風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

母の葬儀

2014-10-31 11:30:03 | Weblog
29日の前夜式、30日の告別式と無事に母の葬儀を終えることが出来ました。親族もキリスト教の葬儀に理解してくれたようで何も言われることはありませんでした。中には良いお式だったといってくれたかたもあり、ほっとした思いでおります。皆様のお祈りに感謝です。

私達も初めてのキリスト教葬儀でしたが、母の好きだった「主に任せよ、汝が身を」「人生の海の嵐に」を歌い、前夜式では、長男と従姉妹、私がそれぞれに母の思い出を語り、参列者と分かち合いました。

また、この葬儀を私たち家族のゆかりの教会で執り行えたのも感謝なことです。この教会の中に長男がお世話になったフリースクールOO学園があるからです。司式をして下さった牧師先生はこのフリースクールの元園長先生で、先日、母にバプテスマを授けてくださった方なのです。母は生前、孫を受け入れてくれたこのフリースクールに感謝しているとよくいっていましたから、きっと喜んでいるでしょう。14年前、父の葬儀の後パニックを起こすようになった長男は今はすっかり落ち着いているのも感謝です。彼はおばあちゃんが今笑っているように感じるのだそうです。ナイーブな次男はずっと泣いていましたが…。

今母は神様とともに御国で父とともに安らいでいるでしょう。

母が天に召されました。

2014-10-26 11:24:13 | Weblog

今日、11時2分、母が天に召されました。

皆様、お祈りをありがとうございました。

これからキリスト教の葬儀を進めますが、親族の中では私は初穂で初めてのキリスト教の葬儀になります。理解のない者もおります。


どうか親族、母の友人に理解が得られますようお祈りいただけますようお願いします。

母の闘病記3

2014-10-25 11:22:55 | Weblog

今日の母は昨日とは打って変わってほとんど反応がなく、私のこともわかってないようだった。意識が飛んでると言うのだろうか、目を大きく見開いているけれど焦点が合ってないし、時々、顔をゆがめたりする。

食事も咀嚼をするものの飲み込むのがやっとで、喉に引っ掛けてしまう。吸引を2度ほどしてもらった。昼、夜とあまり食べてない。

歯をガチガチさせたり、口を大きく開けたり、アーアーと叫ぶ。あまりの変わりように戸惑ってしまった。


やはり、痛み止めの薬からくるものらしい。

本当に昨日は病床洗礼のために主が備えられた日だったんだとつくづくおもった。

でももう一度、母と話したい。

神様、苦痛があるのなら取り除いてください。あなたが絶えずそばにいて平安を与えて下さいますように。明日は落ち着いていますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

バプテスマの恵み

2014-10-24 11:20:09 | キリスト教(証)

ハレルヤ!主を賛美します。母が病床にて、長男の恩師にバプテスマを授けていただきました。

いつもうつらうつらしているのにこの時は意識がハッキリしていて牧師先生とお話をすることも出来ました!

お祈りの後にもハッキリとアーメンといい、賛美の時は目を瞑りながら口を動かし、一緒に「慈しみ深き」を歌っているようでした。


先生が帰られた後も、「ありがたい、ありがたい」と言っていました。そして「神様、お願いしますよ、守ってください。」と小さな声で祈っていました。初めての母のいのりです。

しばらくしたら、また、わからないことを言っていたり、夢の話のようだったり。バプテスマの時、全て護られていたことがわかりました。

感動で涙が出て仕方ありませんでした。一緒にいた長男も泣いていたそうです。

本当に主に感謝です。
また、お忙しい中、母を見舞ってくださり、バプテスマを授けて下さった先生、ありがとうございました。

母の闘病記2

2014-10-23 11:17:15 | Weblog

朝、目覚めると夜中病院から呼び出しがなかったことにホッとする。

母は手はかすかに手すりをつかめるほど。点滴をやめたので手の浮腫はひいてきている。この頃嬉しいことは時々意識がはっきりしているときに出来る会話。
「まだ(私)生きてるの?」にはじまって
「今日も可愛いね。いい娘だ。」「今が一番幸せ」「ありがとう。みんなに宜しく言ってね。」長男を見るとやはり嬉しそうに笑う。「OOちゃはいい男だね。ありがとうね。」「もうすぐ楽になるからね」


この頃母の目は空中をみている。その瞳はとても澄んでいる。

掃除婦さんが掃除をしに来た時、母は起きていたそうだ。そして、壁を見ながらこんなことをいったのだという。「女神様が見える。今お話してる。」それは天使?マリア様?それを聞いて胸がいっぱいになった。それというのも3日前地獄の夢を見たと言って自分は地獄におちるのだと怯えていたからだ。お母さんはイエス様を信じたんだから絶対地獄なんか行かない天国にいくんだよと説明しお祈りしたのだった。神様が護ってくださっているんだと嬉しくて泣きたくなった。

「今日を一番いい日にするの。2人の記念日にするの。2人で協力しあってね。」そして長野に旅行に行くのだという。父の夢でもみたのだろうか?

