風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

実は骨折してるのよ。

2018-01-04 09:49:24 | キリスト教(証)
皆さん、明けましておめでとうございます!

実は年末に骨折しました。
ギブスで松葉杖のお正月を過ごしています。
何でこんな事になったかというと…。
実はパートで週3で働いていたんです。通勤には自転車。
その走行中に自転車が壊れるというハプニング!(ママチャリ愛用の皆さん、メンテしてね。)

当然バランスを崩して私は車道に投げ出されてしまいました。
周りの人の助けを借りてやっと起き上がることができましたが、周りの人の「運転手さん、びっくりしてたよね。」の声に後続車が迫っていたことを知りました!😱
轢かれなくてよかったよ。😰護られたぁ!神様ありがとうございます!

しかし足が酷く痛い。パート先に連絡し、痛む足を引きずりながら家に戻り改めて医者に行くと、
右肘の打撲、そしてどういうわけか左足を骨折。。・°°・(>_<)・°°・。
左第五中骨という箇所が2箇所、全治2ヶ月の骨折でありました。

整形外科の待合室で同じアカデミー卒業のK姉様にばったり会いました。
K姉様は事情を知ると「それは神様の憐れみだよ。後続車に命は護られたし、フルートを吹くのに大切な手も護られた、それに右足も無事だったから車で通院することも出来たじゃん!」
考えてみれば車が少し広くなったところで倒れたので車も避けることができたのでしょう。
本当にアーメンです。😌

しかも、なんとこれが出張教会コンサートの5日前!😱もう頭の中ぐるぐる回っていましたよ。
ピアニストの友人も😱。彼女にも、私の教会の方々、主催元の教会の方々、友人達、みんなに祈っていただきました。
やってきましたよ、コンサート。ドレスにギブスに松葉杖という出で立ちで。だって身体と手指は護られたんですからフルートを吹くにはなんの支障もありません!どうしても神様が私にどんなことをしてくださったのかその恵を証したくて。演奏は椅子に座ってやりました。その日、コンサートには8人の未信者の人が来られていて「自分の境遇と重ねて聞くことができて色々なことを抱えているのがわかった」とか「また教会のイベントに来たい」といってらしたそうです。ちょっとは役に立てたのかな。良かったわ…。

ということで人生初の骨折、ギブス、松葉杖。ちょっとした段差にも苦労してます。( ;∀;)
あと、トイレとか、お風呂とか…。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

ここ数年忙しくてあまり更新してないのに、またこんな稚拙なこのブログを見てくださる人がいるなんて感謝です。\(^ω^)/
今年もよろしくね〜!

バプテスマの恵み

2014-10-24 11:20:09 | キリスト教(証)

ハレルヤ!主を賛美します。母が病床にて、長男の恩師にバプテスマを授けていただきました。

いつもうつらうつらしているのにこの時は意識がハッキリしていて牧師先生とお話をすることも出来ました!

お祈りの後にもハッキリとアーメンといい、賛美の時は目を瞑りながら口を動かし、一緒に「慈しみ深き」を歌っているようでした。


先生が帰られた後も、「ありがたい、ありがたい」と言っていました。そして「神様、お願いしますよ、守ってください。」と小さな声で祈っていました。初めての母のいのりです。

しばらくしたら、また、わからないことを言っていたり、夢の話のようだったり。バプテスマの時、全て護られていたことがわかりました。

感動で涙が出て仕方ありませんでした。一緒にいた長男も泣いていたそうです。

本当に主に感謝です。
また、お忙しい中、母を見舞ってくださり、バプテスマを授けて下さった先生、ありがとうございました。

母の入院

2013-01-26 22:43:51 | キリスト教(証)
このブログを開くのも久しぶり。ちっとしんどい毎日だった。

11月に新しい仕事に就いたがなかなか仕事が覚えられず。そんな中、母に病気が見つかった。

たまたま、糖尿病の状態が悪く、そのうえ、帯状疱疹が出たので検査を勧められ、11月末に検査を受けたのだった。CT,超音波の画像から膵管が開いている、腫瘍マーカーの値も高い、膵炎、良性の腫瘍もしくは悪性の腫瘍の疑いがあるので大きな病院で再検査を勧められたのだ。

私は付き添いで一緒に医者の話を聞いていたが、正直うろたえていた。医者が母の兄弟姉妹の病歴を聞いていたからだ。つまり癌家系どうか。そう問われれば癌家系である。母の弟3人、姉2人、皆癌でなくなっているのだ。

母はとても元気だ、83歳になっても同居を断り、一人でくらして、何でも自分でやって生活してきた人だ。どうか癌であってほしくないとねがった。それは母も同じだったろう。再検査をしなければ何とも分からないとその日は2人で明るく世間話をしていたが、きっと不安だったにちがいなかった。

