風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

きのこあたま

2007-05-29 21:58:18 | Weblog
むむむ。。。

せめてマッシュルームカットといってくれたまえ。

いつものごとく、なんだか自分が嫌になってしまってまた気分を変えたくなった。
前は髪の毛の色を赤茶に変えたのだけど、けっこうまわりのみんなは同じような色で同じような髪型。
そんなのはつまらない。この頃暑いし。だから思いっきりカットしてもらったのだ。

ものすごく短くした。こんなに短くしたのは久しぶり。
なんだか小さい頃の髪型と同じになった。

私は結構気に入っているのだけど・・・・これが子ども達にはうけが悪い。

「僕なんかショックだなぁ」と長男。

「ママ、きのこあたまだ!」と次男。

2人とも変だ、変だといいまくり。

次男はよほど気に入らないらしく「なんだかクリボー(スーパーマリオに出てくるキャラクター)みたい・・・」

「もう!せめてキノピオ(同じくキャラ)くらいにしてよね!」

ああ、でも高校の頃もショートカットにしたら変なあだなつけられたっけ。。。

パタリロ・・・・。(私と同じ世代の人は知ってる。)

エホバの証人の人たち

2007-05-23 16:02:28 | Weblog
批判ではない。ただ真実をしってほしい。

今日、エホバの証人(ものみの塔とともいわれる。)から電話が来た。

「こんにちは!私エホバの証人のOOと申します。マンションとかじゃあまりお話もできないのでこうしてお電話しています。少しお話を聞いていただけますか?」

「(同じマンションのひと?)あの~、同じマンションの方ですか?」

「いいえ、私はOOにすんでいます。この頃、犯罪とか多く物騒な世の中になってきましたけど、それについてはどうお考えですか?」

「エホバの証人のかたですよね。私はクリスチャンなんですよ。
今まで何回かエホバの方とお話したことがありますが、私達の聖書とあなた方の使っている聖書は違うものなんです。ですからこうやってお話していてもお話は平行線のままだと思いますよ。もしあなたがご自分の教理について疑問がでてきましたらまたおかけください。」

と丁重にお断りした。

「まあ、そうでしたか。聖書のどの辺について違うと思われますか?」

「三位一体を否定されていますよね。」本当はもっとたくさんあるが話をのばしたくないのであえて1つこたえた。

「たくさん聖書を勉強されているんですね。確かに私達の聖書とはちがいますね。他にはどんなことですか?」

「他にもたくさんありますよ。私の友達がエホバの証人さんと勉強なさっていたのでね。でも彼女は後にクリスチャンになられましたよ。」

「そうでしたか。私のようなものに時間を割いていただいてありがとうございました。」

「いえいえ。とんでもない」

「お話を聞いていただいてありがとうございます。それでは」

「こちらこそ。」

こうして電話を切った。

エホバの証人がキリスト教の一派、派閥だと思っている人は意外と多い。
この教団はキリスト教の異端である。(他にモルモン教、統一協会)
輸血拒否をして問題になった教団だ。

今日の方は話し方からずいぶんと伝道に熟練した方のようだった。(伝道を訓練する学校があるので熟練している人はアナウンサーなみの話し方をする。)

エホバの証人の人たちは戸別伝道訪問をする。
たいてい2人組みだ。
普通は自分から名のらず、「近くの教会からきました。」とか「ボランティアで聖書を教えているものです。」といういいかたをする。小冊子をおいていったりする。

伝道の最初は話を聞いてくれる相手には世の中の物騒さ悪の世の中を強調し不安をあおるような事をまず最初に言ってくる。

子どもを育てている家の人には聖書には子育てに有益な事が書かれているといって興味をさそう。

そしていろいろな質問するのだが、これはあらかじめそれに対する答えを用意しているのである。こうして何も知らない人は彼らのペースにのせられてしまう。

だから私は電話の途中で彼女の質問をさえぎったのである。

しかし、彼らはとても謙遜、真面目、良い印象をうける。

実際にかかわったことのある私の友達は本当に真面目で純粋なひとだった。



私の友達の話を少し。
長男が引き起こしたトラブルについては以前書いたがそういういきさつがあって私には子どもを通して親同士の交流が少なかった。たまたま次男と同学年のお子さんがいてその方と知り合った。真面目で明るい彼女に友達になれたらいいなと思った。不思議なもので彼女と仲良くなり、家に招かれた。話のいきさつで自分がクリスチャンであると話すと彼女はエホバの証人と勉強しているという。そして彼女に矢継ぎ早に質問され、洗礼を受けたばかりのわたしは非常に動揺したのを覚えている。家に帰って吐き戻してしまったほどだ。

