宇都宮の叔父叔母がわざわざ湯沢まで来てくれました。
退院後、こちらから挨拶にも伺わない中、先方から心配して「顔を見たい」と来てくれました。。。
前日連絡があり、何が欲しいかと、あれこれと詳細に聞いてくれて、「いらないものを持って行っても邪魔になるから事前にね。」と、細やかな気配りを頂く。
当日は、豆ご飯、切干大根、漬物などの惣菜と、自家製野菜をたっぷりと頂いた。 きゅうりは初物だと言っていた。
米はこちらの食生活を理解してくれているから玄米のままで、前回おいしかったもち米も玄米で頂いた。これを蒸かして餅つきをすると抜群に上手い。 少しやわらかめに蒸かし、米粒が残っているくらいがいい。
そして、他の叔父叔母からも預かってきたお見舞いと言う名の支援金も頂く。
本当にありがたい限りです。
こういう気配りある方々と幼少時から接して躾をうけているようなものなので、かろうじて私の行動は節度を保っていられるのでしょう。
周りの人間にカリカリする事が多いが、いろんな人が色々な価値観で生きているからこちらの基準を当てはめて腹を立てるのは、自分の傲慢と言うものだ。 皆に気配りがあって思いやりを表現できる訳ではないのだ。
残念ながら私の親兄弟には、細やかな気配りは期待できない。自分とも、叔父や叔母とも血が繋がっているのだがまったくの別次元なのだ。 自分で自分を守りながら付き合わないと痛い目に遭う。 病気の時は避けるのが一番と言う状況を悲しくも思うが、これも、価値観や生き方は人それぞれで仕方ないというものだ。 お世話になっている別な叔母さんにもよく言われる。 「人それぞれなんだから腹を立ててるだけ損だよ。病気にも悪いからあんまり怒らないで、、」と。
天から、、、
「あなたの人生は少しばかり厳しくつらい設定なんだけど、その代わりその分周りにサポートをしてくれる人がたくさんいるはずだからがんばりなさい。。。。」などと言う声が聞こえてくるようです。
厳しい状況をも上回るような私の周りの方々の支援をいつもありがたいと感じながら生きられる事に、本当に感謝したい。
いつも変わらず面倒見続けてくれる周りの方々に感謝します。
人生は障害ばかりなんだよ、それがないと成長しないから。
でも、その障害をクリアする事に喜びを感じながら生きるか?
それとも、いつも不満ばかり言って生きるのか?
結局は自分で決めているのですから。
そもそも、幸も不幸も無くて色々な事が起こっているだけで、自分で幸せになったり、不幸になったり、勝手にやっているだけでしょう。
「自ら助くる者を助く。」 。