「エルバステラ」 エルバステラ イタリア野菜 山形河北産
イタリア語で「星の草」という意味の名前の野菜です。サクサクとした食感で、イタリアではサラダやピザのトッピングに使うようです。
*https://www.hyponex.co.jp/yasai_daijiten/column/column-3984#toc-14 より
「エルバステラ」 エルバステラ イタリア野菜 山形河北産
イタリア語で「星の草」という意味の名前の野菜です。サクサクとした食感で、イタリアではサラダやピザのトッピングに使うようです。
*https://www.hyponex.co.jp/yasai_daijiten/column/column-3984#toc-14 より
「かてめし」
主な伝承地域 秩父地方、さいたま市、比企郡、入間地域
主な使用食材 ご飯、野菜
歴史・由来・関連行事
秩父地方を中心に埼玉県の郷土料理として定着している「かてめし」。特に米の生産量が比較的少ない地域で、ご飯の量を増やすために具材を加えたことからできた料理とされる。稲作に不適な地域では米を主食とすることが難しく、また稲作に適した地域でも、小作農にとって米は地主への地代として貴重な換金作物であった。そのため、冠婚葬祭用の米を取り分けたら残りは売ることが多かったと言われている。余ったくず米のかさを増やして食すために、大根やイモなどの味付けをして煮た野菜を加える料理ができた。埼玉県北部の給食で提供される「かてめし」は酢飯に地域の食材を混ぜ、さいたま市などの南部では、ご飯や薄茶飯に里芋の茎を乾燥させた「ずいき」を使った具を混ぜ込む。秩父地方でも、ご飯に「ずいき」を入れるのが定番。地域や家庭によってご飯の味や具材が異なるのが特徴だ。「かてめし」は家庭料理として親しまれているが、農家にとってハレの日の調味料である醤油を使っていたことから、ハレの日に食べられることも多かったことがわかる。ハレの日に食す飯物としては、五目ちらしよりもよく作られたとされる。特に都市部では、すしと同じようにハレの日に食べられていた。
食習の機会や時季
1月の「山の神」(山仕事をせず山に立ち入らない日)、桃の節句、八十八夜、お盆の入り、恵比寿様の日などの行事食として作られることが多い。
飲食方法
水で戻した干しシイタケやずいき、ニンジン、ダイコンなどの野菜と油揚げやしらたきを炒め、醤油やみりん、酒、砂糖で煮る。炊き上がったご飯、または酢飯、茶飯に煮ておいた具材を混ぜ合わせる。秩父地方では、山菜を加えた「山菜かてめし」の味が伝わっている。
保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
家庭で一般的に作られるほか、県内の飲食店でも味わえる。
*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/33_6_saitama.html より
「家系ラーメン」
家系ラーメン(いえけいラーメン)あるいは横浜家系ラーメン(よこはまいえけいラーメン)は、神奈川県横浜市のラーメン店・吉村家(1974年創業)を源流とするラーメン店の店舗群、あるいは吉村家に類似する濃厚な豚骨醤油ラーメンのジャンルを指す名称。
概要
豚骨や鶏ガラから取った出汁に醤油のタレを混ぜた豚骨醤油ベースのスープ、太い中華麺と鶏油に、ホウレンソウ、チャーシュー、海苔のトッピングで構成される。麺の硬さや油の量、味の濃さを好みに応じて調整してもらえるのが一般的である。
元々は吉村家からのれん分けおよび派生したラーメン店により広まったもので、屋号に「〜家」(~や)が多かったことから、家系(いえけい)という通称で呼ばれるようになった。吉村家の流派に属せず独自展開した店もあり、壱六家の流れをくむ店は「壱系」とも呼ばれる。さらには、2010年代中ごろからは大手外食産業が吉村家やその他の家系店舗とは全く無関係に同系統のラーメンを提供するチェーン店が増加し、これらは「資本系」と呼ばれる。「資本系」の店舗の多くはセントラルキッチンで作られた既成スープを各店舗に持ち込んでラーメンを作っており、大量の豚ガラ、鶏ガラを常に炊き続けることによってできるフレッシュなスープを提供する吉村家の系譜をたどる個人店舗とは味が異なると言われている。
