ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日露戦争』 - 3 ( 社会に紛争の種をまく人々 )

2021-09-18 16:14:34 | 徒然の記

 朝鮮における日露の対立は、箇条書きにしますとよく分かります。

 ・日清戦争で日本が勝利すると、朝鮮国王の皇后閔妃は親日政策を取るようになった。

 ・三国干渉により、日本が遼東半島を還付させられると、閔妃は親日政策をやめた。

 ・閔妃は排日政策を取り、ロシア公使ウェーバーへ接近し、親露政策に転換した。

 ・駐鮮日本公使三浦梧楼が、政敵の国王の生父大院君を担ぎ出し、王宮を襲い閔妃を殺害させた。

 ・朝鮮国王と皇太子が、ロシア公使館に居を移した。

 「三浦梧楼の行ったことは、日本政府の意図を超える出先官僚の、国際的破廉恥行為であった。」と、下村氏が説明しています。日清戦争後の「三国干渉」の中心がロシアで、その憎きロシアに閔妃が乗り換えたとしても、直接手を下したのが反閔氏派の朝鮮人だったとしても、三浦公使の行為は犯罪です。

 国王と皇太子がロシア公使館へ居を移すと、当然ロシアの影響力が大きくなります。国力のない日本は、ロシアとの妥協を図ります。

 ・明治29年5月 「小林・ウエーバー覚書」

 ・明治29年6月 「山県・ロバノフ議定書」

 などを結び、ロシアが国王と皇太子に、王宮へ戻ることを勧告するよう約束させたり、日露が同数の軍隊を朝鮮に派遣する取り決めをしました。翌年の明治30年に、国王高宗と皇太子は王宮へ戻りますが、ロシア公使館滞在中に、次のことを決めていました。

  ・京仁鉄道敷設権と平安北道の金鉱採掘権を、アメリカに与える。

  ・京義鉄道の敷設権をフランスに与え、軌道はロシア式とする。

  ・咸鏡北道の鉱山採掘権、茂山・鴨緑江・鬱陵島の伐採権をロシアに与える。

  ・ロシア人を朝鮮政府の顧問とし、財政、軍事を監督させる。

  ・ロシア人士官が朝鮮軍を訓練し、京城にロシア語学校を開設する。

  ・京城に、ロシア資本による露韓銀行を設立する。

 この他に密約として、以下のことも決めていました。

  ・内乱と外国の侵略に対して、鎮圧・防衛の任をロシアに与える。

  ・仁川沖に、ロシア海軍のため、44,000平方メートルの租借地を与える。

 ロシア公使館に滞在中、ロシアが国王を脅してそうさせたのか、国王が自らロシアの提案を受け入れたのか、どちらにしても、日本には不利な政策でした。明治30年に、日本はロシアと東京で会談し、少しでも勢力を挽回しようと「西・ローゼン協定」を結びます。

     1 .   日露は、軍事・財政上は韓国に対し、同等の地位に立つ。 

     2 .  経済上は、日本の優位を認める。

 2 . については氏が、具体的条文を紹介しています。当時の状況を知る参考になりますので、そのまま転記します。

 「ロシア帝国政府は、韓国における日本の商業及び工業に関する企業の、」「大に発達せること、居留日本国民の多数なることを認むるをもって、」「日韓両国間における、商業上・工業上関係の発達を妨害せざるべし。」

 当時の日本から、商業施設、工場建設投資が活発に行われ、日本人も多数移り住んでいたことが窺われます。大国ロシアが、日本に対していかに厄介な国であったかも、同時に伺われます。それ以上に、大事な点は、韓国の意見や意思がどこにもないまま、日露両国が勝手に韓国の政治・経済政策を決めていることです。

 退屈な条文まで転記しているのは物好きからでなく、息子たちに、国際社会の恐ろしさを知ってもらいたいためです。無力な国が強い国により、どれほど蹂躙されるのかという実例を示しています。114年前の出来事ですが、国際社会では、現在も同様のことが行われています。

 マスコミが伝えないだけで、アメリカ、中国、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアが、世界各地でやっていることに変わりはありません。世界の紛争地域では、必ずこれらの強国が背後にいて、自国の利益のため動いています。紛争の生じた国に、彼らが介入し、さらに紛争を大きくし、武器を売ったり、領土を奪ったり、傀儡政権を作ったり、ろくなことはしません。

 餌食となる紛争国には、敵国のために働く裏切り者がいて、騒ぎを起こす手伝いをします。チベットやモンゴルやウイグルだけではありません。アフガニスタンも、イラクもイランも、ベトナムも北朝鮮も、調べて見れば同じ動きがあります。

 息子たちに言います。日本はそんな国ではないと、安心していると大間違いをしまい。沖縄で「独立論」を唱えている者たち、北海道で「アイヌの自治権」を主張している人間たちは、日本に騒ぎを起こし外国勢力の手引きをする日本人です。

 朝鮮も最初から、他国に踏み荒らされていたのではありません。50年、80年という時間をかけ、ゆっくりと浸食され、崩壊しました。日本も今、ゆっくりと時間をかけ、崩壊の道を歩いています。自分の国を守れない憲法を、「平和憲法」と主張することからして、その萌芽です。男女平等と言い、「皇室」を消滅させようとする人間たちも、外国勢力の手先です。

 彼らのやっていることは、社会を騒がせ、紛争を起こし、やがて外国勢力介入の道を開きます。極論すれば反日野党や日本のマスコミのほとんどは、日本崩壊のための煽動者です。これまで何度か指摘してきましたが、保守自民党の中にも、日本の騒乱と弱体化に貢献している議員たちがいます。

 今回も書評を外れましたが、日本の危機がそれほど迫りつつある今、せめて「ねこ庭」では、本音の意見を言わなければなりません。

 本人が意識していないとしても、これまでの言動を見ていれば、国賊としか思えない人物が何人か総裁選に立候補しています。ですから、私は言います。

 「河野太郎氏と共同通信社に、騙されてはなりません  ! 」

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自民党若手議員の判断基準

2021-09-17 22:15:23 | 徒然の記

 下村冨士男氏著『日露戦争』の書評は、本日も中止です。自民党総裁選の日程が、次のように決まりました。

  ・  9月17日(金)・・・本日、候補者名公示

  ・  9月29日(水)・・・総裁選投票 ( 国会議員・全国党員 )

 9月6日の千葉日報の記事を読み、9月15日に、「共同通信社世論調査」というタイトルでブログを書きました。「ねこ庭」を訪問される方のコメントがあり、次のように返事を入れました。

