風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

「逃れの街」ミニストリー

2006-07-31 15:12:24 | キリスト教(行事、他)
日曜日の礼拝後、「王羊双羊」のコンサートに行った。この「王羊双羊」のMOTOさんとJOさんのお2人とはそれぞれ別々に知り合った。2人とも音楽を通してイエス・キリストの愛を伝えている。

MOTOさんは長男が帰国後、学校での文化的な不適応、発達障碍への無理解から、地元の中学には任せて置けないとやっと探し当てたフリースクールで出会った人だった。フリースクールのチャプレンであり、クリスチャンミュージシャンを中心としたグループONE MUSICの代表をしている人だ。彼には本当にいろんな意味でお世話になっていて、長男にとっては「たよれるいい兄貴」という感じ。

JOさんとは3月から友人に紹介されて始めたソーシャルネットワーキングサイトをとおしてでつい最近知り合った。JOさんが男っぽい、アメリカっぽい、かっこいいブルースを歌う方だとはしっていたが、JOさんとメールのやり取りをするまでMOTOさんと一緒に歌っている「王羊双羊」の1人だとはその時まで知らなかったのだった。こういう出会いを「世間は狭いね」というのだろうが、神様は時々面白い出会いをあたえてくださる。

コンサートでは彼らのアルバム(ゆらり)(試聴できるよ)に収録されている歌を中心に賛美した。賛美の間に語られた話で、JOさんご夫妻がはじめられた働きを知る事になった。

JOさんご夫妻は今、「若い人たちの性の問題や悩み」、「中絶の問題」、「神様から授かっている大切な命」と「真実の愛」を伝える働きをはじめられたのだ。このような問題で苦しみ、悲しみ、行き場をなくした人々にとって逃れの場所として、共に痛みを共有し、聖書から真実を求め、主にある喜びを持って生きるために働きたいとねがっているのである。

日本では1日に一万件という信じられない数の中絶手術が行われているそうだ。コンサートではこの働きのきっかけとなった、ホテルの風呂場で産み落とされた小さな命がそのまま放置され死んでしまうという痛ましい事件をあげていた。ぞっとした。

日本では3ヶ月未満は胎児ではないと決めているそうだが、受精後2週間半で心臓の鼓動が測定でき、5週間半で脳波が測定できるという。高校の頃友達と中絶について話した事がある。「中絶する頃の胎児は人間の形をしているんだよ!ひどいと思わない?」と憤る彼女に私はどこか自分には関係がないといった感覚で聞いていた。

それから何年もたって私も2人の命をこのおなかに宿し、産み出したことのある身となった。2,3ヶ月のまだ胎動も感じなかった頃、本当にいるのかいないのかわからないような頃からつわりに苦しみながら、今はこれくらいの赤ちゃん、1ヶ月たったらこれくらいの赤ちゃんとうきうきしながら日を追い、自分の体の中で赤ちゃんが動く感覚は命が守られ育ってきた事の証と本当にうれしかったものだ。出産の時の苦しみを忘れてしまうほどの誕生の大きな喜びを知った。

しかし、望まない妊娠をし、中絶せざる得なかった女性もいるだろう。中絶はその母体も傷つけてしまうという。その人はきっと心も体も傷ついただろう。でも胎児はもっとかわいそうだ。ただ、捨てられていくのだから。

JOさんの奥様はこうした残酷な現実にとても心を痛められ、嘆き悲しんでいた時、「痛みから逃げてはいけない。」「戦っていかなくてはいけないのだ」と小さな命のために働くことへ主からの召命があったという。そのために、また、傷ついた女性を救うために献身なさったのだった。お2人はこれからこの働きのため2年間の学びと訓練のためにアメリカへ向う。

MOTOさんをはじめとする多くの方々がこの働きに協力している。そのなかでも中でも(小さな命を守る会)は性と命を守るボランティア団体であり、子供がほしい方に橋渡しをしている。

どうかこのJOさんご夫妻の働きのため、クリスチャンの皆さんはお祈りをお願いします。もっとこの働きを知りたい、あるいは支援したい方はこちらの「逃れの街ミニストリー」のHPをごらんください。