家系ラーメンを出す店は、2013年9月時点で日本とアジアを中心に約1000店舗あるとされ、そのうち横浜市内には約150店舗あるという(「神奈川のラーメンを盛り上げよう!会」調べ。店舗の入れ替わりが激しいため正確な数値は不明)。ただし、そのほとんどが「資本系」によるフランチャイズチェーン店で、本来の吉村家の流れを汲む店舗群はごくわずかであり、逆に「資本系」との差別化を図るために、吉村家およびその暖簾分け店で修行したにもかかわらず「~家」を名乗らない独立店主も少なくない。横浜市内でも、元祖家系の吉村家がある横浜駅西口方面がラーメン屋(家系に限らず)の激戦区として際立っている。
かつて「吉村家」「本牧家」「六角家」の3屋号が「家系ラーメン御三家」と呼ばれていた。
歴史
「吉村家」および「六角家 (ラーメン店)」も参照
黎明期
吉村家創始者の吉村実は、宮大工や床屋の見習いなど、様々な職を転々とした後、長距離トラックの運転手を務めていた。吉村はある日「九州の豚骨と東京の醤油を混ぜたらうまいんじゃないか」と思い立ち、京浜トラックターミナル(東京都大田区平和島)にあった「ラーメンショップ」を半年間手伝った後、1974年9月に横浜市磯子区の新杉田駅近くに吉村家を開店した。
店舗が磯子産業道路に面しており、石川島播磨重工業(現・IHI)をはじめとする工場密集地帯という立地だったことから、京浜工業地帯で働く工場労働者やトラック運転手の間で評判になり広まった。
その後、吉村は本牧家を開店したが、ここで店長を務めていた神藤隆が1988年に独立して東白楽駅近くに六角家を開業し、他の弟子たちも本牧家を辞めたため、怒った吉村は本牧家を一時営業中止し新聞沙汰にもなった。
第一次ブーム
1994年3月の新横浜ラーメン博物館の開業から2003年5月まで、「六角家」が地元横浜代表のラーメンとして出店していた。また、本牧家や六角家にいた近藤健一が関わった横濱家などは、横浜市北部でチェーン展開し、さらには「吉村家」の流れをくむ弟子や孫弟子の店が神奈川県を中心に広がり、横浜において一大流派を築いていった。
「資本系」・「工場系」の台頭と家系の「ジャンル化」
その後、2000年頃から「~家」の屋号を名乗りながら、吉村家や六角家等とは無関係に濃厚な豚骨醤油ラーメンを提供するチェーン店(いわゆる「資本系」や「工場系」)が増加し、各チェーンが急速に店舗網を増やすことで全国に広まり、「家系」が「横浜発祥の豚骨醤油ラーメン」の一ジャンルを指す言葉として定着していった。
一方、六角家は店主の体調不良と経営難から自己破産の憂き目に遭ったものの、吉村家は1999年に西区南幸(横浜駅西口)に移転、吉村が75歳を迎えた2023年には近くの西区岡野に自社ビルを建設し「家系総本山 吉村家」として再移転、吉村が変わらず朝の仕込みを行っている。
特徴
屋号
「○○家」と書かれることが多い。
麺
太いストレート麺。モチモチとした独特の食感を持つ。他の中華麺より短く、コシが強い。家系ラーメン店では製麺所の名が入った麺箱が店頭や店内に積まれることが多く、そこからどこの製麺所の麺を使用しているかを知ることができる。
酒井製麺 - 東京都大田区
元はうどんの製麺所。1日約3万玉の麺を生産し、全国約150の家系ラーメン店に卸す。家系の麺を作るようになったのは吉村が独立する際に依頼を受けたことからで、吉村家直系店や吉村家で修業して独立した店舗など、吉村家の流れを汲んだ店にしか卸していないという。
丸山製麺所 - 横浜市中区山田町
大橋製麺所 - 川崎市幸区南幸町
大橋製麺多摩 - 川崎市多摩区宿河原
長多屋製麺 - 横浜市南区二葉町
増田製麺 - 神奈川県横須賀市平作
三河屋製麺 - 東京都東久留米市八幡町
具材
ネギ、チャーシュー、海苔、ホウレンソウなどがある。みじん切りした生のタマネギがカウンターにあるのも主な特徴で、その他ニンニク、ゴマ、酢などが常備され、自由に使える。
湯切り
麺の湯切りは、いわゆる「テボ」とよばれる深ザルではなく、平ザルをほぼ直角に曲げて変形したザルでする店が多い。家系の湯切りは一人前になるだけでも4、5年かかるとされる。
