は、「漁師が選んだ、本当においしい魚・PRIDE FISH」として、“魚を知り尽くした漁師が選ぶ今一番食べてほしい魚“の一つに選ばれています。

*https://maizuru-sakana.net/brandfish/ikuseiiwagaki/ より

<プライドフィッシュ> 京都-夏 丹後の海育成岩がき

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=bd48b1c3031a7dc22d6e69ca0883f7eb&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTUlQjIlQTklRTMlODElOEMlRTMlODElOEQmcD0x

こちらもご参考に

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<料理用語-和食> 桜蒸し

2024-08-17 06:50:16 | 料理用語

 「桜蒸し」

 桜の葉に白身魚を乗せたり包んだりして蒸す。

 薄紅に染めた道明寺で魚を包むこともある。

 葛餡をかけ、つゆしょうがにて供する。

 また、菊花漬をのせて蒸す飯蒸しも桜蒸しと言う。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/91_H/020.html より

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<難読漢字-鳥類> 鷦鷯

2024-08-17 06:47:57 | 難読漢字

 「鷦鷯 みそさざい」

 ミソサザイ(鷦鷯、三十三才、学名 Troglodytes troglodytes (Linnaeus, 1758))は、スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属に分類される鳥類の1種。

 全長が約11 cm、翼開長が約16 cm。体重7-13g。和名のサザイは、古くは「小さい鳥」を指す「さざき」が転じた。また溝(谷側)の些細の鳥が訛ってミソサザイと呼ばれるようになったとする説がある。

*Wikipedia より

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<異名-スポーツ選手> 浪速の闘犬

2024-08-17 06:43:13 | 異名

 「浪速の闘犬・浪速乃闘拳 亀田興毅」

 亀田 興毅(かめだ こうき、1986年(昭和61年)11月17日 - )は、日本の元プロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。亀田プロモーション代表取締役社長。元WBA世界ライトフライ級王者。元WBC世界フライ級王者。元WBA世界バンタム級レギュラー王者。世界3階級制覇王者。

 亀田三兄弟の長男。

 キャッチコピーは「浪速乃闘拳(なにわのとうけん)」。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> トップを切る など

2024-08-17 06:38:14 | 慣用句・諺

 「トップを切る」

 1 先頭を走る。また、1位になる。

 2 最初に物事を始める。

 

 「咄咄人に逼る-とつとつひとにせまる」

 《「世説新語」排調から》詩文・書画などがすぐれているのに感銘を受けていう語。

 

 「途轍もない-とてつもない」

 途方もない。また、並み外れている。

 

 「迚もじゃないが-とてもじゃないが」

 「とても1」を強めた言い方。-(あとに打消しの表現を伴って用いる)どのようにしても実現しない気持ちを表す。どうしても。とうてい。

 

 「迚ものことに-とてものことに」

 ついでのことに。いっそのこと。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 茨城 森島酒造

2024-08-17 06:29:23 | 日本酒

 「森島酒造」

 Story 1 海をのぞむ小さな蔵の大きな決意。

 その挑戦は、茨城でいちばん海に近い小さな酒蔵から始まります。大きな決意のきっかけとなったのは、東日本大震災でした。

 茨城でいちばん海に近い場所で。
 太平洋に面した茨城県の日立市北部には、小さな海水浴場と漁港を擁する川尻海岸があります。そこから1歩、2歩…と数えていくと、70歩目でたどり着くのが、森島酒造。茨城でもっとも海に近い蔵です。

 あまりに海に近いので「酒づくりに井戸水は使えるのですか?」とよく聞かれますが、敷地内からくみあげている井戸水は、阿武隈山地南端の山々からの豊かな伏流水。硬水であることから日本酒づくりに適しています。日本画の巨匠・横山大観画伯の名を持つ銘酒の酒蔵として、地元の方々から愛されてきました。

