親不知を抜歯したので、薬が出た。薬局で痛み止と化膿止めが処方された。薬局の薬剤師さんも、M歯科で、親不知を抜いたそうである。 しかも3本。 近所には歯科医院がたくさんあるのになぜ、歯科を選んだの聞いてみた。 口腔外科も持っていて一番技術に信用が置けたからだそうだ。近所の評判が良いというのは一番信用ができるので安心した。 逆に、湯沢からわざわざ親知らずを抜くために来たのかと聞かれたので、潰瘍性大腸炎を治すために通ってきたと告げると不思議に思っていた。 薬剤師さんによると、抜歯後はかなり痛んで痛み止めは必ず使うことになるとのことだった。 できれば痛み止めも、化膿止めも使いたくない。 身体に悪いから。出血も少しあり、夜になってさすがに痛くなってきた。 極真空手では、痛みで眠れないことはよくあることだったが痛み止めを飲んだことは一度もなかった。さすがに今は、我慢できないだろうと思っていたが、何とか無事に朝を迎えられてほっとした。 このまま、痛みが消えてくれることを願う。病気をしてから、痛みに対する我慢が全く出来なくなり忍耐力の欠如を感じていたので、何か一つ乗り越えられたような気がした。 本来に戻っている。 今回の抜歯で体調はかなりよくなるとのことだったので、今後に期待したい。歯科治療を超えた治療法、波動治療法。 今回もやはり、波動反射療法の効果を感じた。 最近は、動きすぎの反動か、体調が、いま一つよくなかった。 特に昨日は、久しぶりの外出ということもあって先生のところに着くまでにかなり疲れてお腹に来ていた。途中、4回もトイレによった。 歯科医院について、ベンチに座ったときに明らかに体調の変化を感じた。 急に普通の状態になってしまったのだ。 別に、あそこに着けば大丈夫だなどと、強く思っていたわけでもないのに、回復してしまった。不思議だが、 やはり何か強い力が働いている。 今後もあせれずに流れに乗った回復を心がけよう、 そしてその先もきっちり見極めていかなくては。 いつまでもこうしていられるものではないのだから。
住んでいるマンションの管理会社に、やはり潰瘍性大腸炎の方がいた。 別な会社を辞めて、ここで1.2年働いていたみたいだが、先日辞められた。他の従業員の方によると、今度入院して白血球除去療法をするみたいで、彼の入院費などを心配していた。難病指定なので、医療費は一定額以上からないので入院費は大丈夫だと教えてあげたら安心していた。その入院した方、私が同じ病気だと知って、色々と、質問されてきた時があった。 せっかくなので、自分が一番その方に合うと思った本を紹介して、自分の治療経験を紙に書いて参考に差し上げた。その後、どうされたかは判らないが、 今回そういうことになったと言うことであった。自分が、その後どうですかと聞いても良いが、出来るのはそこまで。無理やり良いと思った治療法をやらせるわけにはいかないから、何も言わないで黙っていた。残念だが自分はたぶん、何の力にもなれなかったのでしょう。 そこから先は、本人次第、本当に治りたかったら治るし、治る気がなければいつまでたっても、寛解、再燃の繰り返しとなる。 医者と、薬には治せない、白血球除去療法でも同じだと思う。 本人にしか治せない。出来れば、早く気づいてほしいが、中々難しいと思う。 自分もそうだったが、人間は弱いから中々変えられないし、継続も出来ない。 これが出来れば大体のことは解決できる。本当に苦しんで、最後の最後にやっと変わっていけた。 しかも少しずつ、 長い時間をかかって。 ただ、白血球除去療法をすると一時的には、よくなる事がある。 自分も一時的によくなった。 ただその後は、本当によくなったと思い込めればそれをきっかけによくなっていくこともあり、 そう、思えなければまた徐々に悪くなる。 自分は後者、一時的なものだと決めてかかっていたからその時は治らなかった。 その方には、プラシーボ効果が現れてくれれば良いと思う。そう願うのみ。自分も効いたので、必ずよくなると言い聞かせてもらうことにした。思い込みでもよくなればいいので、良くなってください。
過去の経験で、いい加減な医者、知識の乏しい医者が多いと思い込んでいたので、医者に診て貰う事はほとんどしなかった。 風邪で40度の熱が出ても、その内治るに決まっていると思って普通に仕事をしていたりした。それで、済んでいた。それが、さすがに発病したときはあせった。 お腹は年中壊していたが、さすがに、あれだけ激しい下痢が続いたことはなかったのでいやいや病院にいった。しかし、担当となった先生は本当に親身になって私のことを診てくれた。待っている間、頻繁にトイレに行っていたが、心配してトイレに様子を見に来てくれ、排便後の便の様子を見たりしていた。 銀行の対応を考えると難病の申請は少し様子を見たほうがいいと、すぐにまたよくなるかもしれないから、と助言してくれたりもした。 もう銀行には愛想を尽かしていたので 社内の立場など自分はどうでもよかったが、配慮がうれしかった。 忙しく次々に患者をこなしているのに、わが身を、生活を含めてみてくれていた。その先生は、米国へ研修に行かれた。元々研究したい課題があって論文が賞をもらったのを機に決断したそうだ。次の先生を紹介され、優秀な方なので安心してくださいと言う感じだった。次の先生は、若い女医さんだった。 本当に優秀だった。私の治療に関する考え方を理解してくれた上で、先生の治療を次々に進めていった。 