 「河野氏のような定見のない、皇室崩壊の議員に、どうして党内の若手はついていくのでしょう。そこが情けないところですが、私たちに分からない議員の事情があるのかもしれません。」

 本日手にした9月10日の千葉日報の記事に、答えが書いてありました。この忙しい時に、そんなことはどうでもいいじゃないかと言われそうですが。私にはどうでも良いことではありません。本日も急遽予定を変更し、この点について、息子たちに伝えなければなりません。

 日本を崩壊させようと企んでいる共同通信社は、千葉日報の6面のほぼ半分のスペースを使い、河野氏の出馬表明記事を掲載しています。

 「河野氏きょう出馬表明」「派閥、締め付け効かず」「若手は " 選挙の顔 "  優先」

 大きな活字で、見出しの文字が踊っています。私は、「若手は " 選挙の顔 "  優先」の見出しに注目しました。ここに若手議員が、河野氏支持に回る理由が説明してありました。

 ・若手議員は、選挙に弱い。

 ・衆議院 1~3 回生は、自民一強の追い風を受けた選挙しか知らず、足腰の弱い議員が多い。

 ・不安を抱える若手議員らは、「選挙の顔」を優先して選びたいとの本音が、隠せなくなってきた。

 ・若手にとって衆院選は生きるか死ぬか、派閥の論理より、総裁選びの方が大事だ。

 要するに自民党若手議員諸氏は、総裁候補の政治信条でなく、世間に人気のありそうな候補者を支援した方が、自分たちの選挙に有利だという判断です。これについて私は、反対しません。議員は「選挙に落ちればタダの人」ですから、自分の当選が第一です。野党であれ、政権党であれ、もっと言えば政党政治が始まって以来、議員の心理は不変です。

 私が今回議員諸氏を批判するのは、「選挙の顔」として河野氏に決めた、その判断基準の低さです。

 「自民党は日本の保守政党です。」と、分かり切ったことを河野氏は強調します。

 「国民のための、国民に寄り添った、温かい政治を実現します。」

 片手をあげ、力強く訴えますが、国を愛する国民は誰も、耳を傾けていません。リンカーンの言葉を真似ていますが、中身は何もなく、共産党の言いそうな甘い誘惑です。

 河野氏がこれまで喋ってきた暴言と、立候補以後の立派な主張との違いに、国民が不信感を抱いているのに、若手議員諸氏はそんな風潮にも鈍感なのでしょうか。

 私は千葉の選挙で、河野氏の一番弟子と自称する秋本真利氏と、公明党べったりの石井準一氏には、決して投票しませんが、同様のことが貴方たちの選挙区で生じます。自民党の中にいて、保守だと言いながら、やっていることが共産党員というのが、河野太郎氏です。そんな氏を、どういう判断基準で、「党の顔」だと思い込んでいるのでしょう。この時点で、若手議員諸氏は、自民党内の「獅子身中の虫「駆除すべき害虫」になっています。

 共同通信社は、大きな扱いで河野氏の出馬表明を扱っていますが、流石に国を愛する読者への配慮も忘れていません。

 「ただ麻生派のベテランを中心に、過去に脱原発や女系天皇容認を訴え、」「世論の批判が強い、ワクチン接種を担当してきた河野氏に慎重論があり、」「派を挙げての指示決定には、至っていない。」「他派でも、河野氏の言動に対し、警戒が絶えない。」

 共同通信社のこういう慎重な叙述に気づかず、派手な紙面で大きく扱われているから、人気があると勘違いするのでは、若手議員諸氏は自問党議員失格です。

 私の大切な息子たちのためだけでなく、若手議員諸氏のためにも、私はブログを書いています。「ねこ庭」のことなど、貴方たちは知らないし、知って欲しいとも思いませんが、忠告だけはしておきます。

 総裁選の投票が、議員だけでなく党員投票もありますので、各政党の党員数をネットで調べてみました。平成30年11月1日のデータですが、参考にはなります。

  自民党    107万人

  立憲民主党    76 

  国民民主党    77

  公明党      76 

  共産党      30

  日本維新        2

  社民党         1  

 こうして見ますと、自民党の党員数も人口比では、大したことがありません。冠婚葬祭だけに力を入れ、後援会にだけ頼っている自民党も、足腰の弱い政党ではありませんか。たった100万人台では、国民政党の名が泣きます。もしかすると、本物の保守の国民は、「支持政党なし」層の中に沢山いるのではないでしょうか。

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青山繁晴氏への敬意と感謝

2021-09-17 00:39:02 | 徒然の記

 今回も、急遽予定変更です。批判はしていますが、私は氏の動画【 僕らの国会  】を、ほとんど観ています。

 「僕はこの動画を、やめようかと思っています。」「僕の番組を見てくださっている、ご婦人の方から苦言を頂き、」「それが胸に刺さっています。」

 なんでもこの女性は、関西在住の人物らしく、関西人である青山氏が、東京弁で喋るのが気に入らないとのことです。また、隣に座っているアシスタントの三浦氏とのやりとりが、礼を失しているなど、つまらない指摘です。

 反日・左翼の女性の攻撃には負けないのに、保守系の女性の嫌味には、心が萎えてしまうようです。意外と繊細で、気弱な氏を知りましたので、保守系の私が批判していたことが知れたら、やはり気になるのでないかと心配します。

