風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

職人技!プロの技!

2006-02-28 21:27:31 | Weblog
フルートの調子が悪い。コンサートの4日まえだよ!
ということでフルート職人のSさんのところに行った。

私はこのSさんの仕事を見るのがとても好きだ。いかにも職人という年季の入った手がテキパキとKeyをはずしたりつけたりと休みなく続くてゆく。また、フルート職人という仕事に自分なりの美学ももたれている。

いろいろなメーカーのフルートを知り尽くしているのでどこをどうすれば柔らかい音質を作ることができるとか、各メーカーの特徴など、いろいろなフルート話が聞ける。ちなみに私の楽器はアメリカで買ったセルマーの洋白銀、リングキーのフルートだ。Sさんに言わせるとこの楽器は音が普通のフルートよりも多少低めの音なのでジャズなんかあうねということだった。そういうお話が聞けるので調整に行く日はいつも楽しみなのである。

「また、お世話になります。」というと今日も仕事部屋からニコニコと「どうぞ」といってくださった。そしてすぐその後、どなたかが入ってきた。「ちょっといいかい?」紳士的な声、Sさんに語りかける調子から常連さんの感じ。「時間はかかりませんからお待ちください」とニコニコ顔のSさん。
振り向くとそこには!!!!

のほおぉぉぉぉ~!!!ええええ!!!世界のナベサダがぁ~!!
うわぁ、なま、ナベサダ。私との距離2mとないじゃん!
おおおぉ!ナベサダスマイル!

Sさんに何かお話でもあるみたいだが・・・世界のナベサダを差し置いて私が先にやってもらっていいのか?「Sさん、あの、よろしいんですか?」とおずおず聞く私。「いいんですよ。知ってるでしょ?貞夫さん。」

そりゃあ、知っておりますとも。でも、なんでフルート職人のSさんのところに?
すると後ろのほうからフルートの音が!美しいというより力強い音だ。それにものすごい早業!32部音符か?64部音符か?ナベサダさんがふいているのだった。知らなかったなフルート吹いていたなんて!ナベサダ=サキソフォンのイメージだったから。

ひとつ道を究めた人はすごいな。そのプロのすごい早業をこんな近くで聞けるなんて。また、Sさんのうっとりするような職人技を目の前に大好きなフルートの話を語り合う。

ああ、なんて、至福・・

りんごぱん

2006-02-28 00:14:18 | Weblog
月曜日、長男の担任の先生との面接で立川に行った。長男の今の状態をよく見てくださっていて、弱い所も、強い所も丸ごと受けとめてくださっている先生に感謝である。面接時間30分の所、45分もしゃべってしまい先生の貴重な休み時間を削ってしまった。(先生、ごめんなさい!!)またそうした良い高校へと導かれたことも神様に感謝だ。

さて、高校へいくときは西国立の駅を利用している。時々、約束の時間より早く着きすぎる時は駅の隣にある「サン・エトワール」というパン屋さんで珈琲を飲みながら時間をつぶしている。このパン屋さん、たまに行くと新作のパンがあって 楽しみなのだ。

今日はこの間食べた小さな丸い「もちもちぱん」がおいしかったのでそれが目当てでいったのだがなかった。(残念!)その代わり、こんなかわいらしい「りんごパン」を見つけたよ。

見た目がとてもかわいい。次男はいつぞやパン屋になりたいといっていたことがあったので次男と長男のおやつに買って帰った。

色もきれいだが軸になる部分はプリッツを差し込んである。程よく丸い形でほのかにりんごの香りがする。さぞかし「わ~い」というかおをするだろうとおもったら予想に反して「ふ~ん」だった。それも一口かじって終わり。長男は「かわいいね」というがあまり関心のない様子。

そんなにおいしくないの?と食べてみたら、おいしい。一口かじるとりんごの香りがもっとする。中はりんごを練りこんだぱんでこれもまたおいしい。まったく食わず嫌いなんだから。

いつまでも小さいころのような反応はもうしないんだね。ママはちょっとさびしいですわ・・・。

残った2つの「りんごぱん」を家にあるかごにのせて写真をパチリ。
ね、かわいいでしょ。


映画「ビューティフルマインド」にみるジョン・ナッシュのアスペ度

2006-02-27 00:32:24 | 映画・演劇
先日、衛星放送で「ビューティフルマインド」を放送していた。
この映画はアカデミー賞主要4部門を受賞している。

