風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

野の花

2009-09-17 22:44:29 | 虫、植物、動物、自然
嫌なことがあったり、不安なことがある時、野の花になぐさめられる。
画像は携帯で撮ったからちょっと見づらいかもね。



青い色がとてもきれいなつゆ草。群生しているとまたきれい。青い色は私の一番好きな色。



こんな可愛いらしいベル型の花なのにひどい名前が付いているんだよ。
臭いから「ヘクソカズラ」。



この花は大好きで家の植木鉢に植えて楽しんだこともあった。「マルハルコウソウ」でも広い所で伸び伸びと咲いているほうがきれいだね。



こんな可愛い野の花を見ているとこの言葉を思い出した。

「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、私はあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。今日あっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなた方に、良くしてくださるのだから、ましてあなた方に良くしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなた方の天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその儀とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすの心配は無用です。明日のことを明日が心配します。労苦はその日その日に十分にあります。」

聖書のマタイの福音書6章26~34節の御言葉。







映画「ワールドトレードセンター」

2009-09-11 23:40:06 | 映画・演劇
主人は見たがらなかった。


その日に彼はマンハッタンで働いており、職場からワールドトレードセンターから昇るたちのぼる煙をみていたのだった。混沌とした中いろいろなデマが流れて避難したという主人。だから気持ちが落ち込むからみたくないんだそうだ。当事者ではない私にはわからないだろうという。

私はその時、テレビでことの成行きを見守るしかなかったけど、無理だとわかっていても電話で安否をたしかめることしかできなかったけど・・・この日は特別な日なのだ。

先生に抱きかかえられて泣いていた子ども。顔見知りのボランティアの方のご主人は、飛行機の乗客とともにテロリストに立ち向かって墜落して亡くなった。


当時小学3年生だった次男もこの日のことを忘れたことはない。毎年9月11日になると「明日はセプテンバーイレブンだね。」という。今日は自分から祈りたいと言って祈っていた。

主人が眠ってからこっそり見ていたのだがやっぱり涙がでたよ。
9.11から3カ月後、私たちは家族でグラウンドゼロに祈りをささげに行った。無数の行方不明人を探すメモとキャンドル。ワールドトレードセンターの周りにはまだ粉じんがあった。当時者でなくとも何でこんなことができるのかと悲しくなった。



最後の言葉がよかったな。
「この事件は人間がどれほどのことができるのかを教えてくれた。・・・・・しかし、人間には善意があることも教えてくれた。助け合うことも・・・。」(ってかなりうるおぼえ)

本当にその善意、助け合いの精神って本当にすごいと思わされた。
どんな小さいことでも自分たちにできることで貢献しようとファイアファイターのためにランチを作った。橋に爆弾がかけられているとデマが流れて帰れなくなった人を見ず知らずの方が家に泊めてくれたとか。そしてこんなことが起こった後だからイベントを自粛しようというのではなく常に前向きなことにもびっくりさせられた。

憎しみが憎しみを生みませんように。相手を尊重し、理解する心を与えてください。9.11で傷つかれたすべての人に慰めと導きをあたえてください。


その時の様子は前記事

2つ目の記事と(9.11その日、それから)に詳しく書いています。よかったらみてください。

毎日ゴングの鐘は鳴る

2009-09-11 22:50:51 | 長男のこと
昨日、山梨の実習から1週間ぶりに戻った長男。

さぁ、おいしいご飯を作ってあげようなんて思っていたんだけどさ・・・。

この頃やたら対立するわけです。。

事の起こりは私の電話。ちょうど教会に来ている老婦人とお電話していました。そんな時長男はお気に入りのアクセサリーがなくなったと大騒ぎ。私にいかにも一緒に探してほしいという感じで。そんな時「まだ、電話してるの!」と大きな声で咎めるように言う。

受話器を置いてから「失礼じゃないの!」と怒鳴る。

こんなことで喧嘩になる。


今朝も今朝で「なんでこんなに早く起こすんだよ。」と文句。本人は何気ない文句だったのだろうが、私はもちろん「キ~~~!!!!」である。

それもこの頃チンピラみたいな口ぶり何でもっとヒートアップする。私が怒って彼に近づくと殴るそぶりをするんだよ。ホントもう、むかつく!!!

