ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「男女平等」新聞記事のセンス ?

2021-09-09 23:03:22 | 徒然の記

 男女平等が叫ばれる昨今、千葉日報社の二つの記事に違和感を覚えています。

    1. 8月29日  (  17・社会面   )   本人の写真入り 5段組 紙面の約4分の1の扱い

    2. 9月7日 (  1面トップ )  本人の写真入り 4段組 紙面の約4分の1の扱い

   1.  は、広島高等検察庁に着任した、畝本直美検事長 ( 59才 ) に関する記事です。

  「女性初の高検検事長に就任 畝本直美さん(59)」

  「男女が能力活かせる職場に」

  「千葉市出身 謙虚さ胸に」・・という見出しがついています。

   2. は、千葉県教育長に就任した、冨塚昌子氏 ( 60才 ) に関する記事です。

   「女性初の県教育長 冨塚昌子氏

  「八街事故 子供の安全使命」「健やかに育つ環境を」

  「働き方改革にも意欲」

 記事の内容を、紹介するつもりはありません。「ねこ庭」はこの「女性初の」という言葉に、違和感を覚えます。他国の新聞を読んだことはありませんが、女性が何かの組織でトップの地位に就いた時、「女性初の〇〇」という見出しでその度に報道されるのでしょうか。

 千葉日報社は、「男女平等の社会」を作るため、県民の意識を高めたいのかもしれませんが、逆効果である気がしてなりません。女性が公的機関の高い地位につくたび、「女性初の〇〇」と大きなニュースになるのでは、いかに狭い心の県 ( 国 ) であるかを強調しているようなものです。

 大きな記事にしても、「女性初の〇〇」の見出しを止め、普通の紹介記事にすれば良いのではないでしょうか。いつまで経ってもこんな記事だと、「男女差別」を強調していることになります。

 「千葉は、こんなに遅れている県だ。」と、県民に注意を喚起するだけでなく、このようなトーンが続くと、「千葉日報社の感覚は、こんなに遅れているのか ?」と、逆に疑問を抱かれてしまいます。女性が、女性がと強調せず、活躍しているニュースを発信すれば県民の意識は自然に変わります。

 「女性をもっと登用しましょう。」「活躍の場を広げましょう」と言いたいのなら、「女性初の〇〇」の言葉を使わなくても、記事は書けます。要するに、センスの問題です。

 千葉日報社だけでなく、配信会社である共同通信社が、「女性初の〇〇」の野暮な記事を書いていますから、真似をしているだけなのかもしれません。わざわざ強調しなくても、戦後の女性は強くなっています。やる気と能力があれば、色々な場所で活躍している女性が無数にいます。「女性初の〇〇」をやめて、そういう人たちの記事を、どんどん書けば良いだけの話ではないでしょうか。

 いくら共同通信社が巨大な会社だからといって、こんな野暮ったい記事を真似る必要はどこにもありません。読者の一人として、提案いたします。

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『日清戦争』 - 3 ( 他山の石 )

2021-09-08 14:57:43 | 徒然の記

 日清戦争前の朝鮮において、大院君と閔妃がいかに激しい抗争を繰り返していたかは、「温故知新の読書」で前にも読んでいます。当時の日本は、事情があったとはいえ、正直に言えば露骨な内政干渉をしていました。

 反日左翼学者は朝鮮側に立ち、日本批判をしますが、松下氏の説明は、ここでもやはり中庸です。朝鮮の状況をそのまま伝えています。

 「朝鮮は大院君が大改革を行い、積年の秕政を一新するはずであったが、」「その内実は理想と甚だ遠く、官吏は皆相対峙し、」「挙国一致の態様は、遺憾ながら見ることができなかった。」

 「大院君は、経歴名望ともに朝鮮の第一人者であったが、」「頑固保守の気概が、抜けていなかった。」「これに対し日本党の中に、半知半解の躍進開化者があり、」「ことごとに大院君と争い、内閣はその間に立ってただうろたえ、何も決定することができず、」「左右両派は机上の空論に走り、果ては生死を賭して戦う有様で、」「内政の改革など、到底実現すべくもなかった。」

 日本党とは、金玉均や朴泳孝が作った韓国内の政党名です。私たち日本人は、マスコミが報道しないのでほとんど知りませんが、韓国には、今も「知日派」と呼ばれる政治勢力がいて、本流の左翼政党と対立しています。政権をとるたびに韓国政府が、日本を名指しで批判し攻撃する理由は、こうしないと国内の「知日派」が抑え込めないところにあるのかもしれません。もしかすると、この時以来の流れでしょうか。

 「大院君とその閣僚たちは、日清両国の間で常にどっちつかずの態度を取り、」「密かに清国の軍将によしみを通じ、同国の影響下にある東学党にも書信を送り、」「清国軍と東学党とで、日本を挟撃することを求めている。」

 「この密書は、平城陥落後日本軍の手に入り、」「軍はそれを、陸奥外相に送った。」「大院君は表面では日本に従いながら、なお清国を無視することができなかったわけで、」「両大国の間に存在する小弱国とはいえ、あまりに卑劣な態度と言わねばならない。」

 この叙述を読んだ時、歴史は繰り返す・・という言葉を実感しました。現在の韓国は米中二大国の狭間で、右顧左眄しています。どちらの顔も立てなければならず、自分の意思では動けません。これで日本が戦前のような強国となったら、韓国政府は身動きが取れなくなります。弱いままの日本であって欲しいと、懸命に日本叩きをする気持ちが分からないでもありません。

 息子たちに言います。ここで韓国の理不尽な日本攻撃を放任すると、子々孫々の苦しみとなります。日本は日本として、自国の立場を主張しなければなりません。これが、国際社会の非情な現実ですが、そればかりでなく、韓国の情けない姿は、そのまま現在の日本でもあります。

 大国のアメリカと大国の中国に挟まれ、政治家も経済界も、どちらの側につけば有利なのか、国民不在の選択に明け暮れています。経済大国と自惚れたのは一時の夢で、国を守る武力を失った国は、他国の餌食になります。アメリカの言われるがままに国を開き、中国に誘われるままに投資をし、首根っこを押さえられ、国民の蓄えが彼らに吸い取られ放題になっています。

 正規社員がいなくなり、パート、アルバイト、派遣社員といった低賃金で不安定な人間が増えたのは、その結果です。年功序列の賃金体系が無くなったため、彼らは生涯低賃金のまま据え置かれます。終身雇用という日本独特の制度もなくなり、いつでも首を切られる自由だけが残りました。