話の内容は天才数学者ジョン・ナッシュ(実在)の若いころから、統合失調症に苦しみながらも自分の障害に立ち向かう、そして夫をかげながら支える妻によってノーベル経済学賞を受賞するまでの感動作だ。

いつぞやだんなが飛行機の中でこの映画を見てえらく感動し、DVDまで買って私に見ろ見ろと勧めた作品だ。(そういって自分は途中で寝てしまっているんだから。
あ、もしかして・・・支える妻を見習えということか?!むむむ・・・。)

映画を見ていて気づいたことがある。ジョン・ナッシュは妄想を見ていたことで統合失調症とされているが、私にはどう見ても、ある特徴から彼はアスペルガー症候群ではないかと思われた。

アスペの特徴が出ている場面は次のとおり。

1.大勢の人の中で非常に目立つ、ぎこちない奇妙な歩き方
アスペルガー症候群の人は上肢と下肢(手と足)の協調運動障害が見られることがある。

2.正直すぎる。ストレートな表現。
映画では女性をくどくのにあまりに性的なストレートな表現のためひっぱたかれる場面がある。

3.音に対しての過敏性。
映画では大学の数学講師になったナッシュが外の工事の音に耐えられなくて夏の暑い教室の中窓を閉め切って授業をする場面がある。

4.特別な興味に対する熱意と知識。
ナッシュの場合、ゲーム理論、微分幾何学。 暗号解読の数字や文字の配列もそのうちなのか?

5・こだわり。
ナッシュは紅茶へのこだわりがある。確かお気に入りは北インド地方の紅茶だったような・・・

6.言葉を字義通りに解釈する。
プリンストン大学の学長となったナッシュの友人がたずねてきたナッシュに向かって「Jesus Christ!」(驚いたな!)Jesus Christはそのまま読むとイエス・キリストのことだが、よく驚きの表現として使われている。しかしナッシュはこれを驚きの表現として使っているのがわからず、それに対して「いえいえ、私は救い主キリストではありません。」と答えている。

とざっとこんな感じだが、よく見たらアスペルガーの特徴がまだまだ出くるのではないかと思うほどだ。

映画では実際には存在しない3人の人物が出てくる。諜報機関の人、親友だと思っていた人とその娘。その人たちが実在しないのだと知った時の衝撃。現実を受け入れなければいけない苦しみ。特に献身的に支える妻アリシアには思わず涙してしまった。

主演はラッセル・クロウ。妻の役にジェニファー・コネリー。
だんなの言うとおり、いい映画でした。お勧めだよ。是非、彼のアスペ度を見てくれ!

森祐理さんとお話してしまったぁ!

2006-02-22 16:57:09 | 音楽
ああ、もう、どうしよっ!!
クリスチャンアーティストの森祐理さんと直接お話してしまいましたぁ!きゃぁ~!

事の経緯はこうである。
私は3月4日に音楽ボランティア仲間と共に地域の毎年恒例無料コンサートを予定している。今回「君は愛されるため生まれた」をどうしてもフルートで演奏したい。歌詞がホントにいい!(歌詞は過去ログみてね~。)

イ・ミンソプさん作詞の日本語訳歌詞もいいが、先日クリスチャン系のTV番組を見ていたら森祐理さんが「君は愛される・・・」を歌っていたのだが、私の知っている歌詞とは違う。そして、これまたすごくその歌詞が良かったのだ!!



君は愛されるため生まれた。君の生涯は愛で満ちている。

永遠に続く愛はいつでも、悲しみ癒しなぐさめる。
ありのままの君の笑顔、どれほど大きな喜びでしょう。
君は愛されるため生まれた。今もその愛受けている。

君は愛されるため生まれた。君の生涯は愛で満ちている。

何のために生きるのでなく何かするため生かされている。
誰のために生きるのでなく愛されるため生かされている。

君は愛されるため生まれた。君の生涯は愛で満ちている。

いい歌詞だなぁ。本当に神様によって愛され、生かされていることがわかる・・。が、この曲はゴスペルなのでその歌詞のメッセージを歌わずしてどう伝えようかと考えていた。ある音楽仲間(なんとその人はお坊さん!)が「フルート演奏の中に朗読を入れたらいいじゃない」とナイスな提案をしてくださった。(感謝!)

そしてこの歌詞が森祐理さん作詞のものであるのなら、無料コンサートだが、その中の朗読に使って良いものかどうかとその確認に音楽事務所に電話を入れたのだった。

音楽事務所に働く方がでるのだろうと思っていたのだが・・あれれ・・電話の向こうのこの鈴のなるような声の持ち主・・・もしかして・・・もしかしてこの声は・・・ご本人様だー!!