12月中に大きな病院、またCT、MRI, PETCTなどの検査をうけ、膵臓がんがあるらしいとわかった。膵臓がんは見つかったときは手遅れという状態もあるというが、母の場合は手術で切除が可能ということだった。

しかし、大きな手術である。膵臓頭部、十二指腸、胆のうの切除というものだった。医者の説明を受けながら胸が苦しくなっていた。こんなに高齢になってこんな大きな手術をしなくてはならないなんて!母がとても小さく見えかわいそうでしかたなかった。

今月4日に入院、15日に手術だったのだが、手術の前に再度説明を受けた後、母は見るからに不安がっているのがわかるので、私は小さなノートに聖書の御言葉を3つほど書いた。その御言葉は私自身励まされて支えとなった言葉だったから。聖書の言葉はいやかもしれないけど、せめて支えになればとの思いだった。


「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしはあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41章10節)

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えるられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一10章13節)


「胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれたものよ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。私は背負って救い出そう。」(イザヤ書46章3~4節)

また病室で小さく歌った讃美歌の歌詞も母は書いてくれというのでこれも書き記した。

「主にまかせよ、汝が身を。
 主はよろこびたすけまさん。
 忍びて春を待て、雪は解けて、花は咲かん。
 まことなる主の手にただ任せよ、汝が身を。」

母はこの御言葉と讃美歌の歌詞をありがたいといい、驚いたことに母はこの御言葉を覚えようとしていたのだった。

よく御言葉には力があるといわれる。聖書の言葉は神様の言葉だ。

私自身恐れがあるときに自分の心と裏腹に聖書の御言葉が水がわき出るようにすっとあふれだしてきて、心の支えになることがあったのだ。

大雪が降った次の日、母は御言葉とともに手術に臨んだ。

手術は無事終わり、手術直後は苦しそうで心配だった。また、手術後よくみられる症状らしいのだが、幻覚を見ていたらしく(術後せん妄というらしい)現実とごちゃ混ぜになっていたがそれも1週間程度でなくなり、経過は順調。

今は早期離床と言って手術後3日目からもう歩く練習をしていた。痛みで起き上がることもままならないのに大丈夫なのかと思ったが本人は歩けたことでそれが自信につながっていくみたいである。

しかし、ボーっとしていたり、笑わない、辛そう。お腹切ったんだものね。それは痛いに決まってる。

7日目から水がのめるようになり、10日目から食事、術後たくさんの管がつけられていたが、それもだんだんはずすことできてくると表情もどんどん明るくなっていく、今日は手術から12日目管も1つになり母は自分で動けることがうれしそうだった。手術する前の母の顔だった。

母に施された医療に対してすごいなと思うが、母の回復力もまたすごい、というより人間の生きる力とでもいうのだろうか。

そして母は時折、言うのである、御言葉に励まされ支えにしていたと。

あの時御言葉をノートに記して本当に良かった。本当に御言葉には力がある。

そしてたくさんの方の祈りによって支えられた。Face Bookでも、Mixiでも。皆さん、本当にありがとう。

そしてひきつづき、母の回復のために引き続き癒しの御手があるようどうかお祈りをお願いします。

守られてるなぁと思ったこと

2011-09-27 13:58:34 | キリスト教(証)
前の記事書いてからもう約一カ月過ぎようとしているよ。
あっという間に9月末になってしまった。


9月はフルートの発表会と所属しているユーオーディアアカデミーの期末試験があったので練習練習の日々だった。

今回、取り組んだ曲はテレマンの「忠実な音楽の師」から Sonata、F moll。
バロックはむずかしい・・・。

先生の音楽的要求にこたえられないもどかしさ、ヘタレの私はもう何度くじけそうになったことか・・・。

様々なことがあり、その都度教えられることの多かった曲。第一楽章はtriste とある。tristeとはフランス語で悲しみという意味。ただ悲しみを表せばいいのかと思っていたけど、先生はこの曲の悲しみには憤りも含まれているのだという。そしてそれは十字架につながっていると。。。それをどんなふうに表したらいいのか。

憤りのこもった悲しみ。そこに十字架がみえる。なんとなく震災の被災地を思い出した。

かなりフォルテで吹ききることが多いのだが、私は息が続かないので息の使い方が悪く、変なところブレスをとったり、1曲吹いた後は息切れしてるような状態。。。(年かしらね。。。

あちらを立てればこちらが立たずのように、フレーズをとると強弱がなくなる。
この曲を練習すれば練習するほど、音が荒くなるような気がする。なんだかどんどんジレンマに陥ってくる。そんなこんなで本番を迎得た。発表会も試験の直前も天気が悪かった。こんな季節の変わり目は喘息が出る。それが一番怖かった。ブレスをするときに咳込んでしまうから。

特に先日の試験日は直前に台風が来てたでしょ。喘息って台風の低気圧もだめなのよね。

それ試験日の2日前、ピアノの先生と合わせの日、転んで手首を打ってしまった。痛みはなかったけど手首はすぐ腫れてきて内出血していた。それに楽器もその時に落としてしまったのだった。

楽器のほうはすぐに全音出るか確かめた。大丈夫だった~!!

