~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

シャイなおじぎ

2010年09月02日 12時40分11秒 | その他音楽
学校が始まってやっとひとりの時間ができました・・・・めでたい。
別にひとりでいることが好きなわけではないのですが、娘の「現場監督」時間が減っただけでもありがたいです。
「旅行もしたし、花火もしたし、映画も見たし、すっごい遊んだよね~~。なのに、ちゃんと宿題も終わったよね。直しもいっぱいあったのにね~。すごいよね~」と娘自画自賛(?)であります。・・・こっちがどれだけ、毎日毎日宿題やるように仕向けていたのかわかってないのか・・・・、「直しがいっぱいあった」こと自体ゆゆしきこととは思わんのか・・・・言いたいことは山ほどありましたけど、気分よく学校に通っていることだけでまずはよしということで。


7~8月、自分の演奏機会は3回でしたけど、聴くほうについては、コンクール・発表会・リサイタル・コンサートと5~6回は行ったように思います。有料・無料、古楽器から邦楽までいろいろで、それぞれに楽しめましたが、どんな演奏会でも、演奏者がステージに出てくるときから下がるときまでトータルなのだなあ・・という感想を強くもちました。
演奏そのものはいうまでもないことですけど、服装・歩き方・お辞儀・・・・どれも大事なんですね。
人によって演奏の聴き方はさまざまでしょうけど、私は演奏者が出てくるときと下がるときだけじっと見ていて、演奏中は目を閉じていたり、もし開けていたとしても視覚的なものをあまり気にしないようにしていることが多いです。
そうすると、袖から真ん中に出てくるまでの歩き方、お辞儀、弾き終わってからのお辞儀、下がるときの歩き方を見ているわけなのですけど、これがなかなか素敵にできるのは難しいことなんですね(もちろん自分を含めてです・・汗)。
ドレスを着てヒールを履いて歩いているときはやはり背筋が伸びていないと、「う~ん・・ちょっと」な感じ。
「日本人だから似合わない」とか、「背が・・・」とか「スタイルが・・」とかつい思ってしまうのですけど、ステージで拝見して「背の高い方だなあ~」と長年思っていた方が、実は150センチあるかないかだった、ということはよくあります。そういう方は姿勢がとてもいいんです。
演奏中はまあ、いろいろクセや事情があるでしょうから、「姿勢良く」ということが難しいことはあるかもしれませんけど、「歩いているほんの数十秒」については自分でも気をつけていこうと思いました。

お辞儀については、深さや角度よりも気になったことがあります・・・
それは、頭を上げたときの視線。
頭を下げる前は気をつけておられるのか、みなさんきちんとお客様のほうを向いておられるのですけど、上げたときがいい加減というか視線が泳いでいるといいますか・・・。
特に演奏後のお辞儀だと「終わった終わった~」の安心感の場合も、「がっくり・・早くこの場を去りたい」の時も、気持ちが急いてしまっているのか、どうかすると正面に直らず、上げたとたんに横を向いてしまっている場合も多々あり。
これ意外に大人のほうができてなかったりします(さすがにリサイタルをされるようなプロの方々についてはそんなことはありませんが)。子どもはしつけられてきちんと出来ている場合が多いのですけど、大人は緊張しているのか、逆に慣れ過ぎてしまっているのか、目が合わないまま、そそくさと去られる場合がかなりの確率であります。

聴いているほうとしては、これってけっこう残念なものです。拍手はしっかり受け取っていただきたいな~といつも思います。・・・それも願わくば笑顔で。


人前で、にこやかにゆとりのある立ち居振る舞いをするのは大変難しいことですけど、よほどの巨匠で無い限り、演奏も一種の接客であると私思っておりますので、演奏で至らない分を付加価値でカバーしていきたいな・・・と考えてみたり(逃)。
それはもう、愛想が悪かろうが、マナーが悪かろうが、「演奏がすごいから許しちゃう」レベルであればそれに越したことはないんですが(汗)、まず自分に関してはそんなことは有り得ないわけなので、ほかもなんとかしなきゃな・・・・と思ったこの夏でありました。