「広島風お好み焼き」
特徴
お好み焼きは「大阪方式」と「広島方式」の2つに大別される。その違いを「大阪方式(関西方式)」は、"混ぜ焼き"、「広島方式」は"重ね焼き"あるいは"乗せ焼き"と表現されることが多い。広島のお好み焼きは、小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地でフタをして「蒸し焼き」にするのを特徴とする。生地そのものを食べる関西のものと違い、広島の生地は脇役的存在。生地には味はついておらず、具材を蒸し上げるために蒸気を閉じ込めるためのフタとしての役割が大きい。このため、具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る"混ぜ焼き"とは全く異なる形状、及び食感となる。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、中華麺を加えることが多い点と、具材として大量のキャベツやもやしを用いること、これらを含めた全ての食材が層状に構築されるという点が決定的なオリジナリティとなっており、他の地域のスタイルと区別される。野菜をたっぷり食べる栄養バランスのとれた一品とされる。関西では「お好み焼はおかず」と言われることもあるが、広島のお好み焼はそばやうどんが入っているため、それ自体で満腹となる主食として成立し、一緒にご飯を食べることはあまりない。当然、広島のお好み焼店にはご飯は置いてない。また他県の人には驚かれることも多いが、夜も勿論食べるが、広島のお好み焼は昼食のイメージが強い。
歴史
戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である。鉄板の上で簡単に作れる広島のお好み焼きは、原爆で焼け野原となった広島の復興を象徴する食文化として独自の発展を遂げた。広島でお好み焼きが発展した理由は、戦前まで軍都だった広島は重工業が盛んで、鉄を扱う工場が多く、鉄板が庶民の手に入りやすかったこと、広島市観音地区が観音ネギの産地で、食材も比較的調達しやすい環境だったこと、戦後にアメリカから小麦粉を大量に押しつけられたMSA協定も関係があるという見方もある。広島市中心部の新天地エリアを中心に、夕食やお酒を飲んだ後に立ち寄るお客で屋台が賑わい、これが集合してお好み村となり、また広島の町のあちこちに自宅の一部を改装した小さなお好み焼き店が生まれた。
1975年(昭和50年)には山陽新幹線が広島県内にも延伸開業し、広島カープが初優勝した。この頃から旅行ガイドブックなどにも掲載されるようになり、西城秀樹や島田洋七など、広島出身者らがマスメディアで広島のお好み焼を紹介したり、1980年代に修学旅行向けのガイド本で紹介されたりし、80年代までは広島県民しか知らない地方のマイナーグルメは、全国的にその名が広まっていった。1970年代までは大手新聞や雑誌メディアに広島のお好み焼きを取り上げた記事はあまり見られないが、1980年代からは急増している。『週刊ポスト』1984年(昭和59年)2月28日号のお好み焼き特集では、お好み焼きの三大派閥として「広島/関東/関西」を取り上げ、『週刊読売』1986年(昭和61年)6月8日号では、「東京もんじゃ焼きvs広島お好み焼」と題してこの二大対決を12頁にも亘って紹介している。この記事では都内の「広島風お好み焼き店」として12店が紹介されており、「広島風お好み焼き店」は有名人の来店が多いと書かれており、ビッグネームが列挙されている。原宿竹下通りにあった「もみじハウス」店長は「歌手やタレントが広島にコンサートや舞台の仕事で訪れ、本場のお好み焼きの虜となり、東京の広島風のお店に来るのではないか」と述べていた。NHK広島放送局の制作で1986年(昭和61年)8月6日に全国放送された『ふたたびの街』は、原爆の被害から免れた広島市の段原でお好み焼き店を経営する家族の物語で、重森孝子脚本・渡辺紘史演出、大滝秀治・井川比佐志・宮本信子らの出演だった。広島お好み焼きを取り上げた『朝日新聞』1987年(昭和62年)4月23日付に「広島カープの本拠地広島の名物のひとつ、お好み焼き。野菜がたっぷり、太らず健康にいいとかで、今や全国的に知られている」と書かれている。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ、「関西風」の"混ぜ焼き"と「広島風」の"重ね焼き"の2つによってお好み焼きは「国民食」と呼ばれるほどの人気となった。
2006年(平成18年)現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより)。店舗数では全国3位、人口あたりの店舗数では日本一といわれ、コンビニエンスストアより多いともいわれる。その県のコンビニ・スーパーでしか売っていない「ちょっと珍しい商品」としては、広島の場合は"お好み焼と盆燈籠"が挙げられる。広島市内には徒歩5分圏内に10軒はあるという説もある。2023年(令和5 年)5月に広島市で開催されたG7広島サミットでは、同市を選挙区とする岸田文雄首相の推しもあり、「お好み焼きは広島」を世界にアピールした。
