「東京無地染」
求めていた色はすべて、自然界にあった。
無地染とは、一反(13メートル弱)の白い生地を顧客の好みの色に染める、最も基本的な染色法である。色見本は微妙な濃淡の違いも含めて百七十色あり、柄や厚さが異なる生地にオーダー通りの色を再現することは容易ではない。目安となる色の設計図はなく、職人は基本となる五色の染料を混ぜ合わせ、理想の色に近づけていく。色彩感覚を研ぎ澄ませるために体調を整え、作業中は集中力を途切れさせないために来客の応対もしないという。古代の草木染めに始まる無地染は、自然界の色彩を衣服に映し込む技だといえる。ナチュラルな色合いは飽きがこず、品の良さを特徴とする。一度染めた無地染はほかの色に染め直すことも可能で、年齢に応じて色を変える顧客も多い。オーダーメイド以外にも、職人の感性を生かしたストールの制作も行い、どんな洋服にも合わせやすい色合いが人気だ。近年は着物業界以外からも注目を集め、デザイナーが考案した色のグラデーションを用い、竹材のブラインドを染める試みも行っている。
主な製造地 新宿区、中野区、杉並区ほか
指定年月日 平成3年8月15日
伝統的に使用されてきた原材料 生機、マルセル石鹸、精錬助剤、絹布白生地、植物染料、化学染料、染色助剤
伝統的な技術・技法
精錬:生機は、生糸に含まれたセリシン、脂肪、その他の天然不純物を持っている。それらを除去し、フィブロインを残すことで絹特有の優れた風合い、光沢を出すために行う工程。
前処理:精錬に使用した溶剤を充分に洗い落とすために清水にさらし、振り洗いする。
地入れ:精錬された白生地の表面を平らにし、染め斑が出ないようにするために行う処理。
中性浴:絹の特色、手触、身体への馴染み、光沢、絹鳴り等他の繊維に見られぬ優れた点を活かす最適な染法である。
色合せ:色を構成している明度、彩度、色相の三属性を見本に合せる。見本と同じ色にするには均衡を保ちながら濃度を上げ染色する。
後処理:染色後、色止めで後処理し、染色物の湿潤、堅牢度を向上させる。
沿革と特徴
古代より現代に至る染色法の中でもっとも基本的な染めは無地染(浸染)である。草木の根、花、葉、皮、果実等で布地に色付けすることから始まる。
仏教の伝来(552年)と共に藍、紅花が渡来し、奈良平安時代には大和民族独特の染め技術が確立され、無地染は地染をはじめ、ぼかし、絞り等が盛んに行われた。
鎌倉時代になると絹織物が発達し、草木染めに必要な灰汁、鉄媒染、酢の発達により、浸し染は大きく進歩し「江戸紫に京鹿の子」といわれたものである。このことは江戸時代の染色のうち鹿の子絞りは京を第一とし、紫染は江戸産を最上とするという意味で、東西両都の染色の特徴を言い当てたものである。
このように江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染は、江戸庶民文化として芽生え庶民の間で広く愛用された。
現代の無地染は手作業が中心で、色無地は、色抜きして再び染め替えることができます。最初に明るい色を選び、次には年齢にふさわしい渋味のある古代紫、紺、抹茶などを選ぶ。また、お嬢様にお譲りになる場合には、色を替えて染めると、若々しい雰囲気にもなる。時代が変っても流行に左右されることなくいつまでも美しく着られる。
*https://dento-tokyo.jp/items/33.html より
*https://kougeihin.jp/craft/0212/ より
Description / 特徴・産地
東京無地染とは?
東京無地染(とうきょうむじぞめ)とは、江戸時代中後期の染物職人たちにより使われた江戸紫・藍・紅花・江戸茶等の無地染を起源として発展した染物です。
現在の主な産地は、東京都の新宿区、中野区、杉並区や神奈川県となっています。
無地染は染色法の中で最も基本的な技法ですが、東京無地染には絹織物が使われるため、控えめでありながらも品のある印象を与えてくれます。ただ、13mにも及ぶ反物をむらなく仕上げるのは至難の業。しかし、東京無地染はたしかな技術で美しく染め上げています。これが、単色染めでありながらも格式高いとされる理由です。
現在の東京無地染は、染料の進化や生地の高級化に対応しながらも、江戸時代より伝わる色見本を手がかりに微妙な色の違いを今も表現しています。
また、色無地は一度染めた色を色抜きしてほかの色に染め直すこともできるため、年齢や流行に左右されずいつまでも美しく着ることができます。
History / 歴史
藍と紅花が仏教の伝来と共に渡来して以降、奈良・平安時代には大和民族独特の染め技術が確立。無地染には地染をはじめ、ぼかし、絞り等が盛んに行われるようになりました。
鎌倉時代には絹織物が発展し、草木染めに必要な灰汁、鉄媒染、酢も進化したことから、浸し染は大きく進歩しました。江戸時代には紫紺で染めた「江戸紫」が「江戸っ子の粋」としてもてはやされるようになります。
当時の様相を反映する言葉に「江戸紫に京鹿の子」というものがありますが、これは「江戸時代の染色のうち、 紫は江戸、鹿の子絞りは京を第一とする」という意味で、東西両都の染色の特徴を言い当てたものです。
このように江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染は、江戸庶民の間にひとつの文化として芽生え、広く愛用されました。
現在も普段着として取り入れたり、紋を入れて準礼装として着用したりと、時代を超えて息づいています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tokyomujizome/ より
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