味のカスタマイズ
注文時に「麺の硬さ(硬め・普通・柔らかめ)」「味の濃さ(濃いめ・普通・薄め)」「油の量(多め・普通・少なめ)」を選択できる店舗が多い。
ライス
家系ラーメンではライスと合わせる客も多い。そのためライスを無料サービスする店舗やライスおかわり自由としている店舗もある。ラーメンと合わせた食べ方を具体的に案内している店もある。ライス無料を定着化させたのは、新中野に本店を構える武蔵家(吉祥寺に本店を構える吉祥寺武蔵家とは異なる)であり、武蔵家、武蔵家の姉妹店、また武蔵家をルーツに持つ店の多くがライス無料食べ放題である。
*Wikipedia より
*「吉村家」のラーメン
*Wikipedia より
「鮮やか緑!香りさわやか! ゆずこしょう〜宮崎・西米良村〜」 2020年10月26日
地鶏焼きに!刺身に!豆腐に!みそ汁にも!九州の人たちがこよなく愛する万能調味料!ゆずこしょう▽青ゆずの色と香りを生かす技▽パスタや中華にも!?ゆずこしょう料理
鮮やかな緑、さわやかな香りの「ゆずこしょう」。青ゆずの皮と青とうがらし、塩だけで作るシンプルな調味料ですが、地鶏焼き、刺身、豆腐、みそ汁にまで使うほど、九州の人たちがこよなく愛する万能調味料です。タレントの松井絵里奈さんが宮崎県西米良村を訪ね、青ゆずの色と香りを生かす生産者の技や愛情を実感!さらに、「カルボナーラ」や「マーボー豆腐」に、ゆずこしょうを加えるだけで、いつもの料理が大変身!必見です!
*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/21Z1G7PV4Y/ より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「ゆずこしょう」
柚子胡椒(ゆずこしょう、ゆずごしょう、ゆずごじょう)は、唐辛子とユズとを原料とする調味料の一種。
概要
唐辛子を粗刻みにし、ユズの果皮と塩を入れて磨り潰し、熟成させたものである。九州では一般的な調味料として多くの料理で使用される。九州のほか、ユズの産地である徳島県木頭村(現:那賀町)や高知県でも製造されている。
名称の「胡椒」は唐辛子を意味する長崎方言で、ここでは一般的なコショウではなく唐辛子の事を指している。なお、コショウは「洋胡椒」と呼んで区別する。
唐辛子は青唐辛子を用いるのが一般的であるが、佐賀県・長崎県では赤唐辛子のものもあり、青唐辛子よりまろやかである。青唐辛子と青柚子なら緑色、赤唐辛子と黄柚子なら朱色の柚子胡椒に仕上がる。一般的に緑色の物は辛味が強く、赤色の物は香りが強い。地元では鍋料理や味噌汁、刺身などの薬味として用いられるが、他地域に知られるようになってからは、より多様な使い方をされるようになっている。(後述)
発祥は、農林水産省のサイトなどによると旧豊前国の山である英彦山周辺の山伏の保存食とされるほか、大分県日田市天瀬町(旧豊後国日田郡天瀬町等)とする説など、福岡県と大分県に跨る英彦山近隣を発祥地とする説が存在している。福岡県田川郡添田町(旧豊前国)では経済産業省所管の法令に基づいて地域産業資源として指定されている。柚子胡椒の商品としての販売は、福岡県田川郡添田町の会社によって1950年(昭和25年)から行われている。 大分県日田市では、津江地域(旧前津江村、中津江村、上津江村)を中心に柚子の栽培が盛んであり、旧天瀬町や津江地域では古く[いつ?]から家庭で柚子胡椒が作られていたとされる。
九州で主に使われていたが2000年代に入り全国的な知名度が向上し、一般的なスーパーなどでも販売されるほどになった。
製造例
青い柚子の皮を薄くむき、細かくみじん切りにする。柚子の実は後ほど使用。
種を取り除いた青唐辛子を、細かくみじん切りにする。
すり鉢で、みじん切りにした青唐辛子と柚子の皮をすりつぶす。完全にすりつぶさないことで風味を活かす。
塩を加え、味を調える。また、柚子の実の部分を搾った果汁を適量加える。
消毒済みのビンや密閉容器などに移し、冷蔵庫で保存する。
唐辛子については、青唐辛子の代わりに赤唐辛子を使用することもある。一般に青唐辛子を使う場合は青い柚子の皮を、赤唐辛子を使う場合は黄色い柚子の皮を使用する。