そういうとこみてしまうともっと頭にきて、
「殴るんだったら殴ってみろ!ほら、やってみな!!」
すると長男、逆に防御のポーズ。(鬼母にみえるのか?)

ああ、毎日がバトル。


夕方、長男から電話。私はフルートの練習中で次男が電話をとった。

「OO(長男の名前、呼び捨て)、友達の家に泊まるって。」
「え~!!!」

長男も19歳、そんなことがあってもおかしくはないが。。。

今までどれほどこの子に良い友達を与えてくださいと祈っただろう。小さい頃はとにかくひとり遊びが多かったから。他人とかかわることがとても苦手だった。たとえ好意を持ってくれる子がいてもその子を意識していないことのほうが多かったな。

うれしいけど…こんなとこでも「そのご家庭に迷惑かかってなきゃいいけど」とか考えてしまうんだよね。

いるなら毎日がバトルいないならいないで気になるし。。。あ~あ母親って・・・・・。

東京都写真美術館で「ぼくうみ」をみてきたぞ!(追加文あり)

2009-09-09 21:34:42 | 映画・演劇
草稿中のものをアップしてしまった~。以下追加文含めます。


------------------------------------------------------------------------

「ぼくはうみがみたくなりました」

やっとみてきました~!!

8月22日からロードショーだった。できれば初回に見に行きたかった。
原作者のレインボー親父さん、俳優さん達の舞台挨拶があったからね。園長役の秋野大作さん、大好きなんだ。

8月22日は法事があって益子に行っていたんだよ。それから行く機会を見つけてたんだけど忙しくて…。だけど今日はフルートのレッスンの時間が繰り上がったので「見に行ける!」と見に行ったのだった。

場所は恵比寿ガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館の中のホール。

つつじヶ丘の先生宅から恵比寿なんてすぐなんだよね。1時間半も早く着いてしまったんで写真展をみたり、お茶を飲んだり、楽器磨いたりして時間をつぶした。

実は今日の映画も私にとってはチャレンジだったんだ。
最初のパニック障害の大発作があったのが映画館。もう大丈夫と思っていてもいつになっても映画館は少し恐怖である。それに薬の量10mg減らしてから初めての映画館だから。

でも映画始って自閉症の青年役の俳優さんのまっすぐな瞳に引き込まれた。彼らはそんな純粋な目で真っすぐに物事をみる。なんだかそれだけで涙が出てきた。

「ぼくうみ」は日本で初めて自閉症について描かれた映画である。

ドラマは「僕の生きる道」とか「光とともに」「抱きしめたい」(加瀬亮の自閉症青年の役は圧巻だった)なんかがあるけどね。映画ってなかったんだって。
自閉症のお子さんをもつレインボー親父さんこと脚本家の山下久仁明さんが一人でも多くの人に自閉症を知ってもらいたいという思いから作られた。

登場人物は看護学生の明日美、自閉症青年の浅野純一、純一の母、純一の弟、弟のガールフレンド、純一の幼稚園時代の園長先生夫婦。


あらすじは前記事をみてね。

さて、映画は本当に素晴らしかったよ。こんな言葉じゃ伝わらないくらい。自閉症青年の役の俳優さん、本当によく役作りをされていた。看護学生・明日美役の女優さんも見ていて、自閉症を知るにつれて動いていく気持ちみたいなのがよくつたわった。

私はこの映画を見ていて小さい頃の長男を思い出していた。長男はアスペルガー症候群だが、大きくとらえれば自閉症だ。(自閉症スペクトルにはいる。)

うちの長男の場合、多動(公園はフルコースやらないと気が済まない。私は常に追いかけていた。)、偏食(納豆ご飯のみ)、こだわり(水にずっと触っていること)、パニック(予期しない事には過敏に反応)、衝動性(手が出るんだ、すぐに、かみついたりね。)、そういう行動で「あなた、いったいどんなしつけしているの!」なんて言われたものだった。


そういう親の気持ち、また映画に出てくる弟の気持ち、エピソードの中でいつも兄の行動に母親は付きっきりで兄の後始末を頼まれるところがある。さびしそうなあの顔が我が家の次男の顔とダブった。長男の障害が分かり、多動が顕著にではじめたころ次男はチックになっていたんだ。割と障害者本人のことばかりとらわれがちだが兄第の対するケアは大切である。

