風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

Down to Worship 賛美集会

2012-08-25 23:30:54 | キリスト教(行事、他)
8月11日(土曜日)今年もDown to Worship 賛美集会が開催された!(もう1週間たっちゃったけどさっ)

今年の会場は新宿区大久保にある、あの淀橋教会。会場は地下のエクレシアホールでした!


Down to Worship 集会、ただ、ただ、感謝という言葉しか出てきません。

この集会がはじまったのは4年前。色々な教会でそれぞれ賛美について悩んいる人、賛美奉仕者、賛美リーダーたちが集まり礼拝とは賛美とは何かを考え足り、自分の抱えている問題や痛みを分かち合ってきた。そこで導かれたことはまず、自分から賛美をすることをやめること。楽器を置くこと。そして神様から始まる賛美を受けとる」ということでした。

自分で賛美はこうでありたいと思ったらそれは自分中心の賛美になってしまいます。自分から強くなろう、正しくなろうとするのをやめて弱い、罪のある自分自身を認めてそのままの姿で神様のもとへ下る、十字架にこそ希望がある、それが私たちの賛美なのです。

賛美集会の日まで私の心は葛藤がありました。私の心は相変わらず、人を憎むこともあればねたむこともある、やさしさもない、愛もない、自分勝手、フルートの技術もない、編曲する能力もない、自信もない、勇気もない、妙な孤独感、とげとげしてる私の心。

当日はものすごい雷雨。高田馬場駅のホームに降りたとき大きな雷鳴を聞いて、神様はこんな私を怒っているんじゃないか、今日賛美することを許さないんじゃないか、そんなことを思っていました。

こんな心の汚い私がこの賛美チームにいてもいいの?神様を賛美することが許されるの?

そんな思いを抱えて、賛美仲間に会ったとき、うれしさとありがたさとみんなごめんねという気持ちでごちゃまぜでした。
フルートの譜面というのはないので毎回、歌の邪魔にならないように旋律とは違うメロディーをふくのだけど、この時も神様に音をだずね求めながら、フルートを吹いていました。

それぞれの賛美仲間もそれぞれの状況でいろんなことがあってボロボロの状態だったけど、証をし、ともに賛美していました。神様がこんな私たちを丸ごと受け止めて包んでくださっていることがわかった。その時のことは本当にどう言い表したらいいかわからないけど。

土曜日の賛美集会は多くの人が来てくださり、ともに神様を賛美できて感謝でした。すごく幸せな時でした。

ハレルヤ!

母親だからね・・・・腹立たしくて、悔しくて

2012-08-05 14:58:07 | 発達障害・アスペルガー症候群
書かずにいられないな・・・・・・。

先日、地域の障碍者就労支援員の方からを受けてある会社を紹介された。産業廃棄物のリサイクルを主にしている会社だが、環境にも力を入れているということで会社の敷地内に東京ドーム4つ分くらいはいる緑地公園をもっている。そして2回の面接を経て1か月の契約社員として採用が決まったところだった。

本人も望んでいた環境の仕事ということでそれはそれは張り切っていたのだ。緑地公園内の果樹園の管理ということで入社第一日目が終わって帰ってくると果樹園の中にある桃の木になぜ実がならないかということをしきりに調べていたり、休日にはわざわざ造園会社につとめている遠方の友達に剪定の仕方まで聞きに行くほどだったのだ。パソコンも使用許可が出て、エクセルをつかって報告することがあるとかで夜中まで頑張って表を作っていたりしていたのだ。

しかし、どういうわけか、2週間たったところで解雇されてしまった。


担当の支援員の方にどういうことなのか説明を求めるとどうにも納得のいかない解雇の理由があがってきた。

ほとんどの仕事はこの炎天下の中、手作業による草むしりだったらしい。草むしり最初から言われていたことだったが。

作業中、何もせずにボーっとしていたところを会長をはじめ複数の社員から報告があったというのだ。こんな炎天下の中での作業、頭が痛かったと本人は言う。それをさぼっていたととられたのか。

会社側が望むような仕事の進み具合ではなかった、指示通りに動かず効率が悪いやりかたをしていたことが試用期間1か月の契約にもかかわらず2週間の打ち切りになった理由だということだった。しかし、本人は何の指示もうけていないということ、ほかにも会社側が言っていることと本人が言っていることに食い違いがある。私には会社側が過剰に反応しているようにしか見えない。

本人は悔しかったのだろう。不当解雇についていろいろと調べたり電話を掛けたり。私もその日悔しくてなかなか寝られなかった。

それだけではないのだ。

会社は一般求人で社員を募集していたところだが、障碍者就労支援員から彼に障害があること、その特性が分かっているはずなのに様子を見に行きたいといった支援員を断ったのだそうだ。「一か月間は来なくていい」とのことだった。もともと長く雇うつもりはなかったのか?

