いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<珍しい野菜> 山形青菜

2024-08-24 10:35:00 | 珍しい野菜

 「山形青菜(せいさい)|村山地域」

 爽やかな辛味と歯ざわり 山形の漬物用野菜の代表

 青菜は1904年に中国から日本に入り、山形青菜は1908年に奈良県から種子を導入して栽培が始まったとされる。高菜と同じアブラナ科だが一株が500g、丈が70~80cmと大きい。葉は大きなフリルのようにひらひらと元気よく、茎は厚みがあり、漬け込んでも軟化しにくい。シャキシャキとした歯ざわりの良さが特徴。
 青菜は主に内陸地域で作られ、9月上旬に播種し10月下旬から11月にかけ、雪が積もる前に収穫を終える秋野菜だ。収穫は晴れた日を選び、根株から切り取り、そのまま1~3日干す。全体がしんなりしてから、漬物に加工する。
 山形県では独自に改良して作り上げた品種特性を保持するため、かつては他との交雑を避けて、酒田市の飛島の専用畑で採種していたという。

*https://www.yamagata.nmai.org/crops/umaimono/native/yamagata-seisai.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

< 郷土料理 > 埼玉 冷や汁/すったて

2024-08-24 10:28:49 | 郷土料理

 「冷や汁/すったて」

 主な伝承地域 川島町、入間地域、県北

 主な使用食材 野菜

 歴史・由来・関連行事
 それぞれの地域でとれる野菜や魚を使い、日本各地様々な場所で独自に発展してきた郷土食「冷や汁」。中でも埼玉の「冷や汁」は、稲作の裏作として小麦の栽培が広く行われた“うどん文化”のある土地ならではの、うどんのつけ汁として食べられてきた。かつて農作業は手作業が基本だったため、稲作を行う農家では田植えから収穫までの時期はとても忙しく、朝から日暮れまで時間を惜しんで作業に明け暮れていた。農繁期に作るのに手間がかからず、栄養もある「冷や汁」は重宝された。四方を川に囲まれ、肥沃な土地を持つ川島町では、古くから稲作が盛んで、「冷や汁」のことを「すったて」と呼び、農家の定番の食だった。「すったて」とは、野菜などの具材をすりばちですり、「すりたて」を食べていたことに由来する。「冷やし汁」「つったて」とも呼ばれる。

 食習の機会や時季
 収穫したばかりの野菜と、冷たい水を使い仕上げる「冷や汁」は、夏の炎天下で農作業をする人々から親しまれていた料理。タンパク質が豊富で塩分も補給できるみそで味付けし、キュウリや大葉、ミョウガといった夏野菜を加えることで、食の進まない暑い日でもさっぱりと食べられる。

 飲食方法
 すり鉢でごまとみそを合わせて、キュウリや大葉、ミョウガなどの清涼感のある野菜をたっぷりと加えて一緒にする。最後に冷たい水を注いで混ぜる。川島町の「すったて」では、野菜もすり鉢ですり合わせるのが特徴。うどんだけでなく、ご飯に豪快にかける食べ方もある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 農家だけでなく一般家庭の夏の一品として作られる。県内の飲食店では地元の食材を使い、麺やつけ汁に独自のアレンジを加え提供している。川島町のマスコットキャラクター「かわべえ」は、すったて用のすりこぎ棒を持ち、おわんをイメージした服を着ている。 

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/33_3_saitama.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<B級ご当地グルメ> 神奈川 ヨコスカネイビーバーガー

2024-08-24 10:10:12 | B級ご当地グルメ

 「ヨコスカネイビーバーガー」

 YOKOSUKA NAVY BURGER誕生
 米軍基地公開などの際に親しまれている、海軍の伝統的なハンバーガーのレシピが、2008年11月19日に米海軍横須賀基地から横須賀市へ提供されました。
 これは、日本海軍の調理法を用いた「よこすか海軍カレー」が10年を迎えるにあたり、海上自衛隊とともに長く横須賀にある米海軍基地が、本市との友好の象徴として、地元の活性化を共同で推進するために提供されたものです。横須賀市では、このレシピを基にしたハンバーガーを「ヨコスカ ネイビー バーガー」と名づけた新しいグルメブランドとして展開し、横須賀を訪れた方にいつでも本場のハンバーガーを味わっていただけるよう、基地周辺の店舗で販売しています。