 「日本の人口が減少する。」「若者たちが、子供を産まない。」「若い働き手がいなくなり、日本経済がダメになる。」「外国人労働者を、どんどん入れなくてならない。」

 若者が子供を作らなくなったのは、先の見えない低賃金生活のせいです。不安定な雇用状態を、政治家と学者とマスコミは、なんといって誤魔化したか。

 「自由な職業選択のできる社会。」「一つの会社に縛られず、自分の能力を生かせる社会」「多様な選択のできる、柔軟性のある社会」

 小泉内閣の時から、竹中平蔵氏が積極的に活躍し、安倍、福田、麻生内閣と引き継がれ、若者の夢と希望を打ち壊す政策が続けられました。挙げ句の果ては、「外国の安い労働力」の大量受け入れです。悪法の「移民法」を作り、日本の崩壊に手を貸したのは安倍政権でした。安倍氏とマスコミは、なんといって誤魔化したか。

 「多様な民族を受け入れる、共生社会。」「さまざまな文化が共生する、寛容な社会。」

 このごまかしは今も続き、保守自民党による日本の崩壊が止まっていません。弱小野党は元々反日ですから、これについては反対せず、「桜見の会」とか、「菅氏の原稿読み飛ばし」とか、とるに足りない難癖で、政権交代などと寝言を言っています。

 こうした現状を知れば、大院君の政府を、他人事のように笑っておれなくなります。まさに氏の著書は、私たちにとって「他山の石」です。( 書き忘れていましたが、この部分は228ページです。 )

 

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『日清戦争』 - 2 ( 愛国の左傾学者と令和の総理 )

2021-09-07 18:05:53 | 徒然の記

 明治15年以降開国をめぐって、朝鮮は大院君と閔妃の権力争いに明け暮れます。最初は閔妃が大院君を追放しますが、閔妃一族の不祥事が騒ぎとなったのを好機として、今度は大院君が閔妃を追放します。

 暴徒に襲われ、殺されそうになった閔妃は、難を逃れて清国へ救援を求めますが、内紛の背後にいたのは、日本と清国でした。閔妃も大院君も国のためでなく、自分の権力を守るため、その時の情勢を見て強い方へなびき、変節を繰り返します。

 朝鮮の独立と改革を考える憂国の士がいても、国のトップが自己保身を優先すれば、人心が乱れ国も乱れます。日本、清国、ロシアの国益が、優柔不断な朝鮮王朝を翻弄します。

 63ページを読んでいますが、今の日本と重ねますと、他人事でなくなります。保守自民党も、反日の野党も、自分の国を忘れ、大国の力を頼り、大国の鼻息を伺うリーダーばかりです。親米派、媚中派、親露派と入り乱れ、他国の利権のため働いています。中国共産党のカネに取り込まれた政治家、米国内の反日勢力に媚を売る政治家など、当時の朝鮮とそっくりに見えます。

 戦後75年経っても、亡国の「日本国憲法」が改正できないというのですから、日本のリーダーたちは、明治のご先祖さまに恥ずかしくないのでしょうか。

 左傾の学者とは言っても、松下氏の方が、今の政治家よりまだまともな気がします。107ページの叙述を紹介します。

 「日本としては、最初は開戦を好まなかった。」「日本の戦争準備はなお不十分であったし、国の発展のためには、」「戦争を避けた方が、当然有利だったからである。」

 「だから当時の外交方針は、極めて平和的で、」「破局の一歩手前までも、できるなら国交を調整したいと、」「努力したのである。」

 ここには、現在の反日学者が口を揃えていう、「軍の独走」や「軍国主義日本の暴走」はありません。

 「清国政府が協調せず、眼前の利益に惑わされ、」「日本に挑戦し、日本の一部好戦者を刺激して、」「ついに開戦に至ったことは、清国外交の大失敗であったと言わざるを得ない。」

 私が松下氏を、一般の反日・左翼学者と同様に見ないのは、こうした冷静な意見にあります。停職処分を受けたとはいえ、それは氏が、陸軍中尉だった経歴からくるのでしょうか。開戦前の李鴻章の考えも、紹介しています。

 「日本は今、国を上げて政争に明け暮れ、」「政府は幾たびか議会を解散し、朝野反目し、」「政党は互いに排撃し、国民の一致は見られず、」「たとえ清国が出兵しても、日本の出兵は思いもよらない。」

 「ところがさすがの李鴻章も、遺憾ながら皮相の見というべく、」「真の日本及び日本国民の認識を誤った。」「世界の大勢を見誤り、日本制圧を企画した李は、」「さらにここで日本の実態を見誤り、挑戦的態度に出た。」

 日清戦争は日本の侵略でなく、防衛のための戦いであったと、氏は言外に述べています。芦部教授もそうでしたが、反日・左翼の学者はこのような説明をしません。日清、日露、日中戦争の全ては、軍国主義の日本が起こした侵略戦争だったと、日本の過去を汚します。

 私が心配しているのは、現在の日本が、戦前と大きく違っている点です。

 「日本は今、国を上げて政争に明け暮れ、」「政府は幾たびか議会を解散し、朝野反目し、」「政党は互いに排撃し、国民の一致は見られず、」・・と、当時と似た状況ですが、無くなっているものがあります。

  1. 国を守る軍隊の不在

  2. 国民の心を一つにする中心の崩壊

 別の言葉で言い換えますと、次のようになります。

  1. 自衛隊の手足を縛る亡国の「日本国憲法」

  2. 進みつつある皇室の崩壊

 反日・左翼メディアと手を組んだ、反日学者たちが、国民の目の届かない場所で巣を作り、政界、官界、法曹界、財界を洗脳しています。今の日本で、中国共産党政府軍や、北朝鮮の全体主義国が攻めて来たら、

 「さすがの李鴻章も、真の日本及び日本国民の認識を誤った。」「、日本制圧を企画した李は、日本の実態を見誤った。」

 とは言えなくなります。それどころか、日本は間違いなく滅亡します。国民の心を束ねる中心として、国民敬愛の真ん中におられた天皇は、残念ながら昭和天皇までです。日本の国と国民を背負われ、生涯を歩まれた陛下であればこそ、兵士は命を捨てて戦いました。