試験本番では超緊張、だけど何とか吹ききった。先生に注意されたところはあまりなおせてなかったような気がするけど。

不思議なことに本番が終わったら突然咳が出始めた。
それに考えれば手首を打った時も内出血しただけで済んだ、手首はフルートを支えるのだから大事な部分なのだが、痛みは全くなかった。そしてこれが指を怪我していたらと思うとぞっとする。

なんだか、やっぱり神様は守ってくださってるんだなとしみじみ感謝した出来事だったよ。




年の初めの神様の恵み

2011-01-05 00:14:23 | キリスト教(証)
皆さん、明けましておめでとうございます。

mixi関係ではお祈りいただいてありがとうございました。

年末、大晦日の日から、ずっと落ち着かなかったのです。
というのもダンナのおばあちゃんが亡くなったんです。

96歳でした。3日にお通夜に田舎へいくことになりました。

ダンナのおばあちゃんが亡くなったのは悲しい。ダンナはそのおばあちゃんにとっては初孫だったので思い出はたくさんあったでしょう。悲しみは人一倍あったはずです。(仏教徒とキリスト教徒の死生観は違いますが、人の死はこの世的にキリスト教徒でも悲しいです。)

悲しみと同時に、私たち夫婦にはある恐れがありました。
葬儀の時に私たちの信仰が理解してもらえるのかどうか・・・。

クリスチャンにとってお焼香、線香をあげるということは特別な意味をもちます

仏教では焼香はなくなった霊魂への供養というこですが、聖書の中で「香」は「神への捧げもの」だからです。

その意味を考えると、私たちの信仰の核心に触れる部分なので、私たちはお焼香、線香を故人にあげるということはできません。(しかし、これはクリスチャン個人、個人にゆだねられていることなのでクリスチャンでもする人はいるようです。)

だから、いつもそのような時、代わりに故人の家族の慰めのためにお祈りをしますが、それが受け入れられるとは限りません。


ダンナの母が亡くなった時、焼香をしないこと、線香をあげないことでダンナは叱責をうけ、強要されたこともあったのです。
その時は近くの教会に行って祈ってもらい、私たちの教会の牧師に祈っていただいていました。そしてまさにそんな時、ダンナの兄弟たち(ノンクリスチャン)がとりなしてくれて、焼香をしなくても気持ちは同じなのだと説得していただいてたことを後で知りました。

その時は焼香はせず、献花という形をとることでことなきを終えました。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って、召された人々のためには、神がすべての事を働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)まさに、聖書の御言葉のとおりでした。


そんな恵みを受けていたのに、また私たちの心はまたもや揺れていました。

私たちもできるなら、みんなと同じようにしたい。そうしたら、私たちも悲しんでいることがわかるだろうか?

でも、イエス様の愛を親せきみんなに知ってもらいたい、しかし、みんなと同じようにしないことで、かたくなな印象を与えてしまい、福音につながらなのではないか?

故人や親戚に失礼なのではないか?

他のクリスチャン達で焼香する人もいるのにあなたたちはなぜしないの?と実際に言われたときの顔が浮かびます。

いろいろと考えました。


でも、何を基準に考えるのか?それはイエス・キリストです。
礼に反するということは人間を基準にしたときのこと。

だから、私たちはやはり信仰を選ぶ。
そうしてお祈りを皆様にしていただいていたわけです。





お通夜当日の朝、とても不思議な夢を見ました。

キリスト教の異端の集団の中で私は他の人々と一緒にとらわれているのですが、その集団の集会でワーシップソングを歌っているのです。
それはよく知っているワーシップソング「我らの主にむかって」でした。

しかし、イエスを主と認めないその集団は「イエスは主」の部分を歌いません。その部分だけ黙っているのです。
それまで見ていただけの私はたまらずに「イエスは主」と賛美しているのです。

そして私は解放されるという夢でした。


大晦日からずっと思い気持だった私は、神様が励ましてくださっていると思えて、とても晴れ晴れとしてその日を迎えることができたのです。

ダンナと子供たちと田舎に向かう前に祈り、この夢に出てきた「我らの主に向かって」を賛美し、出発しました。

私はお通夜式にだけ参加し、旦那は2日続けて告別式まで参加しました。

施主の叔父がとても小さく見え、なんだかかわいそうに思い、涙がでました。
どちらの式も私たちがお焼香をあげることはありませんでしたが、親戚の方々は理解していただいたようです。
穏やかに、和やかにお式も、そのあとの会食も終えることができました。皆さんに嫌な思いをさせなかっただろうかと最後まで気がかりでしたが、親戚の皆さんにも、祈ってくださった皆さんに感謝しています!