まず、薬を換えて様子を見た。 今まで知らなかった飲み薬や、薬の嫌いな自分が安心するようにと注腸薬などを紹介された。 次に白血球除去療法、丁寧に説明され納得 入院し 1週間を 2クール位やった。 効果はてき面で、下痢が止まったが、 治療をやめると徐々にまた戻っていくと言う繰り返しだった。 入院中には、ストレスになるといけないからと外出は積極的に許可してくれた。 針治療に行きたいと言った時も二つ返事で応じてくれた。全く珍しい理解のある医師だった。その先生、突然で申し訳ないがと、次の先生に引継ぎ。数年間診て貰っていたが、元気がなくて感じが違ってきてると感じていた頃だった。 患者の方を向いていて、自由な考え方の医師なので、病院の方針と合わなかったのでしょう。 非常に残念だった。次に担当になったのは、もっと若い女医さん、ほとんどインターン。 なんと某国立大学医学部出。 俺の母校、嫌な予感。 打止
難病医療費助成の継続申請の用紙が送られてきた。難病指定を受けると、年収によって差はあるが、医療費が免除される。その更新手続きが、1年に一回、9月にある。医者に申請書を作ってもらうのだが、 大体は、内視鏡検査を受けて診断してもらうことになる。 非常に嫌だ。 私の場合は、長らく病院に行っていないので、と言うより、いわれる薬を自分の判断で飲まないし、独自に治そうとしていたので、主治医が若い女医に代わったときに露骨に嫌な顔をされ、別な病院への紹介状を書かれたのだ。 それ以来決まった医者がいない。 都立駒込病院、 医者嫌いの自分が、たまたま信頼できる先生に会い何年も診て貰っていたが、先生が変わってどんどん悪くなっていった。 話のわかってくれる様な先生には、居心地が悪くやめていくようだった。 医者も、本当に患者の病気を治したかったら色々な治療法を試してみたくなるはずだと思う。ましてや、患者が自費で勝手にやっていることで、どのような効果が出るか確認できるのだから。 それを確認したくなるのが、医者と言うものなのではないか。 それを嫌がると言うのは、医者の権威維持、保身以外の何者でもないと思う。 本物の医者か、給料取りの似非医者か、その辺の対応ではっきりわかって来る。 本物の医者が居づらくなる病院。 似非医者が、食う為の病院。 そんな病院が増えて誰が得をするのだろう? 少し賢い医者なら、病気は、特に難病と言われるものは、薬では治らないことくらい気が付いていると思う。 自分でさえ気が付いたのだから。 難病を治すのに、原因も突き止めず薬だけ出しても治るはずはない。薬は症状を抑えるだけなのだから、根本の原因を突き止め、それを改善しなければ治るはずはない。 薬がさらに病気を作り、悪くなればさらに別の薬を出す、そんなことの繰り返しで難病にされてしまう。 まず、生活習慣、食生活、物の考え方その他の原因になるようなことを徹底的に考え、悪いところを改善する。 時間はかかるがそうするしか治る道はないと思う。 自分で考え、信頼できる人にアドバイスをもらい、着実に、回復していくしかない。 間違っても、薬だけ出せばそれで、仕事をしていると勘違いしているような医者の言うことは、聞かない方がいい。
おなかの調子は大変よく、1日1回 規則正しい排便が続いている。長く下痢が続いていたので、軽い便秘の様な感じさえする。20歳前後からずっと下痢が続いていて、30歳で潰瘍性大腸炎の劇症状態になり、腹の調子がいいのは、実に20数年振りの事だ。大学時代に極真空手をやっていたときも、毎日腹の調子が悪かったし、銀行時代もいつもトイレを気にしながら仕事をしていた。 特に、発病後の最後の2年間は、毎日10?20回くらいトイレに行っていた。 目が覚めると同時にトイレへ駆け込み、出勤途中では、何度も途中下車でトイレへ行っていたし、酷いときは夜も眠れない状態だった。今考えればよく頑張っていたとは思うが、 なぜもっと早く身体を労わってやらなかったのかと本当に あきれてしまう。極真空手当時は、どれだけ我慢できるかが、正に勝負だった。 稽古、怪我、痛み、食事の量、酒の強さ、すべて勝負。 すべて我慢。 俺は強いと鼓舞。 特に試合のときは、我慢できなければ負けてすべて終わり。 痛くても、苦しくても、それが当たり前、当然のように、何事もなかったかのように、トーナメントを勝ちあがっていく。 そんな理想を追っていた。 一時期のそんな経験は、未熟な自分を成長させてくれ、かけがえのないものすごく大きな財産となったのは事実である。しかし、また、ある意味歪んだこの思考が、自分を病気にしたとも考える。ずっと、体力任せに無理を重ねていたのだから。未熟な自分の大きな間違えは、「苦しいこと=努力=成長の源」という浅はかな考え方だった。 苦しければ何でも良いということではなく、 大切なのは、目的があって、その目的を達成させるために正しい努力をすることだったのだ。 その努力の過程に時には苦しむこともあるということだ。 そういう努力をしなかった。そしてもう一つは、自分の力量に合った負荷をかけること。自分を壊さないように成長させるなければいけないということ。 苦しいことをやっていていれば成長できる、ということは、人間が、死なない、壊れないという前提でなければ成り立たない。 生身の自分に合った正確なマネジメントが必要だったのだ。 未熟で、傲慢、不遜な人間性そのものに原因があったのだろう。