ミッション(神様に与えられた特別な使命)とは実に人によって様々だなと思う。誰にもできない尊い働きだ。私達はそれぞれ、自分にしかできない特別な使命があると、神様に従っていくJOさんご夫妻をみてそんな風に思わされたのだった。


我らの国籍は天にあり

2006-07-28 01:04:39 | キリスト教(行事、他)
日曜日の礼拝の後、教会の墓地清掃に行った。教会の墓地といっても霊園の中の小さな敷地でいくつかの教会で管理している共同墓地のことだ。

その小さな敷地は芝生になっており、大きな四角い石に十字架の形がくりぬかれていて、「我らの国籍は天にあり」という新約聖書ピリピ人への手紙3章20節の御言葉とその裏には天に召された各教会の方の名前が刻まれている。

共同墓地というのをはじめてみた時、こういうのもいいなぁと思った。私達クリスチャンにとってお墓は故人の礼拝の対象の場ではなく、キリストがもう一度地上にこられ、復活に預かるまでの「眠りの場」である。天は私達にとって故郷なのだ。あったことのない兄弟姉妹達(クリスチャン達)と共に名を連ねるのもいいと思う。キリストにあって私達は一つなのだから。

もちろんクリスチャンがみんな共同墓地を使うというのではない。個人のお墓をもつ人もいるし、家のお墓に入る人もいるだろう。でも私は自分のお墓は要らない。一緒に掃除をしただんなも同じ事を言っていた。掃除は祈りに始まり、祈りで終わった。

日曜日は曇りだったが、暑くもなく、日焼けもせず、お墓の周りの草を刈るにはちょうどいい天候だった。芝生には花の終わったねじ花がそのまま枯れていたり、無数の小さなコオロギの子供が、どういうわけか墓石に向ってぴょんぴょんとびはねていた。どこからか鶯の声が聞こえてきて実にのどかな日だった。

バトンがまわってきました。

2006-07-22 21:40:50 | Weblog
訂正版です。

あ~、あほです。私。下書きにしたつもりがそのまま乗っけてしまいました。

らぶさんから「ありえない」バトンがまわってきましたのでやってみます。


■Q1・いままでで、ありえない!と思った、コンパ・飲み会の経験がある?その内容は?

会社関係のコンパで・・・。先輩の友人はお笑い芸能人のマネージャーをしているというのでコンパにもその芸人さんをつれてくるという。それもお笑いスター誕生という当時の芸人の登竜門で勝ち抜いている駆け出しの芸人さん。

すご~く楽しみだったのだよ。当時その芸人さんの名前を知っているのはお笑い好きの私とS先輩のみ。他の人たちは名前を聞いても「誰?」というリアクションくらいしかかえってこないくらい有名じゃなかった。

しかし、待てども芸人さんは来ず。結局忙しくてこられなかったのだった。お詫びにとマネージャーという人が、彼らのコントを真似てくれたのだが・・・しらけちゃって・・・。本当にその人たちがマネージャーだったのか、今となってはしる由もないけど。ちなみに芸人さんのコンビ名は「ウOチャン、ナOチャン」。




■Q2・異性で、これはありえない!!と思う行動・しぐさは?

これはいい意味でありえないと思った事。アメリカで出会った5歳の男の子J君、初めて会ったのに私に大切そうに持っていた赤い風船をプレゼントしてくれた。

私:「いいの?大事なものじゃないの?」
J:「いいんだよ。だって、そうすれば君は僕のことを忘れないでしょう。」

ええ、ちゃんと覚えてますよ、いまでも。。。 




■Q3・付き合うのはありえない!!何歳下&何歳上?

12歳以下、12歳以上の人。ってもう結婚してるから付き合う事がありえない!
 



■Q4・ありえないハズが、ありえちゃった経験は?

絶対細かいこと言う人とは結婚しないはずだったのに・・・結婚してから相手が超細かい人だったときづいた!!
 


■Q5・彼氏・彼女からありえない金額のプレゼントをオネダリされるとしたら、それはいくらからありえない?

おねだりされることがありえない。う~ん、3万円以上からはありえない。でも今はそんなお金だせないよ!
  


■Q6・こいつはありえなーい人からの告白。返事は?

即答「ごめんなさい!」

 
■Q7・最近『ありえない!!』って思ったことは?