それからエホバの証人について調べれば調べるほどキリスト教とはまったく違うもので、聖書研究の段階から同じ事を繰り返し言わされたり、洗脳されていくと知った。だから彼女に何とか異端である事を知ってもらいたくてトラクトや新約聖書を送ったり、エホバの証人の間違いを聖書から指摘した箇所を書いて送ったりした。教会でもずっと彼女が間違いであると気づきますようにとみんなで祈った。私達の教会の牧師と会う日もセッティングしたがその日になると急にだめになってしまうのだった。

救いは神様から来るもの。今は時期ではないのかもしれないとあきらめムードになったときだった。彼女から電話が来た。不思議な事が起こったという。彼女の向かいに住む人の身内に不幸があり、国に帰ることになった。その人の留守中子どもを見るために来た人がクリスチャンで、友達がエホバの証人と勉強している時に遊びにやってきたのだという。そして自分がどんな風に神様に導かれたのか話して最後にこういったのだという。「エホバの証人には気をつけてね。」と。

そしてその人は聖書の御言葉を会うたびに語ってくれたという。それはエホバの証人との聖書研究では感じたことのない感動があったという。そして同じ頃、E-mailで彼女の友人からも「エホバの証人に気をつけてね。」というメッセージが。また私が送った物も彼女がエホバの証人に傾きそうな時にとどいていたのだという。彼女はそれがどうしても偶然とは思えなかったといった。

程なくして私達の教会の牧師とも会って、聖書を勉強しはじめ信仰告白にいたり、洗礼をうけることができたのだった。私は残念にも彼女の洗礼式にたちあえなかったが喜びで涙が止まらなかったといっていた。神様のなさる事は本当に不思議だ。


キリスト教の異端には共通した特徴がある。

*指導者、教祖がカリスマ的存在。神の啓示を受けたというものや、自らをキリストといったり預言者といったりしている。(先日中国で逮捕されたエロ教祖もそう。)

*聖書以外に聖典とも言うべき書物がある。もしくは聖書を歪曲して訳している聖書をつかう。 三位一体の否定やキリストの復活の否定、キリストを神ではなく創造物だとしている等。

*特異な終末論。世の中のこの世の終わりを強調し不安や動揺をあおる。

*既存のキリスト教会の信仰を間違いだと決め付け、正しいのは自分達の組織だけ という。

*救われるには組織で決められた様々な行いをしなければならない。
 禁止事項、布教活動、文書や物品の販売等。



エホバの証人について。
19世紀末、チャールズ・ラッセルによって創始される。聖書の歪曲された訳、新世界訳聖書を使う。普通ギリシャ語、ヘブル語からの原語から直接訳されるのだが、新世界訳聖書は英語から他の言語へと2重訳になるので本来の原語の意味が微妙に違ってきたりする恐れがある。三位一体、キリストの神性を示すところをことごとく違う訳にしている。エホバという神の名にこだわり、三位一体、キリストの復活の否定する。

また十字架にかかったのではなく1本の杭であったことにこだわる。(これは歴史的に十字架であったことがわかっている。)また、終末の預言繰り返す。(全部預言は外れている。)以前は子どものしつけにムチをもちいたこともあった。しかし、間違いを指摘されたり社会的に問題になってそれを指摘されると教理をそのつど理由をつけて変えていく。

輸血拒否問題にかんしては、創世記出てくる(動物に限定される)肉食の承認、血は命、殺人の禁止が書かれている箇所を誤解していると思われる。この箇所は殺人禁止の戒めが強調されていて、血を食べることと輸血とは何の関係もない。

既存のキリスト教の救いがキリストを救い主だとただ信じる事で救われるのに対し、彼らは組織で決められた数々の業をしなければならないとしている。
救いにはまず知識をえて、布教活動を何時間とか、輸血、武道、選挙参加への禁止など忠実に守らなければならない。これらはほんの一部でまだ禁止事項はたくさんある。

救い、信仰は神からの一方的な恵みであり、けして人の業や努力でなるものではない。しかし異端の教理は一見してわかりやすい。だから多くの人がだまされてしまうのである。この世の出来事、それも神様のなした事を人間が全て分かるのだろうか。彼らの聖書研究はあらかじめ答えが用意されていて、その答えを何回か繰り返し言わせるのだという。だから聖書研究という形でいつの間にか洗脳され、そのうちに自分では何も考えず、疑いも持たず組織のやり方に従うだけになっていくのだという。