森祐理さんは快くご承諾くださり、ご親切にもコンサートのためにお祈りしてくださるとまで・・・もう感激です!!。(失礼がなかったかしら・・)

一日中顔が緩みっぱなしでしたぁ~

太郎はどこに・・・

2006-02-19 00:08:19 | 虫、植物、動物、自然
迷い犬の太郎君、見つかりませんねぇ~・・・。
最新の目撃情報(蕨市、ビックボーイ付近)からもう一週間、情報が途絶えてしまっているらしい。詳しくはももの幸せ日記へどうぞ。

埼玉県、川口市、蕨市付近その周辺の方、太郎のような犬を見かけましたら、ももの幸せ日記(ブックマークからも入れるよ)にある連絡先にお知らせください。

里親さんが一生懸命になって探している姿には頭が下がる思いである。本当に心身ともにお疲れのご様子が伺えて・・・。こういう方々との出会いを通して動物たちの特に人間の勝手で捨てられた動物達の命の尊さに改めて気づかされたな。

太郎のポスターを人の集まりそうなところ、公共施設の掲示板などにお願いしているのだけど、自治体よって対応はさまざまだ。お断りが続いた後、歩き疲れた後に「いいですよ」と快く引き受けてくれる方に会うと人の暖かさが身にしみて感謝だなぁと思ってしまう。

太郎くん、早く出ておいで~!里親のママさんが心配してるぞぉ~!

自転車マニアのあの人

2006-02-14 23:02:40 | Weblog
私のママチャリ、もう15年近く乗ってるな。
そういえば、このママチャリ、海を渡ってアメリカまでいっていたこともあるのだ・・・・。

渡米間もない夏の日。
車の免許が取れるまで子供のお迎えはもちろん、近くのスーパーまで日本のママチャリで移動していた私。買い物をすませてそとにでたときだった。自転車マニアのあの人にあったのは。

私のママチャリを調べるように見ている見るからに自転車のりという格好(競輪選手のような)のその人は・・なんか・・・ものすごく・・・その髪型も顔もラモスだった。

そのラモス君は私のママチャリを上下から、左右からあきずにながめている。そのつど「Wonderful! 」「Beautiful!!」「nice!」を連発しているのだ。

「やあ、君の自転車?」
「ええ、そうですけど・・・」
「いいね!すごく変わってるよ!」
「日本から持ってきたのよ。」

そんな会話をしている途中も、デザインがいいとか、チェーンのカバーがいいとかほめまくり!

(ほめられるのはうれしいんだけど・・・、それ、ただのママチャリっすよ・・・)

そんな彼がすごく不思議がったものがあった。それは前輪側に取り付ける小さいボックス型の昔ながらの鍵だ。

「これは何?」
「鍵・・だけど?」
「う~ん、おもしろい!」
「・・・(まじっすか・・・ただの鍵っすよ、それ)」  
 
ラモス君はひとしきり観察して満足したらしく、颯爽と自転車に乗っていった。去っていく時まで日本のママチャリに感心し、「wonderful!」と言ってましたっけ。ちょっと貸してあげればよかったかしら。あの格好でママチャリに乗って颯爽と走るラモス兄さんをちょっと見てみたかったな。。。。

バレンタインデーの由来

2006-02-09 22:25:25 | キリスト教(行事、他)
「日本にもバレンタインデーはあるの?」
「ええ、ありますよ」
「あら、なんでもコピーするのね。」

上の会話はアメリカ滞在中、日頃私たちが受けている恩恵を少しでもタウンにお返ししたいという気持ちから老人ホームでお年寄りたちとともに歌を歌ったり、日本文化を紹介したり、クラフトを作るなどのボランティアをやっていた時のものだ。アメリカ人のお婆ちゃんの一人がこんなふうに聞いてきたのである。

コピーという言葉がちょっとバカにされた感じで気にかかったが、日本ではバレンタインデーも本来の意味は知る人もあまりなく商業文化になりきってしまったのでしょうがない。

なんてえらそうに書いているが、実をいうと、私もバレンタインデーはキリスト教の人、バレンタインという人が死んだ日くらいにしか知らなかった。

そこで、『キリスト教の暦』なる本でその由来について調べてみた。

聖バレンタイン(聖ヴァレンティヌス)は紀元3世紀に実在したローマの司祭。
269年頃の2月14日にイタリアのテルニでクラウディウス皇帝によって処刑されるまで神の愛の実現のために終生努力した人。