旅館のシーンで、ある宿泊客が言う一言。あれは胸をえぐられる。「何でここにいるの?何で飯っ食ってるの?病院にいれときゃいいんだよ。そのほうが幸せだろう。」
自閉症がだんだんわかりはじめた明日美はそれを聞いてがくぜんとする。

旅先であった偶然にも純一の幼いころを知る幼稚園の園長先生夫婦。園長先生役の秋野大作さんがいい味を出している。明日美に自閉症を分かりやすく説明しているのだがみているこちらに語りかけてくる感じがする。自閉症を知らない人もわかりやすくできている。

もう涙が出て仕方なかった。ホールにいるお客は私を含めて12人くらい。みんなご家族に自閉症の方がいらっしゃるのかあちこちで目がしらをおさえたり、鼻をすする音がしていたよ。

あ、悲しい場面ばかりじゃないよ。自閉症特有の症状が結構ユーモラスに描かれていて「そうそう」とクスッとわらわせたりね。

だから見終ったあとすがすがしさが残るようだったよ。久しぶりにいい映画見た~!って感じ。パニック障害の発作も起きなかったし、それだけ映画にひきこまれたんだろうな。

この映画自閉症のこを持つ親たちがカンパをし、賛同者は1,000人を超えてやっとできた待望の映画なのだ。

親はもちろんだが、一番見てほしいのは自閉症をしらない人たち。

自閉症は先天的、あるいは生後早期に生じた脳の機能障害が基盤にある。社会性、コミュニケーション能力、想像力の発達の隔たりが特徴としてあげられる。詳しく言うと、集団行動の苦手、会話のやり取りができない、非常に極端なこだわりと興味の対象、感覚の過敏などなど。。。

また「自閉症」というこの字から、よく自閉症を引きこもりのか何かと勘違いしている人は多い。

よく「自閉症になりそう」とか「自閉症だった」とかいう人がいるがそう言っている人にこそ見てもらいたい映画だ。

本当にお勧めだよ。
原作もいいよ。


追伸:エンドロール(スタッフロール)の支援してくれた方々の中に自分の名前を見つけてびっくりしてしまった。少しの捧げものだったのに。。。。恐縮。。。



いつもイイヤツでいられない

2009-09-06 23:55:53 | Weblog
疲れているとろくなことがない。

昨日は気分は晴れやかでとても穏やかだったのに。
今日は一転してしまった。それも自分の一言で。

あるミーティングで直面した。人の意見の食い違い、ちょっとした言葉尻からの誤解。説明することのむずかしさ。

こんなことから心にたまりにたまっていた毒がある引き金で一挙に噴き出すことってないだろうか。

私の場合は急にぶつかってきた自転車乗り爺さんだった。
痛む左腕を抑えつつ振り向くとあちらもなんだか恨みがましい目でこちらを見てる。こういうときトラブル回避っていうか文句なんか聞きたくないっていう思いから「大丈夫ですか?」なんて思わず言ってしまった。ぶつかってきたのはあっちなのにこちらがわるいみたい。

そう言ってからなんだか腹が立ってきた。
偽善者ぶってる自分にも、被害者面しているその爺さんにも。
その場を過ぎながらも心の中に暗雲が立ち込め、とうとう毒を吐いてしまった。
「あんな奴死ねばいいのに!」ああ、悪魔のごとき一言。

その直後背中を思いっきりひっぱたかれた。
みれば主人の厳しい目。「なんてこと言うんだ!」
主人には毒吐き女の私がたまらなく嫌だったんだろう。

私は私でそんなことを言っても許してくれると言う甘えがあったのかも。平静を装うとしているのに涙がとまらなくなってしまった。買い物を放棄し家に帰った。次男は帰ってきた私を見て気を使う。その後帰ってきた主人と言い合い。主人が悪くないのは分かっているのはわかるけど叩かれたことはショックだった。次男はあくまで私をかばってくれる。「お母さんは心の病気なんだよ。」と諭すように主人に言うのだ。子供に気を遣わせるなんて、なんてだめな母親なんだろうと思う。この子がおかしくなってしまったら私のせいだ。そんなことを考えながらも気持ちが抑えられなくなってしまった。ティッシュボックスを破り主人のCDに八つ当たりひどいヒステリー状態。次男の「おかしくなりそうだ」という声を聞いて例の頓服薬を飲んだ。