上記の作り方の場合、日持ちは塩加減に依存する。通常は少量ずつ作り、1週間程度で使い切ることを想定している。
利用
和風の鍋料理や汁物をはじめ、刺身、天ぷら、焼き鳥、豆腐などの和風料理の薬味として用いられることが多い。また、九州以外の地域で入手が容易になったこともあり、たとえば、スパゲティ、サラダドレッシング、豚カツ、ラーメン、焼売などのさまざまな料理に用いられるようになっている。
加工食品では、鶏肉の燻製、炭火焼などに柚子胡椒を加えているものが、九州を中心に製造、販売されている。
また、以下のようなスナック菓子やチョコレート菓子も販売されている。スナック菓子は水分を減らす必要があるため、ゆずパウダーや唐辛子パウダーを組み合わせて風味を出し、柚子胡椒は使っていないことが多い。
堅あげポテト ゆずこしょう味 - ポテトチップス、カルビー、期間限定
かっぱえびせん 柚子こしょう味 - カルビー、期間限定
プリッツ ゆずこしょう味 - 江崎グリコ、九州限定
カールスティック 柚子胡椒味 - 明治製菓、西日本限定
亀田の柿の種柚子こしょう - 亀田製菓、期間限定
キットカット 柚子こしょう - ネスレ、九州限定
*Wikipedia より
桃源郷 米良の里
宮崎県の山深い九州中央山地の中に静かにたたずむ西米良村(にしめらそん)は、急峻な山々が続き、清流一ツ瀬川が谷筋を縦横無尽に流れる桃源郷です。
米良の里”と呼ぶ美しいこの西米良村で、農家の方が大切に育てた香り高い『柚子(ゆず)』を使用した品々を製造販売しております。
西米良村の自然豊かな滋味の詰まった商品の数々をお楽しみください。
ゆずこしょう青 50g
宮崎県産の青ゆず皮と九州産の青唐辛子を食塩で丁寧に混ぜ合わせた自慢のゆずこしょうです。
汁物や焼き物等の薬味として、また、料理の調味料として幅広くご利用頂けます。
ゆずこしょう 50g 赤
宮崎県産の黄ゆずと赤唐辛子を食塩で練り合わせました。
汁物、焼き物など薬味として、また料理の調味料として多様にご利用頂けます。
有限会社米良食品(めらしょくひん) 宮崎県児湯郡西米良村大字板谷409
「さしこみ」
汁の実で、「あしらい」のひとつ。
主役の「椀種」にそえる椀づまの、青みでないものを「さしこみ」と言う。
【椀種】【椀づま(さしこみ+青み)】【吸い口】が、基本的な汁の実である。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/91_H/025.html より
「百合鴎 ゆりかもめ」
ユリカモメ (百合鴎、学名:Chroicocephalus ridibundus)は、チドリ目カモメ科に分類される鳥類の一種である。
*Wikipedia より
ゆりかもめの名前の由来としては、「ユリ」は海岸の入江で見かけることが多く“入り”が文字って付けられたといわれているほか、ユリのような美しい印象があるからだとも言われており、正確なところはわかりません。
*https://rescue.epark.jp/columns/gaityou-gaiju/gaityou/845 より
「雨柳さん 青柳晃洋」
青柳 晃洋(あおやぎ こうよう、1993年12月11日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。
2021年開催の東京オリンピック野球金メダリスト。NPB史上初の2年連続最多勝・最高勝率の同時獲得者。
いわゆる『雨男』であり、自身が先発予定の日に限って天候不良であることが多く、幾度となく自身の先発機会を流している。2021年5月20日の試合も先発予定であったがこれも中止となり、この時点で自身が先発予定としていた試合が雨天中止となったのが通算11度目となり、予告先発が始まった2012年以降ではランディ・メッセンジャーに並び球団トップとなった。球団側も、これにあやかり「『雨柳さん』フェイスタオル」グッズを販売しているほどである。その後、2022年5月13日の先発予定であった試合が中止となり、通算12度目で単独トップとなってしまった。
*Wikipedia より
「虎になる」
酔って怖いもの知らずになる。酔ってあばれる。また、泥酔する。
「取らぬ狸の皮算用」