  大君の辺にこそ死なめ 

  顧みはせじ

 将軍から一兵卒まで、死を恐れず戦ったのは、天皇陛下のため死ぬことが、そのまま国のためだったからです。同時に愛する妻や子や、大切な親のためと、そっくり重なったからです。皇室への尊厳は、他の国にない日本の文化であり、伝統でした。

 南原繁、宮沢俊義、芦部信喜といった、学者たちがこれを破壊し、今も威を振るっています。このような曲学阿世の徒を、最高学府の東大に放置して来た歴代の宰相たちを、糾弾せずにおれません。

 皇室を崩壊させた後、日本の中心は誰なのでしょう。総理大臣でしょうか。申し訳ないことながら、安倍総理や菅総理のため、国民は一つしかない命を捨てません。「武漢コロナ」への対応一つを見ても、それが分かります。

 国民には「不要不急の外出をするな」と言い、飲食も、歓談もやめさせ、医療が崩壊すると大騒ぎしています。

 しかし安倍総理が、一度でも、日本の病院にいる入院患者の、国別の数字を発表したことがあったでしょうか。「武漢コロナ」の荒れ狂っている時に、中国からの入国者を何人足止めをしたのでしょうか。細菌を運ぶ入国者を放任し、人数も、国別情報も隠し続けたのが、安倍、菅両総理です。

 病床逼迫と言いながら、開業医の病床は空きスペースだらけなのに、医師会の言うがままに、そこには手を入れませんでした。日本はイギリスの4倍の病床があるのに、一部の病院の逼迫だけを報道しています。

 大切な情報を隠すような総理と、昭和天皇の歩まれた道を比較すれば、答えはすぐに出ます。陛下は国民に隠し立てをされない、高貴な、無私の方でした。陛下は日本国そのものとして、亡くなられるまで私を捨てて生きられ、国民の敬愛の中心でした。

 貴方々は、その大切な皇室を、「皇室の将来を考える有識者会議」などという、愚かな委員会を作り、反日・左翼学者の言うままにさせました。KK問題一つさえ、解決する勇気がありません。

 息子たちがびっくりするだろうと思いますが、氏の著書は、令和の私たちにそのような警鐘を慣らしていると、私は考えています。だいぶ脱線しましたので、次回は本題の「日清戦争」に戻ります。

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『日清戦争』 ( 征韓論の紛糾 )

2021-09-06 21:39:47 | 徒然の記

 松下芳雄氏著『日清戦争』(  昭和41年刊 人物往来社 ) を、読んでいます。ネットで氏の略歴を調べますと、興味深い人生を送った人物であることが、分かりました。

 「明治25年新潟県新発田市生まれ、日本の軍人( 陸軍中尉 )、軍事評論家。」

 「大正2年陸軍士官学校卒、同期には武藤章。」「大正9年、大杉栄の紹介で友愛会幹部と親交」「幹部に送った私信が元で、社会主義に共鳴した将校として、東京日日新聞が報道。」

 「同年7月、田中義一陸軍大臣の指示で、停職処分となる。」「同年日大法学部へ入学し、大正13年卒業。」「その後、片山哲が経営する『中央法律新法』の編集長となり、軍縮問題に関心を持つ。」

 「戦時中は日大講師、戦後は軍事史研究に専念し、工学院大学教授も務めた。」「昭和58年、91才で没。」

 氏が大杉栄の紹介で友愛会の幹部と親交を持った、大正9年は世界恐慌が始まった年で、前年の大正8年は、第一次世界大戦が終わり、国際連盟が設立されています。簡単な氏の経歴の中にも、凝縮された日本の歴史があります。

 氏を赤い将校と報じた東京日日新聞は、現在の毎日新聞です。朝日新聞と肩を並べる反日・左翼新聞ですが、戦前は左翼軍人の追放に協力していたことが、分かります。

 私は今、氏の著書の282ページを読んでいますが、左翼特有の露骨な反日の叙述はありません。左傾の文章ですが、履歴を知らなければ、気がつかないで読みそうです。

 『最後のご奉公』の主人公だった幣原氏が、外交官になろうと決意したのは、日清戦争がきっかけでした。読み終えたばかりなので、まだ覚えています。

「日本は黄海海戦に勝利し、旅順口を攻略し、山東作戦を実施し、ついに清の北洋艦隊を降伏させた。」「李鴻章との間で講和の談判が始まり、下関条約が調印された。」

 「幣原が大学三年だった1年間、日本国中が、」「日清戦争一色に、塗りつぶされた。」「同じ年頃の若い者は、口を開くと悲憤慷慨し、国の行く末を論じ合った。」

 「日本は下関条約で、清から台湾と遼東半島を獲得しが、」「ロシア、フランス、ドイツの三国が、異を唱え、日本は遼東半島を還付させらた。」

 「日本は戦争に勝って、外交に負けた。」「こんなことではいけない。」「国運を打開するため、俺は外交官になる。」

 そんな重要な戦争の本ですから、真面目に読んでいます。内容は大きく4つに分かれています。

  1. 新興国日本と極東情勢  2. 日清戦争の勃発 

  3. 日清交戦の経過        4. 講和談判と三国干渉

 戦前の左翼主義者が、あからさまな反日でない証が例えば34ページの叙述です。

 「明治維新ののち、政府は朝鮮との修好を図ろうとし、」「明治元年対馬藩主を通じて、書を朝鮮に送ったが、」「摂政の大院君は、鎖国主義を盾にし日本の要求を拒んだ。」

 「修好を望む政府は、いろいろ手を尽くしたが、」「朝鮮は日本を軽んじ、拒否し続けた。」「ここにおいて、朝鮮の無礼は許し難いと、征韓論が起こった。」「朝鮮もまた、攻め来るのならば、釜山の浦頭で応戦しようという挙動を示した。」

 この辺りになりますと、次第に左翼系のトーンが強くなり、歴史的な背景をきちんと説明しません。日本が修好を結ぼうとしたのは、列強のアジア侵略から日本を守るためには、朝鮮との相互協力が不可欠だったからです。互いに手を組み、列強と対峙する計画でした。

 しかし氏は、こうした極東情勢の説明を省略し、日本が力づくで朝鮮との修好を推し進めたように書いています。朝鮮の日本蔑視の態度は、「小中華思想」から来ているもので、彼らは中国には臣従していても、それ以外の他国は「夷狄」に過ぎませんでした。

 当時大院君は、「犬畜生と同じ日本と通じる者は、死刑に処す。」という立札を立て、日本を嫌悪していました。こうした事実を省略すると、明治政府の怒りは読者に伝わりません。極東情勢については、客観的な説明をしていますので、53ページの叙述を紹介します。