皆さん、本当にありがとう!!

そして神様、主イエスよ、ありがとう!!










Down to Worship 賛美集会

2010-10-04 00:32:46 | キリスト教(証)
9月からまた、Down To Worship賛美集会に参加している。


前記事でこの集会のご案内をした7月31日(土曜)お茶の水クリスチャンセンター8Fで開かれたDown to Worshipの賛美礼拝。

この賛美集会についていつも記事を書きたいとおもっていた。でも、賛美集会について私が抱いている思いが伝わるのだろうかと思ってなかなか書けなかった。どう表現していいかわからないのだ。この思いがみなさんに伝わったらいいな。

それほどこの集会はすばらしかったから。

面白いことに先日集まった賛美仲間が全く私と同じ思いを抱いていた。
どう表現していいかわからないけど・・・・とにかく素晴らしかった。賛美バンドも会衆も一体となって賛美をささげていた、何かとても温かいものが流れていたと・・・。みんな私と同じ思いをもっていたのだ。




去年の9月からこの集会が始まり、つどっている教会も、教派も、国籍も違う賛美者たちがともに集まり、ともに賛美し、神様から出る賛美について考えてきた。

「賛美は捧げるのではなく、受ける。それは神様のものだから。主の導きで集まったみんなで主の十字架に共にくだりたい。弱さをかかえ、苦しみがある場所。人の呻きがある、その場所から始まる賛美がある」

One Musicのmotoさん、逃れの町ミニストリーの穣さんがそんな思いから始めた集会だった。このお2人からお誘い受けた時、私は賛美についてとても悩んでいたのだ。

牧師との賛美の見解の違い。フェルマータに対する音楽的理解の違い。

でも何もしなくても見事に一つでもあるかのように一致する賛美があるのだ。だから曲によってフェルマータを伸ばす伸ばさないなどと決めるのはおかしい。

私はストレートに物を言ってしまうたちである。おかしいことはおかしいと。それによって少なからず軋轢が生じた。過去ログ「ダブルパンチ」はその時の話し合いの一部。

賛美は私たちがプロデュースするものではなく神様のなされるものだ。

思いは同じなのになんでこんなにこじれてしまうのか。

こだわりと自我の強い人と思われてしまったようだ。執事会でも結構激しく言ってしまったので高慢な人だと思われたかもしれない。そして、結局この件に関して私は何も言えなくなった。



しかし、賛美の学びをしているうちに気がついたこと、それは最高の賛美を神様に「ささげたい」という思いが日に日に強くなりすぎ、「私中心」の賛美になっていたのではないかと感じ始めた。

「7月に賛美礼拝を」という話があり、2つの賛美バンドができた。

その頃、私は自分勝手で、人を愛せない、許せないという罪を示されており、こんなものが賛美なんかできないんじゃないかとおもっていたんだ。そしてそのバンドに入って賛美することはできないと思っていた。

私は譜面を見て主旋律を奏でる事があっても自分でアレンジして奏でるということはなかったからそんなことはとてもできないと思っていたのだ。それも周りの方々は皆すごい方ばかりなのだ。自信がなかった。

断るつもりだったのに、集会に行かないつもりだったのに、この集会にはいつもすがるような思いで、なんといっていいかわからないけど行かずにおられないという思いから集会にいき、そこでフルートをもって参加していた。

祈っていた。心の中で。神様、メロディーを与えてください。他の人と調和するような決して邪魔にならないメロディーを。

バンド練習の時、自然とメロディーがでてきたのだ。



そんな風に練習の時はすぎ、本番のとき。


バンドのメンバーは、ギターは韓国人のK君、ボーカルは美しい声のKさん、凄腕のピアニスト,Jさん、
バーカッションはmotoさん、フルートの私。

曲:「おそれなく近寄れ」
  「主は導きをもって」
  「勝利を望み」(原題~We shall over come~この曲はアメリカの公民権運動の時に歌われた賛美歌。私が辛い時この曲に励まされたんだ。)

