「川上秀太」 銅-陸上・男子100m
*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2497539-------------------- より
生年月日 1998/11/22
出身地 福井市
所属 (株)アスピカ
*https://hfsa291.net/athlete/560/ より
パリパラ 川上秀太が銅メダル 陸上 男子100m(視覚障害) 2024年9月2日 6時14分 NHK NEWS
パリパラリンピック、陸上の男子100メートル、視覚障害のクラスで初出場の川上秀太選手が10秒80のタイムで銅メダルを獲得しました。日本パラ陸上競技連盟によりますと、短距離の100メートル、視覚障害のクラスで日本の男子選手がメダルを獲得したのは、1988年のソウル大会以来、36年ぶりの快挙です。
記事後半では、その快挙をつかんだ要因について担当記者が解説します。
目次
川上秀太 パラリンピック初出場で銅メダル
川上秀太「楽しんで走ることができた」
川上秀太 パラリンピック初出場で銅メダル
ことしの世界選手権で銀メダルを獲得した川上選手は、予選の2組目で2着に入り、全体では3番目のタイムで決勝に進みました。
決勝では勢いよくスタートを切り、中盤でトップを走る選手に引き離されましたが、最後の最後まで粘りの走りを見せました。
タイムは3位を争ったオーストラリアの選手とともに10秒80でしたが、わずかに川上選手が先にフィニッシュし、パラリンピック初出場で銅メダルを獲得しました。
▽金メダルはアルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニ選手
▽銀メダルはノルウェーのサルムアゲゼ・カシャファリ選手でした。
川上秀太「楽しんで走ることができた」
川上選手は「なんとかしっかりメダルをとることができた。絶対ここでメダルをとって次につなげたいという気持ちがあった。楽しんで走ることができてよかった。ただし、満足はしていないので4年後のロサンゼルス大会で金メダルをとれるようにトレーニングをしていきたい」と話していました。
注目
【解説】勝因は“最初の4歩”に
わずか1000分の5秒差で最後の競り合いを制し、銅メダルをつかんだ川上選手。勝因は“最初の4歩”にありました。
初出場で全体3位のタイムで決勝に進出
川上選手は、8歳の時に交通事故で目の神経を損傷し、左目の内側と右目の中心部分の視野がかけています。中学生の時に陸上を始め、パラ陸上に転向すると、わずか3年でアジア記録や国内の記録を次々と塗り替え、パラ陸上界のホープとして期待されてきました。
ことし5月には、初出場した世界選手権の男子100メートルで銀メダルを獲得。しかし、川上選手はこの結果に満足していませんでした。
「どこを磨けばライバルの選手たちの記録を超えていけるか、見つけなくてはいけない」
世界の頂点に立つために、課題のスタートをさらに磨く必要があると感じたといいます。
そこで見直したのが、“最初の4歩”です。
川上選手の言う4歩とは、スタートから4歩目までのこと。足を地面の斜め後ろに向けてしっかり踏み込めるかで勝負が決まるというのです。
効率的に地面に力を伝え、スタートから最大限に加速することで、自然とピッチが上がっていくといいます。
迎えたパリ大会の決勝。練習の成果を発揮し、スタートから4歩目まで力強い走りを見せた川上選手は、中盤から後半にかけて伸びのある走りを見せます。
最後はオーストラリアの選手と併走して僅差で競り勝ち、フィニッシュ。パラリンピック初出場で銅メダルを獲得しました。
日本パラ陸上競技連盟によりますと、短距離の100メートル、視覚障害のクラスで日本の男子選手がメダルを獲得したのは、1988年のソウル大会以来、36年ぶりの快挙です。
川上選手はレースの後「自分らしさを貫いて競り勝てた。どの競技でもどの種目でも1つ壁を乗り越えると一気にその国の競技レベルが上がると思うので、このメダルをきっかけにどんどん記録が伸びていけばいいと思う。しっかり実力をつけて、パラリンピックの舞台で活躍できる選手でい続けたい」と笑顔で話しました。
「日本のパラ陸上のレベルをさらに上げて世界で戦える選手を増やし、パラスポーツをもっと盛り上げたい」
それが、川上選手の願いです。4年後のロサンゼルス大会で、金メダルを獲得すると決意を新たにしました。
*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240902/k10014568891000.html より
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