 そこで今夜は、【 僕らの国会  】を継続してくださいと、お願いするとともに、青山繁晴という政治家について、私がどう考えているのかを正直に述べます。

 1. 【 僕らの国会  】の動画を通じて、

   ・自民党内の活動、特に各種委員会の内容が、国民に伝わるようになった。

   ・政府官僚の対応の実態や、議員相互の上下関係、力関係などがわかるようになった。

   ・ほとんどツンボ桟敷に置かれていた国民に、政府内、国会内での事情が伝わるようになった。

   ・結果として、自民党の議員や政府官僚が、姿勢を正して政治をしなければならなくなりつつある。

   ・青山氏は、ネットというツールを使い、政治刷新を行なっている。

   ・他の議員が真似のできないことであり、日本のために有意義、かつ貴重な活動である。

 2. 「護る会」の活動を通じて

   ・本来、自民党本体がやらなくてならない、愛国の政策を本気で進めている。

   ・「憲法改正」を直接掲げていないが、「護る会」の3つの基本方針は、日本の基礎となるものである。

       1.  ただ一系の天皇陛下のご存在を護るために、皇位継承を正しく安定させる

                  2. 中韓による国土の浸食を阻み、回復する

                  3.   主要国にあって日本にだけ欠けている、スパイ防止法を制定する

    ・「護る会」の活動が、自民党を本来の保守政党へ戻しつつある。

   ・「土地規制法」、「国民投票法」を成立させ、「11宮家の皇籍復帰」を有識者会議の目的に加えさせたのは、「護る会」の活動である。

   ・「護る会」には、派閥を超えて、国を愛する自民党の議員が集まっている。

   ・「護る会」は、自民党を本来の姿に戻す希望の会派である。

   ・「護る会」の中心にいる青山氏は、自民党復興の旗手であり、日本政治刷新の旗手でもある。

  従って私は、批判はしますが氏に対して、「敬意」と「感謝」の気持ちを常に持っています。関西在住の保守系女性の「つまらない苦情」などに負けてはなりません。三浦秘書の言葉を借りるなら、

 「天下国家のため、動画【 僕らの国会  】は続けてください。」

 これが私の、お願いです。青山氏の目には届きませんが、私はこれで自分の気持ちに整理をつけます。

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共同通信社の世論調査

2021-09-15 16:48:33 | 徒然の記

 千葉日報社を牛耳る大手通信社のせいで、私の読書計画が遅れます。9月6日の千葉日報には、もう一件、見過ごせない記事がありました。

 見出しを転記すれば、私の懸念が即座に分かります。

 「共同通信社世論調査」「次期首相トップ河野氏」「石破氏27%  岸田氏は18%」

 私の支持する高市氏の名前は、見出しのどこにもありません。河野、石破、岸田3氏の中で、一番不人気なのが石破氏で、次に人気のないのが河野氏です。ネットの情報では、強いて言えば三人の中のトップは岸田氏です。

 「共同通信社は、どこでアンケート調査をしたのだろう。」

 真っ先に頭に浮かんだのが、この疑問でした。世論を無視したこんな結果が出るとしたら、アンケート調査場所は2箇所しか思いつきません。

   1.   共産党の本部事務所  2.  立憲民主党の本部事務所

 総裁選の結果を見なくてはなんとも言えませんが、ここまで大きくずれた世論調査は、もしかすると貴重な捏造記事の証拠になるのではないかと、ブログに残すことにしました。結果次第では、アメリカの大統領選挙で、トランプ氏を徹底的に誹謗し、不正選挙のバイデン氏を持ち上げた、アメリカのマスコミと同じことをしようとしているのでしょうか。つまり、

 「国をあげての、情報操作。」「善良な国民を騙す、偏向報道」

 アメリカに右へ倣えの日本ですから、笑っておれない日本のマスコミです。記事の書き出し部分と、各候補の支持率を転記します。

 「菅首相の退陣表明を受け、共同通信社が4、5両日に実施した、」「全国緊急電話世論調査で、次の首相に誰が相応しいかと、聞いたところ、」・・ここから各候補の支持率が書かれています。河野氏だけには、 「トップだった」とコメントが入ります。

       1 .   河野太郎行政改革担当相  31.9 %       トップだった

          2 .   石破茂元幹事長      26.6 %

          3 .   岸田文雄前政調会長    18.8 %

 「自民党議員7人を上げた質問。4位以下は、」と説明が入り、記事が続きます。

    4.   野田聖子幹事長代行     4.4 %     

         5 .   高市早苗前総務相      4.0 %

         6 .   茂木敏充外相        1.2 %

         7 .   下村博文政調会長      0.6 %

 共同通信社の捏造・偏向報道は、総裁選の後に判明しますから、これ以上は言及しません。息子たちには、私がなぜ河野氏を不適任とするのかにつき、理由を述べたいと思います。

 YouTubeの動画で、高市氏と河野氏の総裁候補の出馬表明を見ましたが、大きな違いがありました。高市氏に対して、記者たちの質問は概して敵対的でした。特にTBSの記者と称する、女性の質問者は、名前を忘れましたが、剥き出しの敵意でした。詳細は省きますが、氏の「弱者切り捨て発言」と「靖国参拝」に関する冷たい質問でした。さらには、この人物も名前を忘れましたが、会見の最後に大声でやじった記者がいました。

 河野氏の出馬表明は、氏の独演会で、終わった後の質問もありきたりでした。微妙な問題には、そっけなく答え、睨み返していましたから、記者も深追いしませんでした。

 「日本にとって一番大切なものは、皇室と日本語です。」

 開口一番、河野氏はこう言って会場を見渡しました。意外と雄弁で、淀みない口調でした。しかし、氏の言葉は全てが軽く、総理候補の重みと深みがないと感じました。

 一番大切なものは皇室だと言いながら、女性天皇や女性宮家を是とする意見を述べるのですから、本気で日本を考えていないことが分かります。私には、舌先三寸の出まかせで、その場さえ切り抜ければ良いという姿勢に見えました。

 息子たちのために、令和2年8月24日の朝日デジタルの記事を紹介します。河野氏の意見が伝えられていますが、分かりやすくするため、箇条書きにします。(  ) 内の言葉は、朝日デジタルの注釈です。

 〈  皇室についての意見   〉

  ・天皇家は、父方の天皇の血を引く男系で、千年以上生きている。

  ・続くなら、男系がいい。

  ・皇后の雅子さまや、秋篠宮妃の紀子様を見て、皇室にお嫁入りしてくれる人が本当にいるのだろうか。

  ・男の子を産めというプレッシャーが、ものすごくかかってくる。( 男系男子に限った皇位継承のあり方に疑問をにじませた形だ。)

  ( 女性皇族が結婚後も皇室にとどまる、「女性宮家」の創設を念頭に )

  ・今は結婚すると女性は皇室から外れるが、女性も皇室の中に残す。

  ・皇位継承資格のある男系男子がいなくなった時は、天皇家の長女愛子さまから順番に、女性の皇室のお子さまを天皇にしていく、というのが一つある。

  ( 河野氏は2016年10月のブログでも、次のように述べている。)

  ・男系、女系に関わらず、皇室の維持を図るべき。

  ・女性宮家の創設を可能とし、皇位継承のルールを、天皇の子なら男女を区別しない「長子(第1子)優先」に改める。

  ・女性・女系天皇を可能とする、皇室典範の見直しを提言する。

 今回の総裁選では、「男系相続を第一として、考えています。」と答えています。その意味するところは、「続くなら、男系がいい。」という程度の認識です。男系を守る工夫をしなければ、「皇室」が崩壊するという危機感はどこにもありません。