本番はいつもある震えが全く出ず、落ち着いて吹くことができた、

この時のことはなんと表したらいいだろう。

温かいものが心の中、この空間をながれる。会衆とバンドは一つになって賛美をささげていた。これは自己満足とかでは決してないし、集団の心理による陶酔でもない。

賛美の中に主は住まわれるという。確かに主の臨在がそこにあったのだ。

もうひとつの賛美チームも同じだ。何一つ自分の力でできたことなどそこにはなかったのだ。

それは私たちが捧げるのではなく主から受けた賛美だったのだ。


すばらしい。本当にただそれだけ。






賛美する者

2008-02-23 00:05:18 | キリスト教(証)
賛美とは神を褒め称える事、神に向って発した歌声をいう。またその賛美には楽器を用いた事も聖書に書かれている。


教会の賛美のあり方についてずっと考えている。
そして自分が楽器をもって賛美をする者として召されているのか導きをもとめている。


このブログを前から読んでくださっている方、またはアメリカの教会から私を知っている方々は、私が長男の障碍を通して主に導かれ、カテゴリーのキリスト教(証)に書いたように神様からの数々の恵みを知っていらっしゃると思う。

もう3年も前のことだ。
帰国して新しい教会に仕え、主の恵みの数々に私はどうやって答えたらよいだろうかとかんがえていた。

「主よ、私はあなたのために何をしたらいいでしょうか?」
こんな祈りをしつづけた。

その頃聖書を読むたびに「賛美しなさい。」「賛美するものとなりなさい。」「天幕へ帰っていった。」という箇所が目に留まるようになった。一体なぜこの箇所が気になるのだろう。神様は何を言いたいのだろう。それとも私の思い過ごしなのだろうか。

そして以前の牧師に教会の礼拝部に参加するように勧められたことを思い出した。「あなたを礼拝部に勧めたのは賛美のことがあるからです。」

その言葉は礼拝と賛美ということを深く考えるきっかけとなった。

ちょうどこの頃ゴスペル音楽院に出会い、ためしに聴講する機会が与えられた。

その日は「礼拝音楽奉仕者心得」という授業であったが、私にとっては目が開かれる事ばかりですぐにでもこの学院の通信科で勉強したいと思った。

授業の後、講師の方に、気になっている御言葉がある事を告げてみた。彼女は「もっと具体的に教えてくださいと祈るのよ。私もあなたのためにいのるわ。」といってくださった。

そして何ヶ月か祈る日が続き、ディボーション(聖書を読み、個人的な礼拝の時間)の時に第一歴代誌23章5節の

「そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作ったった楽器を手にして賛美するものとなりなさい。」

の御言葉が目に飛び込んできた。


フルートを持って賛美する者となるようにということなのだろうか?
たんに自分がそうしたいという欲なのじゃないだろうか?
それとも教会の中の賛美のことだろうか?

地域での音楽活動でも主に向って賛美するように吹いたり、なるべくアメイジンググレイスなどの賛美歌曲を選んできた。しかし、その時々コンサートのテーマが在るし音楽仲間にはお寺の住職もいるのでそうそう神様に関する曲はできない。それでもフルートを吹く事で賛美歌じゃなくて自分だけでも賛美する気持ちで地域コンサートで演奏してきた。

牧師にはフルートでの奏楽、礼拝の流れの中で賛美することを申し出ているがなかなか実現しない。

それならばせめて賛美歌でとあらかじめ次の主日に歌う賛美歌、聖歌の箇所をおしえてもらって練習したり、礼拝部で賛美についていろいろと意見をいってみたりした。というのも教会の賛美が一致しないのである。だから子どもも歌いやすいワーシップソングを取り入れたらどうかとか、賛美についての学びをしたらどうかとか。

主は賛美の中に住まわれるという。

またゴスペル音楽院で様々な賛美を学んでいく中で礼拝における賛美とは礼拝への備えであり、会衆を賛美をもって主の深い臨在へと導いてゆく、実に重要な事だと気付かされた。だから霊的に一致した最高の賛美を捧げたいのだ。

しかし、都内の大きな教会から講師を向え、学びをしたがあまり人は集まらず役員、礼拝部、音楽奉仕者、会員の中の数名であった。また私が学んできた事、受洗したアメリカの日本語教会での賛美、とその講師のかたの賛美についての見解の相違もあった。

礼拝も賛美も音楽も主のもの。主が導かれるもの。
私が頑張って変えるものではない事はよくわかっているはずなのだが、なんだか空回りしてしまった様に思える。

でも私に出来る事、フルートを吹く事で神様を賛美し、証したいと強く思うようになっていったのだ。そして主ある人々と、特に賛美者と交わりを持ちたい、分かち合いたいという思いが強くなっていった。そして気がついた時には、クリスチャン音楽家の集まりであるユーオーディア管弦楽団に電話をしていた。入団できるとは思っていないが見学を申し出たら快くお許しくださった。