最近毎日のように恐ろしい事件がニュースで流れているだけに、彼らは終末を予見して伝道活動を活発にするだろう。

エホバの証人に限らず、異端の教団の信者達は真面目で純粋なだけにやるせなくなってくる。

私は彼らのために祈るしかない。そして新たな被害者が出ないように。






君は愛されるため産まれた。

2007-05-22 23:48:00 | Weblog
そのニュースを見て思わず泣いてしまった。

生れて間もない、へその緒がついている赤ちゃんがゴミ袋に入れられてごみ集積所に置かれていたという。赤ちゃんの泣き声で気がついて、その近所の人たちの命のリレーによって赤ちゃんは医師のもとへ、その小さな命は助かった。低体温でもう少し時間がたっていたらあぶなかったそうだ。

どうしてそんなことができるのだろうか?

つい最近もバイクのヘルメットを入れるところに1歳の赤ちゃんを入れておいたら死んでしまったので捨てたというそんな悲しい事件があったばかりだ。

なぜ?

でも10ヶ月間、母親のおなかで育ってきた赤ちゃん。

私も2人の子どもをこの胎に授かった。
最初のうちから愛情があるというよりは自分の中で命が宿るという不思議さのほうがつよかった。日がたつにつれてつわりがあり、おなかは大きくなり、赤ちゃんが動くのがなんとなくわかる、赤ちゃんが元気におなかで動くのがわかるようになる。そんな変化の中で愛情が一緒にはぐくまれていくというような感じだった。

お産の苦しみのすえに生まれた時はうれしくて涙が出た。

私はいい人でもなんでもない。私がこんな事を書いたら、その人を裁いているように見えるかもしれない。人それぞれバックグラウンドは違うけれど、赤ちゃんを捨てたその人は望んでいない妊娠で、生れるまで不安だったのだろうか。でも愛情がこれっぽちもなかったとはいえないだろう。そう思いたい。

でもその子は産まれた。その子には生きる権利がある。

どうかこの赤ちゃんの上に神様のご加護がありますように。その子の行く末を祝福してくださいますように。またこんなひどい事がもうこれ以上ありませんように。

相談するところは探せばある。小さな命を救う会、乳児院や児童相談所、教会だって相談にのってくれるだろう。私のクリスチャンの友人は、あるカップルがホテルで赤ちゃんを産み落としそのまま遺棄したというその事件に心を痛め、このような小さな命を救う働きのために今アメリカで勉強している。詳しくは「逃れの街ミニストリー」をみてください。(小さな命を救う会がリンクされています。)

神様がいるなら、神様が愛だというなら、なぜこのような悲惨な出来事をほうっておかれるのかという人もいるかもしれない。これは人間の罪による。

私は神様の愛を信じる。人間には限られた理解力しかなく物事の全てを見極める事ができないが、聖書から伝わってくるのは神様の愛だ。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、この私はあなたを忘れない。」(旧約聖書イザヤ書49章15節)

「ー胎内にいる時からになわれており、生れる前から運ばれたものよ。あなたがたが、年をとっても、私は同じようにする。あなたがたがしらがになっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。なお、私は運ぼう。私は背負って、救い出そう。」(旧約聖書イザヤ書46章3節ー4節)

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いてこられた。」(旧約聖書イザヤ書63章9節)

赤ちゃんへ。。。あなたは愛されるために産まれたんだよ。

「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(旧約聖書イザヤ書43章4節)

アルバはいつも一緒

2007-05-22 13:44:15 | 我が愛猫たち
今日も教会の婦人会は休んで、アルバと一緒に讃美歌のピアノ曲を静かに、ただきいていた。

アルバはいつも私の近くにいる。母猫だとでもおもっているよう。
去勢してから余計に甘ったれになったかな。

トイレに行くにもドアの外で待っている。時々かわいい前足がドアのすきまからひょこっとでていたずらしている。

お風呂に入っている時も扉の外で「はやくでてきてよぉ!」とでもいうようにニャンニャンないている。

なんだか小さい子どもがおかあさんの後追いしているみたい。

私がゴロってそこらへんに横になるとアルバも私のおなかあたりでぴったりよりそって同じ格好で横になる。

ひざの上に来るのも、布団で一緒に寝るのも私だけなので子ども達はうらやましくて、えさとかマタタビでつって何とかアルバをなつかせようとしているけど今のところ私だけみたい。