 歴史を刻む大谷石の酒蔵。
 森島酒造には幾多の苦境を乗り越えてきた歴史があります。1945年、太平洋戦争の際は、空襲により蔵と家屋を焼失。当時の四代目・森嶋浩一郎が、耐火性に優れ、強固な大谷石を苦心の末に取り寄せ、蔵を建て直すことでただちに酒づくりを再開させたのです。

 そして、2011年。不運にも、さらなる苦難に向き合うことになりました。東日本大震災です。津波の浸水被害からは免れたものの、敷地内を横断する激しい地割れが起こり、出荷を待っていた多くの酒瓶が割れてしまいました。さらに、大谷石蔵の壁にまで大きな亀裂を入れたのです。

 未来のために、くだした決断。
 続く余震のなか、石壁の裂け目から差し込む陽の光。それを見つめていたのは、六代目・正一郎でした。茨城県出身者として初の南部杜氏資格に合格を果たして数年、跡継ぎとして蔵の未来を模索していたところの衝撃的な出来事だったのです。

 突然、つきつけられた厳しい現実。石蔵の完全修復は難しく、移転や廃業も考えましたが、悩んだ末にできる限りの修理を施し、この地で酒づくりを継続することを決意しました。そして歴史を刻んできた石蔵の壁に、森島酒造の復興と飛躍を誓ったのです。

 Story 2 蔵の新しいスタンダードとなる酒を目指して。

 本格始動した、蔵の新しい時代をつくるブランドの構想。試行錯誤のなかで得たのは、たくさんの出会いと気づきでした。

 信じてくれる人たちのために。
 震災から復興していくなかで、蔵の将来のために自分がすべき事は何かと考えた時、思い至ったのは、蔵の代表銘柄に並ぶ、自分のブランドを生み出すということでした。そして大学で学んだ醸造の知識や修行時代に習得した技術をもとに、新たな酒づくりを本格的にスタートさせたのです。

 「とにかく旨い酒をつくりたい。そのためにはつくり手として昨日より今日、今日より明日、努力を惜しまず精進しなければならない。」
 その前向きな姿勢に可能性を感じてくれた県内外の酒屋さんや問屋さんと、新たな出会いと交流が生まれたことは、うれしい変化でした。「旨い酒をつくってくれれば、必ず売るから。」そういって信じてくれる人たちのためにも、必ず結果を出してみせると、改良を重ね続けていきます。

 人生を変えた師との出会い。
 ところが、なかなか納得する味をつくれない日々が続きます。酒屋さんからは「本当にこれで旨いと思っているの?」「本気で酒づくりしてる?」と、厳しい言葉をいただいたことも。つくりを何度も見直し、文献を読みあさりましたが、自分の理想とする味をなかなか醸し出すことができずにいました。

 そんなときに出会ったのが、業界を牽引するある先生です。多くの酒蔵が師事する先生に、なんとかご指導いただけないか。茨城の小さな蔵には難しいことだと思いましたが、その蔵元まで足を運び、酒づくりに縣ける実直な想いを伝えました。そして、ついにご指導の機会を得たのです。

 旨い酒は、ひとりではつくれない。
 先生からご指導いただいたのは、長年の経験に基づく、洗練された酒づくり。それは人の力と和を大切にし、基本に忠実な製法であり、理論に基づく合理的な技術でした。一つひとつの工程を理解していくことで少しずつ疑問は解けていきました。そして、それらと同じくらい、旨い酒をつくるための姿勢や考え方を学ばせていただいたことも、大きな財産になったといえます。

 「家族を大切にしなさい」。それは、忘れられない言葉のひとつ。酒づくりはシーズンが始まれば、蔵につきっきりの生活になります。それに専念できるのは、支えてくれる家族がいるからこそ。旨い酒は杜氏だけでなく、家族、そして社員とともにつくりあげる作品。その大切さに改めて気づき、想いを新たにしたのです。

