8月11日(土曜日)今年もDown to Worship 賛美集会が開催された!(もう1週間たっちゃったけどさっ)
今年の会場は新宿区大久保にある、あの淀橋教会。会場は地下のエクレシアホールでした!
Down to Worship 集会、ただ、ただ、感謝という言葉しか出てきません。
この集会がはじまったのは4年前。色々な教会でそれぞれ賛美について悩んいる人、賛美奉仕者、賛美リーダーたちが集まり礼拝とは賛美とは何かを考え足り、自分の抱えている問題や痛みを分かち合ってきた。そこで導かれたことはまず、自分から賛美をすることをやめること。楽器を置くこと。そして神様から始まる賛美を受けとる」ということでした。
自分で賛美はこうでありたいと思ったらそれは自分中心の賛美になってしまいます。自分から強くなろう、正しくなろうとするのをやめて弱い、罪のある自分自身を認めてそのままの姿で神様のもとへ下る、十字架にこそ希望がある、それが私たちの賛美なのです。
賛美集会の日まで私の心は葛藤がありました。私の心は相変わらず、人を憎むこともあればねたむこともある、やさしさもない、愛もない、自分勝手、フルートの技術もない、編曲する能力もない、自信もない、勇気もない、妙な孤独感、とげとげしてる私の心。
当日はものすごい雷雨。高田馬場駅のホームに降りたとき大きな雷鳴を聞いて、神様はこんな私を怒っているんじゃないか、今日賛美することを許さないんじゃないか、そんなことを思っていました。
こんな心の汚い私がこの賛美チームにいてもいいの?神様を賛美することが許されるの?
そんな思いを抱えて、賛美仲間に会ったとき、うれしさとありがたさとみんなごめんねという気持ちでごちゃまぜでした。
フルートの譜面というのはないので毎回、歌の邪魔にならないように旋律とは違うメロディーをふくのだけど、この時も神様に音をだずね求めながら、フルートを吹いていました。
それぞれの賛美仲間もそれぞれの状況でいろんなことがあってボロボロの状態だったけど、証をし、ともに賛美していました。神様がこんな私たちを丸ごと受け止めて包んでくださっていることがわかった。その時のことは本当にどう言い表したらいいかわからないけど。
土曜日の賛美集会は多くの人が来てくださり、ともに神様を賛美できて感謝でした。すごく幸せな時でした。
ハレルヤ!
今年の会場は新宿区大久保にある、あの淀橋教会。会場は地下のエクレシアホールでした!
Down to Worship 集会、ただ、ただ、感謝という言葉しか出てきません。
この集会がはじまったのは4年前。色々な教会でそれぞれ賛美について悩んいる人、賛美奉仕者、賛美リーダーたちが集まり礼拝とは賛美とは何かを考え足り、自分の抱えている問題や痛みを分かち合ってきた。そこで導かれたことはまず、自分から賛美をすることをやめること。楽器を置くこと。そして神様から始まる賛美を受けとる」ということでした。
自分で賛美はこうでありたいと思ったらそれは自分中心の賛美になってしまいます。自分から強くなろう、正しくなろうとするのをやめて弱い、罪のある自分自身を認めてそのままの姿で神様のもとへ下る、十字架にこそ希望がある、それが私たちの賛美なのです。
賛美集会の日まで私の心は葛藤がありました。私の心は相変わらず、人を憎むこともあればねたむこともある、やさしさもない、愛もない、自分勝手、フルートの技術もない、編曲する能力もない、自信もない、勇気もない、妙な孤独感、とげとげしてる私の心。
当日はものすごい雷雨。高田馬場駅のホームに降りたとき大きな雷鳴を聞いて、神様はこんな私を怒っているんじゃないか、今日賛美することを許さないんじゃないか、そんなことを思っていました。
こんな心の汚い私がこの賛美チームにいてもいいの?神様を賛美することが許されるの?
そんな思いを抱えて、賛美仲間に会ったとき、うれしさとありがたさとみんなごめんねという気持ちでごちゃまぜでした。
フルートの譜面というのはないので毎回、歌の邪魔にならないように旋律とは違うメロディーをふくのだけど、この時も神様に音をだずね求めながら、フルートを吹いていました。
それぞれの賛美仲間もそれぞれの状況でいろんなことがあってボロボロの状態だったけど、証をし、ともに賛美していました。神様がこんな私たちを丸ごと受け止めて包んでくださっていることがわかった。その時のことは本当にどう言い表したらいいかわからないけど。
土曜日の賛美集会は多くの人が来てくださり、ともに神様を賛美できて感謝でした。すごく幸せな時でした。
ハレルヤ!