コンサート間じかに左手を負傷。


■Q8・ありえないで、思いつきで、あいうえお作文を作りましょう。

・あ ありがとう、生まれてきてくれて。
・り りんごのようにかわいいほっぺだった子供達は、
・え 笑顔をたくさんふりまいて
・な 泣き虫ママを幸せにしてくれました。
・い いろんなことに挑戦して、大きくなってね。
   
 
やってみたい人はコピぺしてやってみてね。  


舞台が怖い

2006-07-20 10:28:13 | 音楽
あ~、ここ3日間連続して悪夢をみている。寝不足。
この頃、考えている事。気がめいっている原因のひとつ。
人前で演奏することが怖い・・・。

フルートを始めてから、学校の演奏会で、発表会で、、老人ホームで、教会のクリスマス祝会で、地域コンサートでと様々な場が与えられて楽器を吹いてきているのだけれど・・・。最近妙にあがってしまうのである。心臓ばくばくだし、唇が震える、音が震える、手が震える、のどがしまる、高音がでない。前回のコンサートで最初の曲が微妙だった・・・・というかまずかった。もろ音が震えてるのがわかったから。結果、お客さんのアンケートを見てかなり落ち込んだ。お客は正直だからね。要するに聞かせる演奏ができてない。

昔、友人に「あがるのは練習不足」といわれたことがある。また、ある友人は「場数をこなせばあがらなくなる」という。また「音が震えるのは腹筋のせい」だとも。練習不足なのか、場数が少ないのか。それからこれらの事に気をつけるようにしてたのだが、練習してリハーサルまではばっちりという時も本番で撃沈。ホールも小さくて何回も使ったことのあるホールなのに。初めて演奏するみたいになってしまうのはなぜなのか・・・。う~ん。前にもまして、舞台にたつ事が怖くなってしまった。

どうにもこうにもすっかり落ち込んでしまっていて、もうコンサート出るのやめようかななどと考えていた。そんな時、9月にコンサートを一緒にどう?という話が来た。どうしようか。自信がない。やめようか。逃げることはできるけど、逃げたくはない。・・・でも、本当は演奏したい。

結局、この話を受ける事に。さて、打ち合わせはもうすぐ。どうなる・・・。
やっぱり、練習するしかない。まずはロングトーンから・・・。

Poetry Of Japan

2006-07-18 15:16:05 | 音楽
気がめいる。だるくて何にもしたくない。このところこんな気分を引きずってしまっている。

そこで気分転換。ジャズトランペッター大野俊三氏の「Poetry of Japan」を聞いている。このアルバムは日本の叙情歌が元になっている。

1.椰子の実      6・ふるさと
2.荒城の月      7.赤とんぼ
3.花         8.母さんの歌
4.この道       9.母
5.森が崎海岸    10. 月の砂漠

これらの曲がすべてジャズとして流れてくるのである。ものすご~くかっこいい!私のお勧めは「母さんの歌」。あの親しみのあるメロディーははっきり聞こえてくるのにもう叙情歌ではなく、「何のジャズの曲?」というように最初からジャズにしか聴こえない。アレンジはヘンリー・レイ&甲斐正人。アレンジしやすい曲調というのもあるだろうし、アレンジがすばらしいというのもある、そしてもともとの曲の持つ力というのもあるだろう。まったく違った「母さんの歌」を聞いてみて。

大野俊三さんはすごい人だなと思う。いつだったかビートたけしの番組「アンビリーバボー」でこの人の特集をしていた。その中で大野さんが交通事故で唇を切り、前歯を折るなどのトランペッターとしては致命的な危機に陥り、その後も扁桃がんの末期で手術するなど、強靭な精神力で見事困難をのりこえたのだった。

一時は放射線治療の副作用で食事もとれず衰弱していた大野さんに尊敬するサックス奏者ウエイン・ショーターからカーネギーホールでおこなわれるコンサートに出演依頼される。それが大きな励ましとなり、絶対安静だったにもかかわらず激痛に耐えながら、カーネギーホールに立ったという。

そんな大野さんの生演奏を聞けたのは次男が通っていたニューヨーク日本人学校でのことだった。よく日本の学校で、新学期になるとPTAの役員各部、文化部、厚生部、広報部があるが、ニューヨーク日本人学校でもそれは同じだった。大野さんのコンサートはこの文化部が主催だった。普通はこういった催しは保護者向けなのだが、ビッグアーティストの演奏を是非子供達にもということで保護者&中学生生徒に向けてこのコンサートが持たれたのだった。なんて贅沢な・・・・しかも日本人学校限定・・・。