 ・アヘン戦争、長髪族の乱、これに伴う南京条約、北京条約と、支那は南方から、一歩一歩英仏二国に侵略されていた。

 ・北方からはロシアが、満州と日本の侵略に手を伸ばしていた。

 ・ロシアはカムチャッカ半島を取り、樺太・千島・蝦夷地を伺い、日本海の沿岸にウラジオストック港を開いた。

 ・フランスも負けずに、サイゴンを占領し、コーチ・シナを取り、カンボジアを保護国とした。

 ここまで世界情勢を掴みながら、やはり氏は、左傾の学者らしく日本には冷淡な書き方をします。

 「このようにヨーロッパの列強が、東洋侵略の爪牙を磨き、着々と植民地の実現を見ている時、」「同じ東洋の二国、日本と清国が、干戈をとって立ち上がろうとしていたのである。」

 日本の敵はヨーロッパの列強であり、特に眼前の敵はロシアでした。日本は、朝鮮や中国を侵略しようと意図していたのでなく、むしろ最初は同盟関係を作ろうとしていました。この隣国が、日本の申し出を拒絶したのは、「中華思想」でした。犬畜生と同じ未開の野蛮国が、何を対等な口を聞くのかと、この尊大な思想について説明しなければ、日本政府の怒りと屈辱は読者に伝わりません。

 平成11年の出版だった芦部氏の『憲法・新版』でさえ、「東京裁判史観」を根底に書かれていました。昭和41年の松下氏の著書が、「日本だけが間違った戦争をした。」「非道な軍国主義国だった。」とする、東京裁判の影響を受けていても、当然だろうと思います。

 松下氏を肯定しているのでなく、もっとレベルの低い芦部氏の著作と比較しての話です。これだけ国際情勢を客観的に捉えながら、彼ら左傾の学者は、どうして日本を語る時だけ、物が見えなくなるのでしょう、日本だけが間違った戦争をしたと、なぜ思いたがるのでしょう。

 不思議な左翼系学者たちの著作を、今回の計画では7冊読みます。楽しい読書になる予感がします。「ねこ庭」の雑草の中にも、ひねくれた雑草もありますし、楽しいのは全部抜いて、ゴミ袋に入れた時の達成感です。読書も、似たようなものですから、気にしないのが一番です。

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読書計画に戻ります

2021-09-05 18:24:14 | 徒然の記

 7月20日に決めた読書計画を、8月9日に変更したのは、共同通信社の「憲法発布直後の芦部論発見」と言う記事がキッカケでした。

  本棚にあった塩田潮氏の著『最後のご奉公』と 、芦部信喜氏の著『憲法・新版』の書評を先行させ、昨日ひと区切をりつけました。改めて、当初の計画に戻ろうと思います。

 人物往来社が昭和41年に、「近代の戦争」というシリーズものとし出した本です。最後の一冊は年表ですから、実際には7冊です。世間では、「菅総理の総裁選不出馬」、「武漢コロナ患者の増加」、「病床の逼迫」、「アフガンに残された日本人の救出」、「眞子さまのご結婚問題」など、目の離せない出来事が生じています。

 今回の読書計画が無事こなせるかどうか、一抹の不安がありますが、学徒の暮らしも大切な人生ですから、疎かにできません。

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   8.   『年表・地図編 』

 1.  の『日清戦争』を、206ページで中断しています。ほとんど忘れていますので、もう一度記憶を辿り、出発点の確認から開始します。『最後のご奉公』と 、『憲法・新版』は既に処分しましたので、今回の8冊が本棚から消えれば、断捨離が進みます。

 「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」と、こんな文句が一時流行りました。もしかするとこんな私をみて、「ねこ庭」を訪問される方々の中に、首を傾げられる人がいるかもしれません。

 「限られた人生、そんなに慌てて、なんで本読む ? 」・・家内や息子たちも、そう思っているのかもしれません。書いているブログは堅苦しいし、一人で怒ったり嘆いたり、一体何が楽しいのだろうと、家内は確実にそう思っているはずです。

 確か、以前にも言いましたが、実際の私は結構のんびりと暮らしています。焦ったり、騒いだり、暗い人生を送っているのではありません。つい今し方も、家内のため、図書館で本を借りてきました。ネットで希望する本を予約すると、図書館が戻ってきた本を連絡してくれるのです。カードを持っていけば、窓口で渡してくれます。

 便利な世の中になったものです。その代わり窓口のところで、「武漢コロナ」予防のため、手の消毒をしなければなりません。中国の不注意のおかげで、不便な世の中になりましたが、ついでに近所のスーパーへ買い物に行き、食パンと梨も買ってきました。スーパーでは、マスクがないと店内に入れてもらえませんが、慣れてしまえば、なんてことはありません。

 ということで、「温故知新」の読書をしていても、余裕のある庶民の日々を楽しんでいます。私の楽しみの一つは、「ねこ庭」の雑草とりや剪定作業もあります。いわば読書は、「雑草とり」「剪定作業」「買い物」などと同じレベルの、楽しみの一つなのです。

 それともう一つ、パソコンに向かって一息入れるとき、イヤホーンで音楽を聴きます。昔買ったカセットを、全部取り込んでいますから、いつでも好きな曲が聞けます。秋川雅史の「千の風になって」という歌も、気に入っている曲の一つです。遺言の中に、葬儀の時にはこの曲を流して欲しいと書いておく予定です。( まだ元気なので、遺言は書いていませんが、時が来て、忘れていなければ必ず実行します。 )

 何を書いているのか、自分でも分からなくなりそうですが、要するに、焦って本を読んでいる日々ではないと、伝えたかったわけです。日常の楽しい雑事までブログに書いていたら、それこそ時間が足りなくなり、書評を息子たちに遺すことができなくなります。

 「二兎追うものは、一兎をも得ず。」ですから、私のブログは書評がメインです。

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『憲法・新版』 - 9 ( 田母神論文事件 )

2021-09-04 21:41:25 | 徒然の記

 芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊  岩波書店 )を、読み終えました。読後の印象を表現しますと、「田母神事件を思い出した ! 」の一言です。

 覚えておられる方も多いと思いますが、今から13年前の平成20年に、航空自衛隊の空将だった田母神俊雄氏が、論文を発表・公開した事件です。民間団体が募集した懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞しましたが、「政府見解に反する」として大問題になりました。