今もこうしてパソコンをしているけど、アルバは隣のいすで寝ている。


この頃アルバの面白い行動を発見。

アルバはなんでもないおまんじゅうの箱がお気に入りなのだ。
箱をみつけると、目をらんらんとさせてちゃ、ちゃ、ちゃっと砂を掘るようなそぶりを見せる。なんだか猫用簡易ルームランナーといったところ。



そして十分その作業を終えると箱のなかにみっしりとおさまってしまう。

その姿はまるで「ねこまんじゅう」・・・・。




「箱入り猫ニャ!なんか文句ある?}(アルバより)



礼拝にはいったけど。。。

2007-05-20 23:47:22 | Weblog
今日は少しだるい。
まだ、人と話すのが苦手なままだ。交われない。。。
なんでだ?前は本当に教会の兄弟姉妹と話すのが楽しみだったのに。

牧師先生にはまい度、心の重荷を打ち明けて祈っていただいているのだが、時々誰とも会いたくなく、話す事もしたくなくなる時がある。今日はちょうどそんな感じだった。

でも礼拝だけは休みたくなかったので、みんなと話さないように礼拝開始時刻ぎりぎりに行って礼拝が終わったらすぐ帰った。皆さん気を使ってくださって話しかけたりしてくれるのだが、礼拝が終わった後のざわざわ感がとてもつらい。。。

帰ってから今日はずっと寝てました。
皆さんにわるいことしたなぁ。いつも祈ってくださるのに。
逃げるように帰ってきてしまった。失礼な感じしなかっただろうか?

皆さんいつもお祈りありがとう。そしてごめんなさい。

あ~、もう!!

2007-05-18 23:18:01 | Weblog
と、頭をかきむしりたくなるほどむかついている。



おとなしい次男。以前もブログで書いたけど、からかわれたのが理由で精神的に不安定になったことが何度があった。毎朝、吐いてしまったり。おなかが痛くなったりと身体の調子がわるくなることしばしば。

そして、心配させまいとしているのだろう。長男が嫌な事があると爆発行動に出るのと違ってとことんためるタイプ。だからよく様子を見て何かあったのかと聞きださないといじめがあったとしてももう過去のことになっている場合がある。

最近の次男、微熱、よく吐いたり、朝、だるくなることがおおくなった。聞けば以前に同じクラスの男の子から脅すような事を言われたことや自分の席にすわられて、どいてくれといってもなかなかどいてもらえないとか、文房具をなかなかかえしてもらえないとか、いろいろとでてきた。

嫌だという意思表示はちゃんとしているらしい。私のほうがむきになって「いい加減にしろよ!とかやめろよ!って強く言い返したっていいんだよ!」といった。ただ、長男が怪我をさせたときのことが頭をよぎったので「手はだしちゃだめだよ」とだけつけたしておいた。

でも次男は我が家の中でもやさしい。
「あいつらだっていいところあるんだよ。」
「じゃあ、許すことできるの?」
「うん。」
う~ん、クリスチャンとしては喜ばしい事だが・・・・ちょっとくやしいよ~。


5月の初めに家庭訪問があったので、これらの事を担任の先生に言った。
そうしたらおばちゃん先生はこういったのだ。

「OO君はやさしいんだね。でもそういう子はね、どこにでもいるのよ。OO君。これから先、社会に出た時だって嫌だな~っていう子どこにでもいるものよ。OO君は漫画家になりたいんでしょ。じゃあ、言われた事とか、ノートに書き溜めておいてそれを漫画にしたりしてみればいいじゃない。」

(はぁ?なんだそりゃ?あるていど強くならなきゃいけないって言いたい事はわかるけどね。)

また、よくからだの調子をこわして学校を休むせいか、10日以上休むと内申書?にかかわってくるとか、どうのこうのいって帰っていった。

ところがまた、微熱、吐き気、おなかが痛いなどといいだした。医者に診てもらっても身体的には異常は見られない。ただ耳の中が赤くなっていたというので耳鼻科に中耳炎からの熱かもしれないといわれ耳鼻科へ。しかし結果は異常なし。やっぱり、精神的なものらしい。