母の心は平安で満たされている。それが何より感謝だ。

母の闘病記

2014-10-19 23:45:06 | Weblog
母が再入院して2か月がたった。これは今月に入って約3週間、病状はこんなにも変わるものなのか…。




10月1日

毎日母の入院している病院に行っている。この頃母のいっていることがよくわからない。ろれつがまわらないうえに声が小さい。それでも何とか話を合わす。

今日は変なことを言っていた。患者の家族が集まってその人の財産分与でもめていたとか、近所のおばさんが待合室に座って他の人といっしょに孫の悪口を言っていたとか。何を言っているのかさぐりながらとにかく話を合わせた。アルツハイマー?

体は衰弱している。寝たきり状態。人の話もあまり聞いていない。自分の事しかはなさなくなった。だんだん私の知っている母ではなくなっていくようで怖い。こんな時思う、私に兄妹とかいればよかったのに。そんな事思っても仕方ないね。



10月2日

病院で吐いてから病院の食事はとらなくなったのでおかずを持って母のところへ。昨日のように話がちぐはぐ。まあ、いいや。

おかずを食べて歯磨きをして蒸しタオルで顔を拭くのが毎日の日課になっている。

先日ユーオーディアの試験で演奏した曲を聴かせたら喜んでいたので今日は賛美歌をフルートで吹いて録音し、母に聴かせてあげた。賛美歌の曲は「主に任せよ」「人生の海の嵐に」。


歌詞も書いて聴きながら歌詞を見てねと渡したのだが母は目を閉じて聴くスタイルなので歌詞は見てもらえなかったけど賛美歌は、とくに「人生の海の嵐に」の曲はとても気に入ったらしい。明日は何の曲にしようかな。



10月13日


母が笑顔になるとき、孫の話、故郷の話、母の得意料理の話。

今日は母がとてもうれしそうだった。というのも長男がパソコンで母の故郷の大ケヤキや母の若かりし頃のゆかりの地の町並み、上野駅、その頃の電車などの画像をプリントして母にみせてくれたからだった。

懐かしいんだね、孫が可愛いんだね。良かったね、お母さん。




10月16日

昨日、母の病室を大部屋からやっと個室へ変えることができた。やはり以前より落ち着くかな。お金はかかるけど母にとって心地よいほうがいい。

ありがたいことに食欲はある。食事のとき今度の課題曲を聴かせると「いいねぇ」「楽しみだねぇ」と嬉しそうだ。

手の力がなくなってきて食事も歯磨きも私がやるようになった。


この頃うつらうつらしていることが多くなってきたせいか時間が経っていることがわからないんだろう。「もう帰るの?」という。可哀想になるけど仕方ない。帰る時お祈りをしてから帰る。もうお祈りも忘れちゃったかなぁと思っていると、しばらく経ってアーメンと言ってくれた。

今日は昨日より時間を多くとろう。



10月17日

この頃病室で讃美歌を歌っている。母はやはり目を瞑って聴いている。1曲終わるともう一回歌ってという。昨日は4曲。もともと歌が好きだった母、今日は親友のお見舞いもあってか昔を思い出して小学唱歌をうたっていた。YouTubeで唱歌メドレーをながして知っている曲はいっしょに歌ったりした。

そんな中、医師から非常に厳しい状態だと聞かされた。腹水で手も足も浮腫んでいる。そのため点滴をするのが難しくなっていて点滴をやめることになった。なんだか胸が締め付けられる思い。どうか痛みや苦しみがありませんように、主の平安が母にありますように。


そして今日、

10月19日

この頃の母は眠ってばかり。
今日はベッドのかたわらにいると突然、寝ている母がうわごとのように「バカ、バカ」という。悪い夢でも見ているのかと「お母さん、どうしたの?」というと「そこで話しているのきこえてるんだから。みんなわかってるんだから」眼をつむったままという。こちらは???である。なんだか被害妄想。夢からまだ冷めてないのか。

反応もあまりよくない。長男が来た時も声をかけてしばらくしてから長男のことをにんしきしたらしくやっとニコッと笑うのだ。長男が母を喜ばせるために持ってきた写真を少し見るとまたすぐ眼をつむってしまった。痛み止めの薬のせいだろうか。食べている時だけかろうじて起きているような状態。少しでも食事の時を豊かなものにできればと祈りつつご飯を食べさせている。食欲はある。少しでもぽサポさしているとしばらく噛んだ後出してしまう。まるで赤ちゃんがやるみたいに。眠りながらご飯を食べているみたい。

薬を使わなければ意識ははっきりするだろうし、妄想もなくなるだろう。でも薬を使わなければ痛みがある。でも痛みで苦しんでほしくない。これしかないのか・・・。