 ハンバーガーと横須賀の歴史
 ハンバーガーがアメリカで創作されたのは100年以上前。レストランのテーブルで食べるもよし、外で歩きながら食べてもおいしいと、国内に広まっていきました。 20世紀初めには、米海軍でも24時間交代勤務の見張り要員にハンバーガーと濃いコーヒーとを合わせて提供し始め、栄養価の高いハンバーガーは勤務時に手軽に食べることができる貴重なメニューとなりました。 本場のハンバーガーは牛肉本来の味を損なわないよう、作り方は極めてシンプルですが、米海軍艦船の料理人たちはそれぞれに特色を出すべく隠し味に工夫を凝らし、軍隊食としても発展してきました。 1940年代後半、米海軍から横須賀に様々なアメリカ文化が広がっていく中、ハンバーガーは汐入駅近くにあったEMクラブでビッグバンドジャズの演奏とともに供され、日本でこの新しい食べ物を一般市民が初めて味わう機会となりました。 そのため、今や日本全国で大人気のハンバーガーは横須賀が発祥の地の一つと言えます。 そして、現在、米海軍基地の一般公開では、兵隊やその家族たちによって炭火調理される、本場の大きくて新鮮なハンバーガーが非常に高い人気を博しています。 普段、レストランや家庭で召し上がることの多い、様々な材料やソースを用いたハンバーガーとは一線を画し、米海軍伝統の牛肉本来の味を損なわないシンプルだからこそ奥の深い「NAVY BURGER(ネイビーバーガー)」を、新たに横須賀から全国に発信します。

 在日米海軍司令官からの贈呈文

 YOKOSUKA NAVY BURGERの特徴
 米海軍艦船の見張り要員の食事として提供され始めた、牛肉本来の味を損なわず、極めてシンプルなハンバーガー。 各艦船の料理人がそれぞれ隠し味に工夫を凝らすなどし、軍隊食として発展してきました。 普段召し上がるような、日本人向けに様々な材料やソースを用いたハンバーガーとは違います。 赤味の多い100%牛肉を、肉本来の味を損なわないようシンプルに調理した、まるでステーキをパンではさんだようなビッグなハンバーガーです。 そして、フレッシュオニオンやトマトをトッピングし、本人がケチャップやマスタードを好みでかけて食べる、本場アメリカの伝統的なスタイルです。

*https://www.cocoyoko.net/gourmet/yokosuka_navyburger.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK 「江戸前ずしの代名詞!コハダ〜佐賀・太良町〜」

2024-08-24 08:17:16 | うまいッ!NHK

 「江戸前ずしの代名詞!コハダ〜佐賀・太良町〜」 2020年10月5日

 秋になるとうまいッ!コハダ▽塩と酢でしめて、寝かせて生まれる極上のうまみ▽豊洲市場で取扱量が日本一!投網漁でとる佐賀のコハダ▽すしだけじゃない!驚きのコハダ料理

 有明海は100本以上の川から流れ込んだ豊富な栄養や酸素が、最大6mと日本一の干満差でかき混ぜられ、たくさんのプランクトンが生息。春に生まれ成長したコハダは、今が脂のりが抜群です。コハダ漁に密着すると、魚群探知機で映らないコハダを見つけるワザや、臆病なコハダの群れを一網打尽にする伝統の投網漁のワザが!さらに、「コハダのロールフライ」や「コハダのアヒージョ」など、産地ならではのコハダ料理も登場します!