今日は部活見学日だった。帰りにちょうどよく担任に会ったのでこのことを話した。席替えをして様子をみているという。

「OO君は優しいんですよねぇ。ええ、やさしい事はいいことなんですよ。スポーツやってるような男の子達はそんなこと言われても平気なんでしょうけど。ちょっとした言葉に多分傷ついてしまうんでしょうね。でもやっぱり社会に出たら厳しいですからね。本人には酷ですが、やり返しちゃえってけしかけるつもりで様子をみてるんですよ。」

(そんな事ができれば、身体の具合がわるくなったりしませんよ!!なんかこの人優しい事よりも強いことのほうが大事なのね。)

「ええ、でも、うちはキリスト教なので・・・あの子は家族の中でも一番やさしいので・・。それに、乱暴な言葉を言う子のほうが問題があるのではないですか?私も長男のことではいろいろありましたから。心理学とかも勉強しましたし。」と少しはこういうことについては知ってますのよ的に匂わせつつ・・・・。(あ、これは本当。通信教育で心理カウンセラーの勉強はしたことはある。)

しか~し、おばちゃん先生には響かず、同じ事を話続けるのみ。いじめでこれだけぴりぴりしてる時代にさぁ~。鈍感すぎやしないか?それどころか・・・

「この時期の男の子はすぐたくましくなりますからねぇ~。」と強い男の子を肯定するようなことを言う。

「ええ、たくましいというのか、すさんでいるというのかわかりませんけど・・・」

おばちゃん先生には親ばかだと思われたかもしれない。だが思いやりとか相手を気遣う事のほうがよっぽど大事じゃない!

「これ以上調子が悪いのが続くようでしたらカウンセリングを受けさせようと思っています。それとここのさわやか相談員は常駐しているんですか?」

おばちゃん先生、ちょっとうろたえたように「あの~ちょっと私にはわかりませんけど・・・」

「ああ相談室はわかりますのでちょっとのぞいてみます。それではこれからも宜しくお願いします。」といってその場を去った。この人は事なかれ主義なのか?
笑顔を作って話たけど多分最後のほうは顔がひきつっていたかもな。。。。

相談室へ行くと「不在です。」の札。あ~、だめだ、こりゃ。

私のテーマソング

2007-05-10 15:22:59 | キリスト教(行事、他)
なんだかずっと調子の悪い。

無気力。
誰にも会いたくなく。。。
こういう状態を周りには理解されづらい。

心に平安がない。
薬飲んでしばらく眠って・・・の繰り返し。

今日は風ガ強く、ずっと風の音だけ聞いていたんだけど、急に讃美歌333番がききたくなった。

心が弱くなる時よくこの曲をきく。
歌詞が私の心の状態と同じなのだ。



讃美歌333番

1.主よ我をばとらえたまえ
  さらばわが霊は解き放たれん
  我がやいばをくだきたまえ
  さらば我が仇に打ち勝つをえん

2.我が心はさだかならず
  吹く風のごとくたえずかわる
  主よ御手もてひかせたまえ
  さらば直き道ふみゆくをえん

3.我が力は弱く乏し
  暗きにさまよい道に悩む
  あまつ風をおくりたまえ
  さらば愛の火は内にぞ燃えん

4.我が全ては主のものなり
  主は我が喜びまた幸なり
  主よみたまを満たしたまえ
  さらば永遠の安きを受けん

繰り返し聞いているうちになんだかまた眠たくなってきた。。。

ああ、集合住宅・・・・。

2007-05-07 17:58:52 | Weblog
落ち込み度120%・・・・・・・・・・。


難しいよなぁ・・・・・・。ホント、集合住宅って・・・。

うちはマンションの1階なんです。
結構上の階の音します。
でも我慢してました。
うちの子供,男の子2人でしたし子どもが小さい頃はアパートの2階にすんでいて、生活音がうるさいと怒鳴り込まれた事がありましたから。

だからね、そういう事いいたくなかったんだよね。
でも上の階がフローリングに変えてから前にも増して音が響くようになったんですよ。
ああ、今日は運動会だなぁとか。思うくらいにね。また朝の早い時間帯6時半頃に掃除機かけているのが気になったり。お布団干す時バサバサするのでホコリとごみが結構ベランダにはいってくる。でもそれはしょうがないと・・・・。

でも、きのうはいつもは温厚なダンナも「今日は音がひびくな」というくらいだったんです。ダンナが電話してくれるというのでお任せしましたわ。ダンナはセールスの電話に対しても丁寧にお断りするタイプ。私がするよりいいかと・・・。

「下のOOO号室のものですが、少し音が気になるので・・・・できればもうすこし・・・え? そうですか・・。じゃあ隣かな?すみません」

やさしく、明るいテノールの声でこんな感じに。

ダンナいわく上のだんなさんは「特になにもしてませんよ」だったらしい。
そういわれちゃあこちらは何もいえない。

しばらく静かになったなあと思ったら立て続けにドスンドスンと・・・。
ベランダ越しに怒鳴り声がする。窓を開けてベランダに出てみると。。。
げっ、上のだんなさんの声!

