「文春オンライン」の記事を紹介します。

  ・昭和史研究家の保阪正康氏は、次期首相に選ばれるべき人物は「真正保守」の政治家という。

  ・では、真正保守の政治家の定義とは何か? 保阪氏の考える「“真正保守”政治家10カ条」を、このたび初公開する。

 記事が読まれれば儲けになりますから、「このたび初公開する」などと大層な言葉を使い、大きな活字で見出しまでつけています。

 「自民と立憲民主の結集再編」

  ・もはや自民党も、立憲民主党も、改憲と護憲、自由主義と社会主義などのイデオロギーでは区分できず、それぞれの独自性よりも類縁性のほうが高い時代に入っている。

  ・両党の大幅な再編成によって、新しい改革勢力が生み出されることより他に、日本政治の更新はないのではないか。

  ・その結集軸こそ、日々の暮らしを大切にし、漸次の改革を志向する「真正保守」の立場であると私は考えている。

  ・現在の超党派の「湛山議連」などが、意義ある触媒の役割を果たすことを望みたい。

 これが「文春ネットワーク」が初公開した、氏の意見です。「選択的夫婦別姓」を目指している立憲民主党が狙っているのは、日本の戸籍制度の廃止とこれに連動する皇籍廃止です。

 皇室護持を掲げる保守・自由民主党と、立憲民主党を区別できないとする氏の意見は、無知からくるものか、故意からくるものなのか、いずれにしても間違っています。それを厚かましくも、次のような言葉で飾っています。

  ・その結集軸こそ、日々の暮らしを大切にし、漸次の改革を志向する「真正保守」の立場であると私は考えている。

 この厚かましい言葉は、読者を惑わす「卑怯者」の囁きでないかと「ねこ庭」には聞こえてきます。

 続きを紹介します。

  ・石橋湛山と言えば、憲法との関わりで、興味深い論点がある。湛山は、「憲法九条凍結論」という独自な立場を打ち出していたのだ。

  ・この論は湛山自身も充分に展開し切れていないし、踏み込んで語ることで何らかの圧力を招き寄せることを嫌った節もある。

  ・その言わんとすることは、日本国憲法が描く国際的な平和社会は理想であるし、それを私たちは目指さなければならないが、

  ・いまの現実がそうでない以上、九条は凍結して、現実に対応し得る法的枠組みをつくるべきだ、との考え方ではないだろうか。

  ・未来に平和な世界をつくり得たときに、私たちは初めて九条を解凍し、それを本当の指針として持つことになるだろう、と。

 なるほど、ここで分かりました。1月1日の共同通信社の記事にあった氏の意見は、昨年10月発行の『文藝春秋』から来ていました。

 ・戦後日本は平和憲法と共に始まったわけですが、そこで立ち止まっている。これでいいのか。
 
 ・憲法9条というのは、先にある目標ですよ。平和憲法に「していく」プロセスが大事なのです。
 
 上記青字表示は共同通信社に書いていた氏の意見ですが、「九条の凍結」「現実に対応し得る法的枠組み」という意見を読みますと、石破首相とそっくりな氏を発見します。
 
 現実には出来ないことを、出来そうな顔をして喋る・・・よく似ている気がします。このような言葉の遊びで、国民が騙されると考えている「無知」と「厚顔」さが似ています。
 
 息子たちと訪問される方々に知ってもらいたいのは、保坂氏だけでなく、大きく氏を取り上げている「文春オンライン」と「共同通信社」 の「無知」と「厚顔」ぶりです。

  ・緊急事態条項を創設しようとするような動向を注視しながら、私たちは、かつての「真正保守」の政治家たちが、叡智を傾けた憲法論を吟味し直すべきなのである。

  ・現在の政治の陥没状況は、意識的にせよ、無意識にせよ、それを維持してしまっている国民の責任ということにもなる。

 「陥没状況」を作った張本人の一人である氏が、国民の責任を語ります。「厚顔」というより、ここまできますと、他人に責任を転嫁する「卑怯」さが見えてくる気がします。

  ・つまり、「真正保守」の再興とは、私たちの政治意識、歴史意識の問い直しがなければ実現できないのだ。

  ・この連載のために私は、「真正保守」政治家十カ条を熟考してみた。

  ・以前、「首相の七条件」を発表したが、今回はそもそも政治家であるための条件を問うものだ。初公開ということになる。

 ちょうど良いところでスペースが無くなりました。一息入れないと、本気で続ける気になれません。後刻に、再開します。