 「日本は侵略国家であったのか。」というタイトルの論文で、「日本は侵略国家ではなく、素晴らしい国だった」と、自説を述べていたと記憶しています。

 「日本だけが間違っていた。」「日本だけが、非道な軍国主義国家で、近隣諸国を侵略した。」というのが、当時も今も政府見解ですから、現職の自衛官でしかも高位の航空幕僚長が意見を公表したので、大騒ぎになりました。国会に証人喚問され、マスコミで叩かれた田母神氏の姿が今も記憶に残っています。

 私にすれば、普通の意見ですが、あの時は反日左翼マスコミがこぞって氏を糾弾し、野党の議員はもちろんのこと、保守自民党の議員も誰一人弁護せず、反日勢力と一緒になり、氏を批判していました。

 「こいつに喋らせるな。」「演説をさせるな。」「黙らせろ。」

 国会に証人喚問され、答弁しようと立ち上がると、議員のヤジが飛び交い、氏の説明を遮断しました。今でも忘れませんが、その異様な雰囲気は、本で読む中世ヨーロッパの、「魔女狩り裁判」そのものでした。

 結局氏は航空幕僚長の任を解かれ、航空幕僚監部付きに格下げとなり、その年の定年時に慰労式で労われることもなく、退官となりました。参考までに、氏を冷遇した当時の内閣の主要大臣をネットで調べてみました。

  内閣総理大臣  麻生太郎    総務大臣  鳩山邦夫    法務大臣  森英介

  外務大臣   中曽根弘文    財務大臣  中川昭一    文部科学大臣 塩谷立

  防衛大臣   浜田晴一     内閣官房長官 河村建夫

 この4年後の平成24年11月に、「田母神作文徹底批判」というタイトルの、You Tubeの動画がありました。九段中学の社会科教諭で、東京都学校ユニオン委員長という増田氏が発信していました。彼女がどのような観点から批判をするのだろうと、興味を抱いて見たのですが、期待は破られました。

 氏は田母神氏を、歴史を何も知らない事実ねつ造の右翼と決めつけ、「彼はこんなことも知らないのです」「これも勝手なねつ造です」「こんな人が自衛隊のトップにいるなんて、とても信じられません」と誹謗し続けました。

 田母神論文を逐条的に批判し、日本が、朝鮮と中国でどんな悪どい仕打ちをしたかと、まるで福島瑞穂氏のように、いきりたって述べました。増田氏の話は、田母神氏と日本への悪口雑言のオンパレードです。中身のある批判なら聞けますが、最初から最後まで一本調子の批判で、聞くに耐えられなくなりました。

 母神氏の論文を読みましたが、不愉快にならず、国を思う自衛官の主張として頷けるものを感じました。個別の数字や年代にズレがあったとしても、すくなくとも田母神氏の論文には、愛国心がありました。感情を込め、熱弁を振るっても、増田氏の言葉には、日本を思う心が感じられませんでした。

 芦部氏の書評の「総まとめ」として、なぜこのような話をするのか、きっと息子たちには分からないはずです。「ねこ庭」を訪れる方々にも、疑問かもしれません。理由は簡単なのです。単細胞の私が考えることに、複雑な話はありません。

 「田母神事件を思い出した ! 」とがってんした時、頭に浮かんだ図式が次です。

  〈 反日・左翼の批判者 〉   〈 批判されている対象 〉

     増田委員長           田母神論文

     芦部教授            明治憲法

 芦部氏と増田氏は、敬意を払うべきものの前で、空っぽの空き缶を叩いているように、空疎な批判を並べていました。増田氏は叫び、芦部氏は静かですが、共通するものがあります。

 どんなに言葉を並べても、「日本を大切にする心」がなければ、国民には届きません。

 これが私の「総まとめ」です。おつき合いくださった方々に、感謝いたします。

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『憲法・新版』 - 8 ( 憲法改正の限界説 )

2021-09-04 15:19:48 | 徒然の記

 360ページの本ですから、いよいよ最後が近づいてきました。本日は、356ページ、「憲法改正の限界」の講義です。

 「憲法改正の手続きに従えば、いかなる内容の改正も許されるかと言えば、決してそうではない。」「憲法、人権、国民主権の本質を、どのように考えるかと言う、」「憲法の基礎理論と、密接に関連する。」

 「自主憲法の制定」を願う私に、そうはさせないぞとする反日教授の威嚇でもあります。氏の説明によりますと、憲法を改正する権利を、「制憲権」と言うのだそうです。学徒ですから先生の話には耳を傾けますが、氏は言葉を使うだけで、説明しませんのでネットで調べました。

 「制憲権」とは、憲法制定権力を言い、憲法を制定し、憲法上の諸機関に権限を付与する権力を指す。

 何のことか、私には分かりませんので、もう少し読みます。

 「近代市民革命当時に、憲法制定の論拠として説かれたのが、」「この概念の始まりである。」「エマニエル・シェイエスが、フランス革命の際、」「著書『第三身分とは何か』で著したのが、この見解である。」「この考え方は、現代においては、憲法改正の限界を基礎付けることともなっている。」

 氏独自の見解かと思っていましたら、これもフランスの受け売りでした。無知を啓かれるのは学徒の喜びですが、日本の憲法を語るのに、西欧の話ばかりでは聞く気になれません。

 氏が学生に向かって述べたいのは、「日本国憲法は、改正できないのだぞ。」という話です。氏に協力する気はありませんが、ついでなので、ネットの結論も紹介します。

 「憲法が、国家による不当な諸権利の制限から、国民を保護するものであるとする、」「法の支配の考え方からすれば、国会が憲法制定権力を有することは、」「泥棒に、自らを縛る縄をなわせるのと同じことであるから、」「立法府のような国家機関が、この権力を持つことには矛盾が付きまとう。」

 元々国会には、「憲法改正」の権限はないというのが、この説です。最初からそう言えば良いのに、大学教授の権威を示したいのか、氏は難しい講義をします。聞いたことがありませんが、わが国には「憲法改正理論」として、「無限界説」と「限界説」二つの説があるそうです。

  1. 「無限界説」

   ・国民の主権は絶対的であり、改正権は制憲権と同じであり、憲法規範には上下の序列を認めることはできない。

   ・したがって、憲法改正の手続きを踏みさえすれば、いかなる内容の改正もできる。

  相変わらず、何を言っているのか不思議な説明ですが、これが「無限界説」です。氏の目的は「憲法改正不可」なので、次の説明が本命です。3倍くらいの長さで叙述しています。それを3分の1に省略し、転記します。