彼を見ている支援側の人はいないのだから会社側に作業中何もしなかった云々と言われたらこちらは何も言えなくなる。それも会社側が急に決めて、支援員を呼び出していったのだから、本人は会社の担当者から聞いていないのだ。

私は母親だから、彼のいいところしか見ないけど、長男はずるをして仕事をさぼるようなことは今までしたことがない。

誤解されているのもいやだが、会社側は彼の特性を生かすことなんて鼻から考えていなかったのが悔しい。

自分の好きな仕事に就くのはなかなか一般の人でも難しいが、アスペルガー症候群の場合はきわだって得意なところがあるので彼らの特性と仕事がマッチすることが一番の重要なのだが、今回は本当にがっかりした。

自分の愛する子どもの心が傷つけられるのは一番つらい。だから私はずーっとひきづっていたんだけどね。


でも彼は、また一歩、歩みだした。生きづらさを抱えながら、気持ちを切り替えなくちゃねと言いながらハローワークに相談に行った。

神様、彼に祝福を!







特別なお母さん

2012-08-05 00:31:31 | Weblog
先日、ある方がこの詩を紹介してくれました。
とても励まされました。




「特別なお母さん」 エルマ・ボンベック



母親になる女性にはいろいろいます。思いがけなくなる人、自ら望んでなる人、周りのプレッシャーからなる人、また慣習でなる人。今年、約100,000人もの女性が障碍児の母親になります。

どうやって障碍児の母親に選ばれるか考えたことがありますか?
私はなぜか神様が地球の上を浮遊しながら生殖のための器を丹誠込めて選び抜いておられるような気がします。神様が観察されたことを天使達に大きな台帳に記入させます。

「アームストロング、ベス、息子。守護聖人はマタイ。フォレスト、マージョリー、娘。守護聖人はセシリア。ラトレッジ、キャリー、双子。守護聖人は…そうだな、ジェラルドにしよう。彼は冒涜にはなれているから。」


最後に神様は天使達にある女性の名前をお伝えになり、
「彼女には障碍児を与えなさい」とおっしゃいます。

天使達は不思議に思います。「なぜこの人なのですか?とても幸せそうなのに?」

「まさしく。」と神は微笑まれます。「喜びを知らない母親にどうして障碍を持った子を与えられよう。それはあまりにも残酷です。」

「この人には忍耐はありますか?」と天使が訪ねます。

「あまり忍耐がありすぎると、哀れみと絶望の海に溺れてしまう。彼女ならショックと憤りを乗り越てしまえば大丈夫。」

「私は今日を彼女見ていた。彼女は母親としてまれで重要な自我と自立心を持っている女性である。彼女には自己の世界を持っている子供を授けるが、その子を彼女の世界に引き込む必要がある。しかし、それは容易な事ではない。」

「でも神様、彼女はあなたを信仰していないと思いますが。」

神様は微笑まれます。「それは心配には及ばない。彼女は最適だ。ちょうど良いくらいの身勝手さを持っている。」

天使は驚きの声を上げます。「身勝手さが長所なのですか?」

神様はうなずかれます。「時に子どもから離れることができなければ、長くは持たないだろう。この女性には完璧ではない子どもを与える。今は気づいていないが、やがて人にうらやましがられるようになる。」

「彼女なら子どもが発したことばを当然のことと受け流すことはないだろう。子どもがはじめの一歩を踏み出すことを当たり前だと思うことはないだろう。

子どもが「ママ」と初めて言えるようになったときに奇跡を見たと思うだろう。

目の見えない子に木や夕焼けを説明するとき、ほかの誰も見えない
ような目で私の創造物を見ることができるだろう。」

「彼女には私が見えるもの、たとえば、無知や冷酷さや差別を見せてあげよう。

そして彼女にそれらを克服させよう。彼女は一人になることはないだろう。私のための仕事をするのだから、私は毎日、毎分、一生、彼女のそばにいつもついていてあげよう。今彼女が私の傍らにいるように。」

「彼女の守護聖人は誰にしましょう?」と天使がペンを構えてたずねます。

神様は微笑まれながらこうおっしゃいます。「鏡で十分だ。」