1950年ごろに発生した屋台街(1967年お好み村になる)で開業した、みっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「麗ちゃん」、「へんくつや」などがある。1950年(昭和25年)当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。
戦争や原爆で夫を亡くした女性が自宅の土間を改造して店を始めた例も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。戦地から帰還した家族が見つけやすいようにという理由もあったとされる。また、1963年(昭和38年)に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪(三八豪雪)で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人やその家族が焼く小規模な店舗が残るのは、こうした理由もある。
広島大学工学部教授の石丸紀興は、「戦後復興のエネルギーとなったお好み村のような屋台の系譜と、原爆で夫を亡くすなどした妻たちが、自宅の軒先で始めた子供相手のお好み焼き店がどの町でもあちこちにでき、広島市民はお好み焼きに馴染むようになった。この2つがあったことで、広島お好み焼きは一気に普及した。プロパンガスや厚い鉄板の普及により、独特の重ね焼きが可能になった。地場のソースメーカーが店と協力して、甘味があり、こってりとした専用ソースを開発したことも大きかった」と論じている。広島に於けるお好み焼き店は小規模で、大手資本もほとんどない。言い換えれば、広島に於けるお好み焼きは小規模経営で、庶民の味となっており、地元の食文化として定着している。
矢野新一は「広島県人は新しいものに敏感で、全国販売に先駆けてのテストマーケットになることが多い。だから"広島お好み焼き"が誕生したときも、すんなり受け入れられたのではないか」と論じている。
1960年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらうことができた。現在は肉や卵(合わせて肉玉と呼ぶ)は当たり前に置かれているが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけを頼むことも珍しくなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。まだプラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、持ち帰りの場合は各家庭から平皿を持っていってお好み焼きを載せてもらったり、新聞紙にくるんでいた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。
焼き方
広島お好み焼きの焼き方は、昔から今まで一貫して生地と具材を混ぜずに焼く「重ね焼き」である。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、この頃はまだ、そば等の麺は入れられていなかった。このクレープのような生地に、焼きそばやうどんと卵焼きを二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも呉地方を中心に残っており「呉焼き」とも呼ばれている。円盤状のものに比べて場所をとらないため、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの惣菜の一つとしてもよく売られており、また片手で食べることも可能になるので、祭りなどの露店ではこのスタイルで売られることもある。
使用する食材
戦後の焼け跡時代は、少量のメリケン粉を多めの水で溶き、生地を薄く伸ばして焼き上げて空腹をしのいでいた。物が出回るようになるとかまぼこを入れたり、地元産の観音ネギを混ぜて一緒に焼いたものが主流になった(現在も使う店もある)。続いて戦後悪化した食料事情により、季節により供給量が左右されるネギよりも、単価が安く年間を通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。「お好み焼」と「焼きそば」はある時期まで別々のメニューだったが、ある日、『みっちゃん』で焼きそばの上にお好み焼を乗せて食べてみた客が、とても美味しく満腹感もあり、それを見た別のお客も欲しがった。2つをドッキングすることで、別々に注文するより安くつくというメリットもあり、こうして今の麺類を入れるお好み焼の原型が誕生した。当時はアメリカから大量に小麦粉が届けられた一方で、米はまだ貴重で、お好み焼は主食に変化していった。