 氏の意見を実行すれば、「小室氏」と眞子さまの子供が天皇になることを、否定しません。それだけでなく、女性宮家の内親王様が外国人と結婚され、お子様が生まれたら、そのお子様も天皇になられることになります。

 その外国人が、現在日本に敵対している中国や、韓国・北朝鮮の男性だとしたら、国民はそれを河野氏のように、「なんでもどうぞ」と受け入れるのでしょうか。前回のブログで述べましたが、中華思想というのは、一度信じてしまうと抜けられない宗教の一種です。

 これは、儒教的価値観から発展した選民思想であり、激しい蛮夷排斥思想です。もしもこうした人物が皇室に入ったら、皇室はかき乱されます。違った考えの人間が入ってくると、無防備な皇室の方々は無力です。KK問題ひとつとっても、秋篠宮様のご家庭がどれほどの重荷を抱えられ、解決のつかない苦しみを続けられているか、国民は見ています。

 こんな重大事でも、何も感じない河野氏が、どうして「総裁候補のトップ」なのでしょう。「天皇家は、父方の天皇の血を引く男系で、千年以上生きている」と、氏は言いますが、「生きている」などと、いったいこの日本語の使い方は何なのでしょう。「日本にとって一番大切なものは、皇室と日本語です。」と、大見えを切りながら、氏の日本語からして意味不明です。日本を大切にする国民は、河野氏の破壊的愚かさと、共同通信社の大嘘に必ず気づきます。

 この記事は、野中教授の「寝言」報道とはレベルが違います。大切な皇室を崩壊させる、恐ろしい記事です。次は私の結論というより、切望です。

 「河野太郎氏にも、共同通信社にも騙されてはなりません ! 」

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野中教授の菅総理批判

2021-09-14 17:51:17 | 徒然の記

 「温故知新」の読書も大事ですが、日々の出来事も疎かにできません。9月6日の千葉日報に配信された、共同通信社の記事を読み、看過できなくなりました。

 「識者評論」というシリーズ記事に、今回は、学習院大学の野中尚人教授が寄稿しています。共同通信社が取り上げる「識者」には、ロクな人物がいないので普通は読まないのですが、タイトルに引かされ、読みました。

 「菅首相退陣」「指導力欠如の結末だ」「権力闘争、国民不在」

 私も菅総理を批判していますから、野中氏が識者としてどのような観点から意見を述べているのか、興味を覚えました。

 冒頭は、菅総理が、総裁選に立候補しないと表明したことに関する批判です。

 「だが実態は、コロナ禍で国民への説明責任を果たさないまま、」「内閣支持率が低下して、再選がおぼつかなくなったから、」「不出馬を決断したのだろう。」

 国民の誰もが考えていることを述べており、目新しい意見ではありません。

 「こうした政治姿勢は、安倍晋三前首相の時から変わっていない。」「つまり、国民に向き合わない体質を、継承した結果である。」

 共産党を支持しているのか、立憲民主党を応援しているのか不明ですが、識者の意見というより、反日野党の代弁であることが見えてきます。前向きな意見というより、悪口でした。

 「コロナ禍のような有事では、平時にも増して、宰相の資質が問われる。」「今回の辞意表明は、菅首相のリーダーシップ欠如の結末だ。」

 「武漢コロナ」の蔓延には、世界中の政治家が悪戦苦闘し、抑え込みに成功したトップは、誰もいません。氏は国際社会に目を向けず、菅総理だけを見ているようです。

 「安倍前首相の時には、官房長官として役割を果たせたかもしれないが、」「国家のリーダーとしての才覚は、持ち合わせていなかった。」

 氏に説明されるまでもなく、国民は誰も気づいています。遠慮ない批判を控えているのは、「武漢コロナ」の手強さが並大抵でないと知っているためです。菅総理を批判しながら、安倍前総理を批判し、自民党そのものを批判しているのですから、氏は反日野党の代弁をしているに過ぎません。

 「自民党のやり方は、全くの旧態依然で、政権交代がない一党優位をいまだに前提としている。」「国民不在も、甚だしい。」

 ちょっと待ってください先生と、言いたくなるではありませんか。自民党が一党優位を維持しているのは、民意です。批判するのなら反日野党の方で、自民党に言うのは筋違いです。

 野党が要求する国会開会を受け入れない、自民党への批判が続きます。

 「そこから逃げてきた菅首相、そして自民党は国民に背を向けている。」「もはやこの期に及んでは、自民党のためにも、」「次の衆院選で政権交代した方が、古い体質から脱皮するため良いのではないか。」「それが国民のためにもなると、考える。」

 だから反日野党へ政権をと、氏は言っていますが、この人には状況判断の常識があるのでしょうか。野党が自民党より優れた政党なら、いつまで経っても一桁台の支持率で推移するでしょうか。国難時の国会であっても、新聞や週刊誌のゴシップで国会を紛糾させたのは野党でした。重要議題をそっちのけで、つまらないスキャンダルで国会を空転させたのも、野党でした。不甲斐ない自民党より、さらに不甲斐ない野党だから、国民の支持がない事実を氏はスルーしています。

 次第に批評する気持ちが薄れてきましたので、私は息子たちに、父としての結論を述べます。 

 1. 自分も菅総理を批判しているが、こんな人物と同じに扱われては迷惑する。

 2. 批判する前に、菅総理に対してはご苦労様という感謝の気持ちが必要。

 3.  野中氏の主張は識者の意見でなく、反日・左翼野党の代弁に過ぎない。

 4. 私はこんな愚見を読むために、千葉日報新聞を購読しているのではない。

 5. 共同通信社は、読者に背を向けている会社だ。

                         以上です。

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『日露戦争』 - 2 ( 中華思想と事大主義 )

2021-09-14 07:28:16 | 徒然の記

 19ページが、この本の書き出しです。冒頭の部分を転記します。

 「朝鮮国は、明国を宗主国と仰いでいたので、」「17世紀に清国が、明国を倒す軍を起こした時、清国と戦った。」

 説明なしに書かれていますが、私はこの叙述が、朝鮮を語るとき忘れてならない貴重な事実を教えていると考えました。朝鮮が、「事大主義」を国是として生きるようになった、厳しい現実が語られているからです。