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/XLQ8MZ461X/ より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「コハダ」

 コノシロ(鰶・鮗・鯯・鱅、学名: Konosirus punctatus)は、ニシン目ニシン科に分類される魚類である。東アジアの内湾に生息する海水魚で、食用に漁獲される。

 出世魚
 成長段階に応じて呼び名が変わる、いわゆる出世魚の一つである。関東地方では4 - 5センチメートルの幼魚をシンコ、7 - 10センチメートルぐらいはコハダ、13センチメートル程度はナカズミ、15センチメートル以上はコノシロとなる。その他の地域での若魚の名前として、ツナシ(関西地方)、ハビロ(佐賀県)、ドロクイ、ジャコ(高知県)などがある。

*Wikipedia より

 【江戸前寿司「全国一」の取扱量】太良の「コハダ」が美しく美味しい件|佐賀

 寿司といえば、今や世界的に最も人気のある伝統料理の一つになったと言っても過言ではない。その本場は日本の江戸、東京。「江戸前寿司」と呼ばれるのが、現在の握り寿司の原点となっている。

 江戸前寿司の代名詞は何か?と聞かれれば、「コハダ」だと断言する職人は多い。みずみずしく輝くその姿は、数ある寿司ダネの中でも特に美しい。このコハダがとりわけ職人たちに愛されている理由は、「寿司になることで初めて旨さの極みに達する」という特性にあるようだ。

 そんな日本を代表する「江戸前寿司」の職人たちを虜にするのが佐賀県のコハダだという噂を耳にした。

 「全国一」の取扱量
 佐賀県太良町で獲れるコハダが関東の市場で「全国一」の取扱量を誇っていることはご存じだろうか?

 太良町は、6m以上という日本一の干満差を持つ有明海に面しており、牡蠣や竹崎カニ、海苔なども豊富に獲れるゆたたりの里と呼ばれている。

 コハダ漁は、年間を通して行われるが、中でも8月上旬に漁獲されるコハダの幼魚シンコは「とても品質が良く、1キロ3万円ほどで取引される」という。

 伝統的な投網漁
 太良町でコハダ漁を営む漁師たちは、伝統的な投網漁にこだわり、その歴史は約50~60年。最も盛んな時期には、20隻ほどが出漁し、1隻に漁師2~3人が乗り込む。

 漁場に近づくと、漁師たちは漁船のエンジンを止め、声を殺し、櫓(ろ)をこいで静かに魚に近づくのだ。水面に目を凝らして魚影を見つけるやいなや、合図し、網を勢いよく投げる。

 放射状に広がる網は水面にふわりと浮かび、その様相はとても美しい。

 網を手で引き上げた後は、銀色に輝くコハダが船上で跳びはねる。

 櫓を漕いで獲るのは、5月中旬から11月初旬まで。水面の温度が引くなる時期は、魚が下に潜るため、目視ではなく魚群探知機で見て獲るという。

 漁師歴23年の寺田さんは、「網漁は様々あると思うが、コハダは特殊。網は独自で手作りしており、長さは8メートル以上、鉛を網の先につけているため重さも大変重い(今回見たのは8キロほど)。潮の動きも天候も、毎日海は違うから簡単に見えるがとても技術がいる漁」と語る。

 普段は、14時頃に出荷し、福岡から空輸で関東の市場へ送っているというコハダ。翌日、酢で締めて江戸前寿司になるというのが通常の流れだが、今日獲ったものを生で食べられる贅沢はここ、太良でしかできないという。

 コハダ女子会って?
 太良のコハダが東京で高級品として扱われている一方、地元佐賀や周辺地域の方にもコハダの美味しさを知って欲しいと活動している方々がいる。

 イベント企画やコハダ料理教室など、様々なコハダの楽しみ方を提案している『竹崎コハダ女子会』なるものがあるということで話を伺った。

 [竹崎コハダ女子会メンバー 舩口さん]

 普段はほとんどが関東に送られてしまうコハダだが、獲れ過ぎた場合に、様々なコハダ料理で漁師の奥様方が家庭料理にしているという。そんな普段からコハダに親しんでいる漁師嫁を中心とした8名(30代~40代)が集り、結成されたのが3年前。

 メインのイベントは、年に1回6月頃に行っている「コハダ食堂」。1日限定でコハダ三昧のご飯を食べてもらうというイベントだ。メニューを伺うと、刺身をはじめ、コハダ押し寿司やつみれ汁、コロッケや天ぷら丼など。親しみがない者からすれば、どれも食べたことがないコハダ料理ばかり。

