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<小京都> 青森 弘前 2.

2022-07-05 08:02:50 | 小京都

 「陸奥の小京都 青森 弘前」

 戦国時代にこの一帯を平定した津軽氏の流れは江戸時代にも続き、十万石の城下町として現在の青森県の中心となった。

 市内には岩木川が流れ、岩木山の麓には名物のリンゴ畑を見ることができる城下町だ。特に岩木山周辺の高台から眺めるリンゴ畑の姿は美しい。

 ゴールデンウィークの頃に桜が満開になる弘前公園は日本有数の規模で、大勢の観光客で賑わう。特に天守閣を背景にした花見の様子は、この季節になると繰り返しテレビニュースで放送されるので、記憶にある方も多いのでは。

 夏には七夕行事が「弘前ねぷた」が市内を歩く。知名度は青森ねぶたに一歩譲るが、扇形の山車の持つ情緒や優雅さがあり、しかも安心して見ることができる。

 新緑の夏、紅葉の秋に続いて、雪の降り積もる2月になると、雪灯籠まつりが始まる。雪の灯籠が並び夜になると明かりが灯される姿は幻想的だ。会場となる弘前公園は、市内の中心にあることもあって四季を通じて人々を魅了する。

 本州最北の小京都でもある弘前は、お城跡や武家屋敷、寺院に江戸期の歴史を感じさせながらも明治から昭和初期にかけてのルネッサンス調の建築物も幾つも残っている。

 太宰治をはじめとする文豪による作品の舞台にもなっており、文化的な側面も持つ都市でる。

 =青森県の小京都・弘前市の観光ポイント=
 「桜の名所」がある

  弘前さくらまつりとは、青森県弘前市の弘前公園で毎年4月中旬から5月上旬にかけて開催される桜イベントです。ソメイヨシノをはじめ、約50種類2,600本もの桜が弘前公園全域で咲き誇ります。

  弘前公園は、角館(秋田県仙北市)、北上展勝地(岩手県北上市)にならぶ「みちのく三大桜名所」の一つです。最寄りの新幹線停車駅「新青森」は各方面からのアクセスがしやすく、桜シーズンには全国から200万人を超える観光客が訪れています。

  弘前さくらまつりは2018年(平成30年)で開催100周年を迎えた歴史あるイベントとしても知られます。第1回目の「観桜会(旧名称)」は1918年(大正7年)に開催され、以降、弘前の一大桜イベントとして今日まで親しまれてきました。

  開催日程は2022年4月23日(土)~5月5日(木)までの13日間です。会場は公園の全域で、出店の営業時間は9:00~21:00です。ゆっくりと桜を見て歩いたり、出店でお茶や食べ物を買って一休みしたりして、東北屈指の桜の絶景を堪能しましょう。

  なお、弘前さくらまつりは無料で楽しめますが、弘前公園内の一部(弘前城本丸・北の郭、弘前城植物園)は有料区間となり、入園料金がかかります。入園料金は各場所で大人(高校生以上)、子供(小・中学生)それぞれにかかるため、弘前城の観光も楽しむ場合は入園料金も用意しておきましょう。

*https://www.jre-travel.com/article/00295/ より


 江戸時代からの「城下町」

  弘前城は、現在の弘前市における弘前公園がそれにあたり、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代目信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。
弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成されています。 城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されています。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、昭和27年に国の史跡として指定を受けました。

* https://www.hirosaki-kanko.or.jp/details.html?id=CNT00403281549012844 より

 時代を超えて「武家屋敷」が残る

  仲町伝統的建造物群保存地区

  仲町伝統的建造物群保存地区は、弘前市の中心市街地にある町並保存地区です。

  弘前市街地は江戸時代に津軽藩の拠点だった弘前城の城下町として栄えました。

  仲町は弘前城の北側一帯にあたり、現在も城下町の面影を色濃く残していて町並の保存活動が行われています。

  仲町は、江戸時代に武家屋敷が建ち並んでいました。

  町割りのほか、道沿いのサワラの生垣、門、板塀、前庭の樹木などが今も残り、武家屋敷町の面影を現在も感じることができます。

  そのため、1978年(昭和53年)に国の伝統的建造物群保存地区に指定されました。

  今もかつての屋敷である旧伊東家住宅・旧梅田家住宅、旧岩田家住宅・旧笹森家住宅などが保存されていて、見学することも可能です。

  町並を歩くとまるで江戸時代にタイプスリップしたかのような気持ちになります。

*https://tabichannel.com/article/545/hirosaki#toc-15 より

 

