忘れないうちに書いておこうと思って、いや他にも忘れないうちに書いておきたいことっていろいろあるんですが、一番すぐに忘れそうなんで。
先日浅野さんが黄門様に扮する水戸黄門をみていたら、なんと一場面で飛猿がお銀にむかって手話(指文字)を使ってたような気がしました。
たしか「は・た・け・が」だったと思うんですが、違ったかな?黄門様の時代にはないことでしょうけど、思わぬところで使っているのをみてびっくりしました。
忘れないうちに書いておこうと思って、いや他にも忘れないうちに書いておきたいことっていろいろあるんですが、一番すぐに忘れそうなんで。
先日浅野さんが黄門様に扮する水戸黄門をみていたら、なんと一場面で飛猿がお銀にむかって手話(指文字)を使ってたような気がしました。
たしか「は・た・け・が」だったと思うんですが、違ったかな?黄門様の時代にはないことでしょうけど、思わぬところで使っているのをみてびっくりしました。
息子から1週間ほど国外旅行にいくという連絡がありました。
ほぼ職場と自宅との往復の毎日。
停電に断水…、そして下痢との戦い。
今年はロンドンオリンピックということで、テレビで観戦と思い接続工事をしてもらったものの、見るためにはなぜかカードが必要らしく、そのカードを入手しようとしたがそれはできないと言われ(最初にそれを言ってほしかった)、いったい何のために接続工事をしてもらったのか、という理不尽なことというか理解不能なことが起こる国からしばしの脱出。
きょうの女子サッカー決勝はテレビ観戦ではなく、まさしく会場で観戦することになっているようですが、無事チケットを入手できたのか(予約して観戦代は支払い済み)わかりませんが、少なくともカメルーンという国から違う国に移動することだけでもかなり気分上々になっていることは間違いないでしょう。
そういえば、カメルーン選手がいなくなってしまったというニュースがありましたが、普段から息子の話を聞いていると納得してしまいます。
貧しいから、ではなく、もっと違うところに問題があるみたいです。
息子のアパートの家主も普段はヨーロッパで生活をしているようですし。
カメルーンは貧しいのではなく、もし貧しいというなら、貧しくさせてしまったというのが正解かもしれません。
それはお金云々だけの問題ではなく。
そういえば、先月からだったか在カメルーン日本大使館のサイトに「カメルーン便り」なるものができていました。
カメルーンの情報は本当に少ないので、なんとなくどんな国か知るためにはいいかもしれませんね。
母子孤立死のニュースにひとごとじゃないな、と思ってしまいました。
亡くなられた娘さんがわたしと同じ年齢であり、そしてお母さんは胃ろうにパーキンソン病(わたしの母は親戚?のPSPですが)で、在宅介護をされていたとのこと。
精神的な病を抱えられ、しかもたったひとりで頑張られていたようなので、さぞかし辛い思いをされていたのではと思われます。
たまたまわたしはラッキーな環境にいるのですが、介護の大変さは身をもって体験しているだけにこういうニュースをみかけるたび“重い”気持ちになります。
ピースサイクルに参加してきました。(今年は脱原発のTシャツを借りて走ってきました)
当日、陽射しも強くしっかり補給用のスポーツドリンクを持参して、集合場所の豊田市役所へ行き、今年も豊田、みよし、日進の各市に申し入れ。
豊田市は「平和市長会議」に2010年に加入したようですが、どうも愛知県内の加入市町村をみているとなぜか2010年から急速に増えはじめているよいに思えてしまいました。なにがあったんでしょう?悪いことではないんですが、ちょっと不思議です。
そして、「脱原発をめざす首長会議」。まだまだ加入している首長さんは少ないようです。
代表の方から、是非こちらの会議にも加入してください、と話してましたが、こちらの反応は薄かったです
ですが、わたしの考えとしては今の時点でたとえ首長会議に加入していなくとも(できない理由があるにせよ)、原発に頼らない自然エネルギーを実際推進しすべて賄うことができるんですよ、と言えるくらいのモデル都市になってもらえると一番いいです。
その一方で、万が一原発事故が起きたとき、住民の安全への対応は少なくとも考えておいてほしいというのがお願いです。
(原発立地距離から遠いからということで関心も低いかもしれませんが)
さて、お昼は今年も日進ピースサイクルの方にお世話になりました。
手作りのお昼ごはんは、本当に美味しかったありがとうございます
(毎度のことながら食い逃げのようなわたしです
)
ここでみなさんと記念撮影。
ここでわたしは離脱です
一緒に参加された方の自転車のカゴには…
およそ40kmちょっと、帰り、暑さの中モリコロパークへ向かうときバテそうになりました。
