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<都市の異名> 水の都 17.

2022-10-07 07:12:32 | 都市の異名

 「水の都 柳川」

 多数の掘割が市内を通っている。

 掘割

 白秋祭での掘割の夜景
 掘割は、クリークとも呼ばれる水路であり、柳川を含めた筑紫平野南部に一般的に存在する。筑紫平野南部では六角川・嘉瀬川・筑後川・矢部川などの主要河川が有明海に注ぎ込んでおり、中世以前には低湿地帯が広がっていた。中世以降、徐々に低湿地帯を掘削・開墾(土地かさ上げによる乾田化)することで人工的な農地が形成されてきたが、掘削後の水路が掘割と呼ばれることとなった。

 柳川市内の掘割は、戦国時代の領主蒲池鑑盛が柳川城の水の防壁として開発し、柳川城を九州屈指の難攻不落の堅城としたが、近世都市との関連では立花氏に先立つ領主田中吉政によって整備され、上水道・農業用水路・洪水予防の貯水路としての機能が強化された。上水道網が完備する昭和40年代までは掘割は上水道・水運など生活用水としての役割を担っていた[11]。しかし、上水道網・道路網の整備が進むに連れて掘割の清掃がなされなくなり、掘割は水草に埋没し、ゴミの不法投棄が横行した。柳川出身の作家檀一雄は、当時の市長に「我が故郷はシブタも住まず蚊蚊ばかり」という句を送り、往時の姿を失った掘割を嘆いている(シブタとは小魚の一種)。

 1977年(昭和52年)には、柳川市街地の掘割を暗渠・埋め立てする計画が市議会により承認され実施直前であったが、下水道係長であった広松伝の研究・啓蒙活動を受けて、市長古賀杉夫の判断により一転して掘割の保存、整備を進めることとなった。1978年(昭和53年)に、掘割の浚渫や排水規制を主体とする河川浄化計画が実施され、柳川の掘割は蘇った。しかし、化学薬品の流入や一般家庭の生活廃水による富栄養化の問題、下水道整備の不足など、掘割の再生は途上である。

 柳川市の掘割の総延長は930 kmであり、貴重な農業水利および、市街域の掘割を巡る「川下り」の舞台として観光資産となっている。

*Wikipedia より

 情緒溢れる水の都!美しい景色が広がる福岡の城下町 最終投稿:2022/04/19

 柳川の概要
 情緒溢れる水の都!美しい景色が広がる福岡の城下町
 「柳川」は、福岡県の南部にある「水郷のまち」として知られる地域です。柳川市全体に「堀」が大規模に巡っているのが特徴で、歴史も古く柳川藩10万9000石の城下町として栄えました。

 昔ながらの美しい白壁の建物や、旧柳川藩主立花邸の「御花」、作家・北原白秋の生家などが観光スポットとしても有名です。

 中でも1番人気は、柳川城の堀割をどんこ舟でめぐる川下り。柳川ならではの風情溢れる城下町の景色を四季折々で堪能できます。

 柳川の名物料理は「うなぎのせいろ蒸し」。老舗のウナギ料理店「元祖 本吉屋」の初代の本吉七郎兵衛が考案したといわれています。ドジョウを使った「柳川鍋」も名産として親しまれています。

  柳川の見どころ・楽しみ方
  城下町の美しい景色を堪能できるので、川下りはぜひ体験してください!
  歴史の残るスポットを巡ったり、有明の珍味やうなぎを食べたりと、観光ポイントが盛りだくさん!
  年に一度の北原白秋祭は特におすすめ!踊り、太鼓、笛、コーラスなど最後は花火まで楽しめます!

*https://recotripp.com/spot/57690 より


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