  2.  「限界説」

   ・制憲権は、憲法の外にあって憲法を作る力であるから、実定法上の権力ではない。

   ・近代憲法では、制憲権を憲法典の中に取り込み、これを国民主権の原則として宣言するのが、大体の例となっている。

   ・改正権の生みの親は制憲権であるから、改正権が、自己の存立の基礎ともいうべき、制憲権の変更をすることは許されない。

   ・いわば自殺行為であって、理論的には許されない。

 かって吉田茂氏は、講和条約に反対論を述べる南原繁東大総長を、「曲学阿世の徒」と批判しましたが、芦部教授にも同じ言葉を贈る必要があるようです。現在の国際情勢がどうなっているのか、日本の平和主義が、どれほどの不幸を国民にもたらしているのか、氏の思考には、そんなものがカケラもありません。

 ひたすら条文の文字をひねくり回し、どうすれば悪法の「日本国憲法」を維持できるのかという、専門バカの思考だけです。しかもその根拠にしているのが、230年以上も前のフランスの学者の意見です。西洋かぶれの氏は、日本のご先祖さまが、「国への愛」や「庶民の幸福」について考えていた事実を、知らないのでしょうか。信念を曲げないで獄に送られ、処刑された学者が何人いたのか、調べたこともないのでしょうか。

 大学の自治が憲法で保障されているとはいえ、こうした「曲学阿世の徒」でしかない教授たちのする、日本崩壊の授業を放置していて良いのでしょうか。私は過激な思想も手法も嫌悪しますから、彼らを大学から追放すべきとは、言いません。

 大切なのは、「両論併記」ですから、右の学者も左の学者も、それぞれが講義をできる環境をこしらえるべきではないのでしょうか。戦前は、保守系の学者が学界を支配し、左系の学者が冷や飯を食べさせられていました。戦後は、その反対の状況となり、宮沢・芦部両教授のような人物が威を振るっています。

 文部省に期待したいところですが、前川喜平氏みたいな反日・左翼官僚が次官になっていますし、誰に望みをかければ良いのかに悩みます。

 こうなりますと、息子や孫たちに願いを託すしかありません。合わせて庶民の武器であるネットを活用し、千葉の片隅からの発信も続けます。次回は、「総まとめ」をし、芦部氏の書評にケリをつける予定でから、暇があればお越しください。

 氏の本は、いつも通り中学校か小学校の「有価物回収の日」に、再生可能なゴミとして出します。トイレットペーパーにでも再生されれば、誰かの役に立つでしょう。

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『憲法・新版』 - 7 ( 表現の自由と知る権利 )

2021-09-03 07:04:04 | 徒然の記

 眞子さまの結婚報道からも、「温故知新の読書」が、現在と無縁でないことが分かりました。現在を解く鍵は、当たり前と言えば当たり前ですが、過去にあります。

 聞くところによると、眞子さまの結婚情報をリークしたのは、官邸筋だとも言います。「皇位継承の有識会議」が結論を出し、国会報告をする月なので、厄介な「眞子さま問題」にケリをつけ、「女性宮家創設」への悪影響を避けたという推測です。

 事実とすればとんでもない話で、菅総理の常識を疑います。「静かな環境で検討し、結論を出す」と言った、もっともらしい説明は、どこへ消えたのでしょうか。先の見えない「武漢コロナ」騒ぎと、病床の逼迫、低迷する経済、その中で強行される「パラリンピック」、騒々しくなった政界の動きなど、どれひとつとっても、静かでない国難です。

 誰が政権にいても困難な時期なので、不満があっても、私は菅政権を見守っています。周囲には協力する者が少なく、責任逃れと、批判する人間が多数です。二階幹事長の交代は、追い詰められた末の決断だとしても、朗報の一つですが、この大混乱の中で、なぜ「皇位継承問題」の結論を急ぐのでしょう。

 止むなく受け入れた「日本国憲法」が、戦後76年間、どれだけ日本をダメにしたかを思えば、拙速の「皇位継承問題」の結論は、それ以上の悪影響を残すものになります。芦部教授の憲法学が、日本の隅々に行き渡っている現在、検討している有識者にも、政治家にも、ろくな人物がいません。

 芦部氏の憲法は、「ご先祖さまを否定」し、「日本の歴史を否定」し、日本の伝統や文化を否定する思考です。アフガニスタンの日本人と、現地人のスタッフの命を救うため、自衛隊の飛行機を飛ばす即断さえできなかったのは、「日本国憲法」による縛りと、反日・左翼憲法学者たちの跋扈にあります。

 息子たちに言います。それを知る父は、「温故知新の読書」を続け、愛するお前たちと孫のため、自分の思いを遺します。

 不正選挙で「正当性のない大統領」を作り、正義を喪失したアメリカ、自国民を殺害するアフガンのタリバン政権、国内の異民族と反対者を弾圧・殺戮する中国共産党政府などなど、他国の異常さに比べれば、日本はまだマシな国です。無闇に絶望したり、攻撃したり、悪口雑言を浴びせる必要はありません。

 そんなことばかりしていたら、解決策が見つけられなくなります。自民党の議員と政府に、怒りをぶつける気持ちを理解するとしても、それでは解決の糸口を潰すことになります。反日・左翼野党の中に、真っ当な意見を言う議員もいますが、期待してはなりません。国を愛する議員なら、反日・左翼政党を出て、新党を作るか、自民党へ入党するかしなければ、現実の改革はできません。

 私は、不甲斐ない自民党の議員諸氏への怒りを抑え、息子たちのため、「ねこ庭」を訪問される方々と共に、難問解決の方策を求めます。「口先だけの保守」と、責める方もいますが、ならば、具体的にどうするつもりなのでしょう。