まだ捕まえてもいない狸の皮を売ることを考えること。手に入るかどうかわからないものを当てにして計画を立てることのたとえ。
「虎の威を借る狐」
《「戦国策」楚策から》他の権勢に頼って威張る小人 (しょうじん) のたとえ。
「虎の尾を踏む」
《「易経」履卦から》非常に危険なことをすることのたとえ。虎の口へ手を入れる。
「虎の皮の褌」
1 鬼や雷神などが、腰に着けているという虎の皮で作ったふんどし。
2 「取らぬ狸 (たぬき) の皮算用」にかけて、そうはうまくいかない、の意をしゃれていう言葉。
*goo辞書 より
「宇都宮酒造」
まごころ一献。
旨い酒は、蔵人の心意気が造る。
創業1871年。先人たちが血と汗を流して辿りついた、日本酒造りの技を謙虚な気持ちで受け継ぎ、米から醸す日本酒の良さを多くの人に知っていただけるように。私たち宇都宮酒造は、これからも旨い酒を追求し続けます。
酒造りへのこだわり We are committed to making sake
天と地の恵みで醸し出される日本酒。こだわり抜いた「水」 「米」 「酵母」。 そして蔵人の技術と想いが、その味わいを豊かに造りあげます。
宇都宮酒造 栃木県宇都宮市柳田町248
代表銘柄
栃木・あさひの夢 等 65%
alc15% 日本酒度+1.0 酸度1.4 協会7号酵母
<特徴>
やや辛口・濃醇
やわらかさと、まろやかな旨味はぬる燗でも美味しく飲んで頂けます。
IWC普通酒部門Gold受賞酒
「鏡優翔」 金-レスリング・女子フリースタイル76キロ級
*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939701-------------------- より
鏡 優翔(かがみ ゆうか、2001年9月14日 - )は、日本の女子レスリング選手。山形県山形市出身。階級は76kg級。身長167cm。パリオリンピック金メダリスト。
サントリー所属。
*Wikipedia より
衝撃事実...レスリング鏡優翔「目折れてました!そりゃ痛かったわけだ!」 パリ五輪は負傷したまま金 SNSでは「根性ありすぎでしょ」の声 8/24(土) 18:26配信 日テレNEWS NNN
パリ五輪のレスリング女子フリースタイル76キロ級で金メダルを獲得した鏡優翔選手が自身のXを更新。大会中に負傷していた目について、「目折れてました!」と状態を明かしました。
パリの地で女子の最重量級である階級で日本史上初の金メダルを獲得。
偉業を成し遂げた鏡選手でしたが、21日には「実はオリンピックの1回戦で相手の頭が激突して以来右目左右が見えにくいのを、やっと公に告白して、やっと明日病院に行きます」と明かしていました。
23日に改めてその検査結果をXに投稿。
「目が折れました!そりゃ痛かったわけだ!でも眼球は全く異常なしだったので大丈夫です たくさんの方に心配していただいて幸せ者だなとあらためて感じました ありがとうございます 目の骨が折れたのに頑張った自分をしばらく褒めたいと思います」
具体的な骨折の内容には言及しませんでしたが、“大丈夫”と報告しています。
これには「そんな状態で決勝戦まで戦ったなんて…」「優翔さん根性ありすぎでしょ」「眼球に異常無くて良かったです」「いっぱいご自身を褒めてあげて下さい。お大事に」など驚きとエールの言葉が寄せられました。
*https://news.yahoo.co.jp/articles/6a5795dabf4c472626cf8253524536ccd3f16a15 より
“常識なんて打ち破れ”レスリング 金メダル 鏡優翔【解説】 2024年8月12日 10時01分
20年間、日本勢が越えられなかった女子最重量級の金メダルへの壁。
パリオリンピック、レスリング女子76キロ級で金メダルを獲得した鏡優翔(かがみ・ゆうか)選手は、鍛え上げた「高速タックル」で、その壁を打ち破りました。 (スポーツニュース部 記者 持井俊哉)
今大会のレスリングは出場した13人中11人がメダルを獲得し、金メダルは過去最多となる8個。記事後半では、その強さの要因について解説しています。
【解説】レスリング 金メダル過去最多8個 “強化が結実”
「まさに壁のよう」