でも、どこかで何かの形で自分の意思表明をしておきたいと思っているわたしにとって、今年も無事参加できたことに感謝したいです。
どうってことのない話といえばそうなんですが、昨日朝植物に水やりをしていたときのこと、ほんと~に珍しいことなんですがあるおじさんが声をかけてきてくれました。
実は朝にときどき散歩されているのを以前からみかけることがときどきあったのですが、あいさつくらいはしても声をかけたことも声をかけられたことも一度もありませんでした。
大体は暑いですねぇということから会話が進んで、同じ町内のひととは年齢に関係なく言葉を交わしたりするのですが、このおじさん(お隣の自治区の方)とはそういうことは一切なし。
それが昨日は、今年は熱中症で死んだ人もいるから気を付けないとね、という感じの会話をしたんです。
どうってことはないんですが、でも、こうやって何年もみかけることはあったのに言葉を交わしたことがないひとと話すのって、ちょっとした会話でもとても新鮮味を感じてしまうわけです。
そういうことがあれば、病院の近くで炎天下の中塩大福を販売しているお兄ちゃんに、年配の女性が「こうやって頑張ってる若い人みると、ついつい応援したくなっちゃうんだよねぇ」と嬉しそうにしながら話すことを楽しみながら買い物をしている方がみえました。そして、それに応えるように、お兄ちゃんが優しそうな笑顔で「ここにまたいますから、気軽に顔を出してください、お体を大事にしてくださいね」という会話の姿をみていて、なんだか微笑ましいというのかなんというのか。
こころない言葉の会話って味気なく感じるものですが、長々会話するでもなくほんのとちょっとしたやりとり、なんだかあったかくていいもんです。
どうもまとまらない…。
この暑さのせいなんだろうか?と思ったりして。
ピースサイクルのこと、アフタヌーンティのこと、カメルーン(アフリカ睡眠病)のこと、そしてボランティアのこと。
早く書かないと忘れていきそうで、困ったものです。
母が無事退院し、鼻からの吸引も少しですが慣れてきました。当然わたしがっです。母は相変わらず嫌みたい。
きょうは疲れて昼寝なんかしちゃいましたが、鼻からの吸引が知らないうちに自分の意識の中で気になっているようで、自分の鼻に自分でカテーテル入れて苦しくなってゴホッとして目が覚めるという、なんともあんまり気分の良くない夢を見てしまいました疲れます。
それと母の胃ろうのPEG交換が入院中(7月26日)にできたということでよかったにはよかったんですが、今回は誤嚥性肺炎のため入院してしばらくラコールをやめていたこともあり軟便が未だ持って続いています。ケアマネさん曰くラコールの脂肪分がうまく胃の中で消化しきれてないせいかもということでした。
とはいえ、PEG交換直後は頻繁に便が出ていたようなのですが、いまは少しずつ回数が減ってきています。ボチボチですね。
それと、今月から訪問看護さんをお願いすることにしました。
以前は体の清拭もお願いしていましたが、今回はそれはやめて主に血圧や吸引などの健康チェックを重点にみてもらうことに。
一番心配なのは誤嚥性肺炎。唾液の飲み込みが特にいまあまりよくない状態なので、1ヶ月に2回いろいろと教えてもらいながらを様子を見てもらいたいと思っているためです。自分自身それなりに注意してきたつもりですが、やはりプロのひとの目は違うので(訪問看護師さんはとても知識が豊富)今一度お願いして自分も勉強です。
ところで、兄とやっと先月ですが面会することができるようになりました。
昨日で3回目。ほんの少しずつですがよくなっている気がしています。
面会するときにどんな話をしよう?と毎回考えつつも、たわいのない話をしてなるべく兄の話も聞くようにしています。(話のつじつまが合わないことは承知の上で)
次回は、懐かしい写真があったらそれを持って行って話をしようかなと思いますが、それと同時にそろそろ退院後のことも少しずつ考えていかなくてはなりません。兄自身はやはりすぐにでも退院したいらしくて、先日も僕も帰るからちょっと待ってて…なんてことを言いだして困りましたが
とにかくもう少しすれば正確な診断というか病名がわかると思うので、それがわかってからどの制度を利用するといいのか、姪とも考えていけれたらなと思っています。
そして、、、なんと我が家の大黒柱が手がしびれるということで先日病院に診察に行ってきたら、頸椎の骨に異常があり手術をしなくてはいけないと言われたとのこと。再度その方面では名医?と言われる先生に診てもらうことになりましたが、2週間程度の入院は避けられそうもなく、来月には手術できたらいいよね、と勝手に夫婦で話し合ってました。
重なるときには重なるもんだと思いましたが、よく考えればそういうことが身近に起こるような歳になったということなんですよね。