 かって朝鮮のご先祖は、信じるもののために、本気で戦った過去がありました。卑怯者の指導者ばかりで、右顧左眄する民族ではなかったことも知らなくてなりません。今回も本題を外れますが、私たちが、現在の韓国・北朝鮮を理解する上で、不可欠の情報です。息子たちに正く伝えるには、まず「中華思想」について知る必要があります。ネットの情報に助けてもらいました。

  〈 中華思想(ちゅうかしそう) 〉

  ・ 中華が、天下 (世界) の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する思想

  ・「」は、「文明」の意味であり、「中華」とは文明の中心を意味する言葉である。

  ・ 漢民族が昔から持っている思想であり、自民族中心主義である。

  ・ 彼らは自国の美称として、「」、「華夏」、「中国」、を用い、王朝の庇護下にない異民族を、文化程度の低い「夷狄(蛮族) 」として卑しむ。

  ・ 儒教的価値観から発展した選民思想であり、激しい蛮夷排斥思想でもある。

  ・ 漢民族の中国を中心とした世界秩序を、「華夷秩序」と呼ぶこともある。

 長い中国の歴史の中で、漢民族の王朝は意外に短く、元や清などは漢民族の体制を真似ていますが、征服民族と呼ばれる異民族です。「漢、普、隋、唐、宋、明」が、漢民族の王朝と言われています。従って、明国を滅ぼした清国は朝鮮の敵であり、「夷狄」になります。

 朝鮮は国を上げて明国のために、清国と戦いますが、宗主国明を破った清に大敗します。

 「嘉永14年 ( 1637 ) 年の冬、清国皇帝が自ら10万の軍隊を率い京城に侵入、」「朝鮮国王に城下の誓いをさせ、以後朝鮮国は、清国を宗主国と仰ぐことになった。」

 冒頭のたった4行ですが、朝鮮の苦悩が集約されています。簡単に言いますと、清国と朝鮮の武力には、象と蟻の差がありましたから、「面従腹背」で従う以外国を存続させる手段がありませんでした。彼らは密かに「小中華思想」を考え出し、漢民族の明国が滅びた以上、正当の中華思想は朝鮮にしかない、という自負を持つようになります。

 愚かな考えと、笑う人がいるのかもしれませんが、私は笑いません。「中華思想」は、現在で言えば、「マルクス主義」と同じです。時代がどう変わろうと、矛盾がいくら生じようと、一度信じると転向できない左翼政治家や、活動家を見れば分かるとおりの思想です。

 マルクス主義より長い歴史を持つ思想ですから、朝鮮人のDNAに組み込まれているのではないでしょうか。過激な反日・左翼の人間と暮らせないのと同じ話で、過激な中華思想の彼らとは。ともに生きられません。朝鮮が日本と争わないようにする方法は、日本が戦前と同じ強い国になるしかありません。

 元々中華思想は選民思想で、激しい蛮夷排斥ですから、「和をもって尊し」とする日本人とは共生できません。彼らが妥協するのは、日本が彼らを凌ぐ存在になった時だけです。巨大な清国の武力の前に「面従腹背」したように、事大主義の国は生き延びるため、強い者に膝を曲げます。

 戦後の日本に対し、彼らが無闇に居丈高になった理由は簡単です。「日本だけが間違っていた。」「日本だけが無謀な軍国主義で、アジア諸国を侵略した。」と、東京裁判で宣告され、日本が反論できない弱い国となったからです。国際社会で孤立した弱い国を攻撃するのは、事大主義の国が得意とするところです。

 私は韓国・北朝鮮の悲劇を理解しますが、肯定する気はありません。捏造の反日教育で憎悪を国民に据えつけ、反論しない日本を足蹴にする無礼は許しません。日本には、日本の文化と伝統がありますから、韓国や中国の中華思想を取り入れることはできません。天皇陛下を中華に隷属する王の一人だと、NHKや朝日や共同通信社が報道しても、そんな意見には与しません。

 古代の中国は日本の先生であり、沢山のことを親身に教えてくれました。日本文化の底流には、中国の文化が流れています。敬意を払い、尊敬するとしても、朝鮮と同じ属国ではありません。「和を尊ぶ国」という考えは、自分を殺して従う意味ではありません。互に認め合い、対等の国として仲良く暮らすことが「和」です。

 力でねじ伏せ、攻撃してくる相手とは戦います。それが本当の日本であり、日本人ですから、反日・左翼の野党議員は敵です。自民党の中にいる「反日」議員も、「駆除すべき害虫」です。NHK、朝日新聞、共同通信社も、反日の報道をする限りは敵です。

 書き出しの部分の4行が、以上のことを教えてくれました。積み重ねてきた「温故知新の読書」のおかげだという気もします。今回も横道へ入り込みましたが、私には横道も本道もなく、学徒としての読書を進めていくだけです。

 しかしメインは、『日露戦争』の書評ですから、下村先生に礼を欠かないため、次回は本題に戻ります。

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『日露戦争』 ( 国民をダメにする韓国の指導者たち )

2021-09-13 17:15:12 | 徒然の記

 下村冨士男氏著『日露戦争』( 昭和41年刊 人物往来社 ) を読み始めました。ネットで調べた氏の略歴は、次の通りです。

 「明治40年生まれ、昭和7年東大文学部卒」「昭和12年外務省嘱託として『大日本外交文書』を編纂」
 
 「旧制高知高校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、昭和31年東大国史学科助教授」「昭和34年米国ミシガン大学客員教授、昭和35年教授」「昭和43年愛知県立大学教授となるが、昭和45年死去 ( 63才 )」

 「反共主義者として知られていたため、東大国史学科赴任には反対の声があったという。」

 このため氏は、ミシガン大学へ行ったのかもしれませんが、今も日本の学界では、反共主義者 (保守) のレッテルを貼られると、大学関係、政府関係、マスコミ関係で活躍の場が減ります。

 現在110ページを読んでいますが、中庸の叙述で過激な言葉はありません。内容は、「極東の日露対立」「日露開戦」「終戦交渉と列国の動き」の三部分からなっています

 これまでの読書で得た知識を、整理しますと次のようになります。

  1. 明治27年  日清戦争  伊藤博文首相  陸奥宗光外相   明治天皇

  2. 明治37年  日露戦争  桂太郎首相   小村寿太郎外相  明治天皇

  3. 明治43年  日韓併合  桂太郎首相   小村寿太郎外相  明治天皇

 いわば日清戦争も、日露戦争も、発端は朝鮮の支配権の奪い合いです。列強が植民地を広げていた時代だったとはいえ、朝鮮の立場に立てば屈辱的な出来事です。当事者を除け者にし、自国の支配権が争われるのですから、韓国・北朝鮮人々が怒りに燃える気持ちも、分からないではありません。