 やはり私は、芦部氏の書評へ戻ります。160ページの、「表現の自由と知る権利」です。反日左翼らしい、驚くべき理論が展開されています。

 「表現の自由は、情報を発表・伝達する自由であるが、」「情報化の進んだ現代社会では、〈知る権利〉という観点を加味し、再構成しなくてならない。」

 相変わらず文章が冗長で繰り返しが多いので、何行か飛ばしても、支障がありません。今回も分解し項目化します。

 ・19世紀の社会では、情報の受け手の自由を、特に問題視する必要はなかった。

 ・20世紀になると、大きな影響力を持つ、マス・メディアが発達した。

 ・情報の送り手であるマス・メディアと、受け手である一般国民との分離が顕著になった。

 ・そこで、情報の受け手の自由を保障するため、「知る権利」が必要となった。

 ・「知る権利」は、〈国家からの自由〉と言う伝統的な自由権であるが、参政権的な役割を演ずる。

 ・個人は事実を知ることによって、初めて政治に有効に参加できるからである。

 ・「知る権利」は、政府情報等を積極的に公開要求できる、権利である。

 ・国家の施策情報の公開を求める、社会権としての性格を有する点に大きな特色がある。

 ・それを具体化するためには、「情報公開法」等の制定が必要となる。

 ここまでの説明で分かったことは、新しい権利を考え出したり、新しい法律の必要性を提起するのが、学者の仕事だったと言うことです。政府委員になったり、顧問になったりする著名な学者が、議員を動かします。国民の目に見えませんが、彼らは国政に関与し、権力を振るい、竹中平蔵氏やデビッド・アトキンソン氏が、その1 例です。

 ・「知る権利」と並行して、マス・メディアに対する「アクセス権」が主張されることがある。

 ・しかし、私企業の形態をとっているマス・メディアに対する「アクセス権」は、憲法21条から引き出すことは不可能だ。

 ・このためには、特別の法律が制定されなければならないが、報道機関の「編集の自由」を侵害せず、萎縮的効果を及ぼさないように果たしてできるか、そこに問題がある。

 氏は、国家権力に対しては、いくらでも「知る権利」を主張して良いが、マス・メディアにはできないと断定しています。現在、国民への情報操作をしているのは、政府とマス・メディアの二つです。特にマス・メディアは、「報道しない自由」を乱用し、国民の「知る権利」を侵害していますが、それには言及しません。私が「驚くべき理論展開」と述べたのが、この偏った主張でした。

 20世紀になり、大きな影響力を持つマス・メディアが発達したと言いながら、「知る権利」の適用には言及しません。マス・メディアが反日・左翼学者の意見を世間に普及させている仲間だから、庇っているのが分かります。「憲法改正」をさせないのも、「女性宮家」へと国民を誘導しているのも、反日・左翼学者とマス・メディアの共同作業です。

 注意深く読めば、氏の著作も情報操作のツールでしかなく、学問の名に相応しい本でないことが分かります。手の込んだ国家的詐欺行為で、基本は「オレオレ詐欺」と同じです。騙される「お人好し」になりたくない方は、どうか次回も「ねこ庭」へ足をお運びください。

 利権に汚れない仲間で情報の交換をし、「獅子身中の虫」と戦いたいではありませんか。「貧者の一灯」も集まれば、社会の闇の片隅を照らせるのではないでしょうか

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眞子内親王さまの結婚

2021-09-02 13:15:49 | 徒然の記

 千葉日報には夕刊がないため、重大ニュースを一日遅れで読むことがあります。眞子さまの結婚報道もこの一つで、他社は昨日大きく発信していましたが、私は今朝知りました。

 「皇籍離脱して、一時金も辞退して、世間の反対も知った上で、」「それで結婚するんなら、もういいんじゃないの。」「それだけの覚悟を、してるんだもん。」

 新聞を手に首を傾げる私に、家内が言います。二つしか年が違わないのですが、政治に関する意見は大きな差があります。眞子さまの結婚について言いますと、

 私は、「ご本人の気持ちを理解しても、結婚には反対する」

 家内は、「ご本人の気持ちを考えれば、結婚には反対しない。」

 と言うことになります。「温故知新の読書」で、「自主憲法の制定」と「皇室護持」を何よりも大切と考える私と、美術館巡りや庭づくりに興味を持つ家内は、互いに違う世界を持っています。私のように皇室を、「国民の敬愛の中心」や、「国民統合の中心」と考えていません。

 もしかすると家内だけでなく、私の息子たちも、記事を書いている共同通信社の記者も、そうなのかもしれません。記事の見出しを見ると、実感します。

 「眞子さま 年内結婚へ」」「渡米、小室さんと生活視野に」「儀式見送り 異例対応」「一時金辞退の意向」

 一面の半分を占める大きな記事です。記者が皇室を正しく知り、敬意を払っているのなら、「眞子さま」でなく「眞子内親王殿下」と書くのが普通です。記者だけでなく、記事をチェックする上役の編集員たちも普通でないから、「眞子さま」「愛子様」「雅子さま」と、平気で書きます。

 共同通信社だけでなく、NHKも朝日も読売も産経も、マスコミの言葉遣いはみんな同じです。そうなった原因の一つが、今私が読んでいる芦部教授の『憲法・新版』の教科書です。全国の大学が氏の教科書を使い、「人間平等」「人権」「自由」と、一面的な思想を広げていった結果が、現在です。

 そんな話を、朝の食卓で家内とするほど、私も無粋な人間でありませんから、日本の現実を認識するにとどめました。皇室関連の本を書くという、ノンフィクション作家の工藤美代子氏の意見も、記事の中にあります。

 「皇族の生き方が変わっていく以上、私たちも、過剰な思い入れを控えた方がいい。」「皇室に何を求め、どのような存在であって欲しいかを、」「根本から考え直すキッカケとしたい。」

 なんとなく納得させられそうな意見ですが、これもまた、芦部教授の流れを汲む「日本の歴史否定」につながる間違った思考です。「変わってはならない皇室」と言うものがあり、ご先祖さまから受け継がれている「尊崇の念」を、「過剰な思い入れ」と言う、つまらない言葉に置き換えてはなりません。

 ジャカルタの日本人学校の教師が、現地校の「国旗掲揚式」に、生徒たちと参列した時の、彼らの驚きがありました。インドネシアの教師と生徒たちは、ポールに掲揚するまで、国旗に対し敬意を払い、礼を尽くしていました。厳粛な「国への愛」と「忠誠」の儀式は、戦後の日本から無くなったものだったからです。

 工藤氏は、皇室が国民にとって、国旗以上に「国への愛」と「忠誠」のシンボルであることを知らない人物です。自分では意識していないのかもしれませんが、芦部教授の反日憲法講座で育った人間です。

 こうした日本の現実を、私は今朝の記事で理解するとともに、教育の影響力の大きさも認めました。従って私は、眞子さまの結婚に反対することを止めました。理由は、以下の通りです。