レスリング女子が正式種目として採用された2004年のアテネ大会から、日本が唯一金メダルを獲得できていなかったのが最重量級でした。
この階級は力自慢どうしががっぷりと組み合い、じっくりと重さをかけ合う戦い方が特徴です。タックルを仕掛けるのも簡単ではなく、アテネ、北京と2大会連続で銅メダルを獲得した浜口京子さんですら、タックルを投げ返されたりつぶされたりするなど、厳しい戦いを強いられてきました。
浜口京子さん
「海外の選手は体も大きくてまさに壁のように感じる。タックルにいって勝つのは非常にリスクがある」
常識なんて 倒してしまえ
そんな“常識”をものともせず頭角を現したのが、鏡選手でした。
2023年 世界選手権
日本勢20年ぶりとなる女子最重量級の金メダル獲得を果たした去年の世界選手権。鏡選手は全ポイントの70%をタックルを起点に奪い、関係者を驚かせました。
小学1年生のころからレスリングを始めた鏡選手は、タックルで相手を倒すことに魅力を感じていたといいます。
鏡優翔 選手
「昔からタックルで勝ってきたので、タックルでしか勝てないと思っている」
みずからのタックルを磨いて数々のタイトルを手にし、最重量級になっても、その姿勢は変わりませんでした。
リスクをものともしないタックルを磨く
腕の長さやパワーで劣勢に立たされることが多い海外勢を相手にタックルで勝つために、特に磨いてきたのがスピードです。
スパーリングの相手に男子の軽量級選手を選んでは相手の足元に飛び込むことを繰り返したほか、専属のトレーナーのもと筋力トレーニングにも励みました。
技術は東洋大学時代からの恩師・前田翔吾コーチに指導を仰ぎ、相手の骨格に合わせたタックルの入り方や、入ったあとに返し技を受けない体の動かし方など、細かい部分まで突き詰めてきました。
「タックルに入るときに光が見えるようになった」
そう言うほどの自信を示すようになり、パリに向けて準備は整った…かと思われました。
大会直前で大けが
ことし5月、右ひざのじん帯を損傷。マットに上がることすらできなくなりました。
底抜けに明るい性格の鏡選手も「さすがに落ち込みました」と肩を落としましたが
「この経験も、金メダルを取るために必要なこと」
前向きに受け止め、上半身のトレーニングなど、できることに全力で取り組んできました。
パリで見せた“自慢のタックル”
大会の直前に実戦を積めないまま、ぶっつけ本番とも言える初めての大舞台に臨んだ鏡選手。それでも、タックルの切れ味は一切鈍っていませんでした。
順当に勝ち進むと、日本の先輩たちが立つことすらできなかった決勝に進みました。
決勝では鏡選手が大好きな「ひまわり」を身につけて家族や仲間が観客席から声援を送るのを見て、笑顔で手を振りながら入場しました。
対戦するのは1メートル80センチを超えるアメリカの選手。
身長差は10センチ以上。リーチがある相手に序盤は果敢にひざから下をねらってタックルにいきますが、そのまま上から覆いかぶさられてポイントにつなげることができません。
それでも徹底した低い構えからフェイントを仕掛けたり圧力をかけたりして、徐々に相手の構えを崩していきました。
1対1で迎えた後半、組み合った状態から一瞬の隙を突き、ここは相手の太もも部分を狙って高速のタックル。場外際でしたがうまく相手の体を返して2ポイントを奪いました。その後も冷静に相手の動きを読んでリードを保ち、勝利を収めました。
勝利が決まると、セコンドについた前田コーチを肩車してウイニングラン。
「タックルで勝つために練習をしてきた。諦めずに練習してきてよかった」と努力の成果を示しました。
日本の偉大な先輩が誰もたどり着けなかった史上初の最重量級の頂点。それは日本レスリングにとって過去最多を更新する8個目の金メダルも意味しました。
100年ぶりの開催となった花の都・パリでのオリンピックで大好きな「ひまわり」のように明るい笑顔で有終の美を飾った鏡選手。
“常識”破りとも言われるほどに鍛えあげたタックルで、日本のレスリングの歴史にその名を刻みました。
*https://news.yahoo.co.jp/articles/6a5795dabf4c472626cf8253524536ccd3f16a15 より