歴史的記録はほとんどないものの彼の伝説はたくさんある。
その当時のヴァレリアヌス皇帝はローマ軍の兵士の結婚を禁じていたのにバレンタインはかまわず男女の結婚式を司式した。

修道士時代、バレンタインは1つの誓願をたて、町々を訪ねては悲しんでいる人々に、毎日1人ずつに聖書の愛の言葉を書き送る奉仕を生涯続けたという伝説がある。

バレンタインが愛の使徒と呼ばれるのはどうもここら辺の伝説かららしい。また男女の愛と神の愛の実現が混同しているところもあるみたい。

ちなみにアメリカでのバレンタインデーは男も女もお互いカードやプレゼントを送る。物というよりはカードに書く言葉をより大事にしていた気がする。子供向けにはカードが主流、アニメや人気キャラクターの小さなかわいいカードもある。そしてそのカードに、たまにチョコや赤いハートの棒つきキャンディがくっつけてあることもある。

日本でチョコレートを送るのは日本独特の風習。お菓子メーカーに踊らされているようで何か面白くないが、あげないとかわいそうかなぁとついつい買ってしまっているんだよね。我が家の男たちに。

私はプロテスタントのクリスチャンなのでバレンタインデーは教会行事ではないが、カトリックの人たちは何かお祝いするのかな?



わらべさん

2006-02-08 00:12:47 | Weblog
泣けて泣けてしょうがなかった。

私の大好きなわらべさんが亡くなったのだ。

今日は彼女のお通夜だった。焼香は遠慮し、子供たちと私は白い花で献花をし、ともに彼女と彼女の遺族のために黙祷した。

彼女と会ったのは長男が幼稚園の時だった。
集団になじめず、今考えればアスペの症状があのころからあったのだが、そのころは発達障害があるとは知らず子育てに悩みまくっているような時だった。

そんな時、いつも買い物をする店の向かい側、小さな絵本のお店「わらべ」を見つけた。そこで店主のわらべさんに出会った。私も子供たちも「わらべさん」とか「わらべのおばちゃん」とかよんでいた。いつも明るく、元気で、気さくな彼女。絵本を買いに行くと、子供たちをかわいがってくれて、いつも面白いことを言って笑わせてくれた。子供たちは「わらべのおばちゃん」が大好きだった。

子供好きな彼女は月に1回、親子の遊びの会を企画していた。
「おいでよ。すごくおもしろいからさっ」その彼女の一言で参加した遊びの会は本当に楽しいものだった。

自然の中でのザリガニつり、昆虫探し、ハイキングしながら植物を探したり、泥んこ遊び、餅つき、川の土手でヨモギを取ってきてヨモギ餅をつくったり、バーベキューをしたり、昔の遊び、田植え、稲の脱穀体験などなど、まるでガキ大将のように彼女が先頭きって子供たちをひきつれていた。

そのころの長男は限定された興味へのこだわり、集団行動ができず、それも一方的に興味のあることだけべらべらと話すのでいわゆるキャッチボールのような会話は成り立たないころだった。周りからも変わった子供と思われるのが常だったのだが、わらべさんはそんな長男をそのまま受け止めてくれた1人だ。

私たちが渡米した後、長男の発達障害がわかった時もすぐに手紙をくれたのはわらべさんだった。「つらかっただろうね、大変だったね、近くだったらすぐにでも飛んでいきたいのに」異国の地で不安で孤独だった私にはその手紙でずいぶん癒された。

それから絵本の店をやめてしまってからもずっと遊びの会を続け、癌になってからも体調の幾分か良い時は子供たちに遊びの場を提供し続けたのだ。

彼女と最後に会ったのは8月の虫取りに一緒に行ったときだ。癌であることを忘れさせるくらいに元気だった。その後も遊びの会のお誘いだけは受けていたのだが、いつも日曜日の礼拝と重なってしまうためお断りせざる得なかった。「そのうちお茶でも一緒にしよう」などと思っていたのでわらべさんが亡くなったという知らせに愕然となった。

「あんなに元気だったのに・・・・」

遺影を見ながら涙が止まらなかった。いつも私の支えになってくれた彼女に私は何もお返しすることができなかった。

電話で聞く彼女の声はいつも元気いっぱいだったから、まさか年末から入院していたとは知らなかった。

心身ともにつらい時だってあったに違いない。せめて会って少しの間の時間でも分かち合いたかった。それが悔やまれてならなかった。






「鉄塔武蔵野線」

2006-02-04 00:40:06 | 映画・演劇
今日は映画の話だよ!

