隣のたかいどこの富田さんがわざわざ湯沢まで来てくれた。
新米とシャインマスカットを持って。
有り難い事に、毎年この時期、恒例行事のように来てくれる。
新米は、多分、農地解放で引き継いだ田んぼで今年も米が取れたよ-という意味なのだと思うのだが、
もう70年もまえの3代前の祖父の時代の事なのだ。
詳しくは知らないが、小作と言うより我が家を手伝って頂いていたので、引き継いだ分はそれ程多くは無いはずなのだ。
そんな昔のことを今頃まで覚えている人もいない。
なのに、いつまでも家との関係を保ち続けてくれていることに逆にこちらが感謝をしなくてはいけない。
実家を出てからはずっと疎遠だったのに、長岡までお見舞いに来ていただいてからは縁が深まり、実家だけでなく遠くにいる自分にまで届けてくれる。
シャインマスカットは、去年ももらった。
ぶどう園で経営者の、同級生の父母、に会って、私の事を話したら懐かしそうによろしく伝えてと話をしたと言っていた。
天皇陛下が栃木に訪問された時に献上したぶどう園のものだから、、、しかも、シャインマスカット、粒でか、高価なのだろう。
今の自分にはもったいなくて不相応なものだ。
でも、気持ちがこもってありがたい。
庄ちゃんとキンちゃんの近況など色々と話したが、相変わらず暑いさなかに農作業をしたり身体を使い過ぎないかと心配ばかりだと言っていた。
入院中のことを思い出して、キンちゃんが、家から頂いたお見舞いとは別に「関係ないんだから気にしないで。」とティシュに包んだお金を置いていった事を話したら、奥さんが涙を浮かべてハンカチでふいていた。
当時は、18日間の意識の無い状態から個室に移った直後でどこにいるのかさえわからなかったが、
庄ちゃんとキンちゃんの顔を見たら涙が止まらなくなってしまっていた。
「まだ面会できるかわからないと言われたのだが、居ても立ってもいられなくて来ちゃったよ。」等と言われて、地獄の底まで自分を助けに来てくれたように感じた。
自分の感覚は生まれたての誰かに頼らないと生きていけない赤ん坊のようなもので、そこに幼い頃から面倒を見てもらっていた信用できる、心の許せる人が来たから
安心して思わず泣き出した。
麻酔で眠らされる前には、一番居て欲しくない人達がいて、
万が一、目を覚まさなかったらその人たちに後の判断を委ねることだけはしたくないと医師に訴えていた。
目を覚ますとまた、会いたくない人たちが周りにいて動けない自分は嫌で嫌で仕方が無かった。
本当に心から、本心から信用していないのだと自分が気がついたのだった。
そんな中だったから、尚更心を動かされたのだと思う。 本心が出たのだとおもう。
今となっては良い深い経験。
そして、今のこの現状は稀有な良い経験中。
そう捉えられる自分の心を作ってくれているのは、私に良くしてくれる周りの方々であり、
色々なご縁のお陰なのだ。