食べ物が豊かになるにつれて豚肉、卵、もやし、ねぎなどのたくさんの具を"お好み"で乗せて焼くようになった頃、「お好み焼き」と呼ぶようになった。具材が多くなったため、二つ折りが難しくなり、円盤状のままで出すようになった。こうして、1955年(昭和30年)ごろには現在の広島お好み焼きになった。このように、現在のような広島お好み焼きの完成形がある日突然できたわけではない。当初は屋台営業の為、他店のレシピや調理技術が盗み易く、各店が互いに影響を与え合いながら現在の形へと進化させていった。
ソースの変化
1922年(大正11年)、「佐々木商店」として広島で創業したオタフクソースは、醤油類の卸と酒の小売を営む商店から始まり、1938年(昭和13年)から醸造酢の製造を手掛けた。1945年(昭和20年)8月6日に原爆で会社が燃え尽くされたことから、創業者は家族で新たなことに取り組みたいという思いを持った。納入業者から『これからは洋食の時代になる』とアドバイスを受けたことから、1950年(昭和25年)にソース作りに乗り出した。最初はウスターソースの製造を始めたが、ソースの販売は最後発と遅く、問屋の特約店縛りが厳しく交渉に困難を伴った。そこで新たな営業先として飛び込んだのが、お好み焼き店だった。広島お好み焼きも、当初はウスターソースを使っていたが、少し味がキツイという問題や、具材が増えていくにつれ、ウスターソースはとろみがなくサラサラしているため、生地にとどまらずに垂れ落ちてしまい、鉄板に流れ落ちて焦げ付いてしまう、蒸発してくる酸味でむせる等の欠点があり、お好み焼き店は共通の悩みを持っていた。そこで1952年(昭和27年)にオタフクソースが開発したのが、日本初のお好み焼き専用の濃厚ソース「お好みソース」。餡掛け料理のとろみを参考にしてソースを作り直し、五味の調整を取りながら試行錯誤を重ねて、完成まで2年の歳月をかけた。防腐効果のある塩と殺菌作用のある酸をウスターソースは多く配合しているが、それに比べてお好みソースは塩分と酸味を落とし、防腐剤などの添加物は一切入れず。最初はお好み焼き店からも「こんなどろっとしたソース、気持ち悪い」と酷評された。また殺菌技術も発達していなかった時代で、酵母などの菌が死滅せずビンの中に残って発酵が進み、発酵ガスがビン内に充満してビンが破裂してしまうケースが頻出し「爆弾ソース」という異名がつけられた。店内がソースで汚れた場合、すぐに駆けつけ店舗を掃除しなければならないから、広島県内だけでしか販売出来なかったという笑い話もある。その一方、「お好み焼きに合って、おいしい」と評判を取り始め、同社の看板商品へと成長を遂げ、1970年代までは広島県内に限定して販売を続けた後、1982年(昭和57年)にソース業界初のスクイズ容器「フクボトル」で家庭用お好みソースの販売を契機に、四国松山市を皮切りに全国へ販路を拡げ、広島お好み焼きの浸透とともに事業も拡大した。オタフクソースはTVCMなど、大々的なプロモーションを打ったことはないが、関東地方などに転勤した広島県人がスーパーマーケットなどでオタフクソースを見つけ、近所や友人に口コミで広めたのではないかという説もある。業界でも「お好みソース」という新たなカテゴリーを創出した功績も大きい。以降は、広島県内のみならず、全国でもオタフクソースが高いシェアを誇っている。ソース類では国内の生産量シェア25%の最大手で、お好み焼きソースの売上は全国1位。2022年(令和4年)現在、年間約5万キロリットルを生産し、東南アジアや米国など約50ヵ国で計約2千品目を販売している。今日でも小さな工場では昔ながらの製法で作っている所もある。
呼称
広島地方においては、広島風のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ。ただし、広島県三原市では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「好み焼き」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、接頭語としておを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている。
広島県外では「広島お好み焼き」の他に、「広島焼き」とも呼ばれることも多い。1970年代にマスメディアによって広島のお好み焼きが"発見"され、「関西風」「広島風」という名称が両者を区別するために用いられ、これに伴い「広島焼き」と呼び方も生まれた。広島焼きという呼称を正式に採用したのは、記録のある限りでは1983年(昭和58年)に東京下北沢に開業して2023年も当地で営業を続ける広島出身者の経営「広島焼きHIROKI」が最古である。都内初の広島スタイルのお好み焼き店といわれた。1975年(昭和50年)4月創業の千駄ヶ谷「お多福」は、店の看板に「ひろしま風」と掲げていた。東京出身のエッセイスト・如月小春が『宝石』で「大学四年のときに初めて食べた広島風のお好み焼きがマズかった」と書いていることから、1970年代後半には広島スタイルのお好み焼きを提供する店が都内にあったことが分かる。1990年代初めに県外で広島のお好み焼きを出す店が増えて看板に「広島風」が使われ始めた。