 分からないのは、どうして、同じことをした清国やロシアを憎悪せず、日本にだけ敵意と憎しみを抱き続けるかという点です。小国だった日本は、国運を賭して戦わなければ、植民地化されていました。松下、下村両氏の著作を読み、日清・日露戦争の中身を知るほどに、現在の日韓関係の異常さを感じます。

 ここにネットで検索した、日本共産党の「赤旗電子版」の記事がありますので、紹介します。令和元年8月15日に行われた、韓国「光復節」の記念式典における、文在寅大統領の演説を伝えています。

 記事の見出しからして、反日・左翼の共産党らしい偏った扇動です。

 「いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態」「脅迫と強圧で実現した 韓国併合」

 共産党が、いつまで経っても国民政党になれないのは、こういう反日の記事を世界に発信し、事実を針小棒大に歪めるからです。歴史の事実を調べれば、「脅迫と強圧」で植民地支配を広げたのは、むしろ西欧列強とロシアなのに、そこは触れません。共産党は、文大統領の演説を紹介し、彼らの憎しみを助長しています。

 「清日戦争、露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日。」「韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日本の植民地支配から解放されたことを記念する、」「光復節(8月15日)の演説でこう述べました。 」

 これが記事の書き出しで、次に大統領の演説が続きます。

 「戦前の日本帝国主義による侵略と、36年間の植民地支配は、」「韓国の人々から国を奪い、人間の尊厳を奪い、」「言葉や名前すら、奪いました。」「韓国国民の中に、その傷痕と怒りは今も消えていません。」

 「日韓関係を改善するうえで、加害者である日本が、過去の植民地支配にどう向き合うかは決定的です。」「日本の植民地支配は、どのように進められたのか、改めて考えます。」

 文氏は大統領として、本当に国を思うのなら、自国の歴史の中に不甲斐ない指導者たちがいて、いかに国の弱体化を招いたのかを、国民に伝えなくてなりません。自国のご先祖さまの自己保身と、愛国心の無さが、列強の支配を許したのだと教える必要があります。いつまでも自分にたちには責任がなく、他人が悪いという「他責思考」では、独立国になれません。

 毎年繰り返される光復節での大統領の挨拶を読み、日本共産党や野党の同調意見を知るとき、韓国への哀れみと、日本の反日野党への怒りを新たにする私です。

 偶然、「赤旗電子版」の記事を見つけたため、話がそれてしまいました。息子たちに、日本共産党のおかしな記事を紹介できたので、良かったのかもしれません。こういう反日・左翼政党に、間違っても政権を担わせてはならないと、生きた勉強になります。彼らは、日本国民をダメにするだけでなく、韓国の指導者たちと一緒になり、韓国の人々もダメにしています。

 次回から、氏の本へ戻ります。

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『日清戦争』 - 6 ( 三国干渉 の結論)

2021-09-11 17:57:20 | 徒然の記

 323ページ、この本もそろそろ終わりです。本は終わりですが、書かれている国際情勢は、現在の日本に繋がっています。亡国の憲法を有り難がり、日本だけが悪い国だったと信じる、自称平和主義者たちは、松下氏の著書を読んでみたらどうなのでしょう。

 「下関条約調印から7日後の4月23日、在東京の露、独、仏三国の公使が、」「外務次官林薫 ( ただす  ) を訪ね、」「日本が遼東半島を所有することは、東洋の永久平和に害があるから、」「速やかにこれを放棄すべしと、勧告した。」

 なんと、たった1週間後に、ロシア、ドイツ、フランスが干渉してきました。交戦国同士が調印した条約に対し、他国が、白昼堂々と嘴を入れてきたのです。

 「日本国憲法」が言う、「平和を愛する諸国民の公正と信義」が、どこにあるのでしょう。ロシア、ドイツ、フランスがやっていることのどこが、「公正と信義と平和を愛する国」なのでしょう。国際社会の不安定さと、危険さを忘れた日本人に対し、何度でも言いたくなります。昔の話で終わっているのでなく、今でも世界の国は自国の利益のため、せめぎあいをしているのです。

 各国の思惑と変身について、著者が分かりやすく説明していますから、要点を抜粋します。これで理解できない、人道主義者と平和主義者は「お花畑の馬鹿者」としか言いようがありません。

 1.ロシア  2.ドイツ  3.フランス  4.イギリスの、4つの強国の説明です。

 〈 1. ロシア  〉

  ・東侵政策をとっているため、日清問題には兼ねてから強い関心を持っている。

  ・積極策に出るには準備不足のため、現状維持を策し、局面を注視していた。

  ・たとえ戦火が広がっても、清国が勝利し、現状維持にとどまると見ていた。

  ・ロシアの現状維持策は、たまたまイギリスの政策とも一致していた。

  ・戦争が意外にも発展し、意外にも日本が大勝したため驚いた。

  ・遼東半島が日本のものになると、現状維持策が破綻するので、積極策に出た。

  ・大蔵大臣ウィッテの大演説が、ロシアの国論を決めた。

   「台湾の割譲を許すとしても、旅順・大連を含む遼東半島の割譲は、」「どうしても、防止しなければならない。」「ロシアは武力をもってしても、日本兵を遼東半島から駆逐しなければならない。

 〈 2. ドイツ  〉

  ・開戦当初から必ずしも日本に敵意を見せていなかったが、行動には曖昧な点があった。

  ・日本に対し同情・友誼をかわすと言いながら、密かに清国に戦時禁制品を輸出していた。

  ・自国の退職士官を、公然と清国へ関与させ、自国の利益を図っていた。

  ・もともと東洋にさほど利害関係がなく、進んで干渉する必要もなかった。

  ・露仏同盟を警戒していたため、急遽間に割り込んだ形であった。

 〈 3. フランス  〉

  ・当時の外交関係から見て、自国の生存上、ロシアと離れられない関係にあった。

  ・開戦当初は日本に敵意がなく、むしろ相当の好意すら持っていた。

  ・にもかかわらず、ロシアが干渉を決意し、ドイツがこれに応じる態度を見せ始めると、従わざるを得なくなった。

 〈 4. イギリス  〉

  ・当初、ヨーロッパ諸国で連合し、日本へ干渉しようと提議したが、ドイツに拒絶されて諦めていた。

  ・東洋に最も多く利害関係を持っていたため、露・独・仏の干渉を扇動したことは、史実に歴然としている。

 