 Story 3 ついに出荷のとき。まだ、挑戦は終わりません。

 設備や製法をすべて見直し、まっすぐに理想の味を求めて。さらなる可能性を追求し、『森嶋』は進化し続けます。

 自分自身に一石投じ、これまでの設備を一から見直す。
 新たなブランドづくりの道のりは険しく、自分のなかにある酒づくりの常識を一度すべて見直し、自問自答する日々の連続でした。なかでも大きな覚悟を持って刷新したのが、醸造設備です。

 味わいの基礎となる理想の蒸し米をつくるため、四角のこしきを特注。さらに、0.3℃の微細な温度差を見極め、精密な温度管理を行える麹室を整備しました。とくにこだわったのは、冷蔵設備です。発酵過程で生まれる自然で繊細な香味を、そのまま酒にとけこませるために、搾り機を冷蔵室の中に設置。搾った酒の風味を損なわずベストな味わいで愉しんでいただくために、冷蔵タンクや保管庫を一新。「旨い酒をつくりたい」その想いで、気がつけばほとんどの設備が入れ替わり、森島酒造の歴史のなかでも短期間で最大規模の設備導入となりました。

 時代に合う味わいを、基本に忠実な製法で。
 理想の味わいをつくる上でのこだわり。そのひとつが、酒の核ともいえる酒米それぞれの個性を愉しむおいしさを表現することでした。選び抜いたのは、雄町、ひたち錦、山田錦、美山錦の4つ。熟考を重ね、精米歩合も5%刻みに決定(構想当時)。

 さらに、新たな酒づくりをするからには、自分だからできることを追求したい。食事に寄り添うきれいな“透明感”と“フレッシュ”な味わい。そして、口のなかをリセットし、いつまでも飲み続けられる“程良い酸”。自分がつくりたい「時代に合う味わい」は、これだ。そのために取り組んだのが、先生からご指導いただいた基本に忠実な酒づくり。食事に寄り添う面から、香り高すぎず、甘すぎない酒質とするため、あえて伝統的な麹菌と酵母を選択。そして、時間をかけて一つひとつの普遍的な酒づくりの工程を理解し、身体に覚え込ませることによって、はじめてその味わいが表現できる。こうした研鑽を重ね、自分が本当に納得する「時代に合う味わい」に仕上げていきました。

 ブランド名に、決意を込めて。
 構想から約10年の月日を経て、ついに皆さまにお届けできるとき。覚悟を込めて命名したのは、自らの姓『森嶋』。飲む方のなかに新しい気づきがある一杯であってほしい。そして、つくり手である自身にも一石投じる姿勢を忘れずにいたいという想いから、ラベルデザインも実際に震災で崩れ落ちた、大谷石蔵の石片を使用しました。この石片は、どんな困難をも乗り越えていく、森島酒造の不屈の精神のシンボルとして大切にしているものです。

 今まで以上に日本酒の深遠さを感じていただけるような一杯へ。受け継がれてきた150年の伝統を守りながら、『森嶋』はこれからも挑戦と進化を続けます。

 森島酒造 茨城県日立市川尻町1-17-7

 代表銘柄

森嶋25+ SILVER
純米大吟醸[瓶燗火入]要冷蔵
2024年 SAKE COMPETITION
純米大吟醸部門 【第7位】 (GOLD)
2023年12月から2024年2月まで 日本航空( JAL)様 国際線ファーストクラス提供酒
森嶋シリーズは透明感で魅せる、繊細な引き算の酒づくり。
エレガントで洗練された中に、澄み渡るような静寂を感じる、そんな綺麗な味わいを表現しました。

原料米 雄町100%使用
精米歩合 40%
アルコール分 15度(原酒)

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<パリ五輪2024> メダリスト 堀米雄斗

2024-08-17 06:23:04 | パリ五輪2024

 「堀米雄斗」 金-スケートボード・男子ストリート

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1902081-------------------- より