コンサートでは大野さんの力強い音が響いた。上記の内容の曲からスタンダードジャズまでその音に魅了された。なんというか心を揺さぶられるような音。この人が困難を通して生み出してきた音なのか。

私はクリスチャンなので苦しみや困難があるとき神様のご計画の中でこうなったのだと思う。もちろん、そんな物分りが良いわけではないので「どうしてですか?」と泣きながら祈ることはよくあるが・・・・。

聖書にこんな言葉がある。
「わたしはあなたがたのためにたてている計画をよく知っているからだー主の御告げ。-それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(旧約:エレミヤ記29章11節)

この方にはどんなご計画があるのだろう。大野さんの力強い演奏を聞きながら、そんな事を思った。もちろんこれは私の勝手な思いだ。

その次の年に私は文化部部長になってしまった・・。しかもその年の夏にはすぐに帰国。帰国直前に大野さんから自宅に電話があった。

「昨年コンサートをさせていただいた、ジャズトランペッターの大野俊三と申しますが・・・。」
「!!!(ええ~!!何で大野さんからうちに電話が来るの?!)」

一瞬ものすごくあせったが、私が文化部長だったのマンハッタンでのライブの宣伝のチラシを日本人学校生徒&保護者に配ってほしいという依頼だったのだ。帰国が近かったので申し訳なかったがもうひとりの文化部長さんにその件はお願いして私がお役に立てることはなかった。

大野さん声を聞いただけだったが、へりくだった、とてもやさしげで誠実な印象を受けた。(文化部長も役得だなぁ・・・。)

「Poetry of Japan」、今日はこれで3回目。今日も大野さんの演奏からパワーをいただいた。



父の目の色ー日本人のルーツ?

2006-07-15 00:16:54 | Weblog
先日、ある方の日記に、日本人だけれども肌の色が白く、たいていの日本人が黒い瞳をしているのに違う瞳の色をしている人の話があって興味深かった。

そこで思い出したのが、亡き父だ。父も色が白く、私の瞳は黒いけれど、父の瞳は薄い赤茶の不思議な色をしていた。幼い頃、それが不思議でなぜ父の目の色は自分のと違うのかと聞いたことがある。

すると父はおどけてこういったものだ。
「お父さんは外人だからだよ!」

お、そうか・・・・私はハーフだったのか・・・。って、もちろん違うでしょ。だって、父も私も顔のパーツ的に考えたらバリバリ日本人ですから。

でも日本人にはさまざまな顔立ちがあると思う。小、中学校で友達にやっぱり薄くて緑っぽい色の瞳をした人がいたし、俳優でその顔立ちからハーフですかとインタビューされていたひとがいたが、本人いわく私は純日本人ですといっていた事があった。またある友達はよくスペイン系の顔だといわれるらしい。あ、私も韓国語で話しかけられたこと2回あり。韓流顔なのか?

これに関して参考になる、とても面白い本を読んだ。

日本の中のユダヤ文化」久保有政著(学研)

この本はおもしろい!いい加減な憶測だけでなく事実、史実に基づいて書かれている。参考文献欄を見るだけでも面白い。(この本に書かれている詳しい事はまたの機会にレビューしたい。)

この本の中で日本人のさまざまな顔立ちについて書かれているのだが、なんと日本人の顔は中国人、や韓国人よりキルギス人によく似ているらしい。なんでも最近の遺伝子研究では日本人のDNAには、中国人や、韓国人と共通の遺伝子の他に中央アジアや、西アジアのさまざまな遺伝子が混ざり合っているといわれ、その研究は日本人がシルクロード各地から来たさまざまな民族の混血だという事を表しているというのだ。

キルギスには日本語と意味も発音も同じという言葉が数千もあるという。またキルギスの伝説では昔2人の兄弟がいて、ひとりは山へいってキルギス人の先祖となり、ひとりは海へ行って日本人の先祖となった」といわれていて、内容は日本の「山幸彦・海幸彦」の話に酷似している。キルギス人は日本人を見ると「兄弟よ」と呼ぶのだそうである。