コンサート前日の忙しいところ本当に感謝である。
ユーオーディアの方々との交わりは出来なかったがその賛美のあり方や演奏の合間に祈る言葉に胸がいっぱいになった。こんなに多くのクリスチャン音楽家が集まり
ただ主に栄光を帰すためだけに集まっているのだ。そしてコンサートに来てくれた人、一人ひとりに神様からの祝福が在るように祈っている。

事務局の方はとても親切な方でこの楽団はプロもアマチュアもオーディション、資格もない事、ただそのときに演奏者を募るといった形であり、重要なのは信仰であるといっていた。

コンサートには夫といった。そこでは私達に洗礼を授けてくれたK先生にもお会いできた。

コンサートではクワイヤ、管弦楽団、ソリスト、指揮者、それぞれが素晴らしい賛美をささげていた。最後に会場に来ていた人々と楽団が一緒になって「聖なるかな」を賛美した。

ああ、でも私には雲の上の人々だ。

神様は私にどんな賛美をもとめているのだろう。私の力は弱く乏しい。
主よ、導いてください。

兄弟姉妹の皆さん、お祈りお願いします。

祈りも、もんくも、つぶやきも。。。

2007-04-10 22:22:51 | キリスト教(証)
Happy Easter!

鬱のほうは少しずつ良くなっている、とおもう。。。
やっと楽器を奏する気力がでてきて、1人、神様と向き合い、受難週とイースターを覚えて、感謝をこめて、賛美をした。

曲はラフマニノフの「ボカリーズ」、ビバルディの「忠実な羊飼い」。

私達の羊飼いであられる主イエス様。
私達人間は神に忠実ではないのに神様のほうが忠実だ。

キリストを信じたばかりの頃は何か不都合な事や嫌な事があるたびに神様にそっぽをむいたものだ。

「やっぱり神様なんていないんじゃない。」

何度こんな事を思っただろう。
自分の思い通りになるのが神様じゃないのに。
でもそのたびにまるで道しるべのようなことがある。

私はたいてい長男のことで神様につまづくことがあった。

長男の事で導きを祈っていたのにセラピストとトラブルがあったり、パニックが再発したり。でも結局そのセラピストのセラピーはちゃんとしたものではなく後から聴いた話だが、ちゃんとした免許も持っていなかった。そればかりか嘘をついて自分を信用させようとしたり、どんどんボロ話が出てきた。結局そのトラブルがもとでそこを辞めて、素晴らしいセラピストに出会えた。

ある日、泣きながら「私は不安と怒りでいっぱいです!」と神様に文句をいった。
そうしたら次の礼拝で特別にアメリカ人の牧師が説教をしたとき、「不安や怒りは誰にでもあることです。ただ、いまは待ち望みなさい。」という言葉がでてきてびっくりした。説教の内容は長男の事に関係のないことだった。でも、私にはメッセージだとおもわれてならなかった。

旅行中に長男がパニックになってまわりに人にじろじろみられたとき心の中で「なんでこんな事ばっかりあるのよ!」と泣きたい気持ちでつぶやいた。気持ちを立て直そうとトイレに入ったらトイレの扉の裏に聖書の御言葉が・・・!アメリカでの事だったので他のトイレにも同じ言葉が書いてあるのだろうと全部確かめたら他の葉途中ではがれたりでまともに読めるのはそこだけだった。

アメリカでは子どもの送り迎えは車である。その日私は腹が立って使用がなかった。いつもはゴスペルの流れるラジオを聴いている。でも神様をたたえるゴスペルさえも聞きたくなかった。何回かチャンネルを変えているとこんな会話がきこえてきた。

「あなたは今絶望して神様なんて信じられないという人がいたらなんと言ってあげますか?」

「神様は忠実なお方です。いつも私達を守ってくださいます。」という事をいっていた。



また帰国が近くなったある日、私はこれから日本での長男の適応の事で悩んでいた。いくら好きな分野において特別に知識があったとしてもそれがなんになるのだろう。そんな事をずっと考えていた。

それが長男をかかりつけの医者に連れて行った時のことだ。
その医者は日本人であるけれどもある新興宗教を信奉していた。でも看護婦は中南米系のマリア(仮名)という人で熱心なクリスチャンだった。「私は昔クリスチャンであるといっていても聖書なんて全然読まなかったの。でも聖書を学んで主イエスが救い主だとはっきりとわかったわ!」と会うたびに主をほめたたえていた。

マリアが検査のために長男の採血検査をするのを見ながら、私はまた憂鬱な気持ちで「この子の知識がなんになるの?」と心の中でつぶやいた。

そうしたら、なんとマリアはこういったのだ。
「この子は頭のいい子よ。神様がいつかこの子の良いところをきっと用いてくださる時がくるからアブラハムとサラが祈って祈って祈り続けたようにあなたも祈つづけるのよ。」

私はマリアに長男の事を相談したことはなかった。ましてや心の中でつぶやいた事にまるでそのまま会話をしているような言葉が返ってくるとは!