 基本は、昔から漁師のお母さんたちが作ってきたレシピを受け継いで作っているというメニュー。

 舩口さん
 「それぞれの家庭の味があるので、互いに教えてもらいながらコハダ女子会でもオリジナルメニューができればと研究会をしています。癖が少ないコハダは、和洋中とどんな料理にも合いやすいんです。アヒージョやコハダトーストと言ってパンにすり身をパテのようにして塗ったメニューなど、こんな風にしたら美味しいんじゃない?といった感じで、若いメンバーならではのオシャレなメニューもアレンジして作っていますよ」

 足が早いので、まだまだスーパーで気軽に買える段階には至っていないコハダだが、太良に来てくれた人には、最初は生のお刺身で食べて欲しいと語る舩口さん。

 今までは、コハダというと当たり前に家にあり、魅力を感じていなかった女子会のメンバーたちも、イベントを重ねるたびに「こんなにコハダって美味しいんだ!」といってもらう事で、その価値を再確認するようになってきたという。

 竹崎カニ、竹崎牡蠣に続いて「竹崎コハダ」として県内外問わず、PRしていきたいと意欲をみせるコハダ女子会。

 SNSで活動の発信をしているということなので、気になる方は要チェックだ。

 竹崎コハダ女子会
 Facebook: https://www.facebook.com/kohadajyosikai/
 Instagram: https://www.instagram.com/kohadajyoshikai/

 コハダ実食
 足が早いというコハダ。普段、太良町ではどこで食べることができるのだろうか?

 聞くと、現在は茶寮 海旬、鶴荘、一福荘で食べることができるという。

 ※気候により、獲れない場合もあります。ご了承ください。

 今回は、水揚げしたばかりのコハダを茶寮 海旬さんで調理していただいた。

 「生」のコハダの握り&炙り......これが驚きの美味しさ!歯ごたえが程よくあり、臭みはなく、むしろ甘みが感じられるほど。

 江戸前寿司にない地元ならではの「生」のコハダ握り。これが今日獲ったものを生で食べられる贅沢か!と食べてみて実感した。

 まとめ
 「江戸前寿司のコハダの大部分は佐賀県産」このことで太良町に向かったが、漁の技術の高さと美しさ、コハダの美味しさ、そして竹崎コハダの魅力を通して太良を盛り上げようとする人々の温かさに触れるよい旅となった。まだまだ地元でコハダを食べられる場所は少ないが、需要が増えればこれから取り扱う店舗も増えてくるかもしれない......

 江戸前寿司ももちろん美味しいが、コハダの「生」の美味しさを太良町で味わってみてはいかがだろうか。

 情報
 竹崎港 佐賀県藤津郡太良町大字大浦甲

*https://editors-saga.jp/editors/editorssaga/20191030_775.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 笹作り

2024-08-24 08:01:00 | 料理用語

 「笹作り」

 三枚に卸した魚を斜めにそぎ切りする刺身刀法。
 刺身が笹の葉の形と似たものになる。
 キス、サヨリ、アユなど細長い小魚に用いる。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/91_H/023.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-鳥類> 山雀

2024-08-24 07:59:04 | 難読漢字

 「山雀 やまがら」

 ヤマガラ(山雀、学名:Sittiparus varius)は、スズメ目シジュウカラ科ヤマガラ属に分類される鳥類。

*Wikipedia より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-スポーツ選手> ドリキン

2024-08-24 07:55:08 | 異名

 「ドリキン 土屋圭市」

 土屋 圭市(つちや けいいち、1956年1月30日 - )は、日本の元レーシングドライバー。長野県小県郡東部町(現:東御市)出身。血液型B型。ドリフト走行を多用するそのドライビングスタイルから「ドリキン」(ドリフトキングの略)とも呼ばれる。レーサーとしての経験から、その類の作品に監修として業務することもある。

*Wikipedia より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 途方に暮れる など

2024-08-24 07:49:37 | 慣用句・諺

 「途方に暮れる」

 方法や手段が尽きて、どうしてよいかわからなくなる。

 

 「途方もない」

 1 道理に合わない。とんでもない。途方途轍 (とてつ) もない。

 2 並々でない。ずぬけている。途方途轍もない。

 3 手段が尽きて困り果てる。途方に暮れる。

 

 「とまれかくまれ」

 《「ともあれかくもあれ」の音変化》どうあろうと。

 