日本史で学んだ渡来人たちの祖国は「弓月の国」であったという。その弓月の国は今の中央アジアで、カザフスタンであり、そしてその隣にはキルギスタンがある。だからその土地に生きていた民族が移動し、最後には日本にたどり着いたのもうなずけるのだ。

そうするとやっぱりわが家系にも渡来人の血がはいっていたりしてね。時々昔の遺伝子のいたずらか、瞳の色が違ってたり、顔立ちにあらわれてくるのかな。

皆さんの家族や親戚には日本人だけど不思議な色の瞳をした人いますか?

それは達也がかわいそうかも・・・。

2006-07-12 18:04:01 | 音楽
ゴスペルシンガー塩谷達也の2枚組みアルバム「琴音」を聞いている。彼の信仰を表す「祈り歌」と「日々の歌」。どちらもいいな・・・。興味のある人はブックマークから達也のサイト:Hush Harborに入ってね。(試聴できるよ。)

私は普段は器楽曲ばかりで「歌」はあまりきかないのだけど、達也の歌を初めてナマで聞いた時、人間の声って神様から与えられた最高の楽器なんだと思った。それだけ声としての表現力があって、全身に鳥肌がたってしまったのだった。

とてもいい気分できいているのだけど、どこからともなく・・・・
「イナバウア~
「?」
達也の歌と共に次男と長男がおかしくて仕方がないといったように大笑いしながら、「イナバウア~」。

どうやら歌詞の「in-a my heart」部分が「イナバウア~」と聞こえるらしい。

塩谷達也氏の名誉のために・・・何でもアメリカ留学中、アジア人でこんなにゴスペルをうまく歌う人は初めてだと言わしめたほどの実力のもちぬしなのだ。だから決して発音が悪いわけではない・・・。

それにこの歌はTraditional Spiritualでいい歌なんだよ~。「Lord, I want to be a Christian in-a my heart」(主よ、私は魂の中で真のクリスチャンになりたいのです。)という意味なのにさ~。

長男と次男はこの部分になると必ず「イナバウア~」と歌いだすのである。
もう、ほんとに、君達!やめなさい!

ああ、私の頭の中でもだんだんとイナバウア~効果が・・・。

Lord, I want to be a Christian, イナバウア~


女優のいとこ

2006-07-11 14:41:37 | 映画・演劇
私には女優をしている従姉妹がいる。

私は1人っ子なので彼女は一番ちかい本当の姉のようであり、多趣味な私のよき理解者で良き相談相手でもある。

そんな彼女から携帯メールが来た。明日水曜のNHK連ドラ「純情きらり」に少し出演するから見てねという内容だった。こういう知らせはとてもうれしい。今度は何の役をやるのかな、台詞はどんなだろうとかなんだか自分のことのようにどきどきしてしまう。

今まで出たドラマ・・・「コスメの魔法2」の白兎本舗の社長婦人、サスペンス物では「カードGメン」でのPTAの役、木の実ナナの同僚のバスガイド役、NHK連ドラ「ちゅらさん」ではふみや君のお母さんと同じマンションの住人役。ほかにもいろいろ・・・。

明日は何の役でどの場面に出るのかはわからないけどすごく楽しみだ。皆さん、見てね~。

いいところ応援計画

2006-07-08 17:54:03 | 発達障害・アスペルガー症候群
長男の高校の親の会で「いいところ応援計画」という講演会がひらかれた。講師は所沢教育委員会の阿部利彦先生。以前地域の親の会がNPO法人としてスタートする時、記念講演として阿部先生がきてくださったのだが、残念ながらその時聴講することができなかった。とにかく各セミナーで大評判の先生という事で今回は絶対見逃したくないという思いから、電車は怖いけど・・・行ってきた。

講演内容は所沢・軽度発達障碍児を支援する会「よつばくらぶ」さんに詳しく書かれているのでご参照ください。

いいところ応援計画

講演の中で子供のいいところを探すところがあるのだが、それが人よりも優れているところではなくていろいろな良いところ、それを探すために「心のストライクゾーンを少し広げる」つまり、固定概念(もう中学生なのにとか。。。できて当たり前なのにとか。。)を変えていくというところがよかった。