その際オタフクソースとしては「広島流」と呼んでいた。2008年(平成10年)に社内で呼び方を統一し、広島のお好み焼きを「広島お好み焼き」関西のお好み焼きを「お好み焼き」と呼び分けるようになったという。但し、広島県民にとってはそんなことはどうでもよく、「広島焼き」の呼称を嫌う傾向があり、広島ではケンカの火種になる言い方であるという。2016年(平成24年)9月20日にNHK総合テレビで放送された『サラメシ』の広島特集の中で、「広島風お好み焼き」に「広島焼き」とテロップをつけたところ、広島県民から「そんな食べ物はない!」などと批判が相次いだため、2日後の再放送ではテロップが「お好み焼き」へと修正された。広島で公演をするアーティストの楽屋には「MCにおける注意事項」として「広島風のお好み焼を『広島焼き』と呼ぶことは絶対におやめください」と注意書きがあるといわれる。ここまで愛される郷土食も少ない[78]。広島と大阪は互いのお好み焼きを認めないとされ、広島の「お好み焼」は、「広島風」でも「広島焼き」でもなく、「お好み焼」だと主張する者もいる。広島では「広島のお好み焼」が「お好み焼」で、関西風が「関西風お好み焼だ」と主張する者もいる。1980年代はまだ地方のマイナーな存在だった広島のお好み焼きが全国進出する際に「広島焼き」「広島風お好み焼き」という二つの呼称が発生し、この呼称の生みの親は広島県人自身とする見方もある。全国的に有名になったら今度は「広島焼き」という呼称に怒り始めたという意見もある。
「広島焼き」の呼称が嫌われる理由には諸説あるが、有名なものに「お好み焼きを作っているのだから名称は『お好み焼き』であり、わざわざ「広島」と地名を付けて強調する必要が無い」、戦中や戦後直後の悲劇を知る高齢者を中心に「『広島焼き』は、その言葉の響きから原爆投下で焼けた広島を想起させる」と諸説ある。「お好み焼き」だと地名がわからないが、「広島焼き」「大阪焼き」と分けた方が直接のアピールになるのではという意見もある。
調理法
基本的な作り方
1.水で溶いた小麦粉を円形に薄く伸ばして生地を焼く。
2.生地の上に魚粉、キャベツ、その上に肉とその他のトッピングや天かす等を乗せ、つなぎとして少量の小麦粉を垂らしてひっくり返し、生地を蓋として具材を蒸し焼きにする。
3.生地を上にしたまま、炒めた中華麺(またはうどん)に乗せる。
4.卵を割って円形に伸ばし、その上に生地を上にしたまま本体を乗せる。(黄身は割るが伸ばすだけ)
5.ひっくり返して卵の面を上にし、ソース、青海苔等をかけて完成。
主な材料
基本の材料
小麦粉・水
鶏卵
中華麺またはうどん
豚肉(バラ肉等のスライス)。豚肉の代わりに牛肉、ひき肉、ホルモン焼きなどもある。
野菜 - キャベツ、もやし、ネギ等
とろろ昆布(店舗に依る)
主なトッピング
広島のお好み焼きには、定番の具材がある。今日、トッピングと表現されるものは、広島(市)民にと っては世代によって捉え方が違う。自宅から卵や皿を持って行った高齢者にとっては、その卵やそば・うどんもトッピングといえる。ただ「肉玉そば (うどん)」「そば (うどん) 肉玉」が定着して以降にトッピングのイメージがあったのはイカ天だけである。中心部から外れた店舗では基本食材以外で必ず置かれていたのはイカ天だけだった。2021年2月4日に放送された『秘密のケンミンSHOW 極』(読売テレビ)で、広島県各地の知られざるご当地お好み焼きが紹介されたが、この回にゲスト出演していた広島市青崎出身の金本知憲は「トッピングにイカ天以外が使われていることは知らなかった」と話した。以降、店舗によって、観音ネギを増量したり、大葉やもち、キムチ、チーズ、生イカ、エビなどをトッピングとして置くようになった。今日でも中心部から外れた店舗ではイカ天しか置いてないところも多い。
近年では新しいトッピングも増え[出典 83]、カキ、コーン、牛すじ(県東部限定)、タコ、ベーコン、鶏肉、きのこ、トマト、アボカドなどが使われる。広島のお好み焼きにカキを入れたのは大山のぶ代という説もある。チーズやネギはキャベツと混ぜて使用することもある。
主な調味料等
ソース(特濃ソース)、マヨネーズ、紅生姜、カツオの粉(魚粉)、鰹節、桜えび、青海苔、天かす、とろろ昆布など。
調理の際には植物油またはラードを使用する。
麺
関西風は基本的には麺は入れないが、広島では麺を入れる形が一般的。広島ではそば(中華麺)が主流で、中国新聞の2023年10月の統計では約80%がそば派。うどん派は18%。うどんよりそばが主流になった理由についてはよくわかっていない。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、焼きそば用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴で茹でてから鉄板に出す「生麺」、予め茹でてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間を短縮するため、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使う場合もある。中華麺に代わるバリエーションとしてうどんがあり、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年ではうどん入りも人気を高めている。蕎麦やパスタを用いる店舗もある。