 ・眞子さまは、恋する男に会いたいため、江戸の町を大火にした「八百屋おひち」と同じです。

 ・個人の自由・個人の権利を第一として教えられた結果ですから、眞子さま一人を責められません。

 ・父君である秋篠宮様も、個人の自由・個人の権利を第一として母君様と結婚されました。

 ・天皇陛下も、個人の自由・個人の権利を第一として、雅子さまと結婚されました。

 ・上皇陛下も、個人の自由・個人の権利を第一として、美智子様と結婚されました。

 ・眞子さまの結婚相手の母親が、いかがわしい人物であるとしても、眞子さま個人には関係のない、他の個人の話です。

 ・戦後の教育は、皇室の方々にも庶民と同じ教育をし、「高貴な方の高貴な使命」については、教えませんでした。

 ・私にとって眞子さまは、無関係な個人であり得ませんが、ご本人が望まれているのですから、無関係な他人の結婚として反対しません。

 ・私の心には、自浄能力のない「皇室」への、失望の念が残ります。国民の多くが、「皇室」への尊崇の念を失いますが、何も眞子さま一人の責任ではありません。

 ・悪法の「日本国憲法」をそのままにした、保守自民党の政治家、反日野党の政治家、特に宮沢・芦部両教授のような反日・左翼憲法学者たちの責任の方が大です。

 ・もっと言えば、ご先祖さまへの感謝と尊敬の念を忘れ、他人を批判するばかりの私たち国民の責任です。

 ・あとはもう、日本も国民も忘れ、何かも捨て、アメリカの片隅でお暮らしください。間違っても離婚したり、日本へ戻ったりされず天寿を全うしてください。

 心の暗くなる「武漢コロナ」の鬱陶しさの中、追い討ちをかけるニュースでした。まさに、芦部教授の「憲法講座」の、生きた勉強材料です。

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『憲法・新版』 - 6 ( 羊頭狗肉の反日講義書 )

2021-09-01 18:39:21 | 徒然の記

 本日は122ページに戻り、「憲法における平等原則」の講義です。平等の原則を憲法上どのように規定するかは、国により、時代によって異なると述べ、氏は明治憲法と日本国憲法の比較をします。

 明治憲法は、公務就任資格の平等という形でしか、保障していない。

 「日本臣民は、法律命令の定めるところの資格に応じ、」「均しく文武官に任じられ、またその他の公務に就くことを得。」

 これに対し日本国憲法は、平等権ないし平等原則の徹底化を図っている。

 「14条1項において、法の下の原則を宣言し、さらに個別的に、」「14条2項で貴族制度の廃止、同3項で栄典に伴う特権の廃止、」「15条3項で普通選挙の一般原則、44条で選挙人資格の平等、24条で夫婦の同等と両性の本質的平等、」「26条で教育の機会均等と、規定を特別に設けている。」

 明治憲法が「平等の原則」を一つしか規定せず、日本国憲法が総則宣言の他に、6つの規定を設けている事実については、面倒なので再検証しませんが、このような講義を受けると、歴史を知らない学生はおそらく騙されます。

 今度は154ページに移ります。なんであちこちに飛ぶのかと、不審に思われるかもしれませんが、深い意味はありません。息子たちに分かりやすいようにと、「羊頭狗肉の反日講義」を思いつくままに取り上げています。氏の講義自体が、ごった煮の「雑炊」みたいに整理されない思考の陳列ですから、ちょうど良い気がします。154ページは、「学問の自由」に関する講義です。

 「憲法23条は、〈学問の自由は、これを保障する〉」と定める。」「この規定は明治憲法にはなく、また諸外国の憲法においても、」「独自の条項で保障する例は、多くない。」

 ここでもまた、明治憲法の批判です。反日・左翼の氏は、東大での自分の講義を正当化するためにも、力がこもっています。

 「昭和8年の滝川事件や、昭和10年の天皇機関説事件などのように、」「学問の自由が、国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、」「特に規定されたものである。」「学問の自由の保障は、個人の人権としての自由のみならず、」「特に大学における学問の自由を保障することを、趣旨としている。」「これを保障するため、〈大学の自治〉の保障も含んでいる。」

 長い文章なので、項目に分解し列挙しますが、どこに論理的構成力が発揮されているのか、よく分からない文脈です。むしろ、ごった煮「雑炊」の好例とする方が適切かと思えますが・・

 ・学問の自由の内容は、「学問研究の自由」「研究発表の自由」「教授の自由」の3つがある。

 ・学問の自由の中心は、真理の探究を目的とする、「研究の自由」である。

 ・研究の結果を発表することができなければ、研究自体が無意味になるので、当然に「発表の自由」が含まれる。

 ・「教授の自由」については、大きな議論がある。

 ・従来の通説・判例は、教授の内容を、大学等における教授のみに認め、小・中学校と高校の教師には認めないとしていた。

 ・しかし今日においては、初等中等教育機関においても、「教授(教育)の自由」が認められるべきという見解が、支配的になっている。

 厳密に言えば、「教授」と「教育」は別なはずですが、氏はさりげなく一つにしています。こう言う誤魔化しめいた説明を称して、私は「ごった煮の雑炊」と名付けます。

 ・最も、初等中等教育機関で教育の自由が肯定されると、教育方法・内容につき、国が画一的な基準を定める可能性がある。

 ・あるいは、教科書検定が、教育の自由を侵害するのではないかと、問われることになる。

 ・この問題は、いわゆる教科書裁判(家永裁判)や、文部省が実施する全国学力テストの適法性事件(学テ事件)で、特に論議された。

 教科書裁判は反日・左翼教授として有名な家永教授が起こしたもので、学テ事件は中学校の反日・左翼教師たちが騒いだ事件です。双方に言い分がありますので、いずれの意見も紹介した上で、学生に考えさせるのが大学の講義だと思いますが、氏はそうしません。

 「完全な教授の自由を認めることは、到底許されない」と言う、最高裁の判例を示し、言外に国家権力の不当な干渉を批判しています。全てこの姿勢で貫かれていますから、私は氏の教科書を「羊頭狗肉の反日講義書」と呼びます。こんな教科書が憲法講座の教材として、全国の大学で使われていると言うのですから、恐ろしい話です。

 現在、360ページの著作の186ページを読んでいますから、やっと半分です。学徒の習慣で、最後まで読みますが、次回も書評を続けるべきかを、考えています。有害図書の書評を、何のためにするのかと、疑問が生じているからです。

 ちょうど良いところで、スペースが無くなりました。本日はこれまでとします。

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