その瞬間私は涙が流れていて、「実は今、私がこう思っていたところへあなたがこういったのでびっくりしたのよ。きっと神様があなたを通して答えを下さったのね。ありがとう。」といった。マリアはやさしくわらいながら私を抱きしめた。そして長男のために祈ってくれた。

帰国まじかだったので本帰国のことを話すとマリアは明るく笑ってこういった。「また、会いましょう。」と天を指差して。


神様は心のうちを読み取られる。
迷いの中にいるときは道しるべをあたえられる。

主よ、私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。(旧約聖書 詩篇86篇6,7節)


ただ、ただ感謝!

心の中のデス・ノート

2006-11-22 00:40:35 | キリスト教(証)
今映画の「デス・ノートthe Last name」が人気だ。
私も息子と一緒に先日テレビで前編の「デス・ノート」を見た。
見た後でなぜこんなに人気になっているのかわかるような気がした。

映画では主人公が社会が法で裁けない悪者を死神が落としたデス・ノートに名前を書くことによって葬り去る。初めは正義感でやっていたことがだんだんと自分の私利私欲のためになっていく。

「こんなやついなくなればいいのに」「赦せない、なんとかしてやりたい」
誰の心の中にもそんな気持ちがあるからね。誰の心にも「デス・ノート」を持ちたいという欲望があるんじゃないだろうか。デス・ノート人気はそこらへんからきているのかな。

私の心の中にもこの世から消しさってやりたいという強い憎しみをもった人がいた。7、8歳の頃のある出来事がもとである人にひどい憎しみを30年以上も持ち続けて生きてきた。その人が私にしたことをここで明らかにする勇気は今はない。もしも、デス・ノートが私の手にあったならば真っ先にその人の名を書いただろう。それほどにその人の死を願っていたのだ。

だから、憎しみを持って生きてきたことに対して正当性は感じても罪悪感などまるで感じていなかったのだ。

その出来事を思い起こすたびひどい鬱状態におちいり、自分の中でどろどろとしたものがこみあげてくる。苦しみとか悲しみとか憎しみがうずまき、どこかで助けを求めていた。でも誰にも話す事もできず、それは当時8歳の私の心の中に巣食い30年以上も私を苦しめる事になった。

それから何年かして風の便りでその人が亡くなったことを知った。もうこの世にいないということを知って「あんなやつ死んで当然だ」と思った。しかし、その人がこの世からいなくなったことで心の中がすっきりする事はまったくなかった。

憎しみとは恐ろしいもので憎む相手がいなくなっても消え去る事はないのだ。心の中にずっと巣食っている。

そして30年経った時、私は結婚していて、2人の子供の母親となっていて、キリストを救い主として告白していた。そして信仰を持ってからおかしなことに気がついた。30年以上も憎んでいる人のことを思い出すと、憎んでいるということがとても心苦しくてしかたがない。

キリストは私達の罪を赦すために十字架にかかられた。それを信じることで私は罪を赦してもらっているのにその私は赦せずにまだ憎んでいる人がいる。

どうしたらいいだろうか。このままではいられない。赦されたのだから赦すべきだろう。でも赦す事ができない。どうにも苦しくて仕方がないので部屋に独りでいるとき泣きながらこう祈ったのだった。

「主よ、私には憎んでいる人がいます。それが罪であるとわかっています。でもどうしても赦せません。苦しくて苦しくてしかたないのです。でもあなたは私の罪を全て赦してくださった。だから言葉だけでも言います。本当はそんな気持ちないけれど言います。その人を赦します。」

言い終えたとたん、フッと、心が軽くなった気がした。
そしてしばらくたってみて気がついた。あの出来事を思い出すたびにどろどろとした嫌なあの感覚が今はまったくよみがえってこないのだ。嫌な出来事があったことは事実としておぼえている。でも憎しみがまったくなくなってしまった。消えてしまったのだ。

信じられなかった。何十年も自分を苦しめてきたその嫌な思いがいくら思い出そうとしてみてもわいてこない。今度は別の涙がこみ上げてきて後から後からあふれてくる。その気持ちをなんと表現したらいいかわからない。うれしいような、すがすがしいような、感謝にあふれたそんな気持ち。
ただ主に感謝するのみだったのだ。
私の心の中に起こった奇跡だった。

この状態をよくあらわしている聖書の御言葉がある。

「もし、私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(新約聖書ヨハネの手紙第一1章9節)

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に終われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷ゆえに、あなた方は、癒されたのです。(新約聖書ペテロの手紙第一2章24節)

