検討の指針にしているのは、ウィキペディアが教えてくれた次の4行の叙述です。
・1985 ( 昭和60 ) 年、チェース・マンハッタン銀行として設立
・1996 ( 平成8 ) 年、ドイチェ・モルガン・グレンフェル信託銀行に商号変更
・1999 ( 平成11 ) 年、ディーエムジー信託銀行に商号変更
・2000 ( 平成12 ) 年、日本マスタートラスト信託銀行に商号変更
森の脇道と思っていましたが、もしかするとこれがメインの道だったのかもしれません。「日本マスタートラスト信託銀行」がもともと外資系企業だったとすれば、「外資規制」が無力(無意味?) だった証明になり、日本がすでに「米国のグローバル勢力」に絡め取られている証拠にもなるのではないでしょうか。
本当にそんな結論になるのか。急がずに検討して見たいと思います。ウィキペディアが、「日本マスタートラスト信託銀行」は最初、「チェース・マンハッタン銀行」として設立されたと説明していますから、こちらから調べて見ます。
ウィキペディアには説明が見当たらないので、「ことばんく」からの情報になります。
〈「チェース・マンハッタン銀行」とは ? 〉
・銀行持株会社チェース・マンハッタンの中核をなした商業銀行である
・ 2000 ( 平成12 ) 年に、親会社のチェース・マンハッタンが同じく銀行持株会社のJ・P・モルガンと合併した
・その結果、「チェース・マンハッタン銀行」は「JPモルガン・チェース銀行」となった。
・「JPモルガン・チェース銀行」は、「バンク・オブ・アメリカ」と並ぶアメリカの主要商業銀行の一つである。
似たような名前が出てきますので、ややこしくなってきますが、整理して考えれば混乱が避けられます。上の説明を書き換えると次のようになります。
・「チェース・マンハッタン銀行」の親会社は、「銀行持株会社チェース・マンハッタン」である
・親会社「銀行持株会社チェース・マンハッタン」は、2000 ( 平成12 ) 年に「銀行持株会社のJ・P・モルガン」と合併した
・その結果、親会社「銀行持株会社チェース・マンハッタン」は「JPモルガン・チェース銀行」と名称変更した。
これは日本での話でなくアメリカの親会社の説明で、「アメリカのグローバル勢力」の動きです。では肝心の子会社である「チェース・マンハッタン銀行」は、どうしていたのかと言いますと、上記4行の説明通り、親会社より一足先にモルガンと合併し、1996 ( 平成8 ) 年、「ドイチェ・モルガン・グレンフェル信託銀行」に商号変更しています。
説明が省略されていますが、この時点でドイツ銀行も参加しています。あとは残りの2行に書かれている通り、「ドイチェ・モルガン・グレンフェル信託銀行」、「ディーエムジー信託銀行」、「日本マスタートラスト信託銀行」と次々に商号変更」をしています。
この説明を素直に読めば、「日本マスタートラスト信託銀行」は間違いなく「アメリカのグローバル勢力」の銀行です。同社の現在の株主が、どういう経緯で日本企業だけになっているのか。これについては、探しても情報が見つかりません。
故意に隠していると言うより、金融業界の合併・併合の動きが激しかったため、簡単に説明できないせいではないかと考えています。参考までに、別の場所で見つけたウィキペディアの情報の一部を紹介します。
1996年(平成8 )年の1年間に限った金融業界の動きをまとめた資料で、その一部分だけを切り取っての紹介です。深い意味はなく、どれだけ複雑な状況だったかを紹介しているだけですから、本気で読まないでください。
〈 1996年(平成8年)〉
3月 - あさひ信託銀行株式会社設立(あさひ銀行子会社:かつての朝日信託銀行とは無関係)
6月 - 富士信託銀行株式会社(新)設立。住友銀行の信託銀行子会社として、すみぎん信託銀行設立
10月 - チェース・マンハッタン信託銀行がドイチェ・モルガン・グレンフェル信託銀行株式会社と改称
11月 - 長銀信託銀行株式会社設立
息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に言います。情報を探すほどに深い森が広がり、探すほどに疑問が大きくなる・・・この状況を私は「玉ねぎの皮むき」作業と呼びましたが、今回も同じ結果になっています。