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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 与那国織

2021-08-24 20:52:32 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「与那国織」

 Description / 特徴・産地

 与那国織とは?
 与那国織(よなぐにおり)は、沖縄県八重山郡与那国町で作られている織物です。与那国織の特徴は、独特の風土と手作りによって染め織り上げられた素朴な美しさです。織りの技法により、花織物の「与那国花織」、縞織物の「与那国ドゥタティ」、紋織物の「与那国シダディ」、絣織物の「与那国カガンヌブー」に分類されます。どの織物も島に自然に生える植物から作られる染料で染められた後に手織りされ、通常、デザインから染色、織りに至る作業を1人が担当します。
 最も多く織られる与那国花織は、子縞柄と小さな花模様が織り出される直線的な幾何学模様で、時代の流れと共に色彩やデザインが変化しています。また、身ごろ4枚(=ドゥ)で仕立て(=タティ)られるドゥタティは、夫婦を表すミウト絣の模様が織られた細帯・カガンヌブーと共に、お祭りなどで着用されてきました。ゆっくりとした時間の中で織り上げられる与那国織は、島特有の着物や帯だけでなく、手ぬぐいやネクタイ、バッグなどの製品も作られるようになっています。

 History / 歴史
 与那国織の始まりは、室町時代に当たる15世紀頃と言われています。朝鮮の史書「李朝実録」には、1479年に朝鮮からの漂流民からの見聞録として既に与那国島では機(はた)で布が織られていたことが記載されています。
 また、16世紀前半には献納品として琉球王府へ納められており、役人のみが与那国花織の着用を許されていました。琉球王府では外国との貿易を通じて織物技術や材料を積極的に取り入れ、洗練された染織が多彩に発展したと言われています。
 戦中戦後は糸の入手が難しく、漁業網を解いて織っていた時期や機織り自体が途絶えていた時期もありましたが、1979年(昭和54年)には与那国織の復活を目指して「与那国町伝統工芸館」が建てられ、今日まで豊かな織物文化を伝え続けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yonaguniori/ より

 今も暮らしの中に息づく与那国織
 晴れた日には台湾が見える与那国島は、周囲27キロ、日本の最西端に位置している。女性の米寿のお祝いに糸巻きを配る習慣のあるこの島では、ゆったりとした時間の中で個性的な織物が作られていた。

 
 30人の女性が思い思いに織る布
 与那国織というのは、与那国花織、ドゥタティ、シダティ、カガンヌブーの総称である。外国語のように響く布のひとつひとつを、崎元徳美さんに教えてもらった。崎元さんは、衰退していた島の織物を復興させた徳吉マサさんの孫にあたる。沖縄本島にある県の工芸指導所で2年、同じく本島の南風原町で琉球絣を3年経験し、与那国に戻ってきた。今、島では30人の女性が染織に取り組んでいる。崎元さんを筆頭に、20代後半から30代の若い女性も活躍している。デザインから、染め、織りまでを一人が担当し、自分のペースで進めていく。

 織り込まれる花の色は台湾から
 最もたくさん織られているのは与那国花織である。代表的な柄は、白と黒の格子縞の中に赤と黄色の「花」が入っているもの。花というのは小さな四角い点の集まりで、サイコロの5の目のように並べたり、ひし形に配置したりする。点の数によって、ダチンバナ(8つ)、イチチンバナ(5つ)、ドゥチンバナ(4つ)と呼ばれる。
 白と黒は島に古くからある色だが、「赤や黄色は旅から入ってきたんです。」と崎元さんはいう。「旅」というのは、島の外に行くことの意味だ。台湾に行った人が持ち帰った帯をほぐして、赤や黄色の糸を織りこんだのが始まりだった。台湾は、本土はもちろん沖縄本島に比べてもずっと近いところにある。昔から関係は深く、70歳以上のほとんどの人は仕事や勉強で台湾に行った経験を持っている。
 赤と黄色の花を黒が引き締める花織は、可憐で、しかも落ち着いた趣きだった。


 島中の人に愛されてきたドゥタティ
 沖縄の織物の産地では、地元の人がその織物を着ている光景を見ることはめったにない。ほとんどは本土で販売されるからだ。そんな中、島内消費が9割を超えるのが「ドゥタティ」である。苧麻(ちょま)から績んだ糸や綿で織る、白黒青の格子柄の着物。もとは畑仕事をする野良着だった。男女の別はなく、黒いえりが付いた筒袖。丈はふくらはぎまでしかない。一反で2着作れる経済的な着物である。
 中でも最も一般的な「ゴバンドゥタティ」は、ギンガムチェックだ。「よく、これは流行柄?ときかれてくやしい思いをするんです。与那国の伝統柄なんですよ。」と崎元さん。
 旧暦6月の豊年祭のときには、島の人は皆、この着物に身を包む。ベビー用もあり、遠く離れている孫のために買う人も多い。
ドゥタティには「カガンヌブー」という細い綿の角帯をしめる。沖縄のほかの地方ではミンサーと呼ばれる、絣模様が入った綿の細帯である。


 旅の無事を祈りながら織るシダティ
 最後の「シダティ」は、沖縄本島ではティサージと呼ばれる手ぬぐいのこと。白い木綿の地に7色の糸が織りこまれている。旅に出る人の無事を祈って贈ったもので、今でも人が亡くなると、これで鉢巻をして棺に納める。死者が女性のときはより美しく結ぶ。
 崎元さんに織物作りの魅力をきくと、「私は織っているときが好きです。布に仕上がっていくのが楽しい。」という。現在は、絹、綿、苧麻が使われているけれど、「島にあるほかの素材を使ってみたいですね。ヨナグニサン(天然記念物の蛾)のまゆ、リュウゼツランなど、過去に試されているものもありますが、新しいものを見つけたい」と抱負を語ってくれた。

 

 職人プロフィール

 崎元徳美 (さきもとさとみ)

 1967年生まれ。県の工芸指導所などで沖縄各地の染織を学び、与那国織に取り組む。

 こぼれ話

 植物の中でも体にいいものしか使わない

 与那国織では島に自生している植物を染料に使っています。黄色が出るフグン(フクギ)、茶色のティグティ(シャリンバイ)、ベージュや黒のカサギ(アカメガシワ)、インド藍……。ハイビスカスを枝ごと使ってうすい緑色を出すこともあります。
 ほかの島と同じ植物を使ってもこの土地の色に染まります。シャリンバイは、沖縄本島では茶色ですが、ここではピンクがかった色になります。
 「水のせいではないかといってるんですよ。ここの水は石灰分が多いので。」と崎元さんはいいます。
 染めも織りも一人でやるため、染めの材料は自分で島の中から探してきます。人によってやり方や回数が違うので、同じ色になることはないそうです。
 「私たちは身近にある草木で、食べても大丈夫なものしか使いません。煮出す人にも、着物を着ける人にも悪くないように。」ガジュマルの葉はヤギが喜んで食べるから大丈夫。そう考えるやさしい人たちの手で与那国織は作られています。

*https://kougeihin.jp/craft/0132/ より


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