2010年代ころから以前よりも麺がカリカリになるように、パリッと焼き上げるスタイルがトレンドになっているといわれる。
ソース
関西風と広島風で味わいが異なるのがソースの味付け。関西風のお好み焼きで使うソースは、辛口であることが一般的。これに対して広島風のお好み焼きでは、濃厚な甘口のソースが使用される。広島のお土産として甘口ソースを購入する人もいる。
ソースは広島のメーカーであるオタフクソースがお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を積極的に支援していることや広島県内をエリアとする民放でのCMの効果もあり、多く利用されている。味は若干甘口。それ以外には、毛利醸造のカープソース(やや辛口)・サンフーズのミツワソース(ヒガシマルソースもある)、センナリの広島ぢゃけん、中間醸造(三原市)のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている。
多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い。近年では幟(のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。
また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことができた。
広島県は日本酒の産地であり、そこから派生して酢の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。
広島県民は自宅の冷蔵庫にお好みソースを常備していることが多い。
マヨネーズ
お好み焼きにマヨネーズをかけるのは元々関西風が発祥で、広島のお好み焼きにマヨネーズは使わない。吉川晃司が年齢で約10歳差がある猿岩石と『ミュージックステーション』で共演した際、広島のお好み焼きにマヨネーズをかけると話した猿岩石に「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる。広島のお好み焼きにマヨネーズをかけたらダメ」と、生放送中に説教したこともあった。吉川は2016年5月15日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』でも「広島のお好み焼きにマヨネーズをかけてはダメだ」と改めて否定している。一般的にはマヨネーズはかけないが、最近では若年層や観光客向けに卓上に置いてあったり、注文すれば提供してくれる店舗も増えている。店側で責任をもってソースを塗るからと、卓上にソースやマヨネーズを置かない店もある。
注文方法
広島のお店の注文書(メニュー)には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」などと注文する。よく分からなかったり、迷ったりしたら「肉玉そば」と注文すれば問題ない。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。
そば(うどん)の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」という言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。
広島でも自宅で作ることはあるが、焼き方に技術を要するため、お店で食べるか持ち帰るかが一般的で、外食率は95%。広島ではお好み焼店に注文し持ち帰って食べる、いわゆる「お持ち帰り」の文化が昭和30年代から定着していた。土曜日の学校が半ドン授業だった時代には、学校が終わると友達とお好み焼を食べに行ったり、お店から持ち帰ってお好み焼を食べながらテレビを観たりは、ある年代の広島市民にとっては原風景であった。さらに旧い世代では新聞紙にくるまれたお好み焼を持ち帰ったら、新聞紙の裏にソースがベッタリも原風景かもしれない。
テイクアウト、出前、電話予約などを行う店舗も多くある。近年では海外からの観光客のため英語や中国語などのメニューを用意している店舗もある。また、広島市等では、店内での食事ができず、原付で配達するケータリング専門の店舗も存在し、お好み焼きの出前文化が定着している。そのため、フードデリバリーサービスWoltの日本初進出地に広島市が選ばれた理由の一つに挙げられている。
食べ方