たとえば、「朝ごはんを毎朝たべる。」でもいいのだ。
「明日の準備をたまにしかしない。」のであれば「明日の準備をたまにすることがある」と肯定的にするわけである。こうしてどんな小さな事も徹底的に良いところとして肯定化するのだ。

また、学校などでの彼らの問題行動、課題の多くが環境との相性が悪さから来ているものなので、「悪者探し、原因探しをするより対処法探しを」というのはうなずける。

そして、いいところをふやし、他者に貢献する喜びをおしえ、適切に援助を求める能力をそだて、苦手な人とでも過ごせる能力を育て子供達を導いていくのである。

また、しかる時のかかわり方も考えさせられた。

*より適切な行動へ導くためであって凝らしめるためにしからない。
*一部の行動で全人格を決め付けない。
*しかる時はメリハリをつけ強く短く、プライドをきずつけない。
*子供にとって大切な存在でなければ(信頼関係ができてなければ)、しかっても効果はない。

気をつけているようでも出された例などで実はやっているところもあった・・・。長男いわく「お母さんの説教は長すぎる!」だからね。。。

最後に、親にゆとりがない場合、子供のいいところ探しもできない。そこで「子供をほめ、認め、支えるために、母親休業日などを設けてリフレッシュするのもよし、大人が人生を楽しむモデルになる。」と付け加えてくださった。

阿部先生のお話はユーモアたっぷりでとても楽しく勉強になった。その後のパーティで阿部先生とお話しする時間があったのだが、やはり私達の地域ではまだ発達障碍の子供たちを支援するに体制には至ってないらしい。それもそのはず、現に親の間では特別支援の欠落地域とまでいわれているのだから。でも隣町に阿部先生のような方がいらっしゃるのなら、こちらの地域にもいい影響が出てくるかな・・・。

今日は電車の中でもなんともなかったし、行って良かったと思える講演会だった。

いきはよいよい、帰りはパニック・・。

2006-07-07 00:40:56 | Weblog
今日はつつじヶ丘へいってきた。アメリカの日本人教会でご一緒だった姉妹方と私に洗礼を授けてくださった牧師先生ご夫妻に会いにいったのだった。

わたしの時間の感覚が他の方よりずれているので(要するに遅刻癖なのだ)、遅れないように時間には余裕を持っていくようにした。1時間も早くついてしまったので喫茶店で暇つぶし。でもそのせいでお昼を軽く取りながら、ゆったりとした自分の時間を持つ事ができた。

みんなでお茶とお菓子を食べながら帰国者のOB会のことや近況など語り合ってあっという間に楽しい時間はすぎていった。

そして普段どおりに電車を乗り継いで帰ったのだが・・・。
あ~。。来ちゃったんだな、パニック発作・・・。電車がある一定区域止まらないことを意識したとたんにこうなってしまった。

あれ~、へんだな~と思っているうちにどんどん息苦しくなっていく。もう、これやばくなってきたと、いつも常備してある薬を水で飲んだ。少しはこれで気が楽になるかと思ったのだけど、動悸、貧血を起こしたような気分、手がしびれてくる、震えてくる。
電車が駅を素通りするところを見ると余計あせるので目をつぶって広い風景をイマジネーション。すると今度はもっと怖くなってくる。本を読んで気を紛らわす。それでもだめ。呼吸法もためしてみる。このまま気が遠くなったらどうしようなどと考えてしまう。こんな時周りに知っている人がいないと心細い。神様にいのる。

そのうちに薬が効いてきたらしくだんだん落ち着きをとり戻したが、今度は薬が効きすぎた。体がだるい、眠たくてたっていられない。駅についてから家まではあるくのだが、足が重くて思うように歩けない感じがする。歩いているのにまぶたは半分閉じている。千鳥足でよっぱらっているようなあるきかただったかもしれない。

やっと家に帰り、ばたっとその場に横になるとそのまま眠ってしまった。子供達が話しかけてくるが、答えられない。ろれつが回らない。なんだか死んだように眠ってた。

もうやだ。。。よくなったかなぁとおもうと突然やってくる。「この区間停車しないから逃げ場がない」とか考えなければいいのだけどね。

今度の土曜日も長男の障碍関係の講演会があるのに。電車やだなぁ。。。