「先にケンカ売ってきたのはむこうなんだぜ!」

(いや、断じてうってませんよ・・・。)

「日曜の夜の8時過ぎだぜ!」

(いいえ、9時過ぎでしたよ!)

「そんなに嫌だったらむこうが出て行けばいいんだよ!」

(なんだよ、それ?ブチきれたぜ!)

上のだんなさんが逆切れ状態だった。怒鳴り込みにでもきたかったのかね。その後またドスンという音。上のだんなさんが怒りまくりだったみたい。

先のブログに書いたように私はこういう状態になればなるほど負けん気が出てくる。くるならこいよ! びびるかよ!おまえなんかに!もういいよ! いい関係築けなくったって。もう私もそれをきいて、むかついて神経高ぶってるせいか、鬱で処方された睡眠薬も効かない。

今日は睡眠不足でずっとねていた。いらいらするので安定剤のお世話にもなった。


今日の昼過ぎになって上の奥様が誤りにやってきた。
どんな音が気になるのかとか、毎日気になっていたんですかのかとか音の程度を気にしていたけど・・「うちも隣とか上の音が聞こえるんですけど気にしないようにしてたんで・・。やっぱり気になりましたか?」とか(ちょっと正当性?)

だから、私もできるかぎり温厚に「私も男の子2人育ててるでしょ。怒鳴り込まれた事があって嫌だったからあまり言いたくなかったんですよ~。でも昨日はやっぱり音が気になって・・・あと・・・朝早い、掃除機の音とかかな~。」(だんなさんの切れまくりの話がきこえてたこととホコリの件は言いませんでした。そこまでいったらね。いやなおばばだよ。)

「本当にすみませんでした。」と菓子折りを渡してきた。
「え~!!!そんな!こんな事されたら困りますよ!本当にそこまでしなくても!!」
「ええでも本当に気持ちばかりで、高いものでもないですし。これからも宜しくお願いします。」

結局、うけとってしまった。前に受け取ってもらえなかった時つらかったからなぁ。

ああ、なんか、私、神経質なんだろうか・・・・。
すごく温厚に音の件伝えたのに。
言わなかったほうがよかったのか?

すごく私達がわるいみたいじゃん・・・・。






私の父

2007-05-05 23:36:24 | Weblog
もうすぎてしまったが、先月の28日は父の命日。

それにこの休日に母のところに遊びに行って父の話をしたせいか、なんとなく亡き父のことを思い出している。




私は好みも性質も父譲りだ。多趣味なところ、絵画がすきであったこと、音楽が好きであった事、価値観まで似ていた。というより父の考え方がすきであったのかもしれない。

生前、父は「お前は俺に似ているからな・・・。」といつも心配していた事がある。
それは負けん気の強さ、頑固な性質。
一見穏やかそうに見えて瞬間湯沸かし器のように怒ってしまう性質だ。

父はよく仕事仲間の苦情を一手に引き受けて上司にぶつけてしまうというところがあった。喧嘩っ早い上に声がでかい!目が鋭いから結構威圧的。だから上司には煙たがられていた。

そしてその性質は私にもある。

小学生の頃、お転婆だった私は英語塾で男の子とつかみ合いのケンカ。また学校で別の男の子とケンカしてかばんで殴ってしまった。

中学時代はOO先生は自己中心的過ぎます!といってしまう。

高校時代は友達が先生にお説教されているのが面白くなくて思いっきり先生をにらみつけたせいで「なんだ、お前は何か言いたい事があるのか!」と一緒に説教くらう羽目になった。

OL時代はお局OLがとてもくだらない事で怒っていてお弁当の時間に説教を始めた。他の人たちは影でその人の悪口をいっていたのにただがまんしてきいているだけ。でも、そのとき、たまらずに、思わず言ってしまった。