典型的な広島お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。広島や東京ではヘラと呼ばれることが多いが、大阪ではテコやコテと呼ばれる。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く、小規模なお店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなく、食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで熱々のまま楽しむため、また、屋台発祥の店では、客に鉄板で食べさせ洗い物やそれに必要な水を減らすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている。鉄板上で食べる場合は、お好み焼きをヘラで格子切りにし、一口二口程度で食べられる大きさをヘラに乗せて口に運ぶ。ピザ切りは広島県民とっては一般的ではない。
大きな鉄板のあるカウンターは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限りがある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブル席も配置されており、その場合は皿に載せられたお好み焼きを箸で食べる。近年では大きな店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのはコツが必要で観光客や外国人には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や、出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。
地域差
同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競うこともあり、年々進化しつつある。毛利元就の故郷・安芸高田市では、石丸伸二市長の音頭取りで、地元の食材を使った「あきたかた焼き」を考案した。中国・九州地方の一部の県で、お祭りの露店・屋台で見られる割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻き」の箸を抜いた状態の「広島お好みロール」などもある。
府中市は、人口あたりのお好み焼き提供軒数が広島随一ともいわれ、豚バラ肉の代わりにミンチ肉や細切れ肉を入れ、これを「府中焼き」と呼ぶ。地場産業の家具・桐箱製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや夕食だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。脂の多いミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。府中市民にとっては「自分がミンチだとしたらハンバーグになるより府中焼きの中に入る方が幸せ」という。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。尾道市では砂ズリ(砂肝)を入れる店がある。「フワ、コリ、サク」「サクッ、ザクッ」などと食感が良いという。旧因島市のお好み焼きは「いんおこ」と呼び、うどん入りが主流で、麺をカツオ節とソースで炒め、コンニャク・のしいか・かまぼこ・ちくわを入れる店が多くある。三原市では、モツ (鶏のレバーや玉ひも、キンカン)を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基盤を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。竹原市では、生地に酒粕と日本酒を練り込んだ「竹原焼き」を提供する。呉市ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。庄原市は、広島市から遠い事もあってお好み焼きは馴染みが薄かったが、近年町おこしの一環として、「庄原焼き」を考案。麺の代わりに庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。
2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り。
三原市「三原焼き」は、三原で人気の鳥モツ入り。
世羅町「せらの恵み焼き」は、トマト、大葉、チーズ入り。
神石高原町「神石高原焼き」は、神石牛、こんにゃく麺入り、トマトソースを使用。
三次市「三次唐麺焼き」は、ピリからの赤い色麺「唐麺」とカープソースを使用。
呉市「呉焼き」は、細うどんを使用し卵でとじて半月状に折る。
広島市「広島生めんお好み焼き」は、茹でて焼きパリっとさせたお好み焼き用の麺とチーズ入り
尾道市「尾道焼き」は、砂ずり、いか天、わけぎ入りで、尾道オリジナルソース使用。
廿日市市「はつかいち牡蠣盛焼」は、廿日市産の牡蠣と大葉入り。
*Wikipedia より
*https://www.okonomi.co.jp/menu.html より
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