昔、畑沢では村の中で使われる石材は、ローデンなどで採掘されていたそうです。2年も前から現場を調査したいと思っていました。場所の確定が難しくて実行できませんでしたが、ようやく場所を特定できましたので、畑沢の先輩と行ってきました。先輩の先祖は、石工だったと言われていましたので、「先祖を訪ねて」の調査も兼ねています。
畑沢の沼澤林道を奥へ奥へと進むと、やがて自動車では通行困難な場所に到達します。林道はまだまだ続くのですが、普通の自動車では危険なほどに巾が狭く勾配もきつくなります。そのまま真っ直ぐに進めば「深沢」に至ります。ローデンへ行くには右(南)の「向かい」という沢に入ります。「向かい」はあろうことか、奥まった沢を進むにつれ勾配が緩やかになり、幅が広がってきます。「沢」の常識を覆すとんでもない所です。甑岳から続いている尾根は、ここでストンと断ち切られたようになくなっています。そしてたち切られた尾根の断面には、上の方だけに高い樹木が茂り、下の方には樹木がまばらになっています。石材の採取場だったので、絶えず地面が露出していたものと思います。
「石切り場」という言葉から、私は大きな垂直の岸壁が聳えているイメージを持っていたのですが、ローデンの石切り場は、大きな岩盤から切り出す石切り場ではなく、地中に埋もれている大きな岩石を採掘して、それを削って石材にしていたものと思われます。ローデンから取り出す石材をゴロウ山の「ゴロタ石」と呼んでいたそうです。「ゴロ」という語感と、実際に岩石が「ゴロゴロ」と地中から掘り出される状況を考えると、「ゴロタ石」という名称は、「ゴロゴロと地中に岩石が埋設している山から採り出された石」の意味かなと考えました。
ところで、このようにゴロゴロと大きな岩石が地中に埋設していたのは、昔々御所山、甑岳などの火山活動に伴う「火砕流」によるものかなと考えてみましたが、確証はいつもどおり全くありません。でも想像するのも楽しいものです。
ある程度、奥に入ると大きな岩がごろごろと転がっています。
転がっている石の中には、人が切り出したと跡と思われる四角く成形された物もありました。残念ながら石工が使う「鑿(のみ)」の形跡はありませんでした。
石に近づいてしっかりと確認しますと、畑沢で使われてきた「凝灰岩(火山灰が固まった)」であることが分かります。
この石材は、背中炙り峠の巨大な石仏「湯殿山」をはじめとして、畑沢の石仏、石橋等々に盛んに使われました。
ところで、ローデン周辺の地形は極めて特殊です。次のgooの地図を御覧ください。南の甑岳から背中炙り峠へと続く尾根がローデンで一旦消えています。そして尾花沢市と村山市の境が乱れた形になっています。この地形の乱れは石切りの結果なのか、それとも乱れた地形だから石切りができるのかが面白い問題を投げかけています。