 堀米 雄斗(ほりごめ ゆうと、1999年1月7日 - )は、日本のスケートボード選手。東京都江東区出身。三井住友DSアセットマネジメント所属。一般社団法人ワールドスケートジャパン登録選手。スケートボード日本代表。2021年開催の東京オリンピック スケートボード男子ストリートの初代金メダリスト。2024年開催のパリオリンピック スケートボード男子ストリートの金メダリスト。

*Wikipedia より

 堀米雄斗、瀬戸際から大逆転でパリへ「2年間は本当に地獄だった」「少し光が見えてきた」 読売新聞オンライン 2024/06/24 09:07
 【ブダペスト=井上敬雄】アクションスポーツのパリ五輪予選シリーズ(OQS)第2戦は23日、ブダペストで最終日が行われた。スケートボード男子ストリート決勝は日本勢が表彰台を独占し、東京五輪金メダルの堀米雄斗(三井住友DSアセットマネジメント)が合計283・01点で制し、2大会連続の五輪出場を決めた。14歳の小野寺吟雲が2位、白井空良(ムラサキスポーツ)も3位でパリ五輪代表となった。

 普段はクールな堀米が大きくほえ、板を投げ出した。スケートボード男子ストリート決勝、苦手意識のある45秒間のランを2位で折り返し、迎えたベストトリックの3本目。270度横回転しながらレールに乗る得意の技を繰り出すと、そこからさらにアレンジを加え、板の後端で滑り下りる技を完璧に決めた。劣勢からの大逆転で五輪代表の座をたぐり寄せ、「自分でもびっくり」と繰り返した。

 2022年に始まった代表選考レースでは大苦戦。今回までに出場した大会で表彰台はわずか1回。「2年間は本当に地獄だった。何をやってもうまくいかない。精神的にも苦しい」。5月のOQS第1戦(上海)ではついに予選落ちの屈辱も味わい、最大3枠を争う日本代表で5番手に転落した。一時はパリ行きを諦めかけていたという。

 東京五輪後は周囲の競技レベルが向上し、板を縦横自在に回す小野寺ら年下の選手が台頭し、五輪初代王者の自分が押される格好に。だが、この日、追い込まれた土壇場で本来持っていた勝負師の感覚が目を覚ました。重圧のかかる場面で磨いてきた技の引き出しの多さを披露し、「少し光が見えてきた」と口にした。

 今回は大会途中で左膝を強打。決勝では痛み止めを服用していたことも明かした。逆境に強い王者が連覇を狙うパリへと堂々と乗り込む。(井上敬雄)

*https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240624-OYT1T50030/ より

 

 「短い言葉だけど重い言葉だ」 大逆転金メダル堀米雄斗が残した名言が話題沸騰 「1%」の捉え方で「見える世界は変わる!」 8/14(水) 6:23配信

 パリ五輪のスケートボード男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗が残した名言に反響が広がっている。

 堀米は自身のXを更新し、一言、こう記した。「1%も可能性があるなら」。堀米といえば、ストリート決勝のラスト1本で神がかり的なトリックを決め、7位から大逆転で金メダルを獲得した。「1%しか」ではなく「1%も」ととらえ、可能性を信じたからこそ生まれた結末を証明する言葉といえる。この投稿には瞬く間に反応が相次ぎ、フォロワーからの喝采が寄せられた。

 返信欄には「『1%しか』ととるか『1%も』と捉えるかで見える世界は変わってきますよね!」「1%『も』の考え方、実際に最後に逆転した重みのある言葉ですね」「『1%も可能性があるなら』って、ポジティブな名言ですね!」「『1%も』と思えるポジティブさが素晴らしい」「1%も可能性があるならって言葉凄いな」「短い言葉だけど重い言葉だ」との声があふれた。

 パリ五輪ではアスリートたちが残した言葉が数々の感動を呼んだが、堀米の名言もその一つに加えられそうだ。

THE ANSWER編集部

*https://news.yahoo.co.jp/articles/ad9862d62b6d95e57b6798b57ead6050faf80f25 より

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