長男が幼稚園に行っていたころ、鉄塔の絵ばかり書いていたことがあった。(このころの執着は鉄塔と虫だった。)

鉄塔とは送電線の鉄塔の事である。とにかく小さくて細かい線の鉄塔をたくさん書いて線でつなげていくのだ。「ほー、男の子ってこういうものに興味があるのか」と自分が小さいころとは違う何か新鮮な感じがしたものである。

そんな幼稚園時代から少したったころ、「鉄塔武蔵野線」という映画がやっていた。「電車男」でブレイク?した伊藤淳史が小学校6年生?の時の主演映画だった。(このころはまだちびノリダーのイメージ)他に異色俳優、プロジェクトXのナレーションでおなじみの田口トモロヲがちょっと面白い鉄塔パトロール員を演じていた。

鉄塔好きな長男にうってつけの映画じゃないか!こだわりにはが気すむまでこだわらせる、これが私の主義である。なんていうとかっこいいが、自分も似たようなところがある。好きなことに熱中している時は一番幸せだからね。

こんなマニアックな映画は見る人はあまりいないに違いない、きっと映画館はまばらで席も好きなところ自由にとって、私は冷房のついた映画館でゆったりと昼寝でも・・・くらいに思っていたのだが・・・。

マ、マニアックな人たちが・・・いるんですわ、これが。

映画館について、まずビックリしたのが、鉄塔の写真がずらりっ!映画館のロビーのようなところで「鉄塔写真コンテスト」が!
その写真を見なが熱く語り合う鉄塔マニアたち!

そして空席だらけだろうと思っていた席はほぼ満席!

鉄塔マニアおそるべし!!

映画は割と面白かった。寝る暇がなかったくらい。日高市から埼玉県をつなぐ鉄塔武蔵野線の1番鉄塔まで自転車で冒険するというもの。訪れた鉄塔の下に王冠を埋めていくのだが、一緒にいた友達と別れたり、鉄塔パトロールに行く手を阻まれたり、それでも少年は1番鉄塔を目指していく・・・。

途中の鉄塔で私たちが住むところの近くにある武蔵野線の鉄塔が出てきたりで、長男は「ア、あの鉄塔だ」と興奮していた。(うれしそうに!)次男はそのときまだ3歳、ちょうどお昼寝タイムになりました。

私はというと「こんな世界もあったのね~」と感心してしまった。

長男の興味へのこだわりに付き合っていくといろんな発見があるのでおもしろい!!



オーロラの彼方

2006-02-02 00:41:07 | Weblog
この時期になるとオーロラを思い出す。

6年前、私たちはアメリカで駐在員の家族として生活していた。父が胃がんの手術を受けるというのでアメリカから日本に一時帰国したのだが、父のがんはすでに手遅れの状態で余命は3ヶ月だった。1週間後、アメリカに帰らなくてはならなくなり、後ろ髪を惹かれる思いで日本を後にした。

その帰りの飛行機の中、父がいつまで生きられるのか、しばらく私が日本に帰ってともに最後の時を過ごしたほうがいいのか、子供の学校の事、また、不安症の強い長男にはパニックを避けるためにもこのことは絶対話せないとなどといろいろと考えていたときのことだった。

突然、「ただいま、アラスカ上空です。右側上空にオーロラがご覧になれます。」と機内放送がはいったのだ。

漆黒の闇とでも言うのだろうかその遠くで何か生き物のようにうごめく光の帯。その下では雪に覆われた大地。かすかに川があるのがわかる。ここでも人間の営みがあるのだろうが、そんなことは一切感じさせないモノトーンの世界。それは、人間が近づいてはいけないような、見てはいけないような怖いくらいの神々しさだった。その彼方には別の世界があるのではないかとさえ思わせるような・・・・。

父が死んだらこんなところにくるのだろうか・・・。
人の命はどこからきて、どこへ行くのか。人はなぜ死ぬのか・・・。

ふと、そんなことを考えた。

「天から与えられた命だと思ってね。」父はこういっていたことがある。書道家の父が自分の雅号(書道家の名前)を「天命」と変えた時の事だった。

それから3ヶ月後、父は死んだ。
命を与えられた天へ帰っていったのだろうか?
あのオーロラの彼方で父が笑っているような気がする。