 「とまれこうまれ」

 「とまれかくまれ」の音変化。

 

 「富の再分配」

 租税・社会保障・福祉・公共事業などにより、社会の中で富を移転させること。国などが、大企業や富裕層の所得・資産に累進的に課税して得た富を、社会保障・福祉などを通して経済的弱者にもたらす。また、公共事業で雇用を創出し、所得として間接的にもたらすことにもいう。所得再分配。

 

*goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 栃木 飯沼銘醸

2024-08-24 07:42:52 | 日本酒

 「飯沼銘醸」

 ご挨拶
 栃木県の南西に位置する栃木市西方町は、農業を中心とした町で県内有数の米の産地でもあります。自社田をはじめ市内7軒の農家と栃木農業高校で収穫される『山田錦』、『五百万石』、県内で収穫された『ひとごこち』や『夢ささら』を使用、県外では岡山『雄町』、兵庫『愛山』、北海道『きたしずく』『吟風』『彗星』などを使用し醸しています。
 杉並木は県内の米、県酵母のみを使用し飲み飽きのしない優しく辛口の酒をめざし、姿は県内の米はもちろん、県外の米も使用し華やかで旨味のある酒を目指しています。

 酒造りに関しては、良酒は良い環境からとゆう信念から蔵人の『和』を大切にしています。お互いに気配り、助け合いが出来なければ良い酒など出来るはずもないからです。酒質も流行にとらわれず、当蔵ならではの味を求めてまいります。飲んで和む様な酒を醸していきたいと思っております。   代表取締役社長 飯沼 徹典

 飯沼銘醸 栃木県栃木市西方町元850番地

 代表銘柄

杉並木黄雲 純米大吟醸

「杉並木」の由来

「杉並木」の酒銘は、日光杉並木街道に由来し、街道筋には現在も1万3,000本以上が成長を続けており、総延長35kmにも及ぶ並木が残されています。日光例幣使街道に面する西方町は良質な米の産地として、戦前から有名な田園地帯で、水も空気も折紙付きの環境の中に当社は立地しております。その仕込水は男体山を水源とする大谷川の伏流水を使用し、そこで醸されるお酒は、新潟杜氏の技と相まって、スッキリしてしかも味わいのある風味を出しております。
江戸時代、諸国の大名が東照宮に競って、高価な金品を寄進するなかで松平正綱は寛永年間から20余年を費やし、約10万本の植樹を行ったのが「杉並木」の謂れです。

姿 純米大吟醸 無濾過生原酒

姿の由来

真名子の里 真名子の八水のひとつ
八百比丘尼伝説の中で
八重姫が自分の姿を写した池と
伝えられる男丸の鏡水(姿見の池)から
由来しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<パリ五輪2024> メダリスト 藤波朱理

2024-08-24 07:36:45 | パリ五輪2024

 「藤波朱理」 金-レスリング・女子フリースタイル53キロ級

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939711-------------------- より

 藤波 朱理(ふじなみ あかり、2003年11月11日 - )は、日本の女子レスリング選手。三重県四日市市出身。階級は53kg級。身長164cm。兄は2017年の世界選手権フリースタイル74kg級銅メダリストで総合格闘家の藤波勇飛。

 日体大所属。

*Wikipedia より

 

 藤波朱理 父と磨いた“組み手”で憧れの金 レスリング【解説】 2024年8月9日 14時40分  NHK NEWS

 勝ち続けることおよそ7年。

 「自分のいちばんの目標」と言い続けてきたオリンピックの金メダルは、公式戦137連勝目でつかみました。

 憧れのメダルにたどり着けたのは、レスリングの基礎とも言われるある技術を鍛え上げたからでした。

 (スポーツニュース部 記者 持井俊哉)

 “組み手と言えば自分” 
 レスリング女子53キロ級の藤波朱理選手。

 持ち味として知られるのは長い手足を生かした素早いタックルです。

 しかし、強さの秘密はタックルに入る前の技術、「組み手」にあります。

 藤波選手も「組み手と言えば自分です。一番得意としているところで手のひらで相手の動きがわかるくらい組み手に重きを置いてやってきた」と話すなど常にこだわってきました。