こうして私は救っていただいた。神様からの一方的な愛で。友人のブログでこの「救い」という言葉について次のように書かれていた。

「旧約聖書の中で現されるこの「救い」というヘブル語は「赦し」という意味と「
担う」という意味があるそうだ。救われるということは変わったということだけじゃなくて、赦し、与え、そして、担ってくれるという意味がある。なぜならそれが、神様の姿だから。」

「赦せない」という思いは誰の心にも「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な欲の表れではないだろうか。赦せないという気持ちは仲たがいを起こし、殺人をおこし、国と国であったなら戦争をひき起こすのではないだろうか。

人の心に必要なのは「デス・ノート」ではなく「赦す気持ち」だと思う。自分の思い通りに人を死に追いやっても心の中は暗闇のままだ。憎しみに支配されてずっと闇の中をさまようばかりなのだと思う。

それだけ「赦す」ということは「赦して下さい」というよりも難しいのではないだろうか。

私はただ主に感謝するのみだ。自分ではどうにもできない事をただ主の恵みによって闇から救われたのだから。

私の心の中からデス・ノートは消滅してしまったのだから。。。

詩篇139篇

2006-05-12 23:56:39 | キリスト教(証)
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。

あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。

あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。

ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。

あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。

そのような知識は私にとってあまりに不思議、あまりに高くて、及びもつきません。

以上は旧約聖書、詩篇139篇1節~6節である。
今日はこの御言葉を思い出してしまうそんな出会い・出来事があった。
先日、洗礼の証に書いた「与えられたように感じた出会い」の話を書いたが今日もまたそんな出会いがあったのだった。

今日は新大久保駅近くにあるの淀橋教会で首都圏キリスト教大会があり、同じ教会につどう姉妹方とともに行ってきた。

今日は体の調子もよく、電車の中でも話が弾んで苦しくなるような事はなかった。感謝だ。話をしてくれた姉妹も同じようにパニック障害があり、ご自分の苦しい体験を話してくださった。自分と同じ体験をした人の話をきき、ほっとし、彼女が今、元気でいる事で励まされたし、うれしかった。

さて、講演会の前にハープの演奏があった。ハープの音色は大好きなのでとても楽しみだった。美しい音、堂々とした演奏。そうして曲と曲の合間にハープ奏者は話を入れていくのだが、なんだか雲の上のような人だなぁとおもっていた彼女と私には共通点があることに気づいた。クリスチャンで、楽器の講師をしていること、賛美の奉仕をしていること、年齢が近い、高2と中1のわが家と同じくらいの息子さんがいる事、そんな話を聞きながら、私は彼女のようにすごい演奏家ではないけれどもなんだか境遇が似ているなと彼女を身近に感じる事ができたので、それがちょっとうれしかった。

そのうちに彼女は末っ子の話しをし始めた。座って話を聞いてられない、学校でも知らないうちにどこかに行ってしまう。何度言い聞かせても直らない。このあたりから、「あれ?何か長男に似ている」と思った。そして彼女友達のアドバイスを受けて末っ子を医者に診せたのだそうだ。そして言ったのだった。「ドクターの診断はアスペルガー症候群というものでした。」その言葉を聴いたとたん、涙がぽろっと出てきてしまった。「ああ、また、こんな出会いが・・・」隣では私の事情を知っている姉妹がやはり泣いていた。「パスピエさんはひとりじゃないんですよ・・。」といって。

ハープ奏者の方は私の大好きな曲、イ・ミンソプ作曲の「君は愛されるため生まれた」を奏でていた。その曲を弾く前にその子供さんが神様に愛されるため生れ、そして彼女もまた神様に愛されてると改めてそう思うといっていた。その言葉にそれまでの子育ての苦悩がわかるような気がした。

講演会が終わって先ほどのハープ奏者の方におずおずと話しかけてみた。でも途中で言葉にならなくなってしまった。「私の息子もアスペルガーなんです。」それだけがやっといえた。そして彼女もその一言で全部のみこめたようだった。彼女の紹介でアメリカから来た伝道師の方に祈っていただいた。その後、2人でこの子供たちを通してたくさんの恵みが与えられている事を感謝した。

そこで先に紹介した詩篇の139篇をおもいだしたのである。最近の体調、講師としての仕事や賛美の事、発達障碍の子供をめぐって感じていた切なさとか寂しさとか全部神様はわかっていたんだなぁと思った。同じような苦しい体験をした人をそばにおいてくださり、同じように苦悩しながら賛美をささげている人にあわせていただいた。今日会ったことは神様の憐れみのように感じたのだった。


詩篇139篇はこの言葉で終わる。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

これは今の私の祈りの言葉でもある。