「それがなんだっていうんですか!」

そのあとほかの先輩に女子トイレで、またご本人のお局にロッカールームで説教を食らう羽目になった。(怖いですよ。OLの世界は。)

家に帰って、「なによ!たかが4歳くらいしか年はなれてないくせに威張り腐って~!」と憤慨している私を見て、父が「だから心配だったんだ。お前は俺に似ているからな。」とため息混じりに話していたのを思い出す。「会社じゃそんな事いってはだめだ。先輩なんだからがまんしなければな。」と諭されたっけ。



また、今頃になって父の言葉が身にしみるときがある。
「何事も一つの事を完成させてから次に興味のあることに取り掛かりなさい。そうでないとなんでもいいかげんでおわってしまうぞ。」
多趣味な私を心配しての言葉だった。

父は私が小さい頃から上野で開かれる日展によく連れて行ってくれた。
それは書道家の父が書道の良い作品を見て勉強するようにと願っていたところがあったからだ。
また、いずれ自分の書道塾を継いでほしいという考えもあったのかもしれない。

当時の私は父が書道の作品の素晴らしさとかおしえてくれるところもいい加減に聞いていて、隣のブースで開かれていた洋画のほうに惹かれていて早く洋画をみたくてしかたなかった。
だから、毎年日展に行く時は書道より洋画を楽しみにしていたものだった。

だから、小さい頃大好きな絵を本格的に習いたかったが反対されて絵を習わせてはもらえなかった。父としてはまず書道をものにしてほしかったのだろう。

書道は大人になるまでずっと続けていて一時期は「翠泉」という雅号までもらった。高校の頃書いた「かな文字」の作品の出来が良かったので父は自分の書の師匠のところに持っていったのだそうだ。師匠に「良い跡継ぎができましたね」といわれて上機嫌だった父。

しかし当の私は反抗期、また自分の道は自分で決めたいという気持ちもあった。親が書道家だから自分もというのはレールがひかれているみたいで嫌だった。学校時代も字を努力してうまく書いても、あいつのうちは書道塾だから当たり前といわれるのも嫌だった。だから書を書くことからだんだん遠のいていった。

そして高校の頃は音大をフルートで受験したいと思っていたが音大の費用やそれにかかるレッスン代、それほどピアノも弾けないことなど考えて音大はあきらめたのだった。音楽は趣味でやっていけばいいじゃないかとなるべく早く就職できるように2年生のビジネス専門学校を選び無事OLに。

自分でお金が稼げるようになると以前から習ってみたかった絵を通信教育で習った。その頃は絵本作家になりたいという夢があったから。結婚後も絵の勉強を続け3年間でプロフェッショナルアートコースという勉強を終えた。しかし講師の資格を取るには後O十万の費用を払い実習しなければならない。

しかもその頃長男がうまれたばかりだしその金額もちょっときついよなと結局講師のための勉強はしなかった。それでも公募ガイドをみては、締め切りぎりぎりで徹夜で絵を仕上げて送ったこともある。その時は地元だったF市のポスタ-募集で選ばれたり、図書館の藤棚の下の道路に使う絵に選ばれたりしたんだけどね。

しかし、こうして思い返すと何一つとして確立したものがない。父のいったとおりになってしまった。全部いいかげんだ。



先日上野で絵画展を見ていた時、気がついた。
親の私としては美術部に入っている次男に「良い絵を見て目の肥やしにしなさいよ」という気持ちでいたので次男のつまらなそうに後をついてくる姿を見てちょっとがっかりした時のこと。

次男の好みは漫画チックな絵だ。
今回のような洋画は好きではないらしい。でも漫画描くにも何でも基礎が大事。
いろんな絵画を研究したほうがいいと思うんだけどな。
構図とかデッサン力とか色使いとかさ・・・。
親としていろいろできることをかんがえていたのだけどね。

でも、そんな事を思うと父が私に言い続けていたその時の気持ちがわかるような気がする。父の作品を見るたび、また父の残した書道の資料や辞典を見るたびに書道という世界に奥深さを感じる。父がいろいろな書体を研究していた事がわかる。今頃になって生きている時にもっと稽古をつけてもらえばよかったと思う。

そして今、私も親になって長男と次男に父と同じ事を言っているのだ
「一つの事を成し遂げてから次のことをしなさいよ」と・・・。

父の作品の一つ。また晩年は縁起絵師でもあった父の達磨大師の作品。





たまには筆をとってみようか・・・・・。