効果はすぐにやってくる。しばらく眠った。

目が覚めて、自己嫌悪の嵐である。
情けないやら、自分が憎くなるやら、さびしいやら。。。

できればいつもにこにこと穏やかにと思う。でもできない。だから祈る。

心の乱れた、また涙が出ているときマイミクさんからメールがとどいた。
いつも私がダウンしているとき必励ますようにとどいているのだ。
本当にうれしかった。

主は私の心の状態をよくわかっているんだな。感謝なことである。


だから私はまた祈る。感謝しつつ。
「主よ、こんな私でごめんなさい。どんな人も愛する心を私に下さい。」


フルート勉強会ー本当のチャレンジ

2009-09-05 21:50:15 | 音楽
今日は初めての紫園先生のお弟子さんたちとの勉強会。

場所は新宿ムラマツホール、こじんまりとしたサロンのようなホール。

ここのところ人前で演奏することから遠のいていたので、これは私にとって大きなチャレンジなのだ。

もう朝から緊張していて、お腹を壊してしまい、朝から便所クイーンになっていたわけで・・・・・不安は高まるばかり。以前のブログ記事にも書きましたが私は舞台が怖いのだ。

4時間をかけての勉強会。私たちユーオーディアアカデミーの生徒もいれば個人で先生に習っている人、ムラマツフルート教室の生徒もいる。今回参加は20人くらいでしたかね。

自己紹介、曲名、今回のチャレンジは何かを言った後に演奏しほかのフルーティストの感想、先生からの感想、アドヴァイスなどをうけた。

皆さんレベルが高い。。。。

姿勢、立ち方、技術、音色、表現の豊かさなど、とても勉強になりましたよ。この人うまいな~、この曲素敵だな~、私もあんな風に演奏したい、今度この曲にん挑戦したい、この技術を覚えたいとこれからの目的は増えていき、聴いているのがとても楽しい。その反面自分の時が怖いよ~。ってな感じで時間は過ぎていき。。。

自分の番。わたしのチャレンジの目的。「楽しく吹く」
曲はメンデルスゾーンの「歌の翼に」をシュテックメストが編曲した「歌の翼による幻想曲」。

本番にめちゃめちゃ弱い私。音も出なけりゃ、指も回らない。曲の途中で手や唇に震えがでてくる。そして不本意な結果に。だからいつも落ち込んでしまうのだ。
だからどんな結果でもいいから今日は楽しんで吹くことがチャレンジだったんだ。

でも今日は少しは落ち着いて吹けた。最後に震えが来てしまったんだけど…なんかなかなか結構楽しかったよ。その代わり楽譜通りにはふけなかったけどね。(頭の中真っ白)ということは今回のチャレンジは成功かな。

でもね、私のチャレンジは本当は他にあったんだ。

薬の誘惑。
パニック発作も起きてないから今は薬を減らしてもらっている。たまに差し込むような軽いめまいもあるのだ。それに鬱の診断を受けているけど社会不安障害もある。

社会不安障害なんて言うと「そういうのってだれでもあるけどそんな名前つけられちゃうんだ」って言われたからあまり言わないようにしている。今はイライラがつのったり、不安が高まる時のために頓服薬をだしてもらっている。

胃をギュっ手つかまれるような不安感。そういう時薬で楽になりたいと思う。でも飲んだら眠くなってしまうだろう。手の震え、唇(頭?)の震えがどこからきているのかはわからない。それがパニック障害なのか社会不安障害なのか。
薬を飲んだら多分少しは落ち着くだろう。でも舞台の上で不安でドキドキするのは舞台の上に立ったことがある人なら大なり小なり、みんなだれでもあるはずだ。

薬を飲むことは私にとって必要なことなのかもしれない。だけど逃げるみたいでいやだったのだ。薬を飲んだら曲がうまく吹けない言い訳になるような感じがした。今飲んだラこれからずっと薬に振り回されるような気がした。なんか変かな。

自分自身から逃げないこと。これが本当のチャレンジだった。



演奏後、先生が言ってくださった。「ドキドキしない演奏はね、つまらない演奏、かえってドキドキしていた演奏のほうがいい演奏になっているもの」だと。

どんな自分でも受け入れよう。失敗したって、みっともない自分分だっていいよね。だって神様は受け入れてくださってるんだもんね。







十分幸せですけど!

