もうすぎてしまったが、先月の28日は父の命日。
それにこの休日に母のところに遊びに行って父の話をしたせいか、なんとなく亡き父のことを思い出している。
私は好みも性質も父譲りだ。多趣味なところ、絵画がすきであったこと、音楽が好きであった事、価値観まで似ていた。というより父の考え方がすきであったのかもしれない。
生前、父は「お前は俺に似ているからな・・・。」といつも心配していた事がある。
それは負けん気の強さ、頑固な性質。
一見穏やかそうに見えて瞬間湯沸かし器のように怒ってしまう性質だ。
父はよく仕事仲間の苦情を一手に引き受けて上司にぶつけてしまうというところがあった。喧嘩っ早い上に声がでかい!目が鋭いから結構威圧的。だから上司には煙たがられていた。
そしてその性質は私にもある。
小学生の頃、お転婆だった私は英語塾で男の子とつかみ合いのケンカ。また学校で別の男の子とケンカしてかばんで殴ってしまった。
中学時代はOO先生は自己中心的過ぎます!といってしまう。
高校時代は友達が先生にお説教されているのが面白くなくて思いっきり先生をにらみつけたせいで「なんだ、お前は何か言いたい事があるのか!」と一緒に説教くらう羽目になった。
OL時代はお局OLがとてもくだらない事で怒っていてお弁当の時間に説教を始めた。他の人たちは影でその人の悪口をいっていたのにただがまんしてきいているだけ。でも、そのとき、たまらずに、思わず言ってしまった。
「それがなんだっていうんですか!」
そのあとほかの先輩に女子トイレで、またご本人のお局にロッカールームで説教を食らう羽目になった。(怖いですよ。OLの世界は。)
家に帰って、「なによ!たかが4歳くらいしか年はなれてないくせに威張り腐って~!」と憤慨している私を見て、父が「だから心配だったんだ。お前は俺に似ているからな。」とため息混じりに話していたのを思い出す。「会社じゃそんな事いってはだめだ。先輩なんだからがまんしなければな。」と諭されたっけ。
また、今頃になって父の言葉が身にしみるときがある。
「何事も一つの事を完成させてから次に興味のあることに取り掛かりなさい。そうでないとなんでもいいかげんでおわってしまうぞ。」
多趣味な私を心配しての言葉だった。
父は私が小さい頃から上野で開かれる日展によく連れて行ってくれた。
それは書道家の父が書道の良い作品を見て勉強するようにと願っていたところがあったからだ。
また、いずれ自分の書道塾を継いでほしいという考えもあったのかもしれない。
当時の私は父が書道の作品の素晴らしさとかおしえてくれるところもいい加減に聞いていて、隣のブースで開かれていた洋画のほうに惹かれていて早く洋画をみたくてしかたなかった。
だから、毎年日展に行く時は書道より洋画を楽しみにしていたものだった。
だから、小さい頃大好きな絵を本格的に習いたかったが反対されて絵を習わせてはもらえなかった。父としてはまず書道をものにしてほしかったのだろう。
書道は大人になるまでずっと続けていて一時期は「翠泉」という雅号までもらった。高校の頃書いた「かな文字」の作品の出来が良かったので父は自分の書の師匠のところに持っていったのだそうだ。師匠に「良い跡継ぎができましたね」といわれて上機嫌だった父。
しかし当の私は反抗期、また自分の道は自分で決めたいという気持ちもあった。親が書道家だから自分もというのはレールがひかれているみたいで嫌だった。学校時代も字を努力してうまく書いても、あいつのうちは書道塾だから当たり前といわれるのも嫌だった。だから書を書くことからだんだん遠のいていった。
そして高校の頃は音大をフルートで受験したいと思っていたが音大の費用やそれにかかるレッスン代、それほどピアノも弾けないことなど考えて音大はあきらめたのだった。音楽は趣味でやっていけばいいじゃないかとなるべく早く就職できるように2年生のビジネス専門学校を選び無事OLに。
自分でお金が稼げるようになると以前から習ってみたかった絵を通信教育で習った。その頃は絵本作家になりたいという夢があったから。結婚後も絵の勉強を続け3年間でプロフェッショナルアートコースという勉強を終えた。しかし講師の資格を取るには後O十万の費用を払い実習しなければならない。
しかもその頃長男がうまれたばかりだしその金額もちょっときついよなと結局講師のための勉強はしなかった。それでも公募ガイドをみては、締め切りぎりぎりで徹夜で絵を仕上げて送ったこともある。その時は地元だったF市のポスタ-募集で選ばれたり、図書館の藤棚の下の道路に使う絵に選ばれたりしたんだけどね。
しかし、こうして思い返すと何一つとして確立したものがない。父のいったとおりになってしまった。全部いいかげんだ。
先日上野で絵画展を見ていた時、気がついた。
親の私としては美術部に入っている次男に「良い絵を見て目の肥やしにしなさいよ」という気持ちでいたので次男のつまらなそうに後をついてくる姿を見てちょっとがっかりした時のこと。
次男の好みは漫画チックな絵だ。
今回のような洋画は好きではないらしい。でも漫画描くにも何でも基礎が大事。
いろんな絵画を研究したほうがいいと思うんだけどな。
構図とかデッサン力とか色使いとかさ・・・。
親としていろいろできることをかんがえていたのだけどね。
でも、そんな事を思うと父が私に言い続けていたその時の気持ちがわかるような気がする。父の作品を見るたび、また父の残した書道の資料や辞典を見るたびに書道という世界に奥深さを感じる。父がいろいろな書体を研究していた事がわかる。今頃になって生きている時にもっと稽古をつけてもらえばよかったと思う。
そして今、私も親になって長男と次男に父と同じ事を言っているのだ
「一つの事を成し遂げてから次のことをしなさいよ」と・・・。
父の作品の一つ。また晩年は縁起絵師でもあった父の達磨大師の作品。
たまには筆をとってみようか・・・・・。