 【弘前】津軽氏の名城が現存する「陸奥の小京都」
 城下町・弘前(青森県弘前市)は、全国でも12棟しかない現存する天守がある津軽氏の築城した名城・弘前城を中心とした町です。自他ともに小京都として認識されていて、「陸奥の小京都」と呼ぶ人もいます。

 「弘前城」のかつての城郭区域に相当する部分は「弘前公園」となっていて、現存天守・二の丸・三の丸・辰巳櫓・未申櫓・丑寅櫓・北の郭・西の郭・四の郭・丑寅櫓・北門・東門・東内門・南内門・追手門などの遺構を見ることができます。

 この他に公園内には、「武陵殿」・「護国神社」・「市立博物館」・「弘前城植物園」などの施設があります。また、公園の周辺には「旧岩田家住宅」・「旧石場家住宅」・「旧笹森家住宅」・「旧伊東家住宅」・「旧梅田家住宅」・「藤田記念庭園」・「市立考古館」・「津軽藩ねぷた村」などがあります。

 この町で最も往時の姿を残しているのは、城の北側の北門に面した仲町地区です。そこは国選定重要伝統的建造物群保存地区となっていて、かつては追手の守護のために区画された侍町の地割りと屋敷構えをしっかりと残しているのです。

 「旧岩田家住宅」・「旧笹森家住宅」・「旧伊東家住宅」・「旧梅田家住宅」の4棟がその侍町の武家屋敷で、簡素で剛健な江戸時代後期の中級武士の生活を偲ばせてくれます。中でも岩田家と伊藤家は県重宝に、笹森家は市指定有形文化財に指定されています。

 「旧岩田家住宅」は昭和56年に弘前市に寄贈されたもので、建物の状況や江戸時代の資料などから、寛政時代(1789~1801年)後期から文化時代(1804~1818年)の間に建築されたものと考えられています。

 住宅の柱・小屋組みなどの主要な構造部材と茅葺屋根などがほぼ建築当時のままに残されており、他の3棟の武家屋敷とは少し離れていますが、「津軽藩ねぷた村」に近いため弘前を手軽に知るためには城とこの屋敷とねぶた村に絞って見てみるのも良いかもしれません。

 「旧笹森家住宅」は元々はもっと東側の方にあったものを、平成7年に前の所有者が弘前市に寄贈し、平成24年に現在地へと移築復元したものです。宝暦6年(1756年)の文献にかかれていることから、この地区内に現存する武家屋敷では最も古いものであることがわかっています。

 「旧伊東家住宅」の伊藤家は藩医を務めた家で武家ではありませんが、住宅は中級武士の居宅に良く似た構造・特徴を残していて、武家屋敷のひとつとされています。昭和50年代に元長町から保存地区に移築されました。

 造作などの特徴から19世紀初期の建築と考えられますが、何度も改造が加えられ、現在地への移築にあたっては藩医時代を想定した復元が行われています。玄関は式台構えで広間・座敷・板の間・次の間・常居(じょい)がほぼ正方形に配置され、広間と常居の上が中二階となっています。

「旧梅田家住宅」は伊東家の隣にあり、ヒバの生垣で区切られています。元々は在府町にあったものを昭和57年に保存地区に移転し、昭和60年から一般公開しているものです。下級武士の屋敷であったことから少しこじんまりとはしていますが、充分に往時の趣を残しています。

 弘前は、弘前城の天守を背景にした桜の景色が圧巻で、武家屋敷・多くの名刹寺院・明治時代から昭和時代初期にかけてのルネッサンス調の建物なども一軒の価値がある町です。

*https://japanese-castle-town.com/hirosaki-mutsu-small-kyoto/ より


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