2009-09-03 22:30:59 | Weblog
先週、「はぁ~?」ってことがあった。マジで落ち込んだよ。

パスピエ、わりとさびしがりだったりするわけで・・・。

お友達にランチとかお茶とか誘われるとすごくうれしくて彼氏に会う時みたいにおしゃれしてお出かけするんですけどね。。。

仕事先で仲良くなった人がランチに誘ってきた。
もちろん、楽しいランチを想像しながら近所のファミレスに行ったのだ。

仕事仲間は先に来ていて笑顔で手まねき。「ごめん、友達つれてきちゃった。」

とそこにはちょっと落ち着いた感じの年配の女性が。。。

まあみんなで楽しく過ごせばいいじゃん?って思ったんだ。
でも、なんか変な雰囲気。仕事仲間はわざわざ私を奥の席に座らせ彼女が隣に腰をかける。私の向かいにはその年配の女性。

彼女たち、ランチをそこそこ食べ終えるとある雑誌を見せてきた。

「これ、しってる?」

って宗教勧誘だった。。。。。それも仏教系の新興宗教で問題視されているとカルト関係のネットサイトで見たことがある。彼女私がクリスチャンってしってるのにな。

その友達という女性は今まであまりしゃべらなかったくせにこの時とばかりにしゃべりだした。そして、クリスチャンになったいきさつを聞きたがったのでお話ししましたよ。(カテゴリーのキリスト教(証)にあるようなこと)。

そうしたら自分たちの信じる宗教は架空のものを信じるのではなく、とても科学的だとか、私に幸せになってもらいたいからその宗教の紹介したのだと。

私そんなに不幸にみえる?

「そのお気持ちはありがたいんですけど、私十分幸せですしね。信じているものが違うんですから話しても無駄ですよ。悪いけどこの話はこれでおしまいにしましょ。」

といったんですが・・・・。それから1時間半、話を聞く羽目になった。途中で帰ろうとも思ったけど、隣には彼女がすわっている。彼女を押しのけてまで通路にでるのは嫌だったし、後味の悪い終わり方嫌だもの。何とかこの話をやめさせて楽しい話しようよ、って形にもっていきたかった。

が、しかし、
「いいえ、無駄なことじゃないんですよ~。」とたえずほほ笑む年配の女性。私の仕事仲間はどうしていたかというと私とその人の会話を聞くのみ。

「要するに因果応報、輪廻転生を信じているのね。じゃあ障害持って生まれてくる人はなんでそうなるの?」

と聞いてみた。

転生する前の自分が罪を犯したからだとさ。キリスト教ではその人を通して神の素晴らしさを表すためなんですけど。

そして「何とか上人」の数々の伝説がいかに科学的に実証されるものかとか、信者の証として死んだあとに死後硬直がおこらないとかなんとか・・・。これから12年後中国が軍事的に成長し、世界を脅かすようになる。その時日本人全員が自分たちの宗教に立ち返るとか、戦時中の日本兵のことを悪く言うがそれは本当のこと教科書で教えてないから。日本人は中国や韓国、朝鮮をまもっていたのだとか・・・・。

はぁ~…。聞いているだけでこんなに疲れるなんて初めて。。。。しつこい。。。絶対自分たちの話のペースに持っていこうとする。
初めて会う人なのに、結構私もきついことをいってしまいましたよ。

できれば宗教論争なんてしたくなかったけどさ。気がつけばあ~だ、こ~だと言っていた。しかもファミレスのど真ん中で。でも言えば言うほどどつぼにはまっていく感じ。私のせいでイエス様が誤解されるのはいやだ。

その人が何を信じるかは尊重する。私の友達には住職だって、モルモン教の信者だっているよ。彼らがイエス・キリストを知りたいというならお話しますよ。

でもさ、いくら人を救いたいからってこんなやり方ってある?

キリスト教では信仰は神様が与えてくれるもの。人間がどんなに説得しようと神様を信じる気持なんておこせないよ。こんなだますようなやり方はしない。

もう胃は痛くなるし、落ち込んだよ何日も。

もうむかつくんじゃ!!