 「組み手」とは
 「組み手」は相手を押したり、腕をつかんだりして、ポイントを奪うためのチャンスを作るだけでなく、相手の攻撃を防ぐためにも使われる技術です。

 オリンピック4連覇の伊調馨さんが名手として知られますが「言語化するのも具体的に教えるのも難しい」と言うほどで、基礎でありながら奥深い技術です。

 父のもとで徹底的に技術磨く 

 その組み手は4歳でレスリングを始めてから父の俊一さんの指導を受け、徹底的に磨かれてきました。

 俊一さんから言われたのは「触り続けること」。

 練習や試合でも相手と距離を取るのではなく、なるべく相手に触れながら有効な組み手を探ってきました。

 練習していない時にも海外の選手の動画を見ながら研究を怠りませんでしたが「レスリングが好きだから」とそうした時間も苦にならなかったといいます。

 レジェンドからの指導でさらなる飛躍 

 日本体育大学に進学後に伊調さんと出会ったことも、さらなる飛躍につながりました。

 スパーリングで相手をしてもらいながら世界でトップに立った先輩の技術を体で学んでいきました。

 そのレベルは伊調さんが「朱理の間合いに入ってしまったら絶対にやられてしまう」と舌を巻くほどにまで達していて、その後、数々のタイトルを手にすると、去年6月の全日本選抜選手権ではオリンピック3連覇を果たした吉田沙保里さんの119連勝を超えました。

 けがでどん底に 
 去年の世界選手権を制し、パリオリンピックへの切符をつかむとことし1月には連勝記録を「133」にまで伸ばし、順風満帆かと思われました。

 しかし、ことし3月、練習中に左ひじを脱臼。

 じん帯を損傷して手術を受けることになり、「ひじの痛みもそうだが、心の痛みも過去最大だった」とこれまで感じたことのないほどのどん底に沈んだと言います。

 その苦境を救ってくれたのも家族でした。

 大学進学後は俊一さんと2人暮らしをしていましたが、母の千夏さんが上京してサポート。

 リハビリに付き添ってもらったり一緒にパリ大会の決勝の日までをカウントダウンするカレンダーを作ったりして不安を和らげてもらったといいます。

 家族とともに 夢の舞台へ

 5月に本格的に練習を再開し、その後、実戦を積めないまま臨んだオリンピック。

 それでも「けがをはじめ、ここに来るまでいろんなことがあったけれどそれを乗り越えながらやってきた姿を見せたい。16年間やってきたことすべてを出して絶対に金メダルを獲得する」と吹っ切れた状態でパリのマットに上がりました。

 順当に勝ち上がり、決勝の観客席には母や祖母を始め藤波選手を応援する多くの人の姿がありました。

 支えてくれた人たちの姿を見て「目に焼き付ける。パワーに変える」とうなずいた藤波選手はセコンドを務める俊一さんと一緒に入場しました。

 そしてつかんだ金 

 迎えた決勝の相手、エクアドルの選手は去年の世界選手権で唯一、藤波選手からポイントを奪った相手です。

 開始直後から激しい組み手争いとなりますが、40秒すぎには左から相手のバランスを崩して2ポイントを奪うと、その後も組み手争いで優位に立ち、相手の動きを冷静に読んでタックルを防いだり、鋭いタックルに入ったりして次々とポイントを重ねました。

 後半も組み手から相手を崩してポイントを重ね、気付けば10対0と圧勝。

 憧れの金メダルを圧倒的な強さでつかみました。

 勝利が告げられると俊一さんに飛びついて抱きつき「ぶつかり合うことやけんかすることも多かったが、父がいなければここにはいないので、一番感謝したい存在」と喜びを爆発させました。

 そして、観客席にいた母と祖母とも抱擁を交わし、「間違いなく今までで一番幸せ」とも話しました。

 これからも強さ見せ続ける 
 組み手の深奥を探り続けて憧れの金メダルにたどりついた藤波選手。

 「これからの藤波朱理にも注目してほしい」と、パリオリンピックが終わってもその類いまれな強さを見せ続けることを最高の笑顔で誓いました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240809/k10014543571000.html より 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする