ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

中曽根元総理のこと

2011-02-04 00:03:09 | 徒然の記

 通常国会が始まった。毎日管総理が質問され、危なっかしい答弁を、やりきれない思いで聞いている。

 日の丸と君が代につき、疑問符をつける総理大臣の政府に対し、今も違和感を抱いているが、それでも先の選挙では民主党に投票した。民主党議員の大半は、「一国平和主義」の党員であるはずだから、将来にわたり、日本を担う政治家であるとは考えられないのに、それでも今回は自由民主党に投票しなかった。

 戦後の教育で、軍国主義の象徴として否定された日の丸と君が代、天皇に対し、敬意の念を抱く私は、優柔不断な国民の一人かと自分では思っている。

 学生時代から、右に左にと思想の波に翻弄されて来たが,誰に教えられた訳でもなく、自分を育んだ国は大切なものと言う思いは持ち続けている。どこの国の人間でも特別な思想の持ち主でない限り、生まれた国を愛し、誇りに感じながら生きていて、それが普通の人間の普通の姿だと思っている。

 天皇を税金泥棒と言ったり,日本だけが、恥じるべき間違った過去を持っていると、必要以上に卑下したりする人たちとは、もちろん相容れない。

 前のブログでも書いたが、いつかは自由民主党が政権に復帰するのであり、一票を投じたいと願っているものの、これまでの国会のやり取りを見ているとその日は遠いと思わざるを得ない。

 今の国会で党の資質を問われているのは、自由民主党そのものだとなぜ気づいてくれないのか、もどかしくてならない。予算を人質に政争を続け、閣僚の失言や言葉尻を捉え倒閣に走ったり、大事な国の針路や、国民生活の再建に取り組もうとしない自由民主党の愚行を、情けなく思っているのは果たして私一人なのだろうか。

 最近はもう、民主党も言わなくなったが、ここまで財政を悪化させ,社会保障制度を疲弊させ,国力をじり貧にしたのはかっての自由民主党だ。自浄能力が無かったから、国民が民主党を選んだのだと分かっているのなら、国会の論戦にもっと違うアプローチがなくてならない。

 内容の乏しい非難や中傷で、民主党の閣僚を罷免したり、審議拒否をしたり、政争に明け暮れる政治屋なら、この姿でも良しとするのだろうが、私のように、選挙の一票を持っているだけの国民からすれば、真の保守とは何なのかと考えてしまう。

 そういう政治家は、消えてしまったのだろうかと嘆くしかない。与謝野さんが大臣になったからと、与党でも野党でも非難する議員が多数いる。選挙目当てに増税無しと合唱するが、それならば、現在の国家財政の破綻をどうするのかということになると、途端に曖昧になってしまう。

 ところがなんと中曽根元総理が、「与謝野さんに存分やらせるべきだ」と意見を表明した。彼のような人物を、真の保守主義者と言うのだろうかとつい胸が熱くなった。

 氏はかって、自らにかかった殖産住宅収賄疑惑を乗り切り、田中曽根内閣などとマスコミに揶揄されながら、総理に就任した後は自らの政治を貫いた老練な政治家でもあったことを思い出した。

 清濁合わせ呑む人物とは彼のことだったのかと、情けない自由民主党の議員ばかり目にしているせいなのか,単純な私はつい彼を見直したくなった。自由民主党をぶっ潰すと言い、本当にぶっ壊してしまった小泉さんも、頑固さと実行力とで鮮烈な印象を残しているが、今の時期においては、中曽根元総理に及ばない気がする。

 かっての青年将校も、枯れた老人となってしまったが、背筋を伸ばし凛とした姿は、今でも「日本国総理大臣」の風格そのものに見える。自民党よ、しっかりしてくれと祈る思いで、明日もあさっても、懲りずに国会中継を見ることとしよう。

 久しぶりにブログに向かい、それこそ「気まぐれ手帳」そのものという、支離滅裂な有様になった。こんな情けない繰り言は、自分でも読み返したくない。しかし、もしものこと、このブログを見る人間の中に、保守の議員が混じっていたとしたら、二度でも三度でも、読み返してもらいたいものだ。

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