 初めは積極的に干渉をするそぶりを見せなかった、ドイツとフランスが豹変したことについて、氏が興味深い意見を述べています。

 「これは全く、ヨーロッパの外交関係から生まれたものに、ほかならなかった。」「露仏同盟に危険を感じていたドイツが、この機会に、露仏二カ国の仲間入りをしたと言うことである。」

 「一国の利害関係が、〈昨親今敵〉の態度を平然と取らせることは、」「今も昔も変わらない、国際関係の複雑さである。」

 これとともに、次の叙述が「三国干渉」についての氏の結論です。

 「以上のことから、三国干渉の張本人がロシアであることは、明らかであるが、」「ロシアがその決心を固めたのは、ドイツの豹変に起因していることも分かる。」

 ちょうど書評が終わりましたので、私も結論を述べたいと思います。

  1. 1日も早く、亡国の「日本国憲法」を改正しなくてはなりません。

  2. 総裁候補では、日本の安全保障を第一とする、高市氏を応援するべきと思います。 

  3. 間違っても、「女性宮家」に賛成する反日・亡国の河野氏を支援してはなりません。

  賛成の方も反対の方もいると思いますが、これが私の結論です。

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『日清戦争』 - 5 ( 中国側に立つ、ネットの情報 )

2021-09-11 13:05:47 | 徒然の記

 明治24年の大津事件については、中学校の歴史の時間で習いました。日本訪問中のロシア・ニコライ皇太子が、警備に当たっていた巡査・大津順三に切り付けられた事件です。

 発展途上であった日本が、武力報復されかねない緊迫した状況下ですから、朝夜を上げて大騒ぎになりました。死刑にすべしという行政の干渉を受けながらも、時の大審院長の児島惟謙が、司法の独立を守ったという事件でもありました。

 その4年後の明治28年3月、下関に来日した李鴻章が宿舎に戻ろうとした時、暴漢に狙撃され負傷した事件については知りませんでした。氏の説明によりますと、当時の新聞は大事件として報道していますが、私たちの歴史教科書では、教えなかったのではないでしょうか。

 犯人小山豊太郎は、上州館林の生まれで、26歳の青年でした。戦争継続論者の彼は、李鴻章を殺せば講和が破れ、戦争が進むと思ったとのことです。犯人がどうなったのか、後の顛末は書かれていませんが、この時の明治天皇のお言葉に、私は関心を持ちました。遭難の報を受けられた陛下は、即座に言われたと書いています。

 「この際、前後の策を誤ってはならぬ。」「休戦のことは、先方が申し出ている通り、無条件にやってよろしい。」「なお償金も手心を加え、早く事件の決着をつけるよう、」「伊藤に伝えよ。」

 昭和天皇のお言葉に関しては、沢山本が出されています。つい先日はNHKが『昭和天皇拝謁記』と言う違法番組で、陛下を貶めていますから、色々知っています。しかし明治天皇については、現在では書物も報道もないため、どんなお言葉を述べられているのか、トント知りませんでした。

 氏の叙述を見ますと、明治天皇もやはり一旦緩急があれば、ご自分の意見を率直に述べられる方と知りました。元勲に担がれただけの、飾りの陛下ではなかったと言うことで、私には貴重な資料になります。

 明治28年3月、李鴻章遭難後の交渉の経緯を、時系列で抜書きします。

  1. 4月1日 日本側講和条約案を清国へ提示

  2. 4月5日 李鴻章が書面による回答 長文だが抽象的で具体案なし

  3. 4月8日 伊藤全権が切言した

    ・日本が勝者で、清国が敗者であることを忘れられては困る。

    ・不幸にして談判が決裂すれば、日本の大軍は北京へ向かうであろう。 

    ・その場合には、北京の安危を言うに忍びないものがある。

    ・清国全権大使が退去したのち、安全に北京へ到着しうるか、保証の限りでない。

  4. 4月9日 清国の修正案提示、談判を引き延ばす便法でしかない内容

  5. 4月10日 日本側の修正案提出 回答期限を4日後と宣言

  6. 4月17日 清国がついに譲歩し、日本側の案を承認 講和条約調印

    内容は、朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・膨湖列島の割譲、軍事賠償金二億両等

   これが下関条約と言われる、講和条約締結までの経過です。松下氏の説明を読み、私は敗戦国の立場を認めようとしない、清国の尊大さに不快感を覚え、日本政府の忍耐と覚悟に敬意を表しました。

 この間ネットで検索していましたら、松下氏と違う情報に出会いました。ここまで違う意見ですと、息子たちのためにも、報告する価値があります。

 「日本側は、清国使節の持参した委任状を問題視したが、」「これは世界的には、むしろ不評を買っていた。」「使節の全権委任を証明するのに、瑕疵があったのは確かだが、」「アヘン戦争以来、清国が外国と結んだ多くの条約には、そのような事例は数多くあり、」「使節の資格が問題になることは、きわめて稀だった。」

 「諸外国からは、露骨に交渉を引き延ばしたうえで、自国に有利な武力行使を、」「展開しているように、みられた。」

 この説明には無理があると、私は感じます。露骨な引き伸ばしをする余裕が、日本にはなかったからです。同じ情報が、次のように述べているところからも証明されます。

 「交渉に先だって陸奥は、時間はたっぷりあるのでゆっくりと話し合おうと、」「清国側に呼びかけたが、陸奥本人としては、」「内心、ヨーロッパ諸国諸国の干渉が気がかりで、」「実は一刻も早い講和成立を、念頭に置いていた。」「李鴻章が列強の干渉の動きに気づけば、交渉を延引させたり、」「あるいは破談に持ち込んで、清国に引き上げてしまうことも考えられたので、」「決して急いではいないというポーズを、あえてとったのである。」

 日清、日露の戦争はいずれも、やっと近代化しつつある日本にとって、国運を賭けた、薄氷を踏む戦争だったと言われています。これを正しいと信じている私は、日本を批判するネットの情報に首を傾げます。

 「日本としては、当面は休戦の必要がないことから、講和条件の方を先議しようと考え、」「そのため、清国にとっては苛酷であることを承知のうえで、このような条件を出したのであった。」

 「清国側が、講和条件案を指し示して欲しいと求めると、」「清国が休戦提案を撤回しない限り、講和条件案は出せないと応答し、」「いったん撤回したならば、休戦について、再び話し合うことはできないと付言した。」「継戦しながらの交渉か、4条件丸呑みの休戦かの二者択一を迫ったわけである。」

 現在の日本には、中国の側にたち、自分の国を悪し様に述べる学者が無数にいます。ネットの情報を書いた人物も、そんな人間の一人なのかもしれません。

 次回はいよいよ、「三国干渉」について述べようと思いますが、ここまで事情を知れば、「三国干渉」が唐突なものでなかったことが理解できます。明治政府の要人たちが恐れていたことが、とうとう現実になったかと、そんな気持ちになります。

 下関条約は、大国中国にとって「屈辱の条約」だったのかもしれませんが、「三国干渉」は、同様に日本にとっては、「最大の国辱」です。もう一度、次回で検証いたします。

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『日清戦争』 - 4 ( 下関条約前段の話 )

2021-09-10 15:44:23 | 徒然の記

  『日清戦争』を読み終えました。戦争が終わったのち、李鴻章が下関に来て、講和を結んだのは知っていましたが、これほど揉めた上での条約だったとは知りませんでした。

 「開戦以来清国軍は連戦連敗、ついに勝算のないことが明らかになったので、」「一刻も早く戦争の終わることを望んだが、中でも李鴻章の如きは、」「どんな代価を払ってでも、平和をあがなわなくてならないと決心したようであった。」

 明治27年の頃です。しかし中華の体面を気にする清国は、敗戦国として和を講じる決意がなく、欧米各国に仲裁してもらいたいと嘆願したと言います。ヨーロッパの各国がこれに応じなかったことを、氏の著書で知りました。

 やっとアメリカが清国の嘆願を受け入れ、アメリカ公使を通じて、日本へ講和の提案をしてきました。ところが時を同じくして、ドイツ人が伊藤首相宛に、李鴻章の照会書を持参します。ドイツ人の狙いは、日本政府の講和条件を探るためで、実意のないことが見え透いていました。

 日本政府はアメリカ公使を通じて、講和条件は提示できないが、資格のある全権委員を任命するのなら、講和に応じると回答しています。氏の次の叙述に、私は注目しました。

 「一方、ヨーロッパ諸国は、日清両国の仲裁の労を取ることには応じなかったけれども、」「これを機に、自らの目を東洋に集中した。」「機会があれば、干渉に乗り出してやろうという動きも、」「十分に察知された。」

 学徒として教えられたのは、「歴史は繰り返す」と言う事実と、「いつの時代も変わらない国際社会」という現実です。日韓の対立であれ、日中の対立であれ、他国は常に注目し、干渉する機会を窺っているということです。米中の冷戦状態も、米国のアフガニスタンでの騒動にしても、他国は、自国の益になるものは無いかと、鵜の目鷹の目です。

 「日本国憲法」が言う、「平和を愛する諸国民の公正と信義」は、どこにもありません。また、公正と信義と平和を愛する諸国も、存在しません。敗戦時の疲弊と困窮の中で、日本以外は正義の国だとアメリカに言われ、その憲法を受け入れ、国を守る軍隊の放棄も約束しました。

 あれから75年が経過しますが、日本の指導者たちと、国民の多くが、屈辱の憲法を有り難がっています。せめて息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々だけでも、松下氏の著書で目を覚まして欲しいものです。

 「11月30日、12月18日、翌年の1月2日の3回にわたり、」「清国はアメリカ公使を通じ、講和談判を申し込んできたが、」「日本政府はその提案が意に満たないので、その都度拒絶した。」

 大国の面子を失いたくない清国は、言を左右にして日本をあしらいました。陸奥外相は伊藤首相と相談し、閣僚の同意を取りまとめ、1月27日の御前会議で、明治天皇の裁可を得ます。

 こう言う準備を整えた上で、2月1日に清国の全権大使と会見します。

 「ところが清国側の持参した国書は、一種の信任状で、正式の全権委任状でなかった。」「そこで日本の全権は、これを清国に突き返し、直ちに談判を停止した。」「清国の全権たちは、やむなく長崎を経て帰国した。」

 相手が大国の中国であっても、国際法上認められないことには、凛として引かなかったご先祖さまの姿があります。敗戦後とは言いながら、同じ日本で、国益を守るべき外務省が、国際法違反の「日本国憲法」を推し頂いているのとは、大きな違いです。

 「日本はこれから先、アジア諸国に対し永久に謝り続けなければならない。」と、外務省のトップだった小和田恒 ( ひさし )次官が、国会で答弁しました。以後これが今日に至るまで基本方針となり、外務省は日本の国益を害する一番の省庁となっています。

 氏の意見は、俗に「ハンディキャップ外交論」と呼ばれ、戦後外交の縛りとなっています。いわば国民の目に見えない、外務省内の「日本国憲法」みたいなものです。これを変えるためには、正式な閣議決定が必要だと言われますが、氏が雅子皇后陛下の父君でもあるせいなのか、歴代の総理大臣の誰も、閣議決定の動きをしません。

 「温故知新の読書」で得た知識によりますと、小和田恒氏を重用したのは、福田赳夫元総理でした。昭和51年に内閣総理大臣だった当時、有能な小和田氏を秘書官として身近に置き、家族同士のつき合いもしていたと聞きます。幼い娘さんがいて、福田総理が頭を撫でながら、言ったそうです。

 「雅子ちゃんは、将来の皇后陛下だね。」

 この部分だけはネット情報ですから、嘘かほんとか、真偽の程は不明です。ただ私が言いたいのは、福田赳夫元総理も、日本の外務省を「害務省」に変質させた自民党の政治家の一人だと言うことです。話が横道へ逸れましたので、本題の日清交渉に戻ります。

 「日本政府が清国全権を拒否したことは、国際法上当然のことではあったが、」「この事件を契機として、3、4のヨーロッパの強国政府が、」「日本に対して、干渉の態度を示すようになってきた。」

 この情勢は日本に好ましくないので、政府は拒絶するのを止め、アメリカ政府を通じて、御前会議で決定した講和条件を知らせました。すると清国から、2月18日に正式な全権大臣を決定すると回答があり、李鴻章の来日がやっと決まりました。

 しかし、これで全てが順調に進んだわけでなく、あと一山も二山もあります。不甲斐ない戦後の自民党の政治家の姿を、息子たちに知らせるためにも、次回を頑張ります。時間に都合